バイアス
雨上がりの湿った風が、ビルの隙間を撫でていた。
「三崎さん。お忙しいところ、ありがとうございます」
そう言って俺を迎えたのは、グレーのスーツに白いワイシャツ、青いネクタイ、疲れを隠しきれていない目をした白石さんだった。
「いや、別に。バイトの帰りだし」
俺は椅子に座り、鞄をテーブルに置いた。
先日も呼び出された、駅近くの雑居ビルの会議室。都市安全対策課・特別相談室に、俺は今日も白石さんに会いに来た。
鞄からスマホを取り出し、これもテーブルに置く。画面をタップして、ロック画面からメモアプリへと移動する。
「話したいことメモして整理してきたんで、ちょっとスマホ見させてもらいます」
「構いません」
白石さんはちらっと俺のスマホの画面を見たのち、早くも資料を広げた。
「早速ですが、詳しくお聞かせいただけますか。『迷路』の異変と『反転』の異変と、あと三崎さんが想定する異変の構造の件と……」
そこまで言ってから、白石さんは頭を抱えた。
「初めてお会いしたのが約1か月前。それから今日までの間に二度も異変に遭遇し、いずれも無事に帰ってきているなんて……なんなんですかあなたは……」
「俺だって意味分かんないですよ。異変に遭わなくていいなら遭いたくないっす」
俺は背もたれに体を預け、そして白石さんにここ最近の異変の詳細を話した。
すでにメールで伝えていた内容をもう少し詳細に、かつ、白石さんからの質問にも答えながら、情報を共有していく。
白石さんは相変わらず堅物で、余計な雑談は挟まず、淡々とメモを取り続けていた。
「なるほど。反転しているが文字として読めてしまう、しかし正確ではない、反転したデジタル時計が異変の起点となっていた可能性がある、と」
「どういうことなのかは分かんないですけど、そうっぽいです。なんか、あれみたいですよね。システムエンジニアがプログラムを書き換えたら部分的に矛盾が出て、エラー吐いて、そこだけぶっ壊れた、みたいな」
俺のテキトーな例え話も、白石さんは大真面目にメモを取った。
「ふむ。三崎さんは、異変の起こるこの社会の構造を、プログラムされたデータのように捉えている、と」
「例えですよ、例え」
この人はちょっと、面倒くさい。
「白石さん、遮らずに話を聞いてはくれるけど、俺が嘘ついてるかもって思いながら聞いてるんですよね。こういうのもテキトーに聞き流せばいいのに」
俺が不貞腐れると、白石さんはちらっとだけ目を上げた。
「先日の三崎さんに伺ったお話は、裏取りしました」
「裏取り」
「はい。お勤め先のコンビニの防犯カメラや、駅のホームのカメラを確認させていただきました。コンビニのカメラは三崎さんの証言と一致する時間に映像が乱れ、映像が飛んでおりました。駅のホームの方は、同じく三崎さんの証言のとおりの時間に、ホームに突如出現した三崎さんの姿が映っていました」
どうやら白石さんは、自称・異変体験者の体験談が事実であるか、客観的な裏付けを取っているらしい。
「三崎さんのご説明は……異変に遭遇する回数が桁違いで、信じ難い話ではありましたが、信憑性が高いと判断しました」
「信じてくれてるんですね」
「信じ難くはありますが」
現実主義な白石さんは、嘘みたいな話を信じるしかない状況に立たされ、顔に苦悩が滲み出していた。
俺は仕切り直して、工場の反転の件に戻った。
「じゃ、信じてもらってる前提で続けますけど。先程話した『反転』の異変は、2回目でして」
「2回目?」
「そうなんです、異変がダブったの初めてなんですけど、これ一度経験した異変だったんです」
白石さんが少しだけ眉を寄せた。
「興味深いですね。異変に再現性がある可能性が示唆されます」
「俺もそう思って、脱出の方法も同じなのかなと考えて階段から落ちたんですけど、戻れませんでした。たまたま同じパターンの異変が起こったとしても、同じ破り方が通用するわけじゃないみたいです」
「なるほど、それはまた興味深い……」
頷きながらメモを取り、白石さんはぴたっと手を止めた。
「……落ちたんですか?」
「はい。わざと」
白石は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに無表情に戻った。
「危険な行為は控えてください。大怪我をしても、異変の中には救急車は来ないんですよ」
「う……すみません。でも再現性を確かめて、白石さんに報告しようと思って」
俺は肘のアザをさすりながら、しゅんと下を向いた。白石さんが俺を睨む。
「私の責任にしないでください。そんな言い方をされたら、今後あなたの身になにかあった場合私は自責の念に駆られます。そもそも無事に戻ってこられなかったら、報告だってできないんですよ」
表情が乏しいけれど、かなり怒っている。俺はこれ以上は言い返すのはやめて、大人しく「すみません」とだけ繰り返した。
白石さんがようやく説教をやめる。
「今回はひとまず、三崎さんが無事に戻れたことがなによりです。危険な真似はやめてほしいとは申しましたが、そうして三崎さんが検証して得てきたこの情報は、非常に貴重です。こんなに情報を持ち帰ってくる人は、他にいませんから」
「そうなんですか。でも白石さんって異変に遭った人をアンケートで集めて、こうして面談してるんですよね?」
それなら、俺みたいな奴が複数人いるということだと思うのだが。白石さんは首を横に振った。
「いえ。先日も申し上げたとおり、異変経験者の方々は『思い出したくない』『どうやって帰ってきたか覚えていない』と回答する人ばかりです。強い不安感を覚えた方の半数ほどは、異変が確認されていない23区外へ引っ越すなどして異変から逃げて身を守っています」
彼はペンを指に挟み、ちらっと俺を見た。
「都内に残っている方でも、通常、異変に遭った回数は1回、多くて2回です」
「えっ、じゃあこんなに何回も遭遇してる俺は外れ値?」
「ですから、貴重だと申し上げているではないですか」
白石さんが息をつく。俺は椅子にもたれながら、ふうんと鼻を鳴らした。
「そうか。なんで俺はこんなに異変に遭いやすいんだろう」
と、白石さんはペンを置き、少しだけ考えるように視線を落とした。
「生存性バイアスかと」
そう前置きして、彼は淡々と説明を始めた。
「データを集めるため、我々は異変経験者の方に、その後もなにかあれば連絡するようにと連絡先を渡しています。しかし、一度接触した方のうち数名、連絡がつかなくなっています」
「ん……」
ぞくっと、背すじが寒くなった。白石さんの声が沈む。
「一度異変に遭っても運良く帰ってきた人が、二度目の異変でも無事に帰れるとは、限らない」
俺は息を呑んだ。白石さんはひとつまばたきをして、言った。
「つまり、何度異変に見舞われても戻ってくる人 は……滅多にいないのです」
遭う回数が増える前に、消えてしまう。
俺は何度遭っても生還している。だから、結果として遭遇回数が増えている、と。
「生存性バイアスって、そういう意味か」
「はい。生き残っているからこそ、そのデータが残っているということです」
運が良いのか、呪われてるのか。俺は自分が今ここにいるのが奇跡なのだと、実感させられた。
「連絡がつかなくなった人たちのこと、役所は捜さないんですか?」
「我々には捜査権がない」
白石さんが歯痒そうに、ぴくりと指を動かした。
「警察も、仮に捜索願を出されたとしても、失踪者が健康な成人であれば捜さないんです。事件性があって捜されているケースもありますが、未解決です」
異変に消えた人物は、現実世界でどれだけ捜したって、見つからない。白石さんがつけ足す。
「そもそも、異変に遭遇した方は単身者が多くて、捜索願を出す人がいない方も……」
異変に遭遇する人は、特定の人と強い繋がりを持たない単身者が多い。と、以前、白石さんが話していた。いなくなったとしても、気にしている人がいなければ、捜されない。
俺はなにか言おうとして、なにも言えなかった。異変に慣れてきてしまっている俺でも、いつかは太刀打ちできない異変に遭遇するかもしれない。もしも俺が異変の中で白旗を上げ、戻ってこられなくなったら。
定職につかずのらりくらりと暮らす俺がいなくなったとして、誰か気づいてくれるだろうか。捜索願を出す人なんて、いるだろうか。
俺が考えていることが透けて見えたのだろう、白石さんが言った。
「三崎さんも、たしかご家族は遠方でしたね」
「はい。ひとり暮らしです」
「そうでしたか」
彼は眼鏡の奥で目を伏せた。
「単身の方で、『異変に怯えて家から一歩も出られなくなった』と話していた方が、連絡を取れなくなったケースも、1件だけありました」
「家から出てないのに、行方不明になったってことですか」
「もしかしたら出られたのかもしれませんが、確認できないので、なんとも。ただ、居住空間が異変に呑まれてしまう可能性も、なくはないです」
彼の言うとおりだ。今のところはバイト先や電車の中、学校などの外出先で異変に遭っているが、どこでなにがトリガーになって発生するか分からない以上、自分の家だって例外ではないのだ。
異変に取り残されるかもしれない。捜されないかもしれない。でもそれが怖くて家に引きこもっていても、家で異変が起こるかもしれない。
この東京23区にいる限りは、逃げ場なんて、ない。
「23区の外では、今のところ異変は確認されてないんですよね。引っ越して逃げてる人もいるんだもんな。俺もそうしようかな」
テーブルの一点を見つめる俺に、白石さんは続けた。
「不安を煽るようなことを言って申し訳ございません。ですが三崎さんでしたら、仮にご自宅で異変が起こっても突破できそうじゃないですか」
「それができなかったらどうしようって、不安になってるんすけどね」
「貴重なデータの源である三崎さんに、引っ越されてしまうと……いや、それはこちらの事情です。三崎さんが異変に心身を削られてしまうくらいなら、ご実家に戻るのも手かもしれません」
白石さんは妙に正直者で、言い草に引っかかるときもあるが、別に悪い人ではないのだろうとも思う。
俺はテーブルの上で腕を組んだ。
「23区内でしか観測されてないっていうのも、なんか不思議ですよね。なんでそうなのか、役所の方では見解出てます?」
「いえ、さっぱり。逆に三崎さんは、どのように考えていらっしゃいますか?」
質問に質問で返され、俺は虚空を仰いだ。
「うーん、情報過多でバグってる、とかですかね?」
あまり深く考えず、俺は感覚で語った。
「東京23区って、この国の政治と経済と金融の中心地じゃないすか。狭いのに、人と情報が詰まりすぎてるんですよ。だから、どこかでバグるんです」
「ほう」
白石さんが相槌を打つ。俺は白い天井に視線を漂わせていた。
「そんで異変に遭う人って、白石さんみたいに地に足をつけてる人じゃなくて、俺みたいな、ぷらぷら生きてる人ばかりなんじゃないすか」
多分、そうだ。そういう奴ばかりが、異変に持っていかれる。
「都会の人の多さの中に埋もれてる、関心を持たれない、消えても分からないような生き方をしてると、都市のバグ……異変に、足元を掬われるんじゃないかな。と、思う。分かんないですけど」
なんの根拠もないが、俺自身がそうだから、他の人もそうだったのではないか。その程度の想像である。
白石さんはこんな戯言も真面目にメモをした。
「非科学的だが、妙に説得力がある」
「そうですか?」
「異変の実態は依然として不明。しかし、三崎さんは異変の構造を理解している可能性があるので、あなたのそういった発想は記録として残しておきたいです」
「テキトーに言ってるだけですよ」
責任を持つつもりもない発言を丁寧に扱われると、調子が狂う。白石さんはメモを書き留めると、改めて顔を上げた。
「他に報告はございませんか。なければ、本日はこれで面談は終了とします」
「全部話しました。またなんかあったらメールします」
「お疲れ様でした」
事務的なやり取りを終えて、椅子から立ち上がる。白石さんは丁重に扉を開けて俺を廊下へ誘導し、それから俺を引き止めた。
「これは個人的な興味なのですが」
「うわ、雑談しない白石さんの個人的な興味、珍しい。怖いな」
びくっとした俺に、白石さんは顔色ひとつ変えずに続けた。
「三崎さん、猫を飼っていらっしゃいますか?」
「へ? 猫?」
「覗くつもりはありませんでしたが、スマホのロック画面が見えてしまいまして」
テーブルにスマホを置いたとき、白石さんの位置からでも画面が見えたのだろう。俺はああ、とスマホを掲げた。
「実家の猫ですよ」
「そうでしたか。すみません、深い意味はないのですが、猫が好きなもので。猫さんのお名前を伺ってもよろしいですか」
堅物な白石さんの、ちょっと違う側面を見た。俺は困惑のような、ほっこりなような、なんとも言えない気分で、ロック画面の猫の写真と白石さんとを見比べた。




