報告と報酬
青い扉の店に着く頃には、朝の市場通りも少しずつ賑わい始めていた。
パンの焼ける匂い、荷車の車輪が石畳を転がる音、水路沿いを歩く人たちの声。
さっきまで門の外にいたせいか、その全部がやけにはっきり聞こえた。
ハクトは店の前で一度足を止めた。
手には、旧リーヴェル街道の写し。
自分の地図には、南門から古い石標までの道が記録されている。
まだ短い。
けれど、確かに自分で確かめてきた道だ。
「緊張してる?」
リクが横から聞いた。
「……少し。」
「報告って、意外と緊張するよね。」
「リクもですか?」
「するよ。仕入れた情報や品物を相手に見せる時は緊張する。価値があると思っていても、相手がそう思うとは限らないからね。」
「価値……。」
ハクトは自分の地図を見下ろした。
この短い道に、どれだけの価値があるのか。
それはまだわからない。
けれど、何もなかった場所に線が引けた。
それだけは間違いなかった。
「……行きましょう。」
「うん!」
ハクトは青い扉を開けた。
小さなベルが鳴る。
店内には、昨日と同じように旅具が並んでいた。
外の明るさとは違う、静かな空気がある。
カウンターの奥で、セイルが古い布を畳んでいた。
ハクトたちに気がつくと、顔を上げる。
「……戻ったか。」
短い言葉だった。
けれど、その目はハクトの手元を見ていた。
旧街道の写し。
そして、腰の地図袋。
「はい。南門外縁を確認してきました。」
ハクトはカウンターの前に立ち、旧リーヴェル街道の写しをそっと置いた。
「借りた写し、返します。ありがとうございました。」
「傷は?」
「ついていないと思います。」
「ならいい。」
セイルは写しを受け取り、軽く広げて確認した。
それから、ハクトを見た。
「話せ。」
ハクトはうなずいた。
まず、南門が開いた時のことを話した。
門の外に草の伸びた石畳が残っていたこと。
古い写しと実際の道筋に、少しずれがあったこと。
門の外に道標札を置いたこと。
ガルドに前を歩いてもらい、リクと一緒に進んだこと。
草むらから小型魔物が出たこと。
倒さず、盾で押し返して進んだこと。
古い石標を見つけたこと。
そこで戻る判断をしたこと。
帰りは匂い玉を使って、魔物の注意をそらしたこと。
セイルは一度も口を挟まなかった。
ただ、聞いていた。
ハクトが話し終えると、店の中に短い沈黙が落ちた。
「奥へは行かなかったんだな。」
「はい。石標までで戻りました。」
「行けそうには見えたか?」
「見えました。」
「なら、よく戻った。」
ハクトは少しだけ息を止めた。
叱られるかもしれないと思っていたわけではない。
けれど、そう言われると胸の奥が少し軽くなった。
「ありがとうございます。」
「礼を言うことじゃない。案内人なら当然だ。」
「はい。」
当然。
その言葉は少し厳しい。
けれど、嫌ではなかった。
案内人としての基準を、セイルが教えてくれている気がした。
「地図を見せろ。」
ハクトは自分の地図を開いた。
南門から古い石標までの道が、実線になっている。
横には小さな危険情報が記録されていた。
『小型魔物の気配』
『草むらから接近』
『匂い玉が有効』
セイルは地図をのぞき込み、目を細めた。
「危険情報が残るようになったか。」
「はい。さっき、職業レベルが上がって、《経路記録》が強化されました。」
「案内人 Lv.2か。」
「はい。」
セイルは少しだけうなずいた。
「早い方だ。」
「そうなんですか?」
「ああ。ただ歩くだけでは、そうはならない。道を見て、危険を避け、戻ってくる。案内人として必要なことをしたから上がったんだろう。」
ハクトは地図を見下ろした。
自分でも、さっき少しだけわかった気がしていた。
でも、セイルに言われると、それが少しはっきりする。
「この危険情報は、他の人にも役立ちますか?」
「使い方次第だな。」
「使い方?」
「お前の地図をそのまま見せるなら役立つ。だが、ただ言葉で伝えるだけなら、相手がどこまで理解するかはわからない。」
「地図を共有する必要があるんですね。」
「少なくとも、案内する相手には見せた方がいい。」
リクがそこで一歩前に出た。
「それって、地図情報として売れる可能性はありますか?」
セイルの視線がリクに向いた。
「商人か。」
「はい、リクです!」
「売れるか売れないかで言えば、売れる。」
「やっぱり!」
「だが、売り方を間違えれば危ない。」
「危ない?」
「古い道の情報を半端に売れば、実力のない連中が奥へ行く。戻れなくなる者も出る。」
リクは表情を引き締めた。
「情報には責任があるってことですね。」
「そうだ。」
セイルの声は静かだった。
「案内人の地図は、ただの地図じゃない。人を進ませる力がある。だから、人を止める力も持たなきゃならない。」
「止める力……。」
ハクトは小さくつぶやいた。
昨日も似たことを聞いた。
進むべきかどうかを見極める。
今、その意味が少しずつ重なっていく。
『案内人の知識が更新されました』
『情報の扱い』
表示が浮かび、すぐに消えた。
セイルはカウンターの下から小さな革袋を取り出した。
「今回の報酬だ。」
革袋がカウンターの上に置かれる。
『クエスト報酬を受け取りました』
『リル +80』
「80リル。」
「少ないか?」
「いえ。思っていたより多くて驚いています。」
ハクトが答えると、リクがすぐ横で目を輝かせた。
「ハクト、これで護衛費の分を戻せるよ。」
「そうですね。」
「前金25リル、完了時25リル。合計50リル。残り30リルが利益だね。」
「利益。」
「もちろん、匂い玉を1つ使ってるから、道具代を考えると実質はもう少し下がるけど。」
「細かいですね。」
「大事なところだよ。」
リクは楽しそうに言った。
セイルが少しだけ口元を緩める。
「商人らしいな。」
「ありがとうございます!」
「褒めたかどうかはわからんぞ。」
「商人らしいなら褒め言葉ですっ!」
リクが胸を張る。
ハクトは少し笑った。
その時、リクの視線が一瞬だけ止まった。
たぶん、本人にしか見えない表示を確認しているのだろう。
「……お!」
リクが小さく声を出した。
「どうしました?」
「経験値が入った。」
リクは自分の表示を確認しながら、少し嬉しそうに笑った。
『職業経験値を獲得しました』
『商人経験値 +18』
『商人 Lv.1 30/30』
続けて、リクの表情が変わる。
『職業レベルが上がりました』
『商人 Lv.1 → Lv.2』
『現在経験値 0/100』
「レベル、上がった!」
「リクもですか?」
「うん!商人 Lv.2!」
「おめでとうございます。」
「ありがとう。たぶん、護衛費の管理と、報酬の精算が効いたんだと思う。」
「そこまで経験値になるんですね。」
「商人だからね。お金の流れをちゃんと扱うのも仕事ってことかな〜!」
リクは嬉しそうに笑った。
ハクトも素直に嬉しかった。
自分だけが進んでいるわけではない。
同じ道を歩いたリクも、商人としてちゃんと進んでいる。
それが少し心強い。
「スキルは増えましたか?」
「ちょっと待って。」
リクは表示を追うように目を動かした。
『商人スキル《簡易精算》を習得しました』
「《簡易精算》だって。」
「どんな効果ですか?」
「パーティー内の立て替えや報酬分配を、自動で見やすくまとめられるみたい!」
「便利ですね。」
「かなり便利。さっきみたいな護衛費の精算で揉めにくくなる。」
リクはすぐに手元を動かした。
すると、ハクトの視界にも共有表示が開いた。
『簡易精算』
『収入:クエスト報酬 80リル』
『支出:護衛費 50リル』
『支出:匂い玉 1個』
『暫定利益:30リル』
「すごい。」
「これ、商人っぽいでしょ!」
「かなり商人っぽいです。」
「で、問題はこの30リルをどうするか。」
「分けるんじゃないんですか?」
「分けてもいいけど、次の探索用に共同資金にしておくのもありだよ?」
ハクトは少し考えた。
次に外へ出るなら、ガルドが言っていた通り準備が必要だ。
回復薬、予備の匂い玉、足元を固める道具。
30リルを今分けるより、次のために残した方がいい気がする。
「……共同資金にしたいです。」
「いいと思うよ!」
「では、それで。」
「決まりっ!」
リクがうなずく。
『共同資金を作成しました』
『残高:30リル』
セイルはその様子を見て、少しだけ目を細めた。
「……悪くない。」
「何がですか?」
「進む前に、金と道具を考えるところだ。案内人だけでは見落とす。商人だけでも進めない。」
「役割が違うからですか?」
「ああ。道を見る者、金を見る者、前に立つ者。それぞれが自分の役を果たせば、戻れる可能性は高くなる。」
ハクトはうなずいた。
ガルドも同じようなことを言っていた。
同じ道を歩いても、それぞれ得るものが違う。
それぞれ見るものが違う。
だから、一緒に歩く意味がある。
セイルは棚へ向かい、いくつかの道具を取り出した。
小瓶、細い金具、革紐のついた小さな爪のようなもの。
「次に行くなら、これを見ておけ。」
「これは?」
「滑り止め爪だ。靴につける。ぬかるみや崩れた斜面で少しは踏ん張れる。」
「ガルドさんが言っていた簡易スパイクですね。」
「そうだ。」
セイルは次に、小瓶を指で弾いた。
「こっちは初級回復薬。深い傷には効かないが、かすり傷なら塞がる。」
「値段は?」
「滑り止め爪が40リル。初級回復薬が1本20リル。匂い玉は1個15リルだ。」
リクがすぐに計算する顔になった。
「……共同資金30リルだけだと足りないね。」
「手持ちを足せば買えますが、全部は無理ですね。」
「次に崩落地点へ行くなら、滑り止め爪は優先度高そう。回復薬も欲しいし、匂い玉も補充したい……!」
「全部必要に見えます。」
「だから悩むんだよ〜!」
リクは楽しそうに悩んでいた。
ハクトは地図を見る。
古い石標の先、小さな橋、崩落地点。
そこへ行くなら、足元を固める道具は確かに必要だろう。
でも、魔物もいる。
回復薬なしも不安だ。
「セイル。」
「なんだ。」
「次はどこまで確認するべきだと思いますか?」
「古い橋までだな。」
「崩落地点ではなく?」
「崩落地点はまだ早い。橋が残っているかどうかを見ろ。橋が落ちていれば、崩落地点へ行く以前の問題だ。」
「なるほど。」
「それに、橋の周りは魔物が集まりやすい。水場と影があるからな。」
ハクトは地図に目を落とす。
次の目標が少し見えた。
『次の調査候補』
『古い橋の確認』
表示が淡く浮かび、地図の先に小さな印がついた。
まだクエストとして確定したわけではない。
だが、道が続いている。
リクがセイルの商品を見ながら言った。
「古い橋までなら、滑り止め爪と匂い玉の補充が優先かな。回復薬も欲しいけど、予算的に全部は厳しい。」
「ガルドさんをまた雇う必要もあります。」
「……そう、それが一番大きい!」
リクは指を折って考える。
「共同資金30リル。ハクトの手持ちと僕の手持ちを少し足して、滑り止め爪を買う。匂い玉は1個だけ補充。回復薬は今回は見送りか、安いものを探す、しかないかな……。」
「回復薬なしは不安ですね。」
「……だよね。」
セイルが横から言った。
「初級回復薬なら、瓶に傷があるやつがある。中身は同じだ。10リルでいい。」
「傷?」
「瓶に傷があるだけだ。中身は同じ。」
「買います!」
リクの返事は早かった。
「即決ですね。」
「安くなる理由が中身に関係ないなら買いだよっ!」
商人らしい判断だった。
セイルは短く笑い、傷のついた小瓶を1本出した。
「なら、滑り止め爪40リル。匂い玉15リル。傷物の初級回復薬10リル。合計65リルだ。」
「共同資金30リルを使って、残り35リルを僕たちで半分ずつ……は割れないから、今回は僕が18、ハクトが17でどう?」
「いいです。」
「じゃあ、それで。」
リクが《簡易精算》で共有表示を更新する。
『共同資金 30リルを使用』
『追加支払い:リク 18リル』
『追加支払い:ハクト 17リル』
『購入:滑り止め爪』
『購入:匂い玉』
『購入:傷物の初級回復薬』
「便利ですね、それ。」
「便利。商人になってよかった。」
リクは満足そうに笑った。
ハクトは購入した道具を鞄に入れながら、少しだけ気持ちが引き締まるのを感じた。
報告が終わり、報酬を受け取った。
レベルが上がった、装備も整えた。
それは、次へ進めるということでもある。
セイルが、カウンターの上に指を置いた。
「次に行くなら、今日中に出るな。」
「え?」
「朝の調査で気を張っただろう。疲れた状態で外へ出れば、判断が鈍る。」
「……そうですね。さっき戻るだけでも、かなり気を張りました。」
「なら、今日は道具を整えておけ。進むのは明日でいい。」
セイルの声は静かだった。
脅すような言い方ではない。
けれど、軽く見ていい話ではないのだとわかった。
「今日は街で準備します。」
「それがいい。」
リクも同意するようにうなずいた。
「なら、今日は情報集めと買い物だね!あと、できれば次の護衛候補も見ておきたい!」
「また、ガルドさんに頼むかもしれませんが、都合が合うとは限りませんしね。」
「そうそう!商売も冒険も、候補は複数持っておく方がいいよ!」
ハクトは地図を閉じた。
門の外へ出たことで、街の中でやるべきことも増えた。
道は外にだけあるわけではない。
準備するための道。
人と話すための道。
次へつながる道。
その全部が、今は少し面白く思えた。
『途切れた街道』
『次の調査に備えましょう』
表示が浮かび、すぐに消えた。
ハクトは鞄の重みを確かめる。
昨日よりも重い。
けれど、その重さは不思議と嫌ではなかった。
「リク。」
「何?」
「次に行く前に、もう少し街を歩きたいです。」
「いいね、案内人らしい!」
「準備も兼ねて。」
「商人としても賛成っ!」
リクが笑う。
ハクトも小さく笑った。
青い扉の店を出ると、リーヴェルの街には昼前の光が差していた。
市場通りの声が、朝よりも大きくなっている。
ハクトは地図を開かずに歩き出した。
まずは、この街で次の道を探す。
門の外へ続く道も。
そこへ向かうための道も。
どちらも、きっと案内人の地図に必要なものだった。




