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30エピローグ〜ここは雨乞いの村〜

「予定通りだ」

 二人の刑事が見えなくなったところで圭介は手を止めた。

「警察の活動拠点にうちの本殿を開放している。これであそこが調べられることはまず無いね。まさか証拠を自分たちが消しているとは思わないだろうしさ」

 圭介は耳のピアスに触れた。鋭い冷たさが指先に伝わる。

「決行は今夜だよ。俺のほうで警察の動きは警戒しとくけどさ、今日は村に来ている警官全員で捜査会議を開くことになっているから、気にすることもない」

「ほんとに、平気か……な」

「村の秘密を知ってる野郎はこれで全員なのか?」

「全員じゃなくてもいいんだよ」

 裕紀が微笑を崩さぬまま言った。

「知っている人間が死ぬ、というのが重要なんだ。この村の噂を知っている人間が死ぬ、という別の噂が流れればいい。そうすることでこの村の歴史を覆い隠してくれる。新しい噂を作るのは僕たちじゃない、町の人間なんだ」

 裕紀の後に圭介が付け足した。

「つまり、町に流れてしまった村の歴史を、新しくできた村の噂のひとつにしてしまうのさ。木を隠すなら森の中。証拠があるのならともかく、証拠は俺たちの頭の中にしかない。自分の身の危険を顧みず正当性を主張する人間はいないだろうしね。ここは確かに呪われた村とされるかもしれないが、そうすれば人も寄り付かなくなり、歴史を知られたとしても噂のひとつとして考えられてしまう」

「その通り」

 裕紀は圭介に微笑みかけた。いつもと変わらない爽やかな微笑だ。その微笑を圭介はまっすぐと見ることができない。その微笑の理由を知っているのは、真弓がいなくなったいまでは圭介しかいない。悟も勝也も裕紀の微笑を自己防衛と考えているだろう。深雪さんの死を背負うための事故制御。それは正しくもあり、同時に間違ってもいる。

 悟が深雪さんを殺し、さらに三島大貴を殺した。その時でも裕紀の微笑は崩れなかった。裕紀の基本表情は微笑だ。三年前のあの日から。

 圭介と真弓だけが知っていた。裕紀と智美が恋人同士だったことを。

 圭介が知ったのは偶然、智美が真弓に相談しているところを耳にした。礼儀と思いすべてを聞かずその場を離れたが、二人が隠れるように付き合っているのが圭介にとって不思議でならなかった。

「付き合っているんだろ」

 それからしばらくして圭介は裕紀に尋ねた。裕紀は驚いた顔を見せたが、すぐに相好を崩し、照れ笑いを浮かべた。その表情は人形のような微笑ではない、裕紀の紛れもない感情の結露だった。付き合いを隠している理由を問い質したが、裕紀はお茶を濁すばかりで結局答えてはくれなかった。

 その理由がわかったのは智美が死んだ日。悟は血相を変えて智美に近づこうとした。

 悟は智美のことを愛していた。血を分けた姉だとわかっていてもなお、悟は自分の気持ちを偽ることができなかった。裕紀と智美は悟の感情を知っていたから公然と付き合うことができなかった。悟が縋りつこうともがいている傍らで、裕紀は物言わぬ智美を漫然と眺めていたように思う。

 それからというもの、裕紀はよく笑うようになった。その頬には常に微笑を湛えていた。まるでこの世のすべてを儚んでいるかのように。まるでこの世のすべてを諦めたかのように。

 裕紀の微笑を作り上げたのは智美であり、その微笑を確固たるものとしたのは深雪だった。深雪の死後、圭介は裕紀が微笑を崩すところを見ていない。

 微笑が裕紀の選択した自己防衛手段。智美の死によって生み出された。悟が感情を爆発させたように。勝也が唯々諾々と愛に従ったように。圭介が真弓に反抗したように……。

「なあ、圭介」

 回想に浸っていた圭介を呼び戻したのは勝也の声だ。悟られないように緩慢な動作で振り返る。

「向こうの先に、何が見える」

 勝也が向く先、そこには何があるわけでもない。ただひたすら木々が葉を揺らしているだけ。鬱蒼とした林には、地元のものでも恐怖を感じる闇の抜け殻。勝也は目を凝らしているが、諦めたようにため息をついた。

「駄目だな、やっぱり俺には見えねえ」

「そうだね」

「…………圭介?」

「勝也」

 圭介は勝也が向く先を見つめる。佇むのは林。吹きぬける風。

「見えないに越したことはない。あれは、見ちゃいけない」

 おそらく裕紀も見えている。踏み越えてしまった証。戻れない烙印。

 圭介は空を仰いだ。

 もうすぐ、雨が降る。

 

 

 


 翌日、村の警官は騒然とした。

 村から再開発のために訪れた土木関係者五名が、何者かの手によって殺害された。死亡推定時刻は午後八時ごろとみられる。被害者はすべて四肢をばらばらにされており、その顔には苦悶の表情が浮かんでいたという。犯行日は大量の捜査員が村に駐留されていたが、運悪く会議の時間であり、巡回している警官は誰一人としていない空白の時間であった。

 警察のプライドを踏みにじられたとして、多くの警官が犯人を捜そうと躍起になって動いたが、不思議なことに村民の誰もが犯行時刻にその場所に近づいていなかったそうだ。複数の村民から同様の供述が得られたため、結局手がかららしい手がかりは見つからず、犯人不明のまま捜査は打ち切りとなった。村の再開発も無期限延期が決定し、事実上の中止だと行政に対する不満が町で爆発した。だがそれも一時的なものであり、新たに首相の不祥事が起きたことで噂をするものもいなくなった。

 噂といえば、この村に関する噂が町に流れるようになった。

 やれ村に行けば殺される。

 やれ村には隠し財宝が眠っている。

 やれ村ではなく忍者の里だ。

 やれあの村は殺人鬼の村だ。

 どれもとりとめもなく、ありそうでなさそうな誰が発端なのかもわからない噂話。ある人間は恐怖に引きつった顔で生贄の村だと主張したそうだが、誰もその話を真に受けることはなかった。何年か後、次第に噂すらもなりを潜めると、これまた誰が名付けたのか知れないが、誰もがこの村を正式名『雨乞いの村』でもなく、行政命名『雨の村』でもなく、『逃げ水の村』と呼ぶようになる。

 逃げ水とは雨が降った後にできる遠くの水溜り。それは追いかけても追いかけても決して捕まえることのできない水。もしも捕まえてしまえば災いが起こるとも言われている。

 追いかけても決して追いつくことのない逃げ水。見えているのに触れることのできない逃げ水。まるで亡霊のように佇み、誰も彼も惑わし続ける。観光で訪れてはならない。憧憬の対象としてはならない。

 復讐が復讐を呼び、怨みで怨みを育てる。

 復讐こそが目的で、復讐を成すために歴史を刻む。

 復讐を存在理由とし、復讐のために生涯を捧げる。

 復讐を生産し新たな復讐の下、再び村は脈打ち始める。

 


 この先この村がどうなっていくのか、それは別のお話。

 復讐のために生きるこの村の末路は、決してよいものではないだろう。人を呪わば穴二つ。それが摂理というものだ。

 ただ、彼らは呪いを恐れていない。すでに彼らは呪われているのだから。

 彼らを忘れてはならない。だが知ってはならない。闇の中で生きるものたちを…………。






 ここは雨乞いの村。


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