29清水〜瞳が語る真実〜
「ひどい事件ですね」
捜査資料を眺めながら清水は呟いた。
「若い女性が三人も……」
清水が警察として治安を守るようになってから早三年。幼い頃より漠然と夢を見てきた職業。高校大学と順調に進学し、公務員試験に一発合格を果たした。理想よりもいくらか異なってはいたものの、清水は現状に不満は持っていない。難解な事件を解決したい願望はあるものの、三年前の事件を思い出すたびにその考えは棄てるようにしていた。それは配属してすぐに起こった事故。そういえばその事故もこの村が現場だったか。
清水の目の前には半分削り取られたような小高い丘がある。最近削り取られたわけではないが、さほど古い跡でもない。その丘の前には赤茶色の岩が地面に突き刺さっていた。清水は当時の光景を思い起こしていた。この岩の下敷きとなり死んでいた女性のことを。
「近藤さん、今回の事件にあの時のことが関わっているんですかね」
「難しいな」
近藤と呼ばれた男は顎をしゃくって唸り声を上げた。
「仏の場所は同じだが、殺しと事故じゃ違いすぎるだろ」
「おれはあれが事故であるとは思っていませんよ。近藤さんだってそうでしょう? どうせ上のやつらがもみ消したんですよ」
「滅多なことを言うもんじゃねえ」
たしなめはしたが近藤も思うところがあるのか、顎に伸ばした無精ひげを触りながら、しきりに考えを巡らせているようにみえた。中肉中背であり、年も四十を半ばも過ぎている。この歳で現場に出てきているためキャリアではない。出世コースからは外れているが、現場では誰よりも若手の気持ちを理解してくれる人だ。これまでにも清水は何度となく助けられてきた。
「かといって、あの事故が無関係とするには早計だな」
「でしょう」
「だがもう犯人の目星はついているんだろ」
「ええ、犯人は出版社に勤めていた三島大貴と思われます。村民からの聞き込みにより、被害者すべてに関わっていることがわかりました」
清水は捜査資料を二、三枚捲った。
「この事件の被害者は神童真弓、畑中深雪、綾里愛の三名。三名ともこの場で倒れていました。第一発見者は相内悟。彼は三年前の被害者相内智美の弟であり、定期的にこの場所の手入れをしていたそうです」
「死因は?」
「神童真弓、綾里愛は薬物を盛られたものとみえます。畑中深雪は鈍器による脳挫傷だと思われます。凶器は見つかっていませんが、ガラスの一部が傷口に付着していることから懐中電灯のようなものではないかと推測しています」
「一人だけ撲殺なのか」
「ええ、ただ不自然な点があるんですよ」
そう言って誰が聞いているわけでもないが、清水は声音を落とした。
「神童真弓の殺害場所ははっきりしていません。この場で毒殺された可能性、他の場所で毒殺されここまで運ばれた可能性の両面から調べています。綾里愛は衣服や肌に付着している泥や植物から、殺害場所は別の場所ではないかと思われます。畑中深雪は別の場所で殺された後ここまで運ばれたようです。三人とも殺害場所は特定されていません」
「死体をここまで運んだということか」
「それだけではありません。鑑識と初動捜査にあたった警官の話によりますと、薬物はこの村で入手可能なものです。そしてこの場に包み紙が二つ。これらは被害者の体内から検出された薬物を包んでいたものと断定。さらに薬物が包まれた状態でもうひとつ発見されました。どれも被害者三名の指紋は検出されていますが、犯人と思われる三島大貴の指紋は検出されていませんでした。
薬物は三人分用意され、二人が毒殺。一人が撲殺。もしも殺人であるなら薬物はひとつ使われなかった計算になります。痕跡を消す意味を考えると、これを処分しなかった意図はわかりません」
そこまで話したところで近藤は唸り声を上げた。清水も同じ心境だった。
「毒は三人分用意され、一人が撲殺されたか……。自殺、という可能性はないのか」
「鑑識によると畑中深雪の傷痕は第三者によるものであることは間違いないそうです。このことから畑中深雪が犯人であり二人を殺害したという考えも否定されます。共犯者や裏切りの存在を考えると別ですが。
死亡推定時刻は綾里愛と神童真弓が深夜の十二時から二時頃、畑中深雪は二時から三時頃です。このデータと村民の目撃情報から鑑み、状況から見て最初に死亡したのは綾里愛、神童真弓、畑中深雪の順だと思われます。綾里愛は三島大貴と別れた後に失踪したらしく、おそらく……」
清水は言葉を濁した。この情報は近藤の耳にもすでに入っている。近藤は捜査をする際、必ず清水に捜査内容を喋らせて再確認する。こうすることにより偏見を持たず捜査ができるのだそうだ。
「綾里愛が失踪してから死亡するのに随分時間が空いているな」
「それも疑問点のひとつです。綾里愛が拘束された痕はみられず、睡眠薬等も体内から検出されていません。検出された薬物は毒殺に使用された一種類のみです。集団自殺という線も無理やりですが考えられますが、そうすると三島大貴が逃走した理由に説明がつきません」
「すでに三島大貴は殺害され、他に犯人がいるんじゃないか? この村に来るまで被害者とは面識がないんだろ。殺す動機が思い当たらんな。強姦された形跡もないわけだしな」
「そうなんですよね、しかしそうすると三島の死体がここにないのは何故なんでしょうか?」
「俺に訊くな」
近藤は諦めたように首を振った。ポケットからタバコとライターを取り出すと風を避けるように身を屈め、三度目で火をつけた。うまそうに吸うと鼻から勢いよく紫煙を撒き散らした。ノンスモーカーの清水は煙を避けるように半歩後退する。
「三島大貴が犯人なら三年前の事件とこれは無関係だろう。捜査本部も三島を犯人と断定している」
「ですが、どうにも納得できませんよ。物証は何一つないなんて」
「ちょっといいですか」
落ち着いた声が二人の会話に挟み込まれた。振り向くと花を手にし、学生服に身を包んだ少年が三人に、神主の装束をした少年が立っていた。声をかけた少年は微笑のよく似合う爽やかな雰囲気をしている。確かこの少年は。
「畑中裕紀くんだね」
「ええ、清水刑事さんですよね。もう現場検証も終わったということなので、いいですか?」
裕紀が花を揺すった。よく見ると、四人ともそれぞれバケツや小さなシャベルなどを手にしている。清水は無言で頷き、道を譲った。
ありがとうございます、と裕紀は丁寧に頭を下げると、近藤にも一礼し地面に突き刺さった岩の前にしゃがみこんだ。花や線香を置く仕草には慈愛を感じることができた。清水はその姿に目を向けないのが礼儀と思い、視線を他の三人に移した。
三人とも清水は聞き込みで顔も名前も知っていた。神童圭介、綾里勝也、相内悟。圭介が神主の装束に身を包んでいる理由も清水は訊いている。何でも神童家は代々雨の神に仕えていた由緒正しい家系であり、女子が神の言葉を代弁するため一人神社での生活を強いられる。しかし神童家に女子がいなくなったため、その代理として圭介が管理をしているということらしい。聞き込みのときにも思ったが、圭介は神主の装束を見事に着こなしている。毅然とした振る舞いには、姉が殺された事実にも背負わされた使命にもうろたえているようには見えない。唯一の違和感として、圭介の耳にボールピアスが光っていることだろうか。それが俗世とのつながりであるかのように感じるのは考えすぎだろうか。
「行くぞ」
近藤が携帯灰皿でタバコを押しつぶし、清水の返事を聞くまでもなく歩き出していた。こういったさりげない気遣いが清水は好きだった。タバコの火を消したのも線香の匂いを消さないためだろう。清水は何も言わず近藤の後に従った。
しばらく歩き、こちらを向かずに近藤は呟いた。
「おまえ、この村の噂を聞いたことがあるか」
「噂ですか? そういえばこの村は呪われているとか聞いたことがあるような」
「そうじゃねえよ」
近藤の額から脂汗が浮いていることに清水は気付いた。その声は先ほどのように抑えられているが、誰にも聞かれたくないという無言の訴えを清水は感じることができた。
「もう二十年近く前になるか。俺はこの村にきたことがある」
「事件か何かですか?」
清水の問いに近藤は首を横に振った。
「ただの興味本位だ。非番を利用して観光がてら来たんだよ。その時に当時の巫女にも会い、この村について話を訊いてみた。大したことねえ話だ、その資料に書いてあるのと似たり寄ったりのことを話してくれたよ」
近藤は清水の手の中にある捜査資料を指差した。その指先がかすかに震えている。
「笑顔で喋ってはくれたが、俺は鮫の口の中にいる気分がしたな。常に牙を喉元にかけられているようにすら思えた。話が終わるや否や俺はこの村を去った。それっきりここを訪ねようとも思わなかった」
「…………」
「おまえはあいつらの目を見たか。特に、畑中と神童のを」
裕紀くんと圭介くんが? 清水が振り返ると、四人とも岩の周りをせわしなく動いていた。もうはっきりと輪郭を区別することができない距離にいるが、どうにか区別はついた。
「そりゃ、見ましたけど……」
清水は口ごもった。近藤が何を言いたいのかわからなかったからだ。
「あの日、俺が逃げ出すように村をでたのもあの目のせいだ。あの時の巫女と同じ目をしてやがる。わかるか、あの目はどこか踏み越えちまった目だ」
「……まさか近藤さん。あの事件と彼らが関係しているとでも?」
「そうじゃねえ。ただ、あの目には近付くな。引き込まれれば、二度と戻れんぞ」
近藤のその言葉は腑に重くのしかかった。
もしかしたら、近藤があの岩の前を去ったのは彼らを気遣ってのことではなく、ただ彼らを恐れていたのではないだろうか。近藤があの目に何を投影しているのかわからないが、近藤を震えさせる何かを、彼らはその身に潜ませているのではないか。
もう一度、清水は振り返ってみた。もう彼らの姿は見えない。
まだ清水は感じることができない。近藤の言う踏み越えた先を。
「……そうそう」
と清水は先を行く近藤の背に話しかけた。
「ひとつ妙な目撃情報が入ったんですよ」
「妙な目撃?」
「ええ、村の十歳ぐらいの少年の話なんですが、被害者の死亡推定時刻にあたる深夜二時頃に畑中深雪が走っている姿を目撃したそうです。少年はすぐに両親を外に連れ出したそうですが、両親は姿を見なかったそうです」
「それが本当なら、死亡推定時刻がかなり限定されるな」
「といっても信憑性は薄いですね。深夜でしかも寝ぼけているところだったらしいですよ。少年はかなり頑固に主張していましたが」
清水は苦笑交じりに言った。近藤も冗談だと思っているのだろうか、あまり深く考えようとせず再びタバコに火をつけた。
「なんにせよ、俺たちの仕事は終わりだ。今日中に引き上げるぞ」
「はい」
最後にもう一度、清水は後ろを振り返った。三島大貴を捕まえることができれば、彼らはどんな顔をするのだろうか。怨みの気持ちを募らせるかもしれない。彼らがどんな気持ちで墓標の前に立っているのだろうか。
同族意識だろうか。
敵対心だろうか。
怨念だろうか。
それでも、彼らが後悔しない選択肢を見出して欲しい。まだまだ若いのだから。
清水は空を仰ぐ。湿っぽい風だ、雨が降るかもしれない。




