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白紙の地図

帰りのホームルームが終わった瞬間、教室の空気が少しだけ浮き立った。


「今日からだよな、AFO!」

「俺、剣士で始めるわ。やっぱ最初は王道だろ!」

「βの動画だと魔法使いも強そうだったぞ!」

「初日は狩場が混むだろうな。出遅れたらきつそう!」


あちこちから聞こえてくる声に、真白(ましろ)悠斗(ゆうと)は教科書を鞄にしまいながら小さく笑った。


アーク・フロンティア・オンライン、通称、AFO。

最新型のフルダイブVRMMOとして、正式サービス前から大きな話題になっていたゲームだ。

広大なフィールド、高い自由度、生活するNPC、まだ誰も見たことのない街やダンジョン。


宣伝文句はいくつもあった。

けれど、悠斗が一番覚えているのは、それとは少し違う言葉だった。


『この世界には、まだ誰も歩いていない道がある』


その一文を見た時、胸の奥が少しだけ動いた。


強くなりたい、誰よりも早く攻略したい、最強装備を手に入れたい。

そういう気持ちが、まったくないわけではない。

ただ、悠斗が一番惹かれたのは、そこではなかった。


知らない場所を歩いてみたい。

地図にない道を見つけたい。

まだ名前も知らない誰かと出会って、その人が見ている景色を少しだけ知りたい。


そんな遊び方ができるなら、きっと楽しい。


「真白は何で始めるんだ?」


隣の席の男子が、鞄を肩にかけながら聞いてきた。

悠斗は少し考えてから答えた。


「まだ決めてない。」

「マジか!今日からだぞ?」

「うん。だから、ログインしてから見て決めようかなって。」

「外れ職だけは引くなよ。最初の職業で効率変わるらしいし。」

「そうなの?」

「そうそう。剣士、魔法使い、神官あたりは安定っぽい。あと盾士もパーティ需要あるってさ。」

「なるほど。」


もちろん、そういう情報も見てはいた。

攻略サイトの事前予想、β参加者の考察動画、初期職ランキング。

けれど、どれも自分の中では決め手にならなかった。


「まあ、真白なら変なの選びそうだけどな。」

「変なのって?」

「なんか、効率悪いけど妙に気に入ったやつとか…?」

「否定できないかも。」

「自覚あるんだな!」

友人が笑う。悠斗もつられて笑った。


鈍い、と言われることはあまりない。

人の表情や声の調子の変化には、どちらかといえば気づく方だと思う。

ただ、気づいたからといって、すぐに踏み込めるわけではない。

相手が話したそうなら聞く、話したくなさそうなら待つ。

そういう距離の取り方を、悠斗は自然と選ぶことが多かった。


だからだろうか。

AFOの広告に書かれていた「生活するNPC」という言葉にも、妙に惹かれた。

もし本当に、そこに暮らしているような人たちがいるのなら、その人たちは、どんな道を歩き、どんな場所へ帰っていくのだろう。

そんなことを考えながら、悠斗は教室を出た。


家に着くと、いつもより少し早く夕食を済ませた。風呂も先に入った。

宿題は、帰りの電車でほとんど終わらせてある。

準備だけは、妙にきっちりしていた。


部屋に戻った悠斗は、机の上に置いていたVRギアを手に取った。

黒を基調にした、軽量型のヘッドセット。

電源を入れると、スマホに通知が表示された。


『アーク・フロンティア・オンライン 本日正式サービス開始』


その文字を見ただけで、少しだけ心臓が早くなる。


ベッドに横になり、VRギアを装着する。

視界の端に、現在時刻が表示された。

サービス開始から、まだそれほど時間は経っていない。

きっと、今頃たくさんのプレイヤーが同じようにログインしようとしているのだろう。


悠斗は小さく息を吐いた。


「……始めよう。」


視界が暗くなった。

体の感覚が、ゆっくりと遠のいていく。

次の瞬間、目の前に青白い光の文字が浮かび上がった。


『ようこそ、アーク・フロンティア・オンラインへ』


柔らかな女性の声が耳元に響く。


『キャラクター作成を開始します』


真っ白な空間に、悠斗によく似たアバターが表示された。

髪色、目の色、身長、体格。

細かく調整できる項目が、左右に並んでいる。

悠斗は、あまり大きく変えないことにした。

現実の自分から離れすぎると、うまく動けない気がしたからだ。

ただ、せっかくのゲームなので、少しだけ変える。


髪は、白に近い薄灰色。

目は、淡い青灰色。

身長や体格はほとんどそのまま。

表情だけが、現実の自分よりも少し柔らかく見えた。


強そうではない、派手でもない。

けれど、悪くないと思った。


『プレイヤーネームを入力してください』


名前の入力欄が表示される。

悠斗は、そこで少し手を止めた。

本名をそのまま入れるのは、なんとなく気が引ける。かといって、いかにも強そうな名前や、難しい漢字を使った名前にするのも落ち着かない。


真白。

白。


「……ハク、だと短いか。」


小さくつぶやいてから、そこに1文字足す。


『ハクト』


『プレイヤーネーム:ハクト』

『この名前で登録しますか?』


画面の下に、『YES』と『NO』が表示された。

悠斗は、少しだけ息を吸う。そして、『YES』を押した。


『プレイヤーネームを登録しました』


続いて、職業選択画面が開く。

ずらりと並んだ職業名に、悠斗は思わず目を細めた。


『剣士』

『槍使い』

『弓使い』

『盾士』

『盗賊』

『魔法使い』

『神官』

『商人』

『鍛冶師』

『裁縫師』

『錬金術師』

『料理人』

『斥候』

『地図師』

『遺物鑑定士』

『魔物使い』


どれも面白そうだった。

剣士なら、王道の冒険ができる。

魔法使いなら、派手な魔法で戦える。

神官なら、仲間を支えることができる。

商人なら、街から街へ品物を運ぶのも楽しそうだ。

地図師も気になった。知らない土地を記録する職業。

それは、悠斗がAFOに惹かれた理由にかなり近い。


だが、その少し下に、見慣れない職業名があった。


『案内人』


悠斗の指が、そこで止まった。

職業説明が開く。


『案内人』

『道を知り、人を知り、世界を知る者』

『戦闘能力は低いが、土地・人・記録に関わる技能を得る』


「戦闘能力は低い、か。」


普通に考えれば、強い職業ではなさそうだった。

剣士や魔法使いのように、敵を倒す力はない。神官のように、回復でパーティに貢献できるわけでもない。

探索をするにしても、斥候や地図師の方がわかりやすい。

攻略を考えるなら、まず選ばない職業かもしれない。


悠斗は説明文をもう一度読んだ。


『道を知り、人を知り、世界を知る者』


その言葉が、妙に胸に残った。

道を知る、人を知る、世界を知る。

敵を倒す職業ではない、宝を見つける職業でもない、誰よりも早く進む職業でもない。

でも、誰かがどこかへ行きたい時、その道を一緒に探せるかもしれない。

知らない街で迷っている人に、帰り道を教えられるかもしれない。

まだ誰も気づいていない道を、地図に残せるかもしれない。


それは、強さとは違う楽しさだった。


悠斗は少しだけ迷った。

友人に言われた言葉が頭をよぎる。

外れ職だけは引くなよ。

効率を考えるなら、この選択はたぶん正しくない。

けれど、AFOを始めたいと思った理由は、効率ではなかった。


「……これにしよう。」


『職業:《案内人》を選択しますか?』


悠斗は、表示された『YES』を押した。


『職業:《案内人》を登録しました』


その瞬間、アバターの装備が変わった。

軽い旅人の上着、歩きやすそうな革靴、短い杖、小さな鞄。そして、筒に入った白紙の地図。

派手な鎧もない、鋭い剣もない、いかにも強そうな魔法杖もない。

それでも、その姿は思っていたよりもしっくりきた。


『初期スキルを確認します』


目の前に、2つのスキル名が表示された。


『《経路記録》』

『《聞き上手》』


悠斗は、それぞれの説明を軽く確認した。


『《経路記録》』

『一度通った道や、詳しく聞いた道を地図に記録できる』


『《聞き上手》』

『相手が話しやすい距離を保つことで、会話による信頼が上がりやすくなる』


戦闘向きのスキルは、ひとつもない。

攻撃力を上げるものも、防御するものも、回復するものもない。

けれど悠斗は、なぜか嫌ではなかった。

むしろ、この2つなら自分にも使えそうだと思った。


『キャラクター作成が完了しました』

『初期地点を選択してください』


いくつかの街の名前が表示される。

それぞれに短い説明がついていた。


『グランベル:王都に近い大規模初期街』

『ノルテア:北方の森に面した狩猟街』

『サンルクス:鉱山と鍛冶で栄える街』

『リーヴェル:赤い屋根と水路の交易街』


悠斗は、最後の説明で手を止めた。

赤い屋根と水路の街。

なんとなく、歩いてみたいと思った。


『初期地点:リーヴェル』

『この地点から開始しますか?』


「うん。」


悠斗は『YES』を押した。

周囲の光が強くなる。


『ようこそ、アーク・フロンティア・オンラインへ』


視界が、白く染まった。


次に目を開けた時、そこには赤い屋根の街が広がっていた。

白い石畳、中央広場の噴水、遠くで鳴る鐘の音、通りを歩く人々の声。

そして、どこかから漂ってくる焼きたてのパンの匂い。


ハクトは、しばらくその場に立ち尽くした。

空は青く、雲はゆっくり流れている。

噴水の水面には光が跳ねていた。

石畳の隙間には、小さな草が生えている。

市場通りの方からは、店を開ける音が聞こえた。

誰かが笑い、誰かが荷車を押し、誰かが朝の挨拶を交わしている。

それらすべてが、ただの背景には見えなかった。


周りでは、他のプレイヤーたちが次々に走り出していた。


「東門どっち?」

「まずギルド行こうぜ!」

「狩場が混む前に出るぞ!」

「初期クエ、どこで受けるんだ?」

「剣士と神官、誰かパーティ組まない?」


誰もが急いでいた。

攻略、レベル上げ、初期クエスト、効率。

たぶん、それもAFOの正しい遊び方なのだろう。

けれどハクトは、すぐには動けなかった。


噴水の水音がした。

通りの先に、赤い屋根のパン屋らしい店が見えた。

路地の奥を、子どもが1人走っていった。

衛兵が、東門の方へ向かうプレイヤーたちを少し困った顔で見ている。


どの道も、どの建物も、まだ名前を知らない。

どこへ続いているのかも知らない。

だからこそ、面白そうだった。


ハクトは、腰の鞄から筒を取り出した。

中に入っていたのは、白紙の地図だった。

広げてみる。

そこにはまだ、何も描かれていない。

真っ白な地図。


この街の道も。

この街で出会う人の名前も。

これから自分が歩く場所も。

まだ、何も知らない。


ハクトは地図をそっと丸め直し、赤い屋根の街を見上げた。

急ぐ必要はない。

まずは、この街を歩いてみよう。

そう思った瞬間、胸の奥が静かに高鳴った。


ここから、自分の地図が始まるのだと思った。

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