帰郷
羊飼いがテントに訪ねてきてて、すぐに劇的な変化があるわけではない。
興行はいつも通り行われるし、ニコルとセルビアは物販で食べ物や前の土地から持ち込んだ特産品の販売を行って一日が終わる。
そうして旅を続けていくうち、ついにセルビアの見慣れた街に到着した。
「しばらく来てなかったけど、全然変わってないよ。ちょっと安心した」
馬車に乗ったまま街の門をくぐったセルビアは、懐かしい街並みを見て小さくため息をついた。
その言葉に反応したのは隣に座っていたニコルだ。
「そっか。ここって、セルビアちゃんと会った街か。ここからセルビアちゃんとの旅が始まったんだね。思い出したよ」
ニコルにとっては旅の中の一つの街だが、セルビアにとっては故郷に一番近い街で、初めて一人暮らしをし、働き始めた場所でもある。
何より、この街で皆に会えなかったら、自分はどうなっていたかわからない。
前まではどこか引け目を感じていたけれど、こうして堂々と歩けるようになったのは、自分を必要としてくれて、自信を持たせてくれた皆のおかげだ。
「うん。ここで偶然トラさんに会って、ニコルちゃんや団長、サーカスの皆に受け入れてもらって、お仕事もできたし、宿を追い出されることになっても、かばってくれた。そしてずっと憧れてた外の世界を見る旅ができたんだよ。そして帰ってきた……。帰って来たんだなって……」
結局、牧場のことはニコルにまだ話せていない。
自分から話したいと団長に伝えているので、団長はそれを守ってくれているのだろう。
ニコルの様子はこの街についてもいつも通りだった。
だからこそ、セルビアは少し後ろめたい気持ちになっていた。
「セルビアちゃん、大丈夫?」
黙り込んだセルビアの顔を覗き込んでニコルが尋ねると、セルビアは慌てて顔を上げた。
「うん、大丈夫だよ」
「ならいいんだけど……」
この時のニコルは、セルビアが集落でどのように扱われたかを思い出した。
確か、この街はセルビアが住んでいる集落から歩いてこられる位置にあるはずだ。
だから外を出歩くと、もしかしたらその時に嫌がらせをした人に出会うかもしれない。
両親との仲は悪くないけれど、他の人と鉢合わせしたくないのかもしれない。
でも今は自分が一緒にいる。
それを心強く思ってくれたらいいなと、ニコルはセルビアの表情から少し的外れの答えを導き出して気合を入れていた。
この時のニコルは、セルビアとの別れを想定していなかったのだ。
「セルビアちゃん、ここに戻ったらご両親が面会をしたいと希望していたが、自分で行ってくるかい?」
馬車が空き地について二人が降りたところに団長がやってきてセルビアにそう言った。
牧場のこともあるので団長がここ最近、セルビアの両親と連絡を取っていることは知っていたが、そんな話は聞いていない。
なぜそんな提案をされたのかわからないセルビアは思わず言った。
「今からですか?」
確かにまだ日は高い。
森を抜けて往復しても明るい間に戻ってこられるだろう。
けれど馬車は街についたばかりで、明日からの準備も何もしていない。
テントを張る際は邪魔になるけれど、その前の荷運びくらいはできるようになったので、手伝いたいところだ。
しかしなぜ、着いてすぐ、そんな話になったのか。
両親をびっくりさせておいでということなのか。
意図が読めないセルビアが訝しんでいると、団長が言い方が悪かったと改めて説明を加えた。
「いや、さっき到着の連絡を頼んだから、ご両親が見えるのは明日の予定だが、家に戻りたいのならその時間が取れるのは今日だけだ。何かやり残したことはないかと思ってね」
そう言われたセルビアはこの街での予定を改めて思い浮かべた。
とりあえず両親は明日、ここに顔を出してくれるらしい。
そして次の休みには、団長は羊飼いと両親と一緒に、買い手を探している牧場に行く予定となっている。
それ以外は興行の売り子をしているので、セルビアが自由に動けるのは今日しかない。
仮に戻る必要があるのなら、それができるのは今になる。
しかしセルビアは少し考えて必要ないと判断した。
「家って、集落に戻るかってことですね。あそこには特に用事はないし、行ってもいい顔されないからむしろ行きたくないというか……」
自分を虐げた集落に良い思い出はない。
むしろあそこに戻ったら惨めな気持ちを思い出しそうなので、踏み入りたくない。
旅をしてきた今なら、集落から街に行くくらいのことを自慢されていたことなんて、どうでもいいことのように思えるが、集落はそういう狭い世界の中で生きている人たちの集まりだ。
広い世界を見てきた自分を今度は嫉む人間が出ないとも限らない。
前と変わらず虐げられるか、通り越して嫉まれるか、あの集落の自分に対する扱いがどこに転んでもいいものとは思えない。
これまでなかったのだから謝罪すらされないだろう。
ならば不愉快になりに行く必要はない。
セルビアがあからさまに嫌そうな反応をしたため、団長は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「それならいいんだ。実家があるのに戻れないってのは、改めて聞くと切ない気持ちになるが、セルビアちゃんに未練がないならいいんだ」
「はい。それに本当に必要なものを思い出したら両親に届けてもらえばいいし、ここまで手元になくても困らなかったものなら、これからも必要になるものじゃないと思います」
「それはそうだな」
団長に言われて、この街での予定が意外と詰まっていることに驚いたものの、本当に必要ならその予定の中に家に戻るというのを入れておくべきだったが、そうしなかった。
つまり集落のことなど気にすら留めていなかったということだ。
それに明日両親が来るのなら、その時に自分の部屋に持ち出した方がいいものが残っているかを確認して、牧場を見に行く時に持ってきてもらえばいい。
こうして提案された時点でも浮かぶものがないのだから、きっと何もないと思う。
セルビアがそう答えると、ニコルが手を引いた。
「じゃあ、これが終わったら買い物に行こうよ。嫌がらせをしてきた知り合いに会うのが怖いかもしれないけど、私が一緒なら大丈夫でしょ?」
種楽に戻ってもいい顔はされないというセルビアの言葉を聞いたニコルが、やはりさっき顔を曇らせたのはそういう人に会いたくないからだと判断してそう言うと、セルビアはそれに合わせてうなずいた。
「うん。ありがとう。この街のことなら少しはわかると思うから、頼りにしてもらえたら嬉しいな」
セルビアはこの街で仕事を探さなければならなかった。
その過程で随分と街の中を歩き回ったのだ。
だからその時から変わっていなければ、お店の場所はある程度把握している。
そう言うと、ニコルは弾んだ声で言った。
「じゃあ、おいしい食事のお店は任せるよ」
「わかった。じゃあ早く終わらせて行こうか」
そうして話をまとめると、二人は荷運びに加わった。
団長はそんな二人の様子を心配そうに見送ってから、自分も仕事に戻るのだった。




