19大貴〜勝也〜
深雪の言うとおりに道を歩いていると、程なくして学校の裏手に出た。学校の中からは子供が残っているのか、楽しげな声が聞こえてくる。もうすぐ日が暮れる。授業ではないのだろう。
ようやく頭を冷静に戻すことができてきた。歩きながらも思考していたが、やはり深雪は愛の祖母に関して知っている。何が起きたのかまだわからないが、それでも知られては困る真実なのだろう。それは大貴に知られて困ることなのか、それとも村に知られて困ることなのか。どちらにせよ、まだ深雪は、というよりこの村は多くを隠している。
智美の事件にしてもそうだ。今朝、真弓と二人で話し合っていたときの「表だけのほうがいいよね」とはどういうことだろう。真弓はすべて話すことにためらいはなかったようだが、深雪は当惑していた。今聞いた話は表の話になるのだろうか。ならば裏の話とはどういうことなのだろう。あの話の辻褄は合っている気がする。町の人間が既成事実を作ろうとしたが、爆薬の量のミスか何かしら手違いが起きたのだろう。それに智美は巻き込まれた。仕方ないとも思える一方、町の人間が殺したとも捉えることができる。これ以上変わりようがないように思えるが。それでも、やはり何か違う。これ以上変化がないからこそ、怪しい点がないからこそこの話は真実ではないのだろうと確信できた。
校庭でも多くの子供が遊んでいる。町ならこの時間にはもう家路についているであろうが、まだまだ遊び足りないのか子供たちは帰る気配を見せない。あちこちで楽しげに声をあげている。その中で校庭の出口でひとり佇む男子がいた。その顔には大貴も見覚えがあった。
「圭介くん」
話しかけたつもりはなかったが、圭介は声に反応して顔を上げた。大貴に気がつくと目を丸くして表情を強張らせた。まるで幽霊でも見ているかのような驚きようだ。圭介がいたことに軽い戸惑いを覚えていた大貴だが、そのような表情を見せられては近付くに近付けない。一定の距離で立ち止まり話しかける機会を窺った。だがその必要はなかった。圭介は舌打ちをするとすぐに背を向け歩き去ってしまった。
明らかな圭介の態度に微かな苛立ちを感じつつも、その対応こそがふさわしいように思えてしまう。もしも自分がこの村で生まれていたなら、町から来た人間をどう思うだろうか。そして、村のためにならない事業のために近しい人を殺されたらどう思うだろうか。理解できるなんて、彼らの気持ちがわかるなんて言葉を口にすることは傲慢だろう。それでも圭介の態度こそ異分子にはふさわしい対応のように感じた。
ぼんやりと圭介の背中が見えなくなるまで眺めてから大きく息を吐いた。
「これからどうするか」
誰にともなく呟く。予定だと今日は深雪と村を探索し、村についてさらに込み入った話を聞くつもりでいた。それに一段落がつけば後は真弓にその内容を補足してもらう。そのつもりだったが中途半端に時間が余ってしまった。それに話をすべて聞けたとも思えない。とにかくこれまでの話の内容を整理する必要があった。あまりに突飛な内容だからか、すべての情報が頭の中で点在し収拾がついていない。頭を冷やすように大きく息を吸い込み、あえて圭介とは違う方向に足を向けた。
この村、雨の村ではなく雨乞いの村。その実体は、生贄によって作られた生贄を生産することを目的とした村。そして、町に対して復讐を誓っている。村が安定しだした当時、復讐を実行しようとするもののそれを断念。力を蓄えるために時機を窺った。時の経過により復讐は村のお題目として掲げられていたかもしれないが、いつしか村を維持することに重点が置かれるようになっていった。そして、今では復讐を口にするものは少ない。
しかし、昔の名残が今もこの村に復讐の爪痕を残している。それこそが『掟』生活の一部となってしまいもしかしたら気付いていない村民もいるかもしれない。真弓が神社に閉じ込められているのもそれが原因となっている。いくばくかの自由はあるのだろうが、それでも彼女は家族と離れて暮らすことを義務付けられている。誰も参ることはない、雨の神を祭る張りぼてのような神社に。
役割も掟の一部と考えてもいいだろう。この村民それぞれがどのような役割を担っているのか把握しきれないが、村民はこの世に生を受けると同時に選択権を失う。いや、生まれる前からすでに運命付けられているのだろう。先祖代々引き継がれてきた役割を引き継いでいく。それに疑問を抱いてはいないのだろうか。唯々諾々と他者から与えられた運命に準じているのだろうか。
そんな村民すべてを管理するようなシステムにも、もちろん完璧ではなかった。もしかしたら綻びはほかにもあるのかもしれないが、大貴に知る術はない。ひとつだけはっきりとしている綻び、それは愛の祖母の事件であろう。愛はこう語った「村を追われそうになったんだけど、最後はおばあちゃんが命を張ってじいちゃんを助けてくれたんだ」きっと愛はこれを真実と疑っていないはずだ。だが真相は深雪の反応でわかる。そしてその事実はこの美談を打ち崩してしまうのだろう。
ふと足を止めると、大貴は自分が身投げ沼に向かっていることに気付いた。思考に集中していたわりに、迷いの無い足取りで進んでいた自分に驚く。そしてかぶりを振って苦笑した。もしかしたらと考えているのかもしれない。あそこに行けば愛がいるのではないかと。
そんな考えに気付いてからも、大貴の足取りに変化はなかった。むしろ思考に偏っていた意識が戻り、先ほどよりも足に力が入っていたかもしれない。期待感が大貴の胸を支配しだしているのに気付いてはいたが、頭の中ではそれを否定してもいた。
森が見えてくる位置までくると、大貴の心臓は跳ね上がりそうになる。薄ぼんやりとしているが、森の入り口に人影が見える。遠くで男か女かもはっきりとしないが確かに人が立っている。こんな時間にこんな場所にいる。大貴は意識して歩く速度をゆるめた。そうしなければ走り出してしまいそうだったからだ。だが、その必要はなかった。近付いていくにつれぼんやりとしていた輪郭が徐々にはっきりとしてくる。それは明らかに女性ではない。男のそれもかなり長身に位置している。その男は何をするでもなくただ森の入り口に立っていた。男の周りには何もない。ただひとりぽつんと立ち尽くしている。大貴の接近に男は気付く素振りも見せない。大貴は男の視線の先を追ってみたが、あるのは暗い森の入り口だけだ。
「姉ちゃん……」
風の流れがその男の呟きを大貴に届けた。その声は大貴も耳にしたことがあった。
「勝也くんか」
背後から声をかけると勝也は不自然に一瞬間をあけ、ゆっくりと振り返った。
「…三島さんじゃないっすか、どうしたんですか? 深雪さんは?」
「途中で分かれてね、勝也くんこそどうしてこんなところに? 何か言ってたみたいだけど」
「いえ、俺はなにも言ってないっすよ。でも変ですね。昨日ここ来たんじゃないんですか? 何か調べ忘れたことでもあるんっすか」
「いや…」
質問にうまく答えられず口籠もった。理由を挙げれば、愛に会えるかもしれないからとしか答えようがない。だが、愛に会えるなんて希望的観測でしかなく、それで勝也が納得してくれるとも思えない。何よりそんなこと口が裂けても言いたくはなかった。
「そう、祠は見てなくてね。昨日は暗くなってきたから沼までしか見なかったんだよ。それで深雪さんの案内が終わった後に来てみたんだけど、やっぱりまた暗くなってきちゃったな」
「そうっすね。あそこは慣れてても危ないんっすよ。ほら、ゴミたくさんありますから」
「そうか、残念だな」
「それに見ても仕方ないと思いますよ。たいしたところじゃないですし」
勝也は自分の肩を回して深く息を吐いた。その仕草にはいくらかの疲労が見てとれた。自分の肩に手を置いた勝也の指はきれいに手入れされていた。さすが料理人だなと思わせる。
「俺帰りますけど、三島さん神社まで送りますよ」
思いがけない勝也の申し出に大貴は断ろうかとも思ったが、お願いできるかなと答えた。よく考えてみれば神社までの道筋をはっきりと覚えてはいない。勝也はニッと口角を上げると、行きましょうと言って大貴を促した。
遠目からでも勝也はかなりの長身だったが、並んでみるとそれはより実感できた。大貴は決して低いほうではないが、それでも勝也は頭ひとつ分大貴よりも高い。どちらかといえば西欧風の顔立ちをしている。姉弟なんだなと思い、大貴は苦笑した。
「どうしたんっすか」
「いや、今日は何であそこにいたんだ」
苦笑交じりに大貴は聞いた。
「もしかして愛さんと交代で掃除してるのかい」
「いや、あれは姉貴の役割なんっすよ。たまに姉貴いなくなるんで代わりに俺がやってるだけっす」
役割、と言う言葉を聞いて大貴は一瞬眉を顰めた。さすがにこれは掟の名残ではないだろう。愛の祖母が死んだのだって、村の歴史から見れば最近のことだ。少し敏感になっているのかもしれない。
「そうか、姉さん思いなんだね」
「そんなことねえっすよ。それが当たり前なだけっす」
「いや、それを当たり前だと思って動けるのがすごいんだよ。そんなこと当たり前にはなかなかできないからね」
大貴は勝也が照れ笑いでも浮かべているのだろうと思い顔を見上げた。だが、意に反し勝也に笑みはなく。それどころか訝しげに眉間に皺を寄せていた。
「それが俺の役割、というより、俺たちの役割なんすよ」
「俺たちの、役割?」
「聞いてないんすか」
勝也は信じられないというように目を丸くした。何が勝也をそれほどに驚かせているのか大貴には理解できない。本当にと勝也は念押しまでしてきたが、やはり大貴に心当たりはなかった。勝也の言葉に対し首を振った。
「役割のことは聞いているよ。でも、そのなんていうんだ―――」
「姉が弟を助ける」
「そんな感じかな。それが役割とは聞いてないな。重要なことなのかい」
勝也は顎に手を添え思案するように低い唸り声を上げた。
「もしかして、歌についても何も聞いてないっすか?」
「歌? もしかして学校で習っている歌のこと?」
商店街を歩いているとき、確か少年がそんなことを言っていた気がする。学校で習って、それで遊びでも歌っているとか。少年が口ずさんだあの寂しげな歌を勝也はいっているのだろうか。
「そういえば深雪さんには聞きそびれていたよ。勝也くんは知っているのかな。学校で習うと聞いたけど」
「はっきりと覚えてないっすね。あれ教えてもらったのももうかなり前のことだし。真弓さんなら知っていると思いますよ。なんたってあの歌、怨みの歌ですから」
「怨みの歌……」
背中に氷を投げ込まれたかのような寒気を感じた。
「もしかしたら圭介も知ってるかもしんないっすけど、小学生ぐらいのことっすから。でも妙ですね。本当に深雪さんから聞きませんでしたか?」
「ああ、聞いてないよ」
再び念を押した勝也に大貴は適当に頷いた。だが、大貴は心ここにあらずといった感じだった。怨みの歌。それを小学生の頃に習った。それは、幼い頃から復讐心を植えつけようという試みだろうか。そして、今も続けられている。この村に復讐心を持っている村民は少ない。真弓や深雪も言葉には偽りはないのだろう。それでも、この村は、この雨乞いの村は、やはり復讐のために生まれ、存在している。村民がどれだけ復讐を忘れようとも、すでに別の形に生まれ変わり、復讐は村民の傍で佇んでいる。それは気付かぬところではなく、常に自らの正面に。
「―――聞いてますか? 三島さん」
「あ、ああすまない。なんて言ったかな」
「さっきのことですよ。姉が弟を助けるって役割のこと。ほんと、何で深雪さんがこれ言い忘れたのかわかんないな。これが一番重要だと思うんだけど」
「これが、かい」
「俺たちが生まれたときからずっと姉を守れって言われ続けてるんです。それはどんなことがあっても、俺の親にいたっちゃ死んでも守れなんていうんですから」
知らなければいい家族だなと思う。弟が姉を守る。この現代でどれだの人間がこの考えを胸に刻んでいるだろうか。今そんなことを口にすれば、それは嘲笑の的でしかないだろう。教壇に立つ教師が言葉にしても、どれだけの人間が耳を傾けてくれるか。
ここの村民はそれを実践している。口だけでなく、実行している。これも『掟』なのだろう。生贄を絶やさぬように家族を作る。そしてその中の女子は生贄として捧げられる。そんな苦難を生きていたからこそ、その考えを本能として感じ取っているのではないだろうか。悲しみと、憎しみから生まれている掟ではあるが、復讐心が弱まっている今はこれほど素晴らしい掟はない。時の経過と共にこのように生活の一部として溶け込んでほしいものだ。そう大貴は切に願った。
「ここからならもうわかりますか?」
ちょうど昨日愛と別れた場所だ。ここまでくれば後は一本道だったはずだ。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「いえ、いいっすよ。俺もついでだったんだし。あと一応真弓さんにも聞いといてください。俺の話、あんま正確じゃないっすから」
「わかった。ありがとう」
勝也は頭を下げると昨日の愛と同じ道を通り、角を曲がって見えなくなった。それを確かめて大貴も神社へと足を向けた。明日にはこの村を出て行くことになる。それが早かったのか遅かったのか大貴にはうまく判断がつかなかった。村を去ることに安堵感を抱きつつも、どこかに残念な気持ちもある。どちらが本心なのかと問われれば、それはどちらもだと答えるだろう。機会があれば再び村を訪れるのも悪くないな。そんなことを考えながら、大貴は真弓のいる神社に向かっていた。




