魔王がクラスメイトにウンタラカンタラ(リメイク版)11話目
「さて……」
僕は森の静寂の中に立ち、意識を深く沈める。
肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、脳内の「回路」を爆発的に繋いだ。
次の瞬間、全身から溢れ出した白い粒子が、物理法則を無視した勢いで収束する。
具現化した『ヒトガタ』が、大砲の弾丸のごとき速度で前方へ射出された。
『慣れて…きた……』
低く、空気を震わせるようなヒトガタの声。
その質量を伴った残像は、速度を一切殺すことなく密生した木々を突き進む。
鋭い爪の一振りが、大人が数人がかりで抱えるような大樹を、まるであらかじめ切り込みが入っていたかのように、滑らかに、そして無慈悲に切断していった。
「……よし。出力の安定、指向性の固定。使い方はだいたい掴めてきたな」
九条と獅堂との遭遇から、数日が経過した。
嵐の前の静けさ、というやつだろうか。
あの日以来、あの二人組は音沙汰もなく、警察がこの山を包囲するような気配もない。
もっとも、情報源が遮断されたこの状況では、単に僕が「知らないだけ」の可能性も高いが。
僕は軽く肩を回して体をほぐすと、傍らで虚無を見つめているヒトガタに歩み寄る。その巨大な背に乗り、「相川の診療所まで走れ。最短ルートだ」と短く命じた。
ヒトガタは返事の代わりに、再び閃光のごとき速度で地を蹴った。
(……相川の実験室にあった薬品を使えば、今の僕ならもっとマシな『防衛手段』が作れるはずだ)
低木を飛び越え、視界が加速していく中で、僕は姿勢を低く保ちながらここ数日の「収穫」を整理していた。
まずは1つ目、具現化のコストダウン。
物を生成する際の体力消費が、以前より劇的に改善された。
当初はスプーン一本出すだけで息が切れていたが、今では大型のナイフや工具を数個出しても、少しジョギングをした程度の疲労で済む。
「筋肉」と同じで、使えば使うほどリソースの効率が上がるらしい。
2つ目、複雑な物は作れない。
複雑な構造を持つ物――特に機械類は、内部構造を完全に理解していないと「ただの金属の塊」になる。
食べ物も同様だ。
栄養素、水分、タンパク質の分子構造……それらを一から構築するのは、今の僕には脳の処理速度が追いつかない。
3つ目、自己修復の会得。
魁が見せた「傷を治す力」。
あれは欠損した部位の細胞を「具現化」で埋める応用技だ。
理屈は分かったが、これには膨大な体力が必要だ。命に関わる致命傷を塞ぐには、さらなる精度の向上が不可欠だろう。
「着いたか。お疲れ、少し休んでろ」
診療所の前に到着すると、僕はヒトガタから降り、その実体を霧散させた。
そして再び、薄暗い診療所の中へ入り、片手から懐中電灯を作り、薬品が山のように積み上げられた部屋まで向かう。
「さて……。九条とかいうあの男、底が見えない。僕のヒトガタの一撃を無造作に防いだあの防御、あれを物理的に抜こうとするのは得策じゃないな」
僕は作業台の埃を払い、棚に並ぶ遮光瓶を品定めするように眺める。
「物理がダメなら、化学だ。触れた瞬間に相手を無力化する、極めて攻撃的な『毒』を用意しよう」
僕は何も無い作業台の上に手をかざした。
「まずは実験器具だ。……ボロシリケートで行こう。膨張係数 3.3 \times 10^{-6} / \text{K}、耐熱・耐薬品性はこれ以上ない。僕のイメージを固めて……出ろ」
ズズッ、と光の粒子が形を成し、新品同様のビーカー、試験管、そして冷却用のジャケット付きフラスコが台の上に並ぶ。
かつての僕ならこれだけで気絶していただろうが、今は呼吸一つ乱れない。
「さあ、始めよう。まずは基本の……いや、もっと攻撃的なやつだ。濃硫酸、それに濃硝酸……。棚の奥に『五酸化二リン』もあるな。最高だ、相川。こんな物騒なもんかき集めてるから関わりたくは無いが、揃えているものは一流だ」
僕はまず、魁の家からこっそり持ってきた氷をボウルに張り、フラスコを浸す。
「濃硫酸と濃硝酸を三対一の比率で混合。……混酸の生成だ。激しい発熱反応だが、九条たちとの戦闘を考えればこれでもまだぬるい。そこにこの五酸化二リンを少量ずつ加えて、硫酸の脱水作用を限界まで引き上げる」
僕は慎重に薬品を滴下しながら、独り言をこぼす。
僕のクセである。
「九条の能力は不明だが、あの余裕の表情を見るに、弾丸や爪といった『点』の攻撃には慣れている。だが、この液体はどうかな? 触れた瞬間にタンパク質を炭化させ、呼吸器を焼き潰す。……これこそが、僕のような『持たざる者』の知恵だ」
数十分の作業の後、フラスコの中には、わずかに黄色みがかった、しかし死の気配を纏った濃密な液体が完成した。
「仕上げだ。この劇薬を持ち運ぶための容器が必要だな」
僕は再び手をかざし、手のひらから粒子を出す。
今度はただのガラスではない。
「外層は頑丈な強化ガラス、内層はフッ素樹脂に近い超耐食性を持つ特殊な結晶構造でコーティングする。二重構造の特製ガラス水筒だ。これならこの『特製カクテル』も暴れはしない」
僕は慎重に液体を水筒へと移し替えた。
ずっしりとした重みが、手に伝わる。
「……できた。王水すら超える腐食性を秘めた、僕だけの武装。名前をつけるなら……『侵食する白夜』といったところか」
蓋をしっかりと閉め、僕は暗い部屋の中で一人、冷たく微笑んだ。
「……いや、ちょっとカッコつけ過ぎたな…。やっぱ無し。ただの超劇薬だ。忘れよう」
僕は赤面しながらその水筒をポケットに軽く仕舞った。
◇
『スン……スンスン……。ああ、間違いねぇ。居るなこりゃ』
湿った森の空気の中、鼻腔を鳴らす音が響く。
そこには、無造作に打ち捨てられた青いクッションに鼻先を突き立て、『匂い』とは異なる何かを嗅ぎ分けている影があった。
直立した獣の四肢。
剥き出しになった鋭い牙。
そして、闇の中でも異様に発達した長い鼻。
月夜に現れる御伽話の「人狼」を、より悍ましく、より実戦的に仕立て上げたようなその姿は、周囲の木々に溶け込みながらも圧倒的な捕食者の気配を放っている。
『――濃い『魔力』の匂いがプンプンするぜ。まだ、そう遠くへは行ってねぇ』
『ナァナァ、それまだ使えるかな? オレ、自分の部屋にそういうクッション欲しかったんだよ〜。何だっけ? 『ヨグボー』だっけ? 人をダメにするヤツ』
ガチャリ、と無機質な機械音が沈黙を破る。
茶色のロングコートを羽織り、カウボーイハットの影から金属的な光を覗かせるソレは、まるで蒸気機関で動く等身大の精密人形だった。
下顎だけがギチギチとスライドし、場違いなほど軽薄な声を漏らす。
『えぇ〜、私も欲しいんだけど。ていうか、ヨグボーと『人をダメにするソファ』って同じやつだっけ? なんか形違くない? 偽物掴まされたらぶん殴ってやる』
同じように真鍮の軋み声を上げながら、バイクのヘッドライトのような単眼を明滅させたのは、二輪車が無理やり人間の形に変形したような異形だ。
彼らはもはや、この世界の生態系には属していない。
知性を宿した獣。
意志を持った機械。
そして、その内側に潜むのは、かつて別の世界で「生物」として生きていた魂。
『……ま、クッションなんてどうでもいいだろ。今は『仕事』だ』
人狼がクッションから顔を上げ、森の奥――優が潜む診療所の方角を睨み据える。
彼らは、こう呼ばれている。
『転生者』……と。




