Chap.4 怪傑篇
サブタイトル変遷ログ
兄妹戦争 解決編→誰が為に鐘は鳴ったり鳴らなかったり→
禁じられた遊びに巻き込まれた者たち→君になかなか届かない→怪傑篇
羽田翔が美術準備室を訪れたのは、まだ日が西に傾く前であった。
明かりは灯されていないが、それでも窓から差し込む照り返しが、室内におぼろげな陰影を浮かび上がらせている。残暑は過ぎ、直に冬が訪れんとするこの季節、昼間とは言え窓の少ないこの部屋には冷気が籠っている。夏には風通しが悪い上、窓から西日が差し込むので、部員達は汗だくになりながら作業をするのだが。
開かれた扉の向こうに先客の姿を見留めた翔は、慇懃に挨拶をした。
「こんにちは」
「珍しいね羽田君、こんな時間に」
翔を迎えたのは、美術部部長の糸杉彩子である。彼女は肩からストールを羽織り、ソファに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。彩子は翔の姿を上下に見渡すと、言った。
「羽田君も飲むかい? ちょっと、冷めてしまったけれど」
「いただきます」
そう答えて、翔は彩子の向かいに腰を下ろす。
彩子はストールをソファに置いて立ち上がり、準備室の隅の食器棚からマグを取り出すと、フラスコからコーヒーを注ぐ。冷めたとは言ってもまだ熱が残っているようで、コーヒーを注がれたマグからは僅かに白い湯気が立ち上り、空気に解けて消えた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
翔は彩子からマグを受け取り、口を付けた。冷めたコーヒーの微かなえぐみ(・・・)が舌に残り、眉を顰めそうになったが、彩子に気取られないようにこらえる。その間に彩子は再び翔の正面に座り、肩のストールを羽織り直した。
「それで、どうしてそんな格好をしているんだい」
彩子は怪訝な顔をして言った。翔は肩を竦めて答えた。
「こないだの、会長が放水した件ですよ」
「ああ、あれか。それは災難だったね」
翔は学校指定のジャージを着ていた。先日起こった銃撃戦で一着が駄目になり、もう一着は油染みが至る所にできた上水浸しになったので、クリーニングに出している。替えの制服が無くなって、彼はとうとうジャージで登校する、という選択肢を選ばざるをえなくなったのだ。
1―C全員、いや、狛※高校全体を巻き込んだ希美と薫の兄妹喧嘩が終了してから、二日が経っていた。1―Cの生徒達は皆病院に搬送されたが、幸いにも大きな負傷を負っているものはおらず、また理性を失っていた間の事を覚えているものはいなかった。目が覚めた彼らは皆どうして自分がベッドの上に寝ているのかわからず、首を傾げる始末であった。
「君もあそこにいたんだろう。何があったかだいたいは聞いているけれど、良かったら聞かせてくれないか」
彩子はマグをテーブルに置いて、手を膝の上に揃えて言う。
「別に取り立てて面白い話じゃありませんよ」
翔は肩を落としてそう言ったが、ぽつりぽつりと、当日の朝からの出来事を語り始める。
初めは気乗りしない風であった翔だが、時に合の手を上手に入れ、あるいは息を呑んで聞く彩子を前に徐々に興が乗り、微に入り細を穿って話し続ける。
やがて話し終えて一息入れた翔は、すっかり冷めてしまったコーヒーで軽く口を湿らせ、マグをテーブルに戻した。
彩子は話の途中からなにやら釈然としない風であったが、やがて合点がいったらしく、しばらく間を置いて言った。
「なるほど。災難だったね。けれど、あの園宮君らしいといえばらしい話かな」
「それに付き合わされるこっちはたまったもんじゃないですけどね」
翔が渋い顔でそう答えると、彩子は苦笑する。話している間に当日のことを思い出し憤懣やるかたない翔は、猶も言葉を続けた。
「けど、ウエイトレスのコスプレさせられそうになったぐらいのことで、あんなことしなくても良いんじゃないかと思うんですけど」
「羽田君、それは違うよ。希美ちゃんはそんなことで腹を立てていたわけじゃない」
彩子はきっぱりと言い切った。
「なら、何があったって言うんですか? 俺にはさっぱりわからないんですが」
「何って、君の話だと園宮君が最後に言ってるじゃないか。『アイスは一日二つまで』って」
彩子は何やら得たり顔であるが、翔は納得がいかない。
「いや、それこそ、そんな事で大騒ぎする必要なんてないでしょう。それに、それだと会長が言ってた事は一体何だったのか分からないですよ。まあ、会長の発言が支離滅裂なのはいつものことですけど」
翔がそう言うと、彩子は薄く笑みを浮かべて言った。
「行動が理解できないからといって、それが合理的でない理由にはならないよ。変人は変人なりの、狂人は狂人なりの論理を持っているものさ。尤も、園宮君が本当のところどうなのかはちょっと判らないけれどね」
翔は腑に落ちず、考え込む。彩子は言葉を続けた。
「多分、きっかけは些細な事だったんだよ。冷凍庫にあった最後のアイスクリームを園宮君が食べたとか、そんなところだろうね。そしてそのせいで希美ちゃんが食べられなかった」
「いや、いくら食べ物の恨みは怖いと言ってもそんなことで……」
「そうだよね。そんな事だから怖い、と言いたいところだけど、実際はアイス自体が問題じゃ無かったんだと思う。怒って詰る希美ちゃんに、園宮君は謝り続けたんだろう。普通ならそれで解決していたはずさ」
「じゃあ何が問題だったんですか」
翔が困惑した表情で聞いた。彩子は滑らかに答える。
「希美ちゃんは、謝ったこと自体に怒っていたんだよ。自分がちょっと文句を言ったぐらいのことで平謝りされたら、羽田君だって困るだろう。おそらくその時彼女は、ほんのちょっとじゃれてみた、ぐらいのつもりだったんだよ。けれど、園宮くんは極端な程に謝り続けた。口げんかになるなり、あるいは聞き流すなり、普通の反応を期待していた希美ちゃんは、肩すかしされて怒りの遣り場が無くなってしまった。」
怪訝な顔をする翔に、彩子は猶も言う。
「園宮君は妹を大事にしすぎたんだよ。彼はあの通り、希美ちゃんの希望を何でも叶えようとしてしまう。希美ちゃんがわざわざ甘える必要の無い程にね。ちょっと腹を立てて見せたって、普通ならどこかでブレーキがかかるものだけれど、彼女も怒りの収め所がわからなかったんだろう。なにしろ、今まで甘えたり、じゃれたりしたことがろくに無かったんだから。そして怒りが空回りして膨れ上がって行くうちに、いつしか元々の理由はどうでもよくなってしまったんだろう。尤も、あの兄妹でなかったらここまで大規模な事件にはならなかっただろうけどね」
「それじゃあウエイトレス云々の話はどうなるんですか? 会長はそれしか言ってないんですけど」
「それは君を煙に巻こうとしていただけだよ。園宮君には、羽田君が生徒会室にやって来た理由は察しがついていた。よく思い返してごらん。園宮君は、羽田君の質問に答えたわけじゃない。大声で独り言を言っていただけじゃないかな」
そこで彩子はようやく話を終えた。説明を聞き終え、しばらく俯いて考え込んでいた翔は、やがて顔を上げ、溜息を吐いて言った。
「まあ、納得出来ませんけど、よく分かりました。けど、会長も美幸さんも、なんで理由を言ってくれなかったんでしょうか? 言ってくれたら俺だって対処のしようがあったかもしれないのに」
その問いに、彩子は苦笑しつつも答える。
「園宮君は答えなかったわけじゃない。答えられなかった(・・・・・・・・)んだよ。彼には、希美ちゃんがどうして怒っているのか、わからなかったんだ。今まで兄妹でじゃれ合いをしたことが無かったのは、園宮君も同じだったのさ。けれど彼にとって、妹が何を考えているのかわからない、なんて言うのは、プライドに差し障ったんだろう。だから何も言わなかった」
「それじゃあ、美幸さんが言わなかった理由は?」
「柏葉君は嘘を吐かないからね。彼女も理由を察していたかもしれないけれど、確証が無かったんだろう。だから言わなかった。当事者達に遠慮もしていただろうし。それに……」
「それに、何ですか?」
翔が問うと彩子は僅かに逡巡したが、やがて声を顰めて言った。
「羽田君のデリカシーに期待して言うけれど、柏葉君はことのほか氷菓子の類が好きなんだ。そのせいかこの時期は何というか…………日頃より少々ふくよかになられるんだよ」
それを聞いて、翔は自分の無力さに嘆息した。最も被害を被ったのは間違いなく翔であるはずなのに、結局最後まで蚊帳の外だったのだ。
肩を落とし、項垂れる翔の姿に、彩子は肩を竦める。
「まあそう落ち込まないでくれよ。今回の事で園宮君達も少しは普通の兄妹らしくなっただろうから、こんな大事件はもう起こらないだろうし。まあ、一日アイス二つは、ちょっと甘すぎるけどね」
彩子がそう言うと、翔は頭を振って答えた。
「普通の兄妹らしく、って言っても、せいぜいフルマラソンで一〇歩進んだ、くらいのもんですよ。これからだって、下らない事件に巻き込まれるに決まってるんだ……」
思考がネガティブな方向に進み、ますます沈んでゆく翔を見て、慌てたのは彩子だ。
「そうだ羽田君、コーヒーを淹れ直そう。大丈夫、そんなに時間はとらせない。羽田君は熱いの平気だったね。ブレンドは何が良い? 実は今日新しい豆を買ってきたんだよ。ほら、見てくれ、キリマンの深煎りなんだよ。これは……」
彩子は何とか翔の気分を上向かせようと必死で語りかけたが、翔が立ち直ったのはそれからたっぷり一時間は経ってからだった。
「ところで先輩、なんで今日はそんな男前な口調なんですか」
「よくぞ聞いてくれました! 実は夏休みの間に『ベルサイユのばら』をタテ読みしてね。はまっちゃったんだ。イイよ、『ベルばら』。羽田君にも貸してあげようか? 何なら語ってもいいよ。控え目に小一時間ぐらい」
「……もしかして、わざわざ関西の大学を選んだの、宝塚が近いからですか」
「…………」
「親御さん、ご存じなんですか」
「……じゃあ、羽田君の制服がぼろぼろになったの、ご両親はご存じなのかな」
「…………」
「…………」
「……今日は、帰りましょうか」
「……うん、そうだ、ね」
閉じられた扉の向こうから、廊下を歩く不揃いな足音が響く。カーテンの隙間から差し込んだ西日を受けて、石膏像が長い影を作った。
基本的に全部先輩の妄想です。
本当かどうかはわかりません。
ですから解決編でなく怪傑篇です。




