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異変1『固定』

 深夜2時のコンビニは、いつも変わり映えしない。冷蔵庫のモーター音が一定のリズムで鳴って、外の国道を走る車の音が、たまに遠くをかすめる。


 俺はレジ横のホットスナックの補充をしながら、「今日も暇だな」とぼんやり思っていた。敢えていつもと違うところを挙げるとすれば、湿気が多いくらいだろうか。雨上がりの匂いが、自動ドアの隙間からじわっと入り込んでくる。


 俺、三崎裕人は、ここの深夜バイトを仕事のひとつにしているフリーターである。

 大学卒業後、定職につかずにぷらぷらして生きている。この摩天楼の大都会、東京ではこんな生き方も間違いではない。常になにかしら、俺にも滑り込める仕事がある。


 店は深夜であっても店員がふたり以上は配置されるが、今は2時までの先輩が退勤して、2時からの人が遅れていて、俺ひとりになってしまっている。とはいえ、昼に比べれば客が少ないから、ひとりでもどうにかなっている。

 ちらとカウンターに目をやる。少し前に来た客が宅配の荷物を預けに来て、そのときに貸したボールペンが、カウンターに置きっぱなしだった。俺はその私物のボールペンを、ユニフォームの胸ポケットに戻す。

 自動ドアが開いた。しかし誰もいない。風もない。センサーの誤作動にしては、開き方が妙にゆっくりだった。


「らっしゃーせ」


 とりあえず挨拶だけしておいたが、ひとり言になった。

 店内の蛍光灯が、やけに白く光っている。俺は補充したホットスナックの保温什器の扉を閉めようとして、くっと、手に力を入れた。

 閉まらない。どこか引っかかっているのだろうか。扉周りを覗き込んでみたが、どこにも問題はない。しかし什器の扉はびくともしない。

 なにかが、変だ。俺は什器を閉めるのは一旦諦め、スナックが入っていた空袋のゴミを捨てようとした。しかしゴミ箱が開かない。レジを開けようとした。ここも動かない。


「は?」


 店内の空気が止まっている。冷蔵庫の音がしない。揚げ物の保温機のファンも止まっている。

 カウンターを出ようとしたが、カウンター内外を隔てている扉も開かない。俺は客がいないのをいいことに、カウンターに手をついて扉を跨いで飛び越えた。

 商品棚の弁当の日切れの検品をしようにも、弁当を持ち上げられなかった。どれも棚にくっついて、手に取れない。袋菓子も、雑誌も、触れてみたが持てなかった。棚に張り付いている、いや、まるでそこに描かれた絵みたいに、一定の場所に固まっているのだ。


「なんだそりゃ」


 俺の呟きが、異様な店内に溶けた。

 商品も備品もなにもかもが、固定されている。なにがきっかけかは分からない。そしてどうしてか、俺だけは自由に動けている。


「他に動かせるもの、ないのかな」


 ひととおり触って確かめてみる。店の中の商品、什器の扉、コピー機、ハタキや箒などの小物、目に留まるもの全てを確認してみたが、いずれも動かせなかった。

 固定されていないのは、俺だけである。


 時折、この街ではこういった『異変』が起こる。


 20xx年9月、行政がまとめた「異変に関する都民アンケート報告書」によると、「異変に遭遇したことがある」と回答した都民は全体の8.7パーセント、遭遇率は1割未満。

 年齢・性別・職業に偏りなし。遭遇者の多くは「深夜帯」「移動中」「ひとりの時」に発生したと回答。

 まっすぐのはずの道路が歪んで伸びたり縮んだりした例、無人のビルが突然消滅して次の日に平然と戻った例など、異変の種類は様々である。

 この理由も原理も説明できない現象は、誰が言い出したのか『異変』という呼び名で定着した。


 俺自身もこういうのは初めてではない。ここ半年くらいの間だけで、5、6回はあった。


「なにも動かせないのは……困るな」


 この店は今、全てが固定されている。例えるなら、絵だ。物の形をした静止画だ。

 自動ドアも、スタッフ用の通用口も、全部が絵になっている。つまり、俺はこの店から出られない。


「客が来ないのは楽でいいけど、閉じ込められてると帰れない」


 シフトが被っているのに遅刻している同僚も、これでは入ってこられない。ああでも、時計が止まっているせいで時間が分からない。もしかして時も止まっているのだろうか。

 俺はペンを持ったまま、固定された店内をゆっくり歩きはじめた。店内の全てが動かないが、俺は動ける。俺が身に纏う衣服は「俺」にカウントされているらしく、俺自身同様に動いている。

 俺は頭の中で状況を整理していく。固定されている物と、固定されていない物の違いは、最優先で見極めたほうが良さそうである。


「じゃあこれはどうだ」


 興味本位で、ユニフォームの名札を外し、カウンターに置いてみた。ぱちん、とプラスチックが軽い音を立てる。手を離して、数秒待つ。体から離れたら、これも固定されるのだろうか。

 空気は動かない。店内の全てが沈黙している。俺は名札を指先でつまみ上げた。試しに外したそれは、問題なくもう一度拾い上げることができた。固定されていない。


「なるほどね」


 どうやら、異変が発生した瞬間に身につけていたものだけは、固定の対象外らしい。

 俺自身と、俺が持っていたもの。それ以外は全部、絵みたいに固まっている。つまり、動くものは俺の世界に属していて、動かないものは異変側に呑まれている。と、考えられそうだ。


 名札を胸に戻しながら、俺は店内をゆっくり見渡した。俺と異変の境界は、どこにある? そこを見つければ、どうにかなる気がする。

 胸ポケットのペンは、俺の装備品扱いのようで、これは手に持って動かせる。俺はポケットからペンを取り出して、目の前の棚をなぞった。


 固定されていないものは、『固定の異変』が発生した瞬間に俺が触れていたものだ。異変が発生した瞬間は、どのタイミングだった?

 それっぽいのは、自動ドアが勝手に開いたときだろう。あのとき、なにかが切り替わった。


「俺、なにしてたっけかな」


 自動ドアが勝手に開いた、あのタイミング。あれが『固定』の発生点だとしたら、そのとき俺は。

 ああそうだ、ホットスナックの補充をしていた。トングを持って、ケースの中の唐揚げを並べていたのだ。

 改めて、ホットスナックの保温什器を覗き込む。扉は開いたまま固定されているが、俺がトングで掴んでいた唐揚げだけは、動いた。他の唐揚げは動かない。中途半端にこのカップだけ、通常の軸に残されている。


 自動ドアが開いたあの瞬間、俺が立っていた場所を中心に、異変と現実の境界ができた。だから、俺と、俺が触っていた物だけが生きている。


「じゃあ、その辺りにヒントがあるのか?」


 ペン先で棚や壁を軽く叩きながら、周辺を探っていく。固定された空間は、どこもかしこも紙みたいな感触だ。

 と、ホットスナックの保温什器の開きっぱなしの扉の前で、ペン先が、空中でコツッとなにかに当たった。


「ん?」


 なにもないはずの空間で、ペン先だけが紙に触れたような抵抗を感じる。その薄い手応えの一点に、もう一度ペンを突き立ててみる。パスッと、音がした。目に見えない紙が、そこに浮かんでいるかのようだ。


「ここか」


 俺は息を整えて、ペン先で空中を引っ掻いた。勢いよく振りかぶると、ビリッと、空気が破れた感触が手に伝わった。冷蔵庫のモーター音が、かすかに漏れてくる。


「見つけた」


 目に見えない破れ目にペンを押し込み、下に振り下ろしていく。ビリビリと、裂けていく手応えがあった。

 指先が現実の空気に触れる。その温度の違いで、

俺は確信した。ここが出口だ。


 次の瞬間、背後から声がした。


「三崎、わりーわりー! うっかり寝過ごして遅刻した」


 従業員用の控室から、同僚が姿を現した。ペンを突き出していた俺は、彼を振り返り、何事もなかったかのようにペンを胸ポケットに戻した。


「オーナーに言いつけてやる」


「5分の遅刻くらい大目に見てくれよ」


 ホットスナックの什器の扉は、パタンと簡単に閉まった。

 世界が息を吹き返した。冷蔵庫の低い唸りが戻る。揚げ物の保温機のファンが回り始める。蛍光灯がわずかにチカッと瞬く。

 さっきまであたかも絵だった商品棚が、ちゃんと物体の質感を取り戻している。自動ドアが、ウィーンと開いた。酒臭いサラリーマンがふらふらと入店してくる。外の湿った夜風が流れ込んできて、俺の頬を撫でた。

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