17.触れない温もり
しん、と水を打ったような沈黙がその場を覆う。
私はこくりと息を呑み、息を潜めながら次の展開を待った。
第三学年が始まり、順当に決勝戦へと勝ち上がったデュークの相手はユリシーズとなった。
摸擬剣を手にしたデュークとユリシーズが同時に一歩足を踏み出したのを合図に、キンッと剣がぶつかり合い、その音は次第に激しくなっていった。
伸びやかに腕が上下左右にと動き、互いに譲らぬ攻防が繰り返され甲高い金属音が鳴り響く。
拮抗していると思われたが、ユリシーズが右に剣を振ったのを躱した隙にデュークが踏み込み距離を詰めた。
カンッと容赦なく剣を薙ぎ払い、ユリシーズの首にぴたりと剣先を押し付ける。追い詰められたユリシーズは両手を上げた。
「降参。途中まではいい勝負だと思ったのだけどな」
荒い息を吐きながら、ユリシーズは悔しそうに眉を寄せた。
「いや。いい勝負だった。仕掛けるのが遅ければ、先に技を繰り出されこちらが負けていたかもしれない」
「それもお見通しということか。これでも自信があったのに」
剣を拾ったユリシーズはくるくると回すと、先ほどの動作を繰り返すよう一振りし、ひょいっと肩を竦めた。それから互いに健闘し合い、握手をする。
「今回は負けたけど、また相手をしてもらいたい。これは純粋に騎士としての申し出だ」
「もちろん」
デュークは快く承諾すると、二人は競技場から下りた。会場が拍手に包まれる。
ユリシーズの剣は、どこに伸びてくるのかわからない柔軟性があった。
次兄やデュークの稽古をそばで見てきたので、負けたとはいえど彼もそれなりに実力者であることはわかる。
力強く隙のないデュークの剣と互角にやりあえる。それだけで十分に実力がある証拠だ。
イレイン王女が、誇らしげに薦めていたのにも納得だ。
その王女だが、第三学年の試合が始まる少し前に戻ってきた。
試合と試合の合間にそれとなく王女を見ていたが、特にベンと視線のやり取りをしている様子もなく、怪しい動きもなかった。
常にセラフィーナとともに行動すると聞いていたため、単独行動の理由はなんだったのだろうか。
今はそれよりもと会場の控室へと降り、汗を拭いているデュークのもとへと駆け寄った。すぐに私に気づいたデュークに名を呼ばれる。
「フェリシア!」
持参した飲み物を渡しながら声をかけた。
「お二人の試合、とても見応えがありすごかったです。ランプリング様もどうぞ。騎士をしている兄のお墨付きの飲み物ですので、すっきりすると思います」
「ユリシーズでいいよ。僕も下の名前で呼ばせてもらっているし」
「……」
どうすべきかとデュークを見ると、ユリシーズが言葉を重ねた。
「せっかくの交流なのだから少しでも互いに知り、剣士としてもこれから胸を借りていきたい。いちいち畏まっていたら本気を出しにくい」
デュークは顎に手を当ててしばらく考えていたが、ゆっくりと頷いた。
「では、そうしよう」
私は婚約者の方針に合わせ頷き、デュークへタオルを渡そうと視線を向けると、こめかみから頬を伝いつぅっと汗がたれ落ちるのが見えた。
「デューク様、汗が」
何も考えずに、ぽとりと落ちる汗を持っていたタオルで当てる。思わず手を伸ばしてしまったが、ここでやめるほうがおかしいかとそのまま拭き取った。
ぎくしゃくと動きを止めたデュークは、じっとタオルを持った私の手を見つめる。
「…………」
「デューク様?」
どうしたのかと声をかけると、デュークはゆっくりと瞬きをしてそっと息を吐き出すと、私からタオルを受け取った。
「ありがとう」
「いえ」
「……」
「……」
デュークは笑みを浮かべタオルを顔に当てたが、どことなくぎこちない。やはり先ほどのやり取りが影響しているのか。
怒っているのとは違う。デュークのどこか戸惑うような空気に当てられ、私もどうしていいのかわからなくなる。
何かを言わなければと頭をフル回転させるが、微妙に合わない視線に言葉が浮かばない。
こんなことは初めてで、下腹をちくちくと針で刺されているかのようだ。
無意識にお腹に手を当てたところで、空気を変えるようにユリシーズが明るい声を上げた。
「フェリスちゃん、これ美味しかった。できればレシピを教えてほしいな」
「いいですよ。簡単なので後で紙に書いてお渡ししますね」
デュークのことも気になるけれどここで話し合えるものではないし、後でゆっくり時間を取って話し合おう。私は切り替えるようにユリシーズに笑顔で答えた。
「ありがとう。これ、きっとイレイン様も知りたがると思う」
「イレイン殿下ですか?」
まさかここで名前が出てくるとは思わず反応すると、彼の笑みが深くなる。
「そうなんだよ。この国に来てから興味の幅が増えたみたいで、これまで以上に精力的に動いているんだよね。もしかしたら、ほかにも教えてほしいと言われるかもしれないけどいいかな?」
「私にできることでしたら」
話す機会があるなら探れることもあるので大歓迎だと頷くと、横にいたデュークの手からぱさりとタオルが落ちた。
私の足元近くに落ちたのに気づき、タオルを取ろうと屈むと、同じように拾おうとしたデュークが視界に入る。
「あっ……」
思わず顔を上げると、同じように私を見たデュークは小さな声を上げさっと身体を引いた。
――避けられた?
想像もしなかった反応にタオルに触れる手がわずかに震えたが、気を取り直して拾い上げる。
その間、デュークは動く様子はない。
何らかのアクションがあってもいいはずなのに、どうしたのかと見ると、デュークは眉間にぐっとしわを寄せて苦しそうな表情を浮かべていた。
「デューク様?」
「……ごめん」
沈痛な声とともに謝罪をされたが、少し伏せ気味の視線は私を見ているようで見ていない。
「いえ」
私は気にしていないと小さく首を振ったが、明らかに避けられたことの衝撃が逃せないでいた。
――私がデュークの手を先に拒んでしまったから?
意図的ではなく身体が思わず反応してしまったといった戸惑いが、デュークの隠すことのできない心情を表しているようで、ずんとお腹に重しを抱えたようだ。
――痛い……。
ちくちくと圧がかかり、違和感で見過ごすことができないくらいお腹が痛かった。
相手のことを想うからこそ意見が噛み合わっていないことももどかしく、受け入れてもらえないこと、また受け入れられないことが苦しくなった。
デュークは何かを堪えるように眉間にしわを刻んだ表情を浮かべ、私が探るように見ているのに気づくと、柔らかに目を細めた。
濃紺の瞳は戸惑いかすかに揺れているが、そこに変わらぬ愛情が浮かんでいる。
「そろそろ行く。また後で」
結局、最終学年の四学年の試合もデュークが審判をすることになったと聞いているので、この後も忙しい。
「はい」
私はタオルを握りしめ、努めて笑みを浮かべた。
変らぬ瞳と、また、の言葉に安堵する。順調な時は気にならなかった些細な言動に敏感になり、ナーバスになっているのが自分でもわかった。
自分の中に何かが冷たく凝り固まろうとするかのように、お腹の中の重みが増していく。
デュークは以前、私がそばにいたから集中でき甘えていたと、これからはもっと私との時間を大事にしていきたいと言ってくれた。
まっすぐなデュークは、今もそれを守ってくれている。
そして私もじっと見つめられる眼差しに安堵を覚え、何があっても最終的にはデュークが受け止めてくれると信じていられる。
愛情と信頼と。
そういったことは変わらないのに、いつもじっと見つめてくれていた眼差しが揺らいでいるのを見るだけで、私の心は大きく揺らぐ。
手が触れ合わなかっただけ。
本人も意図せず避けてしまっただけ。
謝ってくれたし、何よりデューク自身がその行為に戸惑い後悔しているようだった。なので、責められない。どうしてと聞けなかった。
――それに、先に避けてしまったのは私……。
ちくちくしていたお腹が炎症したように熱を持ち、そして重い。
ぎゅっとタオルを握りしめた。気を抜けば泣きそうになるのを、唇を引き結んで堪える。
私は追いかけ言い訳も言及することもできず、デュークの後姿を見送った。




