第五話
「最後に言う。主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身につけなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(新約聖書エフェソ信徒への手紙 六章十節から十二節より引用)。
琴羽はホテルでの仕事の業務中、この聖書の御言葉ばかり考えていた。
支配人の斉藤は相変わらずイライラとし、琴羽や伊織に八つ当たり。
客も爪切り貸せ、ハサミ貸せ、アメニティの種類増やせと過剰要求中だったが、今日は土曜日で、人手不足のカウンター業務は、琴羽も夜勤になってしまった。
斉藤から罵倒を受けるたび、客からの過剰要求をされる度にイライラとしたものだが、決して顔には出さず、この御言葉を頭の中で唱え続けた。そう、悪いのは人ではなく、その背後にいる悪魔や悪霊なのだと。
ちなみに斉藤の背後にいる悪魔な悪霊はあの時、縛っていた為、パワハラ三昧やられても、さほどダメージは受けなかった。伊織もあの時のように泣いてはいなかったが、深夜近くに斉藤が退勤すると、二人とも笑顔になるぐらいだ。
「やった、斉藤さん、退勤した! それに休憩時間になったから、事務所の方に行っていい?」
「ええ、伊織さん」
「早乙女さん、ありがとう。一時間だけワンオペになってしまうけど、深夜帯になったら、お客様もそう来ないから」
こうして伊織と別れ、ワンオペとしてカウンターに立つ。
確かに客は来ない。が、そうなるとあの幻の女性を特定できるか謎だ。一応翠にも幻の女性を探すように指示していたが、今のところ、発見には至っていない。
カウンターのパソコンからここ一週間の予約リストを眺めるが、男性の一人客が多い。おそらくビジネス目的の客が多いのだろう。他、外国人も多く、女性客の割合はさほど多くもない。
その時、ホテルの客室から内線がきた。十階の部屋に泊まる藤倉という客からだった。琴羽がチェックインを請け負った客だ。記憶がある。八十近いヨボヨボの爺さんで、妙に馴れ馴れしく、ビジネスで泊まりに来たと勝手に話していた。
「藤倉さま、どうされました?」
「何か部屋で変な音がするんだよ! ギャーっていう女の悲鳴も聞こえるし、部屋にいると死にたくなる。エアコンもつかない。どういう事だ?」
藤倉の震えた声を聞きながら、これは霊的現象だとピンときた。
「金縛はあります?」
「あるよ! 寝ようとすると、身体がロープでグルグル巻きにされているみたいだ!」
これは確実にエクソシスト案件だ。翠にも連絡し、藤倉の部屋に向かう。本当は客室へ入るのは禁止だ。しかし、マニュアルにはエクソシストするななんて書いていない。
「琴羽さん、俺も客室入っていいわけ?」
「厳密にはダメだけど、仕方ない。応急処置だよ」
意外と翠はホテルのルールに気をつけていたが、この場合はエクソシストの方が重要だと考えた。
案の定、藤倉の部屋に入ると、彼はベッドの上で倒れていた。意識はないが、脈はある。顔色自体はいい。ひとまず、翠と二人で祈り、エクソシストを始めた。
悪霊は姦淫系だったらしい。姿を表すと、まずは翠に攻撃していた。
『翠ちゃーん。一緒に楽しい事しようよぉ!』
悪霊は昔の娼婦のような格好だった。おそらく昔、ここで客が娼婦を呼んだのだろう。その記憶を丸パクリした悪霊が、今悪さをしているのだろう。
「翠、単なる姦淫系の悪霊! 雑魚だよ! 御言葉で反抗して!」
「おお!」
といっても、似たような姦淫系の悪霊は翠も何度か払っている。いつものように御言葉で攻撃、イエス・キリストの御名で出ていく場所も命令し追い出した。
「翠、油断はダメ。この場所を神様に捧げる祈りをしよう」
「おお、そうだな!」
この時点で二人とも汗だく。深夜まで仕事中だったのか、翠もスーツ姿だったが、熱いらしく、ネクタイを外しているぐらいだった。
こうしてこの部屋を清めた。本当はもっと丁寧に祈りと賛美を積み上げたいが、応急処置だ。部屋にいる悪霊を追い出し、場所清めの祈りをした時、藤倉の意識が戻った。まさに憑き物が取れたように、すっきりとした表情だった。
「あれ? ホテルのお姉さん、なんかやったか? 俺、身体が軽い。変な音も聞こえない」
翠がエアコンのスイッチを押すと、問題なく作動していた。狭いビジネスホテルの部屋だったが、エアコンから爽やかな風が吹く。
「ええ、問題ないです」
琴羽は笑顔で頷き、藤倉も眠りについていた。
エクソシスト終了後、翠とともに部屋を出るが、十階の他の部屋からはまだまだ悪霊の匂いが漂う。
「琴羽さん、俺の部屋もエクソシストしてくれないかな?」
「翠は自分でできるでしょ?」
「そうだけど〜」
翠は口を尖らせ、ブーブー文句を言う。その後、夜勤に入った琴羽は、似たような霊現象をエクソシストし続けた。
少しは土地に残された情報が清められてはいたが、まだ幻の女性の正体は掴めず、今度は伊織にバレた。
「早乙女さん、一体何しているの? え、キリスト教風のおまじない? エクソシスト!?」
これには琴羽も言い逃れができなかった。




