第二話
イースターが近づいている礼拝堂には、卵、ひよこ、ウサギの飾り付けが施されていた。
その全てが教会に通う子供達が作ってくれたものだ。子供達はネグレクトや発達障害、不登校などの問題を抱えているものも多く、教会でのこういったイベント事は、しばしの休息になっているらしい。
確かにイースターは異教の祭りという説も根強い。イースターが嫌いなクリスチャンがこの教会を見たら、悪魔だ、異端だと言うかもしれないが、今の琴羽はそんな事情はどうでもいい。
あの後、翠を教会の礼拝堂まで連れて行き、少し休ませていた。
翠が好きなチョコチップクッキーやアイスココアを出し、少々落ちついてきた模様だ。
ちなみに父は外出中だ。おそらく病気の信徒の家に訪問に行っているのだろう。おかげでゆっくりと翠に事情を聞く事ができたが。
「はあ。やっぱり礼拝堂はいいね。目には見えないが、祈りと賛美が積まれている場所だと分かるよ。ホテルとは大違い……」
翠は小さな声で呟く。まだ顔は少し青い。医学的に体調は問題なさそうだが、これは霊的に参っていそう。
琴羽も翠の隣に座り、チョコチップクッキーを齧る。
礼拝堂の説教台にはひよこや卵の小物が置いてあるのが見える。呑気で平和な雰囲気で、決して神聖なパワースポット感はないが、翠が言いたい事はわかる。祈りと賛美が積まれた場所は、圧迫感や嫌な雰囲気は感じにくいものだ。
「で、ホテルで何があったの? ホテルにエクソシストしに行くぞってやる気いっぱいだったんでは?」
土地に残る人の念、思いなどの情報、土地の呪い、呪縛霊に正体を話した時、翠は勝手に一人でやる気になり、ホテル生活を始めてしまった。
「実は……」
翠は言いにくそうだったが、事情を説明しはじめた。
あの後、このF市のクインホールというビジネスホテルへ予約を取ってホテル生活を始めたという。クインホールはベンチャー企業が出資している新しいホテルで、一階には牛丼屋や漫画図書室も併設され、インターネットカフェのようなビジネスホテルを売りにしていた。ネットでもコスパがいいビジネスホテルだと話題になっている。
最初は翠も漫画や牛丼を楽しみながら、部屋にいる悪霊を縛ったり、追い出したり、賛美歌歌ったり、祈ったりしていたらしい。
しかし、最近はうまくいかず、部屋の電気が勝手に切れたり、トイレの吸水タンクのチェーンが切れたり、冷蔵庫が故障したり電気関連のトラブルが多発。
それだけでなく、部屋で物音や何者かの喘ぎ声が響いたり、寝る時は金縛に合うようになり、祈りも賛美もできず、体調不良になったという。
琴羽は呆れてものも言えない。ホテルは様々な人がくる。部屋でポルノを見る客もいる。部屋で姦淫する客もいる。部屋で死のうとする客もいる。
そんな場所に残された情報は、どう考えても良くはない。
人は霊的に創造されている。土地に残った情報にも影響を受ける。
また悪霊も情報を使って悪さをする。例えば土地に死ぬ間際の無念さが情報として残っていた場合、悪霊がそれをパクリ、その人間のフリをしながら人間を脅したりする。これが一般的な幽霊と言われている存在のカラクリだ。また悪霊は電気製品にイタズラをするのも得意。ホテルの電気機器に異常があったのも、大方は悪霊の仕業だと琴羽は判断した。
つまり、安易に悪霊を追い払えば万時解決ではない。土地に残された情報をどうにかしないと意味はない。
この情報が厄介なのだ。人の念、思い、感情などは悪霊とは別の性質だ。イエスの御名で出ていけでは消えない。情報を消すのには、祈りや賛美をコツコツと積み上げ、天の御国と地上を繋げるのが特効薬。これで土地の情報がキャンセルされる。
「という事で、そんなちょっと祈ったり賛美したぐらいでは、返り討ちにあうわ。たぶん土地にいる悪霊も払いきれてないでしょうし」
「琴羽さん、そんな呆れた目で言わないでよ!」
「いやいや、こういう事は自己責任だと思うよ。翠が勝手にはじめた事だし、クリスチャンになったばかりの翠が一人で対応するのには、荷が重い案件で」
「わぁ、琴羽さんの塩対応……」
翠はまた涙目でチョコチップクッキーをバリバリしていた。ホテルの予約はまだまだ残っているらしく「本当にどうしよう……」としょんぼりしている。叱られた子供のよう。
琴羽も別に鬼では無い。さすがに少し不憫になる。ホテルの部屋には入れないが(そういったビジネスホテルの決まりがある)、周辺やロビーだけなら一緒に祈ってみようと約束。
もう日が暮れていたが、翠と二人で夜道を歩く。
ビジネスホテル・クイーンホールの周辺は風俗街や占い部屋、ヨガスタジオもあり、どことなく土地の雰囲気も暗い。飲み屋も多く、酔っ払いも歩いていたが、翠が一緒に歩いているおかげで絡まれずには済む。
「さあ、翠。一緒に祈りながら歩こう」
「え? 祈りながら歩く?」
「ええ。声に出さなくてもいいから、この土地が神様に捧げられ、御心が行われること、天国みたいになっていく事をイメージしていこう」
「う、うん……」
涙目だった翠だが、琴羽と共にホテル周辺を歩く。
こうしていると、翠も目に光が戻ってきた。
「琴羽さん、土地への祈り大事っぽいね」
「ええ、本当に。確かに神学的な教義守ったり、伝道とかするのも大事だけど、土地や地域への祈りも大事だよ」
「そうだな。それはサボったらダメだよな」
翠はだんだん元気になってきた。会社のトイレでは死んだ目になっていたが、今は声にハリも戻ってきた。
確かにホテルのような場所に乗り込み、返り討ちにあう翠は不器用だが、動機は悪くないと思いたい。ただ単純に神様のために何かしたかったのだろう。
そう思うと、翠について憎めず、このホテルについても何とかしたい。
見た目は十階建ての綺麗なビジネスホテルだ。一階には牛丼屋もあり、カジュアルでコスパが良さそうな雰囲気もあるが、それ故に多くの人が来るだろう。そこに残った多くの情報を消すのは、琴羽もさほど自信があるわけではなかったが。
そう思った時だった。夜風が吹き、琴羽の前髪を揺らす。風の音が響き、目の前がなぜか真っ白に変わった瞬間。
幻を見た。
ホテルの一室で遺書を書き、薬で自殺しようとする女の幻だった。
女は若い。二十歳ぐらいだろうが、思い詰めた顔をし、恨み語も繰り返していた。
「す、翠!」
思わず変な声をあげるが、隣にいる翠も呆然としていた。
「琴羽さん! 俺、変な幻を見た! 何これ?」
「私も。何この幻は!?」
しかも二人で内容を確認すると、全く同じ幻だった。
「何これ。神様が警告として見せてきた幻!?」
「そうだよ、琴羽さん! このホテルで誰か死ぬよ!」
二人とも全く笑えない。勢いで始めようと試みたホテルのエクソシストだったが、事件が起きる?
聖書では夢や幻を通し、神様が警告やメッセージを与える事は珍しくない。現代のクリスチャンでも夢や幻を通し、啓示を受けた事は珍しくない。よくある事だった。
「え? やっぱり事件が起きるの!?」
今はそうとしか思えない。




