表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/43

もう一度見る人

翌朝、南門詰所の前には、昨日と同じ机は出ていなかった。

昨日はここで相談机を開いた。

けれど今日は、掲示板の前に何人かの冒険者が集められている。

入口奥の確認に入る日だった。


昨日、相談机に来た顔もあった。

手当て布の場所を聞いてきた若い剣士、採取道具を少し減らした女性冒険者、荷物運びらしい大きな背負い袋を持った冒険者、盾を持った冒険者もいる。


リクは昨日買った滑り止め爪を鞄の横に入れていた。

まだ少し硬い金具が、歩くたびに小さく鳴る。


ハクトは南門詰所の中へ目を向けた。

昨日の夕方、ダレスは言った。

入口奥の確認に入る、と。

そして、自分たちは入口奥へは入らない、と。


わかっている。

わかっているはずなのに、胸の奥は少し落ち着かなかった。


詰所の中へ入ると、セイルがいた。

店で見る時より荷物は少ない。

けれど、腰には目印布と細縄があり、鞄の横には薄い記録板が下がっている。

棚の前に立っていた道具屋ではない。

外へ出る支度をした人だった。


セイルが元案内人だったことは知っている。

滑り止め爪の使い方も、匂い玉の意味も、道標札を残す場所も、セイルは道具屋としてだけではなく、道を歩いた人間として話していた。

けれど、現場へ出る支度をしたセイルを見るのは初めてだった。


セイルの右腕は動く。

ただ、大きく使おうとはしていない。

鞄の位置を直す時も、最後は左手が動いた。


「セイルさんも、行くんですか?」

「見るだけだ。」


それだけだった。

けれど、昨日の店で聞いた言葉と同じように、道具屋の言葉には聞こえなかった。


ダレスが机の上に地図を広げた。

ハクトが清書した地図、詰所用の地図。

それから、調査隊用として分けた入口浅部の記録。


「今日入るのは、入口奥の確認だ。ただし、全員が同じ場所へ行くわけではない。」


ダレスは集まった冒険者たちを見た。


「セイルが奥を見る。ガルドが前方を警戒する。盾を持っている者を1人、入口側の守りにつける。軽装で動ける者を1人、連絡補助につける。」


盾を持った冒険者が、少し姿勢を正した。

若い剣士も手を上げかけたが、ダレスが先に見た。


「剣を振りに行く場所ではない。指示があるまで抜くな。」

「……はい。」


若い剣士は手を下ろした。

昨日より腰袋は増えている。

そこに手当て布が入っているのだろう。

それでも、奥に行く役ではなかった。


ダレスは続けた。


「他の者は入口付近で待機だ。水、手当て布、予備道具、荷物を見ろ。入口の外側で落石や足元に変化があれば、すぐ知らせろ。」


採取道具を持った女性冒険者が、小さくうなずいた。

荷物運びの冒険者は背負い袋の紐を握り直した。


ダレスの視線がハクトへ向く。


「ハクト、お前は入口までの案内記録と、戻り道の確認だ。」

「はい。」

「リク、お前は道具管理と記録補助。荷物の出し入れも見る。」

「はい!」


「入口奥への無断進入は禁止。詰所の指示から外れた者は、その場で外す。戻る判断に従えない者は参加させない。」


誰も軽く返事をしなかった。

昨日、掲示板の前で聞いた時より、その言葉は重く聞こえた。


ハクトは自分の地図を見た。

そこに入口奥はない、自分が描く場所ではない。

でも、そこへ行く人たちが戻ってくるには、自分の地図が必要になる。


セイルが横から言った。


「入口奥の地図は俺が描く。お前は入口までの道を崩すな。」

「はい。」

「奥を見たいなら、まず戻る道を見ろ。」


ハクトはうなずいた。

見たい、その気持ちはある。

昨日見なかった場所、足跡が消えていった先、小さな影が逃げた奥。


けれど、そこは今の自分の道ではない。


南門を出る時、昨日相談に来た女性冒険者が荷物を背負い直していた。

昨日より袋が小さい。

手当て布は採取袋とは別の小袋に入っている。


若い剣士の腰にも、小さな布袋が増えていた。

薬だけではなく、手当て布を入れた袋だろう。


若い剣士はハクトに気づくと、少し照れたように手を上げた。


「手当て布、買ってきた。」

「よかったです。」

「薬師の店、すぐわかった。昨日の案内、助かった。」


採取道具を持った女性冒険者も、背負い袋を軽く持ち上げて見せた。


「私も袋、減らしてきたよ。」

「昨日より動きやすそうですね。」

「うん、全部持ってこなくてよかった。」


リクが小さく笑った。


「昨日の相談、少し残ってるね!」

「はい。」


進ませるためだけの相談ではなかった。

止まるため、分けるため、足りないものを知るため。

それが、今日の支度になっている。


南門の外へ出る。

朝の空気は冷たく、土の匂いが少し強かった。

人数がいるせいか、昨日より足音が多い。

けれど、誰も勝手に前へは出ない。


先頭はガルド。

少し後ろにセイル。

ダレスは全体を見ている。

ハクトは地図を持ち、リクは荷物と帳面を見る。

シアは後ろ寄りに立ち、時々ハクトたちの位置を確認していた。


南門、古い石標、橋手前。

何度も地図に書いた場所を、今日は人数を連れて進んでいる。


ハクトは先頭に立っていない。

それでも、地図を持つ手は昨日より重かった。


「前ばかり見るな。」


セイルの声がした。


ハクトは顔を上げた。


「はい。」

「案内人が最初に見るのは、戻る道だ。」


ハクトは振り返った。

南門はもう少し遠い、古い石標は見えている、足元の土は、まだ乾いている場所が多い。


「前だけ見るなら、ただの先頭だ。」

「……はい。」


ハクトは地図に視線を戻し、今歩いてきた道を確認した。

進んだ線ではなく、戻る線として見る。

同じ道なのに、少し違って見えた。


古い橋へ近づくにつれて、地面の色が変わる。

土が湿り、草の間に小さな石が増えていく。

昨日より人が多い分、足音が橋の方へ吸い寄せられるように聞こえた。


ハクトは、前にマルタから聞いた言葉を思い出した。


旧街道は途中で山肌に沿う。

崩れた場所は、たぶん今も危ない。

それに、荷馬車が通らなくなった道は、魔物が道にする。


その時は、地図の上に置いた注意だった。

けれど、今日は足元に近い。

古い橋の向こうに、その言葉の続きがある気がした。


橋手前で、ダレスが手を上げた。


「ここで一度止まる。」


全員が止まった。

後ろの冒険者たちも、すぐには詰めてこない。

若い剣士が片手を上げ、後ろの荷物運びへ止まる合図を出す。

荷物運びの冒険者は、背負い袋の肩紐を締め直してから、静かにうなずいた。


昨日の説明を聞いただけで、全員が慣れているわけではない。

それでも、勝手に前へ出る者はいなかった。


リクは鞄から滑り止め爪を出した。

昨日買った、自分のものだ。

貸与品ではない。

共同資金を減らして買った、自分の足元だった。


リクは靴に合わせ、金具の位置を確認する。

少し硬そうだったが、手つきは昨日より迷っていない。


セイルがそれを見た。


「渡る前に見る、渡ってから直すな。」

「はい!」

「おかしいと思ったら、橋に乗る前に言え。」

「はい!」


リクはもう一度留め具を押した。

小さな金具がかちりと鳴る。


「大丈夫です!」

「なら行く。」


ガルドが先に橋へ乗った。

橋は昨日と同じように、わずかに湿っていた。

けれど、今日は一人ずつではない。

順番を守り、距離を空ける。

ハクトは足元を見ながら、昨日自分が膝を打った場所を確認した。


橋の途中で、シアが後ろを見た。


「間を詰めすぎないで。」

「はい。」


若い剣士が少し下がる。

荷物運びの冒険者も、背負い袋の揺れを抑えた。


ハクトは橋の板ではなく、橋の先を見た。

いや、違う。

橋の先だけではない。

戻る時に見える手すりの割れ、水音、足元の湿り、リクの立つ位置。


昨日より、見るものが多い。


橋を渡り、向こう側の足場に着く。

そこでまた止まる。

リクは滑り止め爪を外さず、足元を確認していた。


「どうですか?」


ハクトが聞くと、リクは軽く足を動かした。


「借りた物より、ずれにくいかも。走りづらいのは同じだけど。」

「橋の上では走りませんから。」

「うん、これなら歩きやすい!」


リクはもう一度、留め具を指で押した。

それから鞄の位置を直す。


それは、セイルが何度も言っていたことだった。

持っているだけで進める道具ではない。

歩ける場所を、戻れるようにするための道具だ。


入口手前に近づくと、ハクトの置いた道標札が見えた。

小さな札は倒れていない。

風に少し揺れているだけだった。


セイルはその前で足を止めた。

札を見る、橋を見る、入口を見る。

また札を見る。


「悪くない位置だ。」


ハクトは一瞬、返事が遅れた。


「はい。」

「入口に近すぎない。橋も見える。戻る基準にはなる。」


胸の奥が少しだけ熱くなった。

けれど、セイルは続けた。


「だが、札に頼るな。」

「はい。」

「倒れた時に何を見るかも決めておけ。」


ハクトは道標札から視線を外した。

橋の見え方、入口手前の木、水音、足元の大きな石。

それから、道標札の少し手前にある、根が浮いた場所。


地図の端に書き足す。


『道標札が倒れた場合:橋の見え方、水音、入口手前の木、大きな石を確認』


セイルが横目でそれを見る。


「全部覚えようとするな。使えるものを選べ。」


ハクトは少し考えた。

水音は変わる、人が増えれば聞こえにくい。

木は見える、橋の見え方も戻る時に使える、大きな石も、足元の基準になる。


ハクトは書き直した。


『道標札が倒れた場合:橋の見え方、入口手前の木、大きな石』


「それでいい。」


短い言葉だった。

それでも、ハクトには十分だった。


入口前に着いた。

昨日見た暗がりがある。

外の光が届く範囲。

その先は、やはり暗い。


入口の奥は、昨日より静かに見えた。

でも、静かだから安全とは限らない。

昨日、小さな影はその静けさの中から出てきた。


ダレスが全員を止めた。


「ここから先は役割を分ける。」


ガルドが前に出る。

盾を持った冒険者が、入口側の守りに入る。

軽装の冒険者が、セイルの連絡補助として少し後ろにつく。

シアがハクトとリクの後ろへ立つ。

若い剣士、採取道具の女性冒険者、荷物運びの冒険者は、入口外側で待機する位置についた。


セイルがハクトの前に立った。


「お前はここだ。」


ハクトは奥を見た。

曲がり角。

その先。

自分が知らない白い場所。


「でも……。」


言いかけて、止まる。

言っても、答えはわかっている。


セイルは静かに言った。


「奥は俺が見る。お前は、俺たちが戻る道を見ろ。」


ハクトは口を閉じた。

それから、うなずく。


「はい。」


リクが隣で鞄の口を開いた。


「僕は、道具を見ます。」


リクは匂い玉、手当て布、水袋、予備の目印布を確認した。

新しい滑り止め爪は、靴にしっかりついている。

それを見て、ハクトの胸のざわつきが少しだけ落ち着いた。


若い剣士が入口の奥を見ていた。

けれど、剣には手をかけなかった。

昨日、相談机で手当て布を聞いた時とは違う顔をしている。


ハクトと目が合うと、若い剣士は少しだけ肩をすくめた。


「俺も、ここまでらしい。」

「はい。僕もです。」

「奥に行くだけが協力じゃないってことか。」

「たぶん、そうだと思います。」


採取道具の女性冒険者は、足元の小袋を確認していた。


「私は荷物と水。戻ってきた人に渡す係だって。」

「大事だと思います。」

「うん。昨日、袋を分けておいてよかった。」


ハクトはうなずいた。

奥へ行かない人にも、役割がある。

自分だけではない。

ここに残る人たちにも、戻ってくる人を支える役割がある。


入口の前で、ダレスがしばらく黙っていた。

それから、ぽつりと言う。


「俺は、この道を開ける気はなかった。」


ハクトは顔を上げた。

ダレスは入口ではなく、古い橋の方を見ている。


「閉じておけば、新入りは死なない。」


セイルは入口の暗がりを見たまま答えた。


「閉じた道は、誰も見なくなる。」

「わかっている。」

「見ない道は、別のものが使う。」


その言葉で、ハクトはまたマルタの言葉を思い出した。

荷馬車が通らなくなった道は、魔物が道にする。

まだ奥を見ていない。

けれど、その言葉はもう、ただの注意ではなかった。


ダレスは小さく息を吐いた。


「だから、見る。」


セイルはうなずいた。


「見るだけだ。開けるかどうかは、その後で決めろ。」


2人の間に、それ以上の言葉はなかった。

でも、ハクトにはわかった気がした。

これは、ただ入口の奥を調べるだけではない。

止まっていた道を、もう一度見るための確認なのだ。


セイルは入口の暗がりを見た。

右腕は、鞄の紐を握ったまま大きく動かない。

けれど、目だけは奥を見ていた。


「ここから先は、俺が見る。」


その声は、道具屋のものではなかった。

道を知っている人の声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ