第四話
時給千二百円。コンビニのバイトと同額か下回るぐらいだったが、あまりにも多忙だった。
派遣の仕事の後、夜から深夜までの三時間のシフトで入ったわけだが、初日から放置。
「早乙女さん、あんた昼間は経理の仕事しているんだろ。見て覚えてくれ」
支配人の斉藤からそう言われて、マニュアルもなく、カウンター業務が開始された。
制服は案外かわいい。昔のキャビンアテンダントのようなレトロなデザインで、オフィスカジュアル系スーツっぽく無いのは、琴羽はテンションがあがったが、本当に一瞬の事だった。
夜から深夜にかけても宿泊客がひっきりなしに押し寄せる。しかも会計も全員が予約通りに支払わない。駐車場や朝食、その他様々なオプションもつけられ、そのたびに手入力で金額を訂正し、支払って貰う。
カードキーもその場で作成し、部屋番号まで手書きでカードケースに入れる。
その上、ホテルの使い方マニュアルのインフォメーションも読み上げる。
他にも備品をくれ、周辺の美味しいラーメン屋教えろ、タクシー呼べ、ヤマト発送しろ、カードキー作り直せなどなど様々な注文がつけられ、休憩する暇もない。なぜか宿泊もしていない外国人がやってきて、爪切りを貸せ、周辺のケータイショップを教えろ、日本で運転免許も取らせろ等過剰要求もあり、コンビニでバイトした過去がある琴羽も「この仕事、効率もコスパ悪すぎないか?」と首を傾げるほどだった。
当然、一緒にカウンターに立つ社員も疲弊しており、指導も厳しすぎるor手抜き。社員によって支持の方法もまちまち、マニュアルもなく、初日から琴羽は疲弊していた。ホテルのロビーは、確かに綺麗だ。クラシック音楽も流れているが、一階に牛丼屋が入っていると思うと、このホテルのレベルも高級フレンチ店と同等とは言えないだろう。
ふと、客が途切れ、琴羽もほっと一息つきたい所だったが、今度は支配人の斉藤が事務所からカウンターにやってきた。
事務所からカウンターには防犯カメラが設置され、逐一監視できるそうだが、斉藤は琴羽の接客態度が気に食わなかったらしい。
「だから、このお客様に説明するインフォメーションは、喫煙場所伝えろって書いてあるだろ! なんで客に説明しないんだよ!」
ギョロ目の斉藤は、さらに黒目を大きくさせ、琴羽に罵倒し始めた。
他の社員は引いていたが、上司の支配人に逆らえる人はいないだろう。しばらく斉藤の罵倒が続く。
「ですが、支配人。女性の一人旅の客様に喫煙者かどうか質問し、喫煙所の案内するのは、いくらマニュアルといえども失礼ですよ。男性の客様やヤンキーっぽい女性にだけご案内すれば? 妊婦や子供連れのお客様も喫煙しませんよ」
「うるさい! 言われた通りにやれ!」
琴羽の頭の中は、疑問符しかない。言われた通りにしても、お客様に得な事は一つもない。
それに人は霊的に作られている。タバコを吸いそうな客はなんとなく察する。察した時にだけタバコについてご案内すればいいのだろうと思ったが、斉藤はあくまでも自分のやり方に拘っていた。
不機嫌な斉藤は琴羽だけでなく、社員にも八つ当たりを始めた。
ちょうど琴羽に色々と教えてくれた窪塚伊織という先輩に当たり散らす。
伊織は琴羽と同世代の二十五歳ぐらいだったが、黒髪眼鏡で痩せ型。どう見ても大人しいタイプでさっそくターゲットにされている。
「なんで窪塚は、新人の指導もまともにできないんだよっ!」
隣にいる伊織は涙目。どう見てもパワハラの現場だったが、客が来たら、斉藤は百八十度態度を変えていた。
「こんばんは、いらっしゃいませ。お客様」
柔和な笑顔で対応する様は、ギャップがありすぎる。この二面性に、普段悪霊を追いはらっている琴羽も、顔が引き攣った。
悪霊は実はわかりやすい部分もある。狡猾な奴らだが「イエス・キリスト」という名前には必ず弱い。聖書の言葉にも弱い。必ずイエス・キリストの命令には従うという面ではわかりやすい存在だ。
一方、斉藤のような人間はどうだろうか。そういった分かりやすさや単純さがない。よく幽霊を扱ったエンタメで「幽霊より生きている人間の方が怖い」というセリフもあったが、琴羽も同意したいところだった。
そんなこんなで多忙な過剰サービス業務と、斉藤のパワハラも終わり、何とか業務時間が終了した。
たった三時間だけでも、どっぷりと疲れたが、ホテルのトイレに行き、エクソシストもておいた。
ホテルのハンドドライヤーが故障中だったが、悪霊のイタズラの可能性が高く、トイレにいる雑魚悪霊はちゃっちゃと払っておいた。
「はぁ、疲れたわ」
こうして更衣室へ行くと、もう深夜0時になっていた。比較的体力のある琴羽だったが、業務自体も多忙。支配人の斉藤もパワハラ気質で、潜入調査も早くも気が折れそうだったが。
「早乙女さん、おつかれ様です」
先輩の伊織も業務を終え、更衣室へやってきた。目の下は濃いクマがあり、頬もげっそりとしていた。さすがに琴羽も色々あると察するが、伊織は妙な事を呟いてきた。
「私、元々幽霊とか見えちゃう人で」
琴羽は全く驚かない。母もそんなタイプだったし、琴羽もエクソシスト中ははっきりと悪霊の存在が見える事がある。
「そうなの? 実は私、クリスチャンでね……」
「えー、早乙女さんそうなの?」
「ええ。聖書では悪霊、一般的に幽霊に見えるものもよく出てきたりするし」
「そう……」
ここで伊織は下唇を噛み、泣きそうな表情を見せてきた。
「実はね、支配人に背後にいる鬼? 悪魔? 幽霊みたいのが見えて、日に日に怖い。どうしたらいいかな?」
伊織は涙をこぼし、その場に蹲ってしまう。他に誰もいない深夜の更衣室だったが、伊織の鼻水を啜る音が響く。
琴羽も伊織と視線を合わせるようにしゃがむ。これは間違いなくエクソシスト案件。
聖書には、目に見える血肉を相手にするのではなく、その背後にいる悪魔や悪霊と戦えとある。
この場合、斉藤を叩いたり、悪口を言っても無意味かもしれない。
「伊織さん、今からキリスト教風のおまじないやってもいい?」
「おまじない?」
「ええ」
厳密にはおまじないではなく、祈りだったが、未信者の伊織にはそう説明しておいた方が早い。とにかく今は応急処置。
まずは斉藤へ祝福の祈りをする。伊織は不機嫌そうな目をしたが無視し、斉藤の背後にいる悪魔、悪霊を縛る祈りをした。
「たぶん、これで斉藤さんから伊織さんへの攻撃はマシになると思う。攻撃されても何も感じないというか」
「そう? あれ、でも少し気持ちが落ち着いてきたかも。それに早乙女さんには、幽霊の影とか全く見えない。こんな人、珍しいのに……」
憑き物が取れたように、伊織の目の光が戻り、涙を拭いて帰っていく。
残された琴羽は十階へ行き、エレベーター付近で翠と合流した。
翠もホテルでのエクソシストが苦戦中らしく、まだ体調が悪そう。
「琴羽さん、進捗はどう?」
「うーん、まあまあ。でもこのホテル、ブラック企業だし、霊的問題がある所は、従業員も大変そう」
「琴羽さん、大丈夫?」
「ええ、今のところは」
そう、今のところは。こうして働きながら潜入調査をしている所だが、楽しくは無い。やはり少し疲れてきた。




