商人が通す話
市場通りへ向かう道は、朝の人通りが増え始めていた。
リクは布袋の紐を少し短く持ち直した。
中には、書き直し途中の準備地図が入っている。
『外出前確認地図(仮)』
まだ売り物ではない。
詰所に見せただけの、仮の紙だ。
けれど、仮だからこそ、今のうちに直せる。
店の名前を使うなら、店に聞く。
それは当たり前のことだった。
「まずは、ラナさんのとこだね!」
リクは小さく確認して、市場通りの方へ足を向けた。
薬師の店は、朝から開いていた。
店先には、乾かした薬草の束が吊るされている。
前に来た時と同じ、少しだけ苦い匂いがした。
ラナは棚の前で、小瓶を並べ替えていた。
「おや、リク。今日はハクトはいないんだね。」
「はい、今日は別行動です!相談したいことがありまして……。」
リクは帳面から準備地図の写しを取り出した。
「新しい冒険者向けに、外へ出る前の確認用の地図を作れないかと思っていて。薬師の店の名前を載せてもいいか、確認したくて来ました。」
「へえ。」
ラナは手を止め、紙を受け取った。
外の危険な場所は書いていない。
初心者宿、冒険者詰所、薬師の店、セイルの店、南門詰所。
それから短い確認欄。
ラナは少しだけ目を細めて、ゆっくり読んだ。
「外の地図じゃなくて、準備するための地図なんだね。」
「はい、南門外縁や橋の先は書きません。」
「それなら、うちの名前を使うのは構わないよ。ただ、薬のところは少し直した方がいい。」
リクは帳面を開いた。
「お願いします。」
ラナは確認欄の横を指した。
「手当て布は分けて持つ。これはいいね。1つの袋に全部入れるより、使う人が出せる方がいい。」
「はい。」
「ただ、回復薬を入れるなら、『すぐ出せる場所へ』だけじゃ足りない。」
「瓶だからですか?」
「そう。すぐ出せる場所で、雑に揺れない場所。底で道具にぶつかるのはよくない。」
リクは帳面に書き足した。
『薬:すぐ出せて、揺れにくい場所へ』
ラナは軽くうなずいた。
「それならいい。あと、傷のある瓶は長く持ち歩かない、も本当は書きたいけど、新人向けの紙に入れると長くなるね。」
「聞かれたら説明する形にします。」
「そうだね。全部を紙に書くと、読まれなくなる。」
ラナは準備地図を返した。
「名前は使っていいよ。ただし、うちで何でも買えば安全、みたいにはしないでおくれ。」
「はい、必要なものを相談してもらう形にします。」
「それならいい。」
ラナは棚の下から、細い布を数枚取り出した。
「これは商品にはしにくい端切れだけど、小袋の口を結ぶくらいには使える。いるかい?」
「いいんですか?」
「ただではないよ。まとめて2リル。」
「買います。」
リクは個人の財布から2リルを出しかけて、手を止めた。
これは準備地図と小袋に使う材料だ。
次の探索にもつながる。
共同資金から出すべきかもしれない。
でも、共同資金は1リルしかない。
リクは少し考えた後、自分の財布から2リルを出した。
「これは材料費として、あとで帳面に書きます。」
「きっちりしてるね。」
「共同で使うものにするので!」
ラナは少し笑って、端切れを渡した。
「そういう使い方なら、悪くないね。」
リクは端切れを布袋にしまった。
『薬師の店:名称使用可』
『手当て:布は分けて持つ』
『薬:すぐ出せて、揺れにくい場所へ』
『端切れ購入:2リル』
帳面に書いてから、リクは頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「無理に売らないことだね。準備は大事だけど、買いすぎても動けなくなる。」
「はい!」
その言葉を聞いて、リクは次に行く店を思い出した。
セイルの店だ。
市場通りから少し外れた道具屋は、朝の光の中でも中が少し暗く見えた。
店の入口には、縄、袋、古い靴底、木の杭が置かれている。
セイルは店の奥で、何かの留め具を直していた。
「リクか、今日はハクトはいないのか?」
「はい、今日は僕だけです。準備地図の相談に来ました。」
「準備地図?」
セイルは手を止めた。
リクはラナに見せたものと同じ写しを出した。
「外へ出る前に、街の中で準備する場所を確認する地図です。セイルさんの店の名前を載せてもいいか、確認したくて。」
「見せろ。」
セイルは紙を受け取り、すぐに確認欄を見た。
読むのが早い。
ラナのようにゆっくりではなく、引っかかる場所を探すような読み方だった。
「外の地図ではないな。」
「はい。」
「なら、店の名前は構わん。だが、このままだと道具を買えばいいように見える。」
「やっぱり、そう見えますか?」
「見るやつはそう見る。」
セイルは『荷物:動ける量にする』の行を指した。
「これは残していい。持てる量と動ける量は同じじゃない。」
「はい。」
「その下に、『使うものを決める』を入れろ。持っていくだけの道具は邪魔だ。」
「使うものを決める……。」
リクは帳面に書き足した。
『道具:使うものを決める』
セイルは続けた。
「目印の行は、悪くない。帰りに見えるものを確認する。物を置けとは書くな。」
「詰所でも同じことを言われました。」
「だろうな。」
セイルは紙を返した。
「相談用に使うならいい。売り物として並べるには早い。」
「はい、まだ相談用です。」
「なら、聞かれた時に出せ。これを見て、必要なものを選ぶ形にしろ。」
「そうするつもりです。」
リクは少しだけ背筋を伸ばした。
「手当て布、小袋、目印に使える布。必要な人にだけすすめます。」
「全部すすめるな。」
「はい。」
「新入りは、足りないのも危ないが、持ちすぎるのも危ない。」
セイルは棚の下から、小さな袋をいくつか出した。
「傷や汚れがあって、普通には売りにくい小袋だ。手当て布を入れるくらいなら使える。」
「いくらですか?」
「5つで4リル。」
「……今は買いません。」
リクはすぐに答えた。
セイルが少し眉を上げる。
「理由は?」
「まだ相談用の地図が完成していません。買っても、今日すぐ売れるとは限りません。先に売上を回収してから考えます。」
「悪くない。」
セイルは小袋を棚へ戻した。
「買わない判断も商人の仕事だ。」
「はい。」
リクは帳面に書いた。
『セイルの店:名称使用可』
『荷物:動ける量にする』
『道具:使うものを決める』
『小袋:5つで4リル。購入保留』
これで、店名の確認は2つ終わった。
次は、小分けセットの売上だ。
リクは市場通りへ戻った。
マルタの修理屋は、市場通りの端にある。
車輪と道具の修理屋。
店先には、古い車輪と、修理途中の木箱が置かれていた。
マルタは外で、革ひもを束ねていた。
「リクじゃないか。小分けの件かい?」
「はい。追加で置かせてもらった分、どうでしたか?」
「少し出たよ。採取に行く新入りが、袋を分けたいって言ってね。」
マルタは店の中から小さな袋を持ってきた。
「取り分は6リルだ。」
「ありがとうございます。」
リクは袋を受け取った。
中には、6リルが入っている。
少ない。
けれど、ちゃんと売れたお金だった。
前に作って置かせてもらったものが、誰かの準備に使われた。
それだけで、リクの胸が少し軽くなった。
「あと、次を作るなら、袋の口をもう少し結びやすくした方がいいね。」
「口ですか?」
「新入りは、急いで結んで中身を落とす。革ひもを短くしすぎない方がいい。」
「なるほど!」
リクは帳面に書く。
『小分けセット:取り分6リル』
『袋の口:結びやすくする』
『革ひもは短くしすぎない』
マルタはリクの帳面をのぞき込んだ。
「また何か作るのかい?」
「外へ出る前の準備地図を考えています。危ない場所の地図ではなくて、準備する場所の地図です。」
「へえ。地図に店の名前を載せるなら、うちも載るのかい?」
「小分けセットや袋の相談をするなら、載せたいです。でも、まだ詰所に確認中です。」
「なら、載せるなら一度見せておくれ。」
「はい。」
リクはうなずいた。
「それと、今日はこの6リルは共同資金に入れます。」
「共同資金?」
「ハクトと一緒に、次の調査の準備に使うお金です。」
「なるほどね。商売で稼いで、外歩きの準備に使うのか。」
「はい!」
マルタは少しだけ笑った。
「いい使い方だね。道具は買って終わりじゃない。使い続けるなら、直したり補充したりする金もいる。」
「覚えておきます。」
リクは6リルを、個人の財布ではなく、共同資金用の小袋に入れた。
『共同資金:1リル → 7リル』
表示ではない。
帳面の文字だ。
けれど、その数字が増えるのを見て、リクは少しだけ安心した。
まだ大きな買い物はできない。
細縄も、滑り止め爪も、必要なら貸与に頼ることになる。
でも、1リルだけだった共同資金が、少しだけ戻った。
戻るための準備に使えるお金が増えた。
マルタの店を出る頃、市場通りの人通りはさらに増えていた。
リクは布袋を持ち直す。
薬師の店では、薬と手当ての言葉を直した。
セイルの店では、道具と荷物の言葉を直した。
マルタの店では、小分けセットの売上を回収し、袋の作り方を直した。
売るものを増やすだけではない。
売っていい形にする、使う人に合わせて直す。
それも、商人の仕事だった。
リクは帳面を開き、準備地図の仮題を見た。
『外出前確認地図(仮)』
その下に、新しく書き直した項目を並べる。
『手当て:布は分けて持つ』
『薬:すぐ出せて、揺れにくい場所へ』
『荷物:動ける量にする』
『道具:使うものを決める』
『目印:帰りに見えるものを確認する』
『帰還後:使った道具を確認する』
少し増えた。
このままだと長い。
でも、今はまだ全部書いておく。
削るのは、ハクトと合わせてからでいい。
「ハクトは、どんな道を見てるかな。」
リクは小さくつぶやいた。
自分は店に話を通した。
ハクトは街の道を見ているはずだ。
同じ準備地図でも、リクが見るのは店と道具。
ハクトが見るのは道と人の流れ。
その2つが合わさったら、少しは使えるものになるかもしれない。
リクは共同資金の小袋を布袋の奥へしまった。
売上は自分のものではなく、2人の次の準備へ。
そう決めると、6リルはただの小さな稼ぎではなくなった。
次に橋の先へ行くための、戻る準備の一部になった。




