第63話 託された道
部屋には静かな空気が流れていた。コアの情報。その先の存在。まだ見ぬ世界達。どれも重い話だった。しばらく誰も口を開かない。最初に動いたのはアカネだった。ベッドの横へ歩き。キアラの前へ立つ。
「体、動く?」
キアラはゆっくりと立ち上がる。少し足元は覚束ない。だが倒れない。
「大丈夫、まだ少し重いけど」
左手を握る。リリが静かに応える。以前とは比べものにならないほど強く繋がっている。
「リリも強くなった」
左腕へ視線を落とす。
「前よりずっと……近く感じる」
アカネが頷く。
「そう」
短い返事だった。その横でサフィラが口を開く。
「能力はどうだ?」
「試してみる?」
キアラは頷いた。
「うん」
四人は教会の裏庭へ移動した。人払いも済ませる。孤児たちは授業中。誰にも見られない。
「ナスク」
黒い液体が左腕から全身へ広がる。鎧が完成する。だが以前とは違う。装甲がより滑らかになっている。肩や背中には細かな棘。黒曜石のような光沢。そして何より。圧力が違った。サフィラが目を細める。
「強くなったな」
「うん」
キアラ自身も分かる。力が溢れている。試しに地面を踏み込む。ドンッ。石畳が砕けた。
「えっ」
本人が一番驚く。
「そんなつもりじゃ」
アカネが近付く。
「打っておいで」
「え?」
「早く」
「えぇ?」
困る。だがアカネは真剣だった。
「本気で」
キアラは深呼吸する。
「……いくよ」
一歩。二歩。踏み込む。拳を放つ。以前より遥かに速い。重い。だがアカネは紙一重で躱した。
そして。軽く拳を添える。キアラの身体がくるりと回る。勢いを殺される。
「まあまあだね」
アカネが言う。
「まだ力が勝ってる、身体が追い付いてない」
キアラは苦笑した。
「やっぱり?」
「うん」
サフィラも頷く。
「今のお前は、子供に大人の剣を持たせたようなものだ」
「振れるが、扱えてない」
厳しい言葉だった、だが事実だった。キアラ自身も分かっている。今の自分は強い。間違いなく。しかし思い通りには動かせない。少し力を入れれば地面を砕く。少し踏み込めば身体が前へ出過ぎる。まだ制御できていない。
「時間が必要」
アカネが言う。
「うん」
キアラは静かに頷いた。その時だった。アカネは背中へ手を回す。六本の剣が現れる。
舞姫。
その中から二本だけを手に取る。一本は淡い蒼色。一本は深い紫。キアラは首を傾げる。
「それ……」
蒼い刀身を見つめる。
「パノラマ」
続いて紫の刀身。
「ブリンク」
キアラの表情が変わる。世界を渡る為の力。その二つだ。アカネは迷わなかった。刀を掲げる。そして振り下ろした。
ガキンッ。甲高い音。二本の刀身が途中から折れる。
「アカネ!」
サフィラが思わず声を上げる。エドガーも目を見開く。
「何を!」
だが。アカネは気にしない。
「リン。リペア」
静かに呟く。柔らかな光。折れた刀身が元通りになる。何事もなかったかのように。二振りの刀は完全に修復された。そして地面へ落ちていた二つの刀身の欠片を拾う。キアラへ差し出した。
「リリ、食べられる?」
キアラは欠片を見る。世界を渡る力。その一部。リリも脈打つ。興味を示している。
「でも、そんな大事なもの」
アカネは首を振った。
「いい、私は持ってる、でもキアラには必要」
静かな声だった。
「追い付く気があるなら、世界を渡れないとね」
キアラは息を呑む。サフィラもアカネを見る。そこまで考えていたのか。
「今すぐは無理でも」
アカネは続ける。
「でもリリなら、真似できるかも」
限定的でもいい。不完全でもいい。可能性を残したい。未来へ。キアラはゆっくりと左腕を差し出す。黒い口が開く。欠片を飲み込む。リリが静かに脈打つ。すぐには何も起きない。だが確かに何かを取り込んだ。
「すごい情報量、時間かかりそうだね」
キアラが言う。アカネは笑った。本当に穏やかに。
「待つ、必ず、追い付いてきてね」
その言葉に。キアラは強く頷く。
「うん、絶対追い付く、今度は」
拳を握る。左腕が静かに脈打つ。
「私が二人を助ける」
その瞳には迷いがなかった。少女はもう。守られるだけの子供ではなかった。
それから一週間。キアラの生活は元に戻った。朝は孤児たちと食卓を囲み。
昼は仕事を手伝い。夕方にはアカネと森で訓練する。以前と違うのは。その強さだった。
「止める」
アカネが刀を振るう。キアラは一歩踏み込む。黒い腕が刀を受け止めた。甲高い音が森へ響く。
「前よりいい感じ」
アカネが頷く。
「でもまだ、力みすぎ」
「うん」
キアラも素直に頷く。焦りはなかった。強くなるには時間が必要だと理解している。だから一歩ずつ。
一歩ずつ積み重ねる。その様子を、少し離れた木陰からサフィラが眺めていた。
「もう魔法なしでは相手できんな」
「そんなことはありませんよ」
隣に立つエドガーが笑う。
「彼女はまだ技術を学んでいる最中です。ですが、あの年齢であそこまで成長した者は見たことがありません」
サフィラも小さく笑った。
「アカネらしい弟子だ」
「ええ」
二人は静かに見守る。やがて日が沈み。訓練も終わった。その夜。教会の食堂では、少し豪華な夕食が並んでいた。パン。温かいシチュー。焼いた魚。そして、珍しく肉まである。
「今日はごちそうだ!」
「やったー!」
孤児たちは大はしゃぎだった。エドガーが照れ臭そうに頭を掻く。
「町の皆さんから差し入れですよ、皆さん、『英雄たちへ』と」
アカネは首を横に振る。
「違うよ」
「?」
「みんなの、ご飯」
戦ったのは自分たちだけではない。町のみんなが戦い、生き延びた。だからこれは、自分たちだけの祝いではない。その言葉に。エドガーは優しく微笑んだ。
「そうですね」
「それでは」
木のコップを持ち上げる。
「この町に平和が戻ったことに」
孤児たちも一斉にコップを掲げる。
「かんぱーい!」
賑やかな笑い声が教会へ響いた。
翌日の朝。アカネは教会の前に立っていた。旅支度も終わっている。サフィラも同じだった。その姿を見たキアラは。
「……行くんだね」
「うん」
短い返事。けれど、それだけで十分だった。次の世界。次のコア。アカネたちは立ち止まれない。キアラは俯く。寂しい。本当は一緒に行きたい。だけど。まだ自分は未熟だ。それにまだ本調子でもない。昨日の訓練で嫌というほど思い知った。今のままでは足手まといになる。アカネはキアラの前まで歩く。そして。ぽん、と頭へ手を乗せた。
「待ってる」
その一言だった。キアラは顔を上げる。
「強くなったら、来て」
世界を渡る力。まだ完全ではない。だが、リリは確かにあの欠片を取り込んだ。いつか必ず。その日が来る。アカネは信じていた。
「……うん」
キアラは涙をこらえながら笑う。
「絶対!絶対追い付くから!」
「約束」
アカネが小さく頷く。
「約束だよ」
サフィラも一歩前へ出た。
「その時は遠慮なく鍛えてやる」
「えぇ……」
「泣いても許さんぞ」
そう言って笑う。キアラも笑った。
「望むところだよ!」
その声を聞いて、孤児たちも駆け寄ってきた。
「また来てね!」
「今度はもっと遊ぼう!」
「キアラ姉ちゃんも連れてって!」
教会の前は笑顔で溢れていた。別れは悲しい。それでも。これは終わりではない。再会を約束した別れだ。アカネは空を見上げる。青く澄んだ空。そして静かに右手を掲げた。
「エリス」
「パノラマ」
黄金の瞳が、世界の果てを見通す。
「ルナ」
「ブリンク」
空間が大きく歪む。眩い光が二人を包み込んだ。旅人は再び歩き始める。まだ救われていない世界のために。まだ姿も知らぬ場所へ辿り着くために。残されたキアラは、その光が消えるまで見送っていた。左腕を握る。リリが静かに応える。
「次に会う時は……私も、一緒に。」
少女の決意を乗せて。新しい風が、町を吹き抜けた。




