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20大貴〜見えたその先〜

 神社の階段を上り、鳥居をくぐる。もう完全に太陽も落ちきってしまい、赤いはずの鳥居はやはり暗闇に包まれている。ふと、明るいときに鳥居をまじまじと見ていなかったことに気付いた。もったいないきもする。明日はちゃんと見ておこう。

 昨日と同様、真弓は本殿の前でほうきを持って佇んでいる。その隣にはこれまた昨日と同様に圭介がいた。圭介がここにいることを意外に思ったが、よく考えてみれば真弓と圭介は姉弟なのだ。もしかしたらこれは圭介の日課なのかもしれない。何か話し込んでいたようだが、大貴に気付くと圭介は口を閉ざしてしまったようだ。大貴には気付いているが視線を向けようとしない。これが二人の交わせる数少ない交流の時間であるとするなら、すまないことをしたような気がした。声をかけようかと手を軽く挙げたが、大貴から避けるように圭介は歩き出してしまった。ここまで徹底されているといっそ清清しい。真弓がこれまた昨日と同様「ママによろしくね」と声をかけた。圭介は曖昧に頷くと、結局大貴には一瞥もくれることなく階段を下りていった。

「お疲れ様でした。本日は少し遅くなりましたね………なんですか、その手は」

 真弓が訝しそうに大貴の手を見ていた。中途半端な位置で止まってしまったため、大貴の手は招き猫のようにこまねいているようになっている。引っ込めようにもここまできたらいい言い訳も思いつかない。咄嗟に、

「ニャー」

 と言ってみた。

結果は見るまでもない。むしろ全身の肌で感じられる。真弓の視線が痛々しい。これまでも視線は冷たかったが、今はその視線が恋しい。

「……では靴を脱いでついてきてください」

 無視だった。それは清清しいまでの。言及されても困ったものだが、かといってこれが最上の対応というわけでもない。といってもこの場合の最上の対応がどういったものなのか頭を捻ってしまう。とにかく、今は真弓の言うとおりに後ろに従うべきだろう。

 そう結論付けて靴を脱いだ。靴下越しにひんやりとした冷気を感じる。やはり心地よい。

「圭介くんとの会話を邪魔しちゃったみたいで、すいません。せっかく水入らずだったのに」

 先ほどのマイナスを取り戻すわけでもないが、先を行く真弓の背中に話しかけた。

「昨日もでしたけど、毎日あそこで話しているんですか? 圭介くんと」

「毎日というわけでもありません。あの子もあの子で用事はありますので、それに私もここで寝そべっているわけでもありません。気になさることでもありません」

 ぴしゃりと放たれるように話を終えてしまった。振り向く気配も見せず、足早に進んでいってしまう。昨日はまだそれなりに気遣ってくれていたようだ。人は失くしてみてはじめてありがたさに気付くというが、それが身に染みて理解できた。無言のまま廊下を歩き、居住スペースの三和土を跨ぎ、洗面所で手を洗い、気がつくと昨日真弓から話を聞いた居間で向かい合って食卓を囲んでいる。

「あれっ」

 思わず口から言葉が零れてしまった。会話を諦め、ただ黙々と真弓の背中を追ってここまできたが、いったいどうしてこんな状況になっているのだろうか。昨日は殺風景に見えたこの居間も、何故だか華やかに見える。それは目の前に広がる湯気の立ち昇っている温かい料理、対面に巫女姿で茶碗にご飯をよそっている真弓の存在が影響しているに違いない。

「どうぞ」

「あっどうも」

 差し出された茶碗を反射的に受け取った。ほくほくと米の一粒一粒が光っている。大貴の家で炊いている米とは一味もふた味も違うのだろう。

「おいしそうですね」

「村から取れたものです。ではいただきましょう」

「はい、いただきま……」

 流されそうになった。あまりに自然すぎてそのまま手をつけそうになった。まあ手をつけてもいいんだろうけれど、とりあえずこれだけは確認しとかねば。

「真弓さん。ええと、なんで今日は一緒に?」

「昨夜は先に済ませておりましたので。今夜は少し遅くなってしまいました。何か不都合でも」

「いえ、そんなことはないです」

 顔の前で手をぶんぶんと振った。

「ちょうどよいので、今のうちに質問もなさってください。圭介から聞きましたが、あの場所を見られたのでしょう」

 ちょうどよかった。それまで会話すらも、というより目を合わせるのも躊躇わせる雰囲気を漂わせていたが(自業自得かもしれないが)そちらから振ってくれるのならこれ幸いだ。大貴は居住まいを正し、とりあえず漬物に手を伸ばした。絶妙な塩気だ。

「智美さんの事件、町では単純な転落事故としか記されていませんでした。この村に来るまではそれを疑ったこともありません。しかし、こうまで村と町に情報の食い違いがあればとても信じることができません。それなのに、深雪さんはこの事件をただの転落事故だと言い張りました」

 大貴の脳裏には深雪の悲痛な顔が浮かぶ。今思えば、深雪は淡々と語っていたのではない。歯を食いしばり、表情を殺していたのではないだろうか。

「きっと、事故というのが表の理由なんじゃないですか? 朝の話を聞いてしまったのは申し訳ないですが、裏の理由が、隠された真実があるのでしょう。それは何ですか?」

 真弓は大貴が話している間も黙々と食事を進めていた。話を聞いていたのか心配になったが、大貴が話し終えると手を止め、ふうと自然なため息をついた。

「深雪は話さなかったんですね」

 話さなかったというより、話せなかったといった感じだったかもしれない。かといってそんな細かいところに言及しても仕方がないので大貴は首肯した。それを見て真弓はゆるゆると首を振った。

「何を考えているのかしらね。あの子は」

「え」

「深雪が話さなかったことを私から話すのはどうにも気が引けますが、仕方ありませんね。本当は深雪が自分から言うべきことだと思うのですが。ここまでくれば誰が話しても同じでしょう」

 いったいあの子はと真弓は呟き、もう一度ため息をつくと味噌汁を一口啜る。

「裏の話というより、あの事件の真相と言うべきですね。これを知っているのは村民の中でも本当に限られた人だけです。どうか他言しないでください」

 はじめて真弓が口止めをした。これまでどんな話をしていても、どれほどこの村の秘密に触れようとも口止めをするようなことはなかった。村民にすらも伝わっていないということは意図的に隠蔽されている、または改竄されているのだろう。しばらく沈黙してから大貴は重々しく頷く。

「話してください」

 じっと大貴の目を試すように見据えてから、真弓は口を開いた。

「あの事件の結末は、無残なものでした。私は直接現場を見ませんでしたが、智美は岩に潰され、もはや原型を保っていなかったと聞いています。悟くんは発狂寸前のように怒り狂っていたそうです。警察官の制止を振り切ってまで智美に縋ろうとしたぐらいですから」

 大貴は悟の姿を思い出そうとしたがあまりうまくいかない。一度しか、それも遠目からだったのもあるが、それほど印象に残らない外見だったのだろう。

「それからしばらくして町からは事業の中止が宣言され、事故の詳細も知ることができました。それは納得ができるものではありませんでしたが、嘘ではないだろうな、と皆を理解させるには十分なものでした。私自身納得はしていませんでしたが、やはりこの事件は事故なのだろうと。これで終わりなのだろうと考えていました。しかし、それからほどなくして深雪が私に相談を持ちかけたんです」

 気付けば、真弓は苦虫を噛み潰したように表情を歪ませていた。あまり表情を変えない真弓にしては珍しくはっきりとした表情。それは紛れもなく憎悪を表している。そう、昨夜見せたあの時と同じ。

「事故以来、深雪は塞ぎこんでいました。親しい友人が亡くなったのだから仕方ないと、私は単純に考えていましたし、たぶん誰もがそう考えていたと思います。ですので、その時の相談も智美のことだろうと簡単に想像がつきました。実際、深雪の相談事は智美のことでした。しかし、」

 一拍おいて、真弓は瞳の色を変える。あの時に見た闇というのですらまだ明るく、深海ですら浅すぎる深みを備えたそれに。思わず大貴も背を伸ばす。

「深雪は人生の終わりを見たような瞳で私にこう語りかけたのです。怖いよ、真弓。そう、私に言いました。これを聞いて私も何かあると思い、深雪に尋ねました……さすがに、私も絶句しました。智美が殺された瞬間を見た、なんて深雪が口にしたときは」

 真弓の口元には薄い冷笑が浮かんだ。その笑みには冷酷さ以上のなにかが滲み出ている。瞳の色は変わらず、中空にある何者かを睨んでいるようにも見えた。

 見方を変えれば殺されたように見える。この事件は確かにそうだ。だが、そんなことをいっているのではないことぐらいわかる。ならば言葉通り智美は殺されたのだろう。背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、何か言うべきだろうかとも思ったが、口内は粘つき開くことができない。

「あの日、深雪は町の工事関係者が地質調査と称して工事の下準備をしているのに気づきました。そしてすぐに智美に知らせ、智美は止めに入ったんです。最初は町の人間も適当に流そうとしていたのですが、段々お互いにエスカレートしていき、智美を殴りつけてしまったそうです。勝手に工事を開始し、それを止めに入った女性に暴力を振るった。こんなことがばれれば、開発事業を行うのは無理でしょう。さらにその工事会社もただではすみません。だから、」

「まさか」

 ごくりと喉が動く。唾ですら飲み込むのに苦労する。その先を聞きたくなかった。耳を塞ぎたい気持ちだ。だが、聞かないわけにはいかない。それがどんな答えであっても。

「智美を事故に巻き込まれたと偽装工作を施し、殺したんです」

 眉間に皺が深く刻まれている。真弓の肩はふるふると震えていた。恐怖や悲しみではないだろう。抑えきれない憎悪が全身からにじみ出ているのがわかる。時が解決するものはたくさんある。内面の痛みというのは時が風化してくれるものだが、それでも真弓の裡には確かな傷痕がまだ残っているのだろう。それは三年間、風化はおろか形を変えて新たな傷を残しているのかもしれない。

 予想はしていた。深雪の挙動から事故ではないと予想し、この結論まで想像することはできていた。

「でも、」

 大貴は言葉に詰まりながらも、粘つく口を動かした。

「でも、何故それを公表しないのですか? そうすれば間違いなく工事は中止に追いこともでき、この村を守れます」

「証拠がないんです」

「証拠って、深雪さんが見ていたんじゃないですか? それで十分でしょう」

 真弓は力なく首を振った。

「深雪が話したのは事件から一ヶ月後です。でっち上げたと思われても仕方ありません。それに状況は完全な事故でした。工事関係者からもケガ人を出し、警察も頭から事故と決めてかかったため十分な調査もされませんでした。おそらく裏で取引が行われたのかもしれません。せめて深雪が事件後すぐに証言してくれたら何かが変わったのかもしれませんが」

 手詰まりだったんですと真弓は苦笑した。その苦笑は諦念を表しているように見えた。

「深雪を攻めるつもりはありません。あの子にも理由がありましたから。私だって、智美が殺されるところを直接見ていたら立ち直れたかどうか、自信がありませんよ」

「すみません、少し、考えなしでした」

「いえ、お気になさらず。ですが先ほども申しましたが、他言はしないでください。あくまで参考程度にお考えください」

「わかっています」

 大貴は神妙に頷いた。言われるまでもなく、こんなことを他言するつもりはない、というかしたくない。村の中で他言すれば、それは憎悪を増やすだけ。町に対する復讐が現実化しかねない。町で他言すれば、それこそ危険だ。下手をすれば智美と同じ末路を辿るかもしれない。なるほど、深雪の言うとおり、もうどうしようもないところにきていた。

「深雪さんは、まだ苦しんでいました」

「知っています。ですが、こればっかりは本人が乗り越えるものです。それに、多かれ少なかれ村民は悩みを抱えています。深雪だけが特別なわけじゃありません」

「…………」

 言葉が出ない。真弓の言うことはどこまでも正しいと思う。反対するつもりもない。いくらか冷たいのではと思わなくもないが、それは部外者が口に出すものでもないだろう。ここで生まれ、ここで育ち、誰よりも掟に縛られている真弓だからこそわかるものがあるに違いない。なら、大貴にできることとは一体なんなのだろう。圭介の言うとおりに村を守る記事を書くべきなのか、開発事業を促進させるような記事を書くべきなのか。どちらにせよできることはたかが知れている。もう、大貴が口を出すべき地点はとっくに過ぎているのだろう。たぶん、この村に来たときには、もう。

 場を保つためにおかずを適当につまむ。それで場が和むとも思えないが、何もしなければ自分の無力を突きつけられているようで虚しかった。機械のようにただ黙々と栄養を体内に詰め込む。

「ああ、そうだ。さっき勝也くんに会いましたよ。姉思いですね」

「この村では当然のことですよ」

「勝也くんにもそう言われました。祠の掃除って大変そうですよね。あんな場所にあるんですからなおさら」

「そうですね。愛も大変だと思っていましたが、これからは勝也くんが頑張ってくれますよ」

 いい姉弟だな。心底そう思う。圭介は圭介で真弓を大切に思っているのだろう。だからこそ、大貴に対してあれほどの冷たい態度をとる。裏返しの感情なのだろう。それならば、甘んじて受けてあげるのも悪くない。

「―――ひとの―――」

「いま、なんて?」

 透き通った儚い声。すでに箸をおいた真弓は大貴に視線を向けていたが、その瞳は大貴のもっとずっと向こうを映しているようだった。

「古くから伝わる、言い伝えのようなものです。正確に知っているのは、私ぐらいなものですが。村民には歌として伝わっているはずです」

 そう言うと、真弓は歌いだした。くっきりとした真弓の歌声は、耳に確かな手応えを残していく。どこまでも遠くに届きそうなその声に大貴は全身を囚われているような感覚を味わった。音の支配とでも言うのだろうか、全身の感覚で音を見て、嗅いで、味わって、そして感じる。

 この村に着いてからのすべてがフラッシュバックのように正確に、はっきりと目の前を通り過ぎていった。だからこそ、このときにしてやっと大貴はすべての情報を冷静に見て取ることができた。冷静に、なんの偏見も持たずに、心を揺さぶられることもなく。だから、真弓が歌っている歌詞を聴いて、気付いてしまった。

「ありがとうございます」

 真弓の歌が終わるのを待って大貴はすぐさま立ち上がった。

「少し疲れてしまったみたいで、すみませんが、先に休んでもいいですか」

 有無を言わせぬ口調になってしまったのは、少しでも情報を整理したいからだ。自分が辿り着いた答えに身震いが起こる。真弓の返事を待たずに、大貴は襖に手をかけていた。

「かまいません。お休みなさいませ」

 背中から真弓が声をかける。その時にはもう襖を開いていた。真弓の言葉に適当に相槌を打ち、居間を出ると、後ろ手で襖を閉めた。自然と足早になりあてがわれた部屋へ向かう。部屋にはすでに布団が敷かれ、どうやらいくらか掃除もなされているようだ。大貴は迷わず布団に潜り込むと、必死で全身に多い被せた。心臓の音がこれほどもまでに大きいことにはじめて気付いた。それでも気持ちを落ち着けるためには十分効力があったようだ。そのまま大貴は眠りにつく。


 夜が更けていく。静かな夜が、耳に痛い。


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