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第五話

 電車の中で翠のルックスは目立ち過ぎた。芸能人と勘違いされ、黄色い声をあげるおばさんと握手までしていた。


「いやあ、イケメンは罪深いのだね」

「それ、自分で言います?」


 呆れて突っ込んだ。琴羽と翠の顔面格差、身長格差はひどく、誰も恋人だと勘違いしないのは救い。「あの人、きっとマネージャーだよ」とヒソヒソされたが、それで一向に構わないだろう。


 とはいえ、翠は育ちは良い。おばあちゃんに席を譲ったり、紳士な一面も見せていたが、琴羽の教会につくと、子供のように目を丸くしていた。


「え!? ここ、教会ですか? 家では? あるいは塾か公民館とかでは?」

「違いますよ。教会です。日本人は派手なカトリック教会のイメージが強いかもしれませんが」


 琴羽はそう言い、翠を教会のニ階にある礼拝堂まで案内した。左手に下駄箱があり、スリッパに履き替えると、すぐ目の前に礼拝堂がある。


 下駄箱には父の外出用の靴はなかった。おそらく近所の信徒の所へ行っているのだろう。本来なら牧師の父と一緒に翠から事情を聞きたかったが、諦めるしかない。


 今はもう夕方だったので、琴羽が先に礼拝堂へ入り、暖房もつけた。礼拝堂の隣のあるミニキッチンへいき、ケトルに水を入れ、スイッチオン。あとは適当にお菓子もお盆の上に起き、翠を礼拝堂に案内した。


「適当にどこでもいいんので、座ってください」

「えー、礼拝堂ってこんなに地味……」


 何やら翠はガッカリもしていたが、仕方ない。礼拝堂の信徒席に座らせた。


 信徒席もパイプ椅子だ。豪華な教会のように木製のしっかりとした椅子ではない。もっともこのパイプ椅子、折りたたみテーブルつき。教会員からテーブルつきの方が聖書が読みやすいというリクエストを受け、昨年椅子を買いかえた。


 お湯も沸き、琴羽はコーヒーと菓子を取りに行き、この椅子のテーブルの上に置いた。折りたたみのミニテーブルだったが、コーヒーとお菓子を置くのにはピッタリだった。


「いや、フランスとかで見た礼拝堂は大きかったんですが」

「うちはクリスチャンが少ない日本のプロテスタント教会ですよ。そんな礼拝堂のお金かけられないし、ステンドグラスもキリスト像もないわね。ちなみにちゃんと二重窓で防音はしてるから、讃美歌歌っても大丈夫」

「そ、そんな。現実的な事言わないでくださいよ。 ガッカリです」


 翠は意外と素直な性格か。思っていることを素直に口にしていた。このポリコレやネット炎上にうるさい時代。翠の素直さはかえって好ましいが、今は事情を聞く必要がある。


「いや、その前にお菓子食べて良いですか? 俺、甘いもの好きなんだよね」

「そう……」


 翠はお菓子を食べ、コーヒーも飲んでいた。食べ方は綺麗で育ちは良さそうだが、マイペースというか自由人っぽい雰囲気はある。御曹司らしく甘やかされて育った可能性も高い。今までは無味乾燥、単なるイケメン御曹司に見えていたが、そうではなさそう。少なくとも琴羽の苦手意識は薄らいできた。


「琴羽さんもお菓子、食べません? 俺、本当甘いもの好きで」

「そう……」

「朝はハチミツたっぷりのフレンチトーストじゃないとダメな人でさー。後、チョコも好きだし、パンケーキも好き。そうだ、今度琴羽さんも俺とパンケーキ食べに行きません?」


 翠は自由人らしい。金持ちのボンボンさが全く隠しきれていないようで、関係のないこともニコニコと話し始めた。見かけによらず無邪気。悪く言えば子供っぽい。このギャップにキュンとくる女性は多そうだが、頭は冷えてくる。ここで翠とお菓子トークをするつもりはない。


「噂で聞いたわ。体調不良なんですよね?」

「そうなんだよ。日本に帰ってから急に原因不明の体調不良でさ。最近は甘いものも少しずつ減らしているのに。なんで? 実はお寺や神社に行ったけど」

「え!?」


 それには驚いた。確かにお寺や神社でも悪霊祓いはできる。でもそれはジャイアンがスネ夫をいじめて追い出したようなもの。悪霊の世界にはヒエラルキーもあり、寺や神社にいる悪霊が雑魚だった場合、全く効果はない。


 むしろ効果はあった場合のが大変だ。一度悪霊を祓うという契約をしてしまったら、代償を要求される。寺や神社の人間からの代償ではない。その背後にいる悪霊からだ。時には命、健康、子供、孫の命まで代償として要求される事もある。


「だめだよ、寺や神社は!」


 思わず大声が出てしまう。別に寺や神社を全否定したいわけじゃない。このポリコレの時代、そんな事は強く言えないが、クリスチャンとして譲れない価値観もある。逆にいくらキリスト教を悪く言われても琴羽は良いと思う。聖書によると、人間には自由意思もある。それもご自由にどうぞとしか言いようがない。それに琴羽は子供の頃からクリスチャン界隈で育った為か、逆の意見を聞くとワクワクする部分もある。


「でも、色々行っても何の効果もなかったよ」

「そう。ならよかったけど」


 効果がなかった事にホッとはしたが、霊の世界はヒエラルキー。悪霊どももイエス・キリストが一番権威があることを知ってる。この名前で命令されたら、出て行くしかない。


 今の翠の様子を観察すると、悪霊は動いていない。教会という悪霊にとって居心地が悪い場所に来て、ちょっと大人しくなっている。翠の顔色も少し良くなっていた。


「あれ? ここにいると、少し気分悪くないな。やっぱり琴羽さんが、すごいのか?」

「いやいや、私はすごくないし。すごいのはイエス様だけ」

「本当にイエス様で俺の体調不良治るかい?」


 その翠の口調は、否定的ではない。むしろ羨望も滲んでる。イエス・キリストという名前を言うだけで嫌がる人もいる。もっともこれも背後にいる悪霊が言わせていること。ここで素直に「イエス様」と言える翠は、エクソシスの琴羽から見て、重症ではなさそうだ。


「実は俺、フランスにいた時、幼児洗礼受けたらしい」

「本当?」

「うん! やっぱ、向こうの大きな教会の神聖で派手な雰囲気っていいよね?」


 目をキラキラさせ、教会への理想が高過ぎる様子は問題だが、この様子だったら、今、エクソシストしてしまっても問題ないか?


 イエス・キリストやキリスト教、聖書が嫌いな人間にエクソシストをした場合、逆効果になることもある。だから琴羽は無闇矢鱈とエクソシストはやっていない。あくまでも「イエス・キリストが主」であることを知っている人物限定だ。


「実は私、エクソシストやってるのよ。この前でトイレでやったのもそう。子供の頃からクリスチャンだから、こういう霊的な事に詳しいのよ」

「マジで。かっけー!」

「だからカッコ良いのはイエス様よ。霊的な事もおこぼれみたいなもん。で、あなたの体調不良も悪霊が悪さをしている可能性が高いけど、どうする?」

「どうするって……」


 ここで翠は下を向き、迷いを見せてきた。イケメン御曹司として女子社員にキャーキャー騒がれる翠だが、人間だ。弱いところもあるのだろう。


「大丈夫。イエス・キリストは私の主ですって言える?」

「お?」


 翠の形の良い口元がかすかに動く。歯並びも芸能人のように完璧だったが、そこから、声が聞こえた。


「イ、イエス様は主です! 俺のヒーローです!」


 たぶん、翠はキリスト教会自体は何の興味もなさそうだったが、ここまで言えたら大丈夫だ。酷い悪霊つきの場合は、自分の口からこのセリフは絶対言えない。


「そう言えば俺、子供の頃はイエス様、大好きだった記憶が。かっけーって興奮したんだよな」

「だったら大丈夫ね。幼児洗礼も受けていることだし、サクッとエクソシストしますか」


 琴羽は着ていた仕事着のジャケットを脱ぎ、シャツの腕まくりをし、祈る。


「マジ?! これ、ガチの祈り? かっけ!」


 なぜか翠は祈る琴羽にも子供のように目をキラキラさせていた。正直、こそばゆいが、これでエクソシストをすれば一件落着だ。この様子なら、今までの経験上、強力な悪霊は憑いていないはず。


「気持ち悪くなったら、すぐ吐いてもいいからね」

「お、おお」

「悪霊出すと、吐いたり、下痢したり、あくびが止まらない人も多いから、そこは無理しないで。という事で、エクソシスト始めます」


 いつものように神様の御名を言い、悪霊祓いをしようとした時。


『邪魔するな!』

「え!?」


 目の前に黒い霧のようなものが襲ってきた。これは悪霊!?


『邪魔するな!』


 そんな声と共に黒い霧は翠を襲い、彼は気絶してしまった。


『エクソシストのお嬢さんよ、この男は我らのもの。絶対に邪魔させない!』


 気づくと礼拝堂の電気も落ち、暖房も止まっていた。目の前には泡を吹いて倒れている翠。


「琴羽! なんだ、これは!?」

「お父さん!」


 ちょうど父が帰ってきてよかった。たぶん、一人だったらもっとパニックになっていただろう。


 今回のエクソシストは失敗。長年、エクソシスをやっていたが、こんな失敗は初めてだった。


 初めての挫折に、琴羽もその場にうずくまりたかった。

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