水路沿いの聞き込み
市場通りの端から、石段が水路沿いへ下りていた。
昼の光を受けた水面が、ゆっくり揺れている。
水路の両側には低い石壁が続き、その向こうに倉庫や作業場が並んでいた。
表通りの賑やかさとは違う。
ここには、荷物を運ぶ音や、木箱を積み替える音が多かった。
ハクトは石段を下りながら、街の見え方が変わるのを感じた。
同じリーヴェルの街なのに、市場通りとは空気が違う。
売る場所、買う場所、運ぶ場所、人が集まる場所。
水路沿いは、街の裏側というより、街を動かすための道のようだった。
「ここ、いいね。」
リクが周囲を見ながら言った。
「商人としてですか?」
「うん、荷物の流れが見える。」
「荷物の流れ。」
「市場に並ぶ前のものとか、店から運ばれていくものとか。表だけ見てるとわからないけど、ここを見ると街がどう動いてるか少しわかるんだよ。」
ハクトは水路沿いの道を見た。
荷車が通れるように、石畳は市場通りよりも広い。
ところどころに小さな橋があり、倉庫の扉の前には木箱が積まれている。
たしかに、ここは人が歩くだけの道ではない。
物が動く道だ。
「案内人にも必要そうです。」
「そうなの?」
「人の道だけじゃなくて、荷物の道も知っていた方が、街を案内しやすい気がします。」
「なるほど、ハクト、ちゃんと案内人だね!」
「まだわからないことばかりですけど。」
「わからないことを見つけてる時点で、たぶん向いてるよっ!」
リクは軽く笑った。
ハクトは少し照れながら、水路の先へ視線を向けた。
目的は、古い橋の情報を探すこと。
水路に関わる人なら、橋や古い街道について何か知っているかもしれない。
水路沿いを少し歩くと、木箱を積んだ小さな荷車のそばで、年配の男が縄を結び直していた。
服は作業用で、腕には革の手袋をしている。
NPCだろう。
ただ、その動きはかなり自然だった。
リクが小声で言う。
「聞いてみる?」
「はい。」
ハクトは男に近づき、軽く頭を下げた。
「すみません、少しお聞きしてもいいですか?」
男は縄を引き締めてから、顔を上げた。
「なんだ?」
「旧リーヴェル街道にある、古い橋について調べています。何か知っていることはありますか?」
男の目が少し細くなった。
「……南門の外の橋か?」
「はい。」
「あそこは、もう使ってない。」
「やっぱり、今は通らないんですね。」
「今の街道は東回りだ。南の古道は、荷車を通すには危ない。」
ハクトはうなずきながら聞く。
男は荷車の車輪を軽く叩いた。
「昔は南の橋を渡って、丘の向こうへ抜けたらしい。だが、橋の先が崩れてからは誰も使わん。水場も近い。魔物も寄る。」
「橋自体は残っていますか?」
「遠目に見たやつはいる。だが、渡った話は聞かんな。」
「遠目に見た人がいるんですか?」
「水路の点検で、外の流れを見に行く連中がいる。そいつらなら、もう少し知ってるかもしれん。」
ハクトはすぐに聞き返した。
「その人たちは、どこにいますか?」
「水門小屋だ。この先をまっすぐ行って、二つ目の橋を渡れ。赤い屋根の小屋がある。」
「ありがとうございます。」
ハクトが頭を下げると、男は軽く手を振った。
「行くなら無理はするなよ。古い道は、古いだけの理由がある。」
その言葉に、ハクトは少しだけ背筋を伸ばした。
「はい。」
男から離れると、リクがすぐに言った。
「水門小屋だって。」
「行きましょう。」
「うん。でも、その前に今の情報を整理しておこう。」
リクが指を動かす。
自分の表示を操作しているのだろう。
ハクトも地図を開いた。
水路沿いの道に、小さな印が追加される。
『聞き込み情報を記録しました』
『旧街道の橋』
『水門小屋に追加情報の可能性』
「情報も記録できるんだ。」
「はい。たぶん、地図に関係する内容だからだと思います。」
「便利だね!」
「ただ、まだ確定情報ではなさそうです。」
「そこを分けられるのは大事だね。噂と確認済みが混ざると危ないから。」
リクの言葉に、ハクトはうなずいた。
地図に線が引かれることと、話を聞くことは違う。
聞いた情報は手がかりになる。
でも、それを本物の道にするには、自分で確かめなければならない。
2人は水路沿いを進んだ。
一つ目の橋を過ぎる。
水面には小さな葉が流れていた。
橋の上から見ると、水路は街の奥へ続き、いくつもの小さな分岐に分かれている。
ハクトは思わず足を止めた。
「どうしたの?」
「水路も地図にしたら、迷いそうだなと思って。」
「たしかに。水の道って感じだね。」
「街の中にも、知らない道が多いです。」
「街って、意外と広いよね!」
リクの声は楽しそうだった。
ハクトも同じ気持ちだった。
外へ出なくても、知らないものはある。
門の外の道だけが、冒険ではないのかもしれない。
二つ目の橋を渡ると、赤い屋根の小さな建物が見えた。
水門小屋というだけあって、建物の横には大きな木製の水門があり、水の流れを調整しているようだった。
小屋の前では、若い作業員が板に何かを書き込んでいた。
その横に、腰に工具を下げた女性が立っている。
ハクトは近づいて声をかけた。
「すみません。水門小屋はこちらで合っていますか?」
女性が振り向いた。
「ああ。水路の依頼かい?」
「いえ。旧リーヴェル街道の古い橋について、話を聞きたくて来ました。」
女性の表情が少し変わった。
「……古い橋?」
「はい。南門の外にある橋です。」
「また珍しいことを聞くね。あそこに行くつもりかい?」
「明日の朝、確認に行く予定です。渡るつもりはありません。橋が残っているかを見に行きます。」
ハクトがそう言うと、女性は少しだけ表情を緩めた。
「渡るつもりがないなら、まだいい。」
「危ないんですか?」
「危ない。橋もそうだが、橋の下がよくない。」
「橋の下?」
「水が淀む場所がある。小さい魔物が集まりやすい。上ばかり見てると、下から来るよ。」
ハクトは地図を開き、古い橋の仮記録を確認する。
橋の周辺に、水場の注意が追加された。
『聞き込み情報を記録しました』
『古い橋の下に魔物が集まりやすい可能性』
「橋の手前から見える場所ですか?」
「見えるはずだ。ただ、草が伸びていればわからないかもしれない。」
「近づきすぎない方がいいですね。」
「そうだね。橋の床板を確かめようとして、足をかけるのはやめな。古い木は、見た目より信用できない。」
リクが横から聞いた。
「水門小屋の人が、実際に見たんですか?」
「私は見ていない。けど、3日前に点検に出た者が、橋の影に小型の群れを見たと言っていた。」
「3日前。」
「ただし、近づいてはいない。遠目に見ただけだ。」
ハクトはうなずいた。
「ありがとうございます。確認済みではなく、目撃情報として記録します。」
「あんた、案内人かい?」
「はい。」
「なら、その分け方は大事だよ。見たものと聞いたものを混ぜる案内人は信用されない。」
その言葉は、セイルの言葉と重なった。
情報には責任がある。
地図は、人を進ませる力がある。
だからこそ、曖昧なものを曖昧なまま扱う必要がある。
「……気をつけます。」
ハクトが答えると、女性は水門小屋の中から小さな紙片を持ってきた。
「これは水路側の古い点検図だ。街道の地図じゃないけど、橋の近くの水の流れが少しだけ載っている。」
「見てもいいんですか?」
「あげるわけじゃないよ。写すなら10リル。」
「10リル……。」
リクがすぐに反応した。
ハクトも財布を思い浮かべる。
今の所持金は、ハクトが59リル。
リクが64リル。
共同資金は0リル。
ここで10リルを使うかどうか。
「内容を少し確認してもいいですか?」
「ここで見るだけならいい。」
女性が紙片をカウンター代わりの木箱に広げた。
そこには、水路から外へ流れる小さな支流と、古い橋の下を通る細い水筋が描かれていた。
橋の近くに、丸で囲まれた場所がある。
「これは何ですか?」
「淀みやすい場所。枝や葉がたまりやすい。」
「魔物も集まりやすい?」
「可能性はある。」
ハクトは息を飲んだ。
古い橋そのものだけを見ていた。
けれど、橋の周囲の水の流れも危険に関係する。
それを知っているかどうかで、明日の見方は変わる。
「買いたいです。」
「僕も賛成。10リルなら情報としては安いと思う。」
「地図に使うのは俺なので、7リル出すでどうですか?」
「いいね。じゃあ、僕は3リル払うよ!共同出資って感じだね!」
「お願いします。」
「うん、情報は使う人が少し多く持つ。わかりやすいね!」
ハクトは7リル、リクは3リルを出した。
女性は紙片を簡単に写したものを渡してくれた。
『水路点検図の写しを入手しました』
ハクトはそれを地図と重ねる。
古い橋の周辺に、水の流れが薄く追加された。
『水路情報を仮記録しました』
「これで、明日見る場所が増えましたね。」
「増えたけど、進む距離を増やすわけじゃないよ。」
「はい。橋まで行って、橋の周りを見る。渡らない。」
「うん、それなら安心!」
リクの確認に、ハクトは素直にうなずいた。
目的が増えると、つい先へ進みたくなる。
でも、今日集めている情報は、無理をするためのものではない。
戻るためのものだ。
水門小屋を出ると、日差しは少し傾き始めていた。
まだ夕方ではない。
けれど、朝から外へ出て、報告して、買い物をして、聞き込みをしているせいか、少し疲れが出てきていた。
リクがハクトの顔を見る。
「少し休む?」
「大丈夫です。」
「本当に?」
「……少し休みたいです。」
リクは満足そうにうなずいた。
「正直でよろしい。」
「先生みたいですね。」
「商人だよ!疲れてる相手と商談すると、あとで揉めることがあるからねっ!」
「そういう理由なんですか?」
「半分はね!」
リクは近くの石壁に腰かけた。
ハクトもその隣に座る。
水路の水音が近い。
市場通りの声は遠く、ここでは少しだけ時間がゆっくり流れているように感じた。
ハクトは今日集めた情報を頭の中で整理する。
古い橋は残っている可能性がある。
ただし、渡れるとは限らない。
橋の下には水が淀む場所があり、小型魔物が集まりやすいかもしれない。
草が伸びていれば、見えにくい。
橋の床板は信用しない方がいい。
明日の目的は、橋の確認。
渡らない、奥へ進まない、危険なら戻る。
その一つ一つが、地図の線よりも重く感じた。
「ハクト。」
「はい。」
「今のうちに、明日の依頼内容を少し直しておく?」
「護衛依頼ですか?」
「うん。ガルドさんはもう受けてくれたけど、追加で共有できる情報があるなら送っておいた方がいいと思う!」
「たしかに。」
ハクトは依頼内容を開いた。
ガルドへの護衛依頼は、明日の朝、南門前で合流になっている。
『護衛依頼』
『対象:ガルド』
『合流:明日の朝、南門前』
『内容:旧リーヴェル街道の古い橋までの確認』
『崩落地点へは進まない』
『危険時は撤退を優先』
『戦闘は必要最低限』
その下に、追記欄があった。
「追記できます。」
「じゃあ、橋の下に小型魔物がいる可能性。橋は渡らない。水場に注意。これくらいかな。」
「はい。」
ハクトは慎重に入力する。
『追記』
『古い橋の下に小型魔物が集まりやすい可能性あり』
『橋は渡らず、手前から状態を確認する』
『水場と草むらに注意』
『追記を送信しますか?』
『はい』
『いいえ』
ハクトは『はい』を選んだ。
『追記を送信しました』
すぐに返事は来なかった。
それが少しだけ、人に連絡したような感覚を残した。
「これでよし。」
「はい。」
「明日の目的、だいぶはっきりしたね。」
「はい。はっきりした分、怖さも少し出てきました。」
「それはいい怖さだと思うよ。」
「いい怖さ?」
「準備するための怖さ。危ないものを危ないって思えるのは、大事でしょ?」
「そうですね。」
ハクトは水面を見る。
小さな波が石壁に当たり、細かく砕けている。
ゲームの中の水。
けれど、音も光も、やけに本物に近い。
だからこそ、危険も本物のように感じる。
しばらく休んだあと、2人は水路沿いを戻った。
市場通りへ上がる石段の手前で、リクがふと足を止める。
「そういえば、ハクト。」
「はい。」
「所持金、今ちゃんと覚えてる?」
「えっと……。」
ハクトは自分の財布を確認する。
『所持金:52リル』
赤屋根パンで5リル。
道具購入で17リル。
古い橋の写しで15リル。
昼食の豆のスープと丸いパンで4リル。
水路点検図の写しで7リル。
最初に100リルあったので、残りは52リル。
「52リルです。」
「僕は60リル。」
「……減りましたね。」
「減ったね。でも、全部次につながる出費だよ!」
「次の報酬が入ったら、また共同資金を作りたいですね。」
「うん。そのためにも、明日はちゃんと戻ってこないとね!」
「はい。」
ハクトは財布をしまった。
お金が減ると、不安になる。
けれど、ただ減っただけではない。
道具になった。
地図になった。
情報になった。
それは、明日戻ってくるための形になっている。
市場通りに戻ると、夕方に向けて少しずつ人の流れが変わっていた。
露店の一部は片付けを始め、代わりに食べ物の屋台が増えている。
プレイヤーたちの会話も、朝より少し疲れた声が混ざっていた。
今日の成果を話す者。
失敗を笑う者。
次の狩場を探す者。
その中を、ハクトとリクはゆっくり歩いた。
『途切れた街道』
『古い橋の確認準備が進みました』
表示が浮かぶ。
『明日の朝、南門前でガルドと合流しましょう』
ハクトはその表示を見て、静かに息を吐いた。
明日、また門の外へ出る。
今度は南門外縁より先へ。
古い石標の先。
まだ仮の線でしかない、古い橋へ。
怖さはある。
けれど、昨日よりも準備はできている。
リクがいる。
ガルドも来てくれる。
道具もある。
地図も、昨日より少しだけ厚くなった。
「今日は、もう無理に動かなくていい気がします。」
「僕も賛成。あとはログアウト前に、明日の持ち物を確認するくらいかな。」
「そうですね。」
「忘れ物で損するのは嫌だからね!」
「商人らしいです。」
「大事なところだよっ!」
リクが笑う。
ハクトも笑った。
市場通りの向こうに、南門へ続く道が見える。
今はまだ行かない。
行くのは明日の朝。
そう決めて戻ることも、案内人に必要な判断なのだと思った。




