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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
タイトル未定 編
7/19

Chap.1 ちょっとピンぼけ

 

 夏になると、文化部の部室棟の周りの木々は、蝉の一大繁殖地と化す。彼らが愛を謳う声は、その意味を解さない僕らにとってはただ体感温度が上がる理由にしかならない。

 部室棟には、特別教室を活動の場としない文化系の部活が集められている。それは例えば、軽音楽部しかり、囲碁将棋部しかり、そして、写真部もまたしかりだ。

 窓を半分ふさぐ形で置かれた大きなスチール製のラックのせいか、僅かに六畳ほどの部屋は風通しも悪く、熱が籠っている。壁の薄いプレハブは、断熱効果など初めから考えてもいないようで、室内の温度は外気とさほど変わらない。ラックは、何冊かのフォトアルバムに加えて、五年前に一曲だけ売れたアーティストのCDやら、歯抜けの漫画本やらで埋められていた。


 そんな写真部の部室に、今日も今日とて僕たち三人は集まっている。


「この部屋ちょっと暑すぎるんじゃないか? もう暗幕剥がしちまえよ」


 そう言ったのは、僕の正面でパイプ椅子に座る二年生の吉田先輩だ。吉田先輩はこの狛※高校でも一際背が高く、熊のようなその身体はどこにいても目立つ。暑さも一入に感じているんだろう、太腿に肘をついて、項垂れるように前屈みになっている。先輩の額から流れた汗が、顎の先からしたたって、床にしみを作った。


 写真部の部室には一応暗室が設置されていて、部屋の一角は天井から吊された暗幕で覆われている。扉には『現像中 開ける前に確認を取ること』なんて書かれたプレートが貼られているけれど、高性能のデジカメが普及した昨今では有名無実と化している。吉田先輩はフィルムのカメラにこだわりを持っているのだけれど、先輩自身は自分の部屋を暗室にしているので、ここを利用しているやつはいない。


「気持ちは分かりますけど、それより早くミーティング終わらせましょうよ。私だってこんなとこ、一秒でも早く出たいんですから」


 そう言ったのは、写真部一年の紅一点、白井菊乃だ。

 とは言っても、一年は僕と彼女の二人しか居ないのだけれど。

 一年生なのに自己主張の強い彼女の存在は、ともすればだらだらしがちな部活の空気を円滑に進める潤滑油になっている。いつも元気な彼女も、今は吉田先輩と同じように暑さでへばりそうになっていた。ショートカットの項から下は暑さに赤く染まり、ブラウスは汗で僅かに透けている。僕は慌てて窓の外に視線を逸らして、言った。


「そうは言っても部長が来ないんじゃ、どうしようもないよ。ここに呼び出したのも、部長なんだから」


「けど、今日わざわざ、って事だったら、今度の合宿の打ち合わせってことでしょ? 夏休みに入ってからでも打ち合わせのタイミングはいくらでもあるのに、どうして今日呼び出したんですかね」


 白井の問いかけに、吉田先輩は苦笑いを見せながら答えた。

「さあ、俺も未だにあの人が何を考えてるのかわからない事、多いから」

「それでも、今までこうやって写真部で部長の無茶に付き合って来たんですよね。先輩の経験から言うと、今日のこれはどういう意味があるんですか」

「そんなこと、わかりゃしないよ」先輩は首を横に振った。「それより、お前ら自分の展示パネルの準備はしてるのか」


 写真部では、毎年文化祭で展示発表を行っている。部員一人一人が、最低一枚、加えて、合宿で撮った写真を、部で一枚、パネルにして展示するのだ。

 僕は内心浮き足だった。まだそれらしい写真を用意していなかったから。

 どう答えるか考えていると、白井が含み笑いをして僕らを見た。その右手は、既に通学鞄に差し込まれている。


「実は今日、プリントして持って来たんですよ。どうですか? この中から一枚選ぼうと思っているんですけど」

 彼女が鞄から取り出したのは、プリントアウトした何枚かの写真だった。写真には、二本の電線の間から見える雲だとか、山の山頂にかかった夕日だとか、そんな物ばかりが写っている。

「空ばっかじゃねえか」

「そうですよ。空を撮ったんです」

 先輩が困ったように言い、白井が拗ねたように答える。それが僕にとって、いつもの写真部の光景だった。

「撮ったんですって……まあいいよ。それで、これは何を撮ったんだ」

 先輩が手に取ったのは、真っ黒なポートレイト。キャンバスを暗く塗りつぶしたような写真だった。白井が慌てて答える。

「それは夜空なんですよ。何度か試したんですけど、上手くいかなくて。どうやったら綺麗に撮れますかね」

「そりゃ、露出が足らないんじゃないのか、お前、今カメラ何使ってる?」

「いつものですよ。ほら」

 白井はそう言って、鞄から普段使っているマイクロ一眼を取り出す。彼女が入部した時に、親にねだって買ってもらったという、それなりに高価な一品だ。

「撮影モードは何にしたんだ?」

 先輩がそう聞くと、白井はきょとんとした顔で答えた。

「普通に夜間撮影モードですけど」

「お前なあ……」

 呆れ顔の先輩は初め言葉に詰まり、それからカメラの露光について説明を始めた。

 僕もよく知らなかったのだけれど、どうやらデジカメでも、弱い光ではある程度の時間シャッタを開いて光を受けないと、センサが感知しないらしい。白井のデジカメには光量を補正する機能がついているけれど、さすがに星の光だけでは少し暗すぎたのだそうだ。


 先輩は写真を明かりの方へ持っていく。

「説明書は読まなかったのか」

「せっかくカメラ買ってもらって、写真撮るのが楽しかったんです。今更説明書なんて読む気しませんよ」

 うんざりした顔でそう言う白井に、先輩は溜息を吐いて言った。

「せっかく買ってもらったんだったら、もっと大事に扱ったらどうなんだ。使い方も知らないで持ってるだけじゃ、カメラが泣くぞ」

 先輩の言葉には、呆れと同時に、小さな憤りがあった。吉田先輩が、一年の夏休みにバイトして買ったというカメラをことさらに大事にしているのを、僕も知っていた。白井もそのことを思い返したのだろう。彼女が肩を落とし、項垂れるのが分かった。

 先輩はそれを見て、ちょっと言い過ぎた、と思ったらしい。

「まあ、これから覚えたらいいよ。今度、夜間撮影のやり方、教えてやるから」

「本当ですか!」

 白井は突然ボリュームを上げて言った。その声に、僕も先輩も驚いているけれど、彼女は満面の笑みだ。泣いたカラスがもう笑った。まだまだ子供っぽいように思える白井は、本当にころころと表情が変わる。

「じゃあ合宿前に教えて下さい。先輩、いつご都合が良いですか」

 白井は喜色満面で問い、先輩は戸惑いながらもそれに応える。いつもと変わらない、そんな写真部の光景を、僕は暗澹たる思いで眺めていた。同時に、どこか清々しくもあった。


 僕達が入部してから3ヶ月、とうとう自分の気持ちにも決着が着くのか、とそう思う。

 写真部の活動と言うのは、それぞれが撮った写真を持ち寄って批評を行う、といったものなので、わざわざ毎日ミーティングがあるのは無駄が多いとも言える。けれど、それは僕にとっては都合が良かった。同じクラブの、唯一の同級生と顔を合わせる機会が出来るのだ。そう思っていた。

 本当は、白井に写真のモデルを頼もうと思っていた。他の題材でポートレートを用意するなんてこと、考えもしなかった。自分の手で、彼女の輝く日常を切り取ってやろうと、フレームに押し込めようと、そんな風に考えていた。


 いや、もっとはっきり言葉にしてしまおう。

 僕は彼女が確かに好きだった。

 本当に、本当に、好きだった。

 そんな日々も、いつかは終わる。望もうと望むまいとに関わらず。

 吉田先輩は磊落に見えてちょっと押しに弱いけれど、後輩思いの良い人だ。

 白井も無鉄砲に見えて、きちんと気配りの出来る人間だ。

 二人は、きっと上手くいくだろう。

 何が変わったわけでもないけれど、僕の恋は、今日、終わったんだ。

 そうやって、自分の気持ちに区切りを付ける。


 話している二人をおいて、僕は立ち上がった。少々乱暴に立ち上がったので、パイプ椅子が軋む音がした。二人はびくり、と揃って身を震わせ、こちらを見上げた。

「どうした、金澤」

 先輩が僕の名を呼んだ。

「いえ、部長達もまだ来ないみたいですから」僕はそこで白井の方を見た。「何か飲み物でも買って来ようかと」

「ちょっと待て」先輩は財布から五百円玉を取り出すと、こっちに放った。「俺、コーラな」

「私は林檎ジュース」

 調子よく便乗した白井に、先輩がじろり、と目をやる。白井が悪戯っぽく笑うと、先輩も苦笑いで返す。

「それじゃ、行って来ます」ドアノブに手をかける。「ついでに部長達も探して来ますね」


 ドアが、ぱたり、と軽い音を立てて閉まった。


 返事は、無かった。


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