第九話
「琴羽さん達、待ってください!」
途中で追いかけて来た佐伯とも合流。三人ですず花の元へ向かった。
「どういう事ですか? 美穂が何で?」
佐伯も動揺している。今は草食系男子のカケラすら見えない。
「わからない。聖書でいう悪霊が悪さしている? 残念ながら、子供はよくターゲットになるのよ。さあ、行きましょう!」
琴羽の発言のより、余計に佐伯の表情も悪化していたが、今はそれどころではない。翠も含め、三人で再び佐伯家へ。鍵は佐伯に開けて貰い、美穂の部屋へ急いだ。
「ここは……」
美穂の部屋はぬいぐるみや人形が飾られた棚が目立つ。子供らしい部屋だったが、琴羽の長年エクソシストしてきたカンは、偶像崇拝の悪霊を感じてしまう。
ぬいぐるみや人形には何のパワーもないが、美穂が可愛がり、依存していた気配がかなり濃い。その証拠のように翠は気分が悪くなってきたらしく、ハンカチで鼻を抑えていた。
美穂はベッドの上で寝かされていた。顔は真っ青、意識もない。その横ですず花も同じような顔色になり、パニック状態。佐伯は宥めようとしたが、余計に火に油を注いでいる。
「琴羽さん、この部屋なんだ? なんかすっごい気持ち悪いんだが」
「翠、これはおそらく偶像崇拝の悪霊がいるわ。もっとも全てがそうとも限らない。一応救急車を呼びましょう」
琴羽が見たところ、美穂に命の別状はなさそう。悪霊の影響で意識を失っている可能性も高いが、一応救急車も呼ぶ。
「そんな、美穂。どうしよう。私が悪い?」
「落ちついて、すず花さん」
髪をかきむしり、叫んでいるすず花に、琴羽は冷静に言う。
「一緒に祈りましょう。すず花さんも神様を信じているでしょう?」
「琴羽さんの言う通りだよ! 祈りの力、舐めるな!」
翠はハンカチを投げ捨て、美穂の側により、その手を握りながら祈り始めた。琴羽も翠と同じく祈り始めた。
佐伯もこの様子に絶句していた。その上、琴羽達と一緒に祈り始めた。もちろん、佐伯は未信者だった。祈りの形式なども全くできていないが、目を見開き、必死だった。あの珍妙な結婚式を上げた人物には全く見えないぐらいだ。
祈っている三人に、すず花も落ち着きを取り戻していた。
「わ、私も美穂のために祈るわ」
ついのすず花も祈り始めた。気づくと四人とも額の汗を滲ませながら、必死に祈っていた。
時間としては三分弱ぐらいだったが、琴羽はもどかしさも覚え、永遠の時間にも感じるほどではあったが。
祈りは、別に一人でも何人でやっても大丈夫。しかし、聖書では二人以上で心を合わせて祈る事は、悪魔を完全に打ち壊せるほどの力があるという。
だから悪魔や悪霊達は、クリスチャンを教会から遠ざけたり、夫婦関係の不和を起こすような誘惑を仕掛けてくる。昨今の疫病騒ぎの自宅待機やソーシャルディスタンスも、悪霊どもの意図が反映された結果かもしれない。
そんな事も思い出しつつ、琴羽も祈り続けた。頭では悪霊どもの技が打ち壊され、美穂やすず花が完全に自由になるイメージもしていた。人間の想像力も無力ではない。「なって欲しい事」を想像しながらの祈りも武器になる。
「あ、あれ?」
すると、美穂にまぶたがピクリと動いた。
「あれ? ママ?」
美穂の表情はまだ真っ青だったが、意識を取り戻したらしい。
「ああ、美穂! ママが悪かったわ。ごめんねぇ……」
親子は抱き合い、佐伯もようやく胸を撫で下ろしていた。
どうやら祈りが届いたらしい。これだけでも、この場の偶像崇拝の悪霊も消えたようだ。翠もハンカチがなくても、前より楽な表情を見せていた。
ちょうど救急車も到着し、美穂はもちろん、すず花や佐伯も付き添いに行く。あっという間の出来事だ。
その場に残された琴羽と翠も、ようやく胸を撫で下ろす。
「ああ、琴羽さん。祈りってすごい!」
「そうね、翠。祈りと言うか、それを聞いてくれる神様がすごいわけだけど、この人形やぬいぐるみは……」
そうは言っても、琴羽は、美穂の人形やぬいぐるみを見ていると、良い気分はしない。本当はこれを全部捨てるべきだが……。
「まあ、ここで一応エクソシストもしましょう。この場所と土地にも住みついた悪霊がいるからね」
「えー、そんなのいんるん?」
「まあ、雑魚だけど」
しかし、そのエクソシストはそう簡単にはいかない。花岡の時と同様、悪霊が姿を見せに来た。
『そう簡単にはエクソシストさせないわよ♪』
姿を見せた悪霊は、猫耳の若い女だった。
「あなた、まさか、ミユりん? 美穂の空想上の友達の」
『そうよ、エクソシストのお嬢さん? よくも私達の邪魔してくれたわね!』
悪霊は琴羽に金縛の攻撃をしかけていた。床に倒れ込み、動けない。
「琴羽さん!」
翠の叫び声が遠くに聞こえる。悪霊の金縛り攻撃など日常茶飯事みたいだが、今はなぜか口が動かない。
『よくも邪魔してくれたわね! お前らなんて全員、地獄に道連れにしてやるわ!』
怒りを見せていた悪霊だが、翠には全く別の攻撃をしてきた。
『ねえ、翠くん。私とお友達になろう。ね?』
上目遣いで砂糖のように甘い声だ。おそらく、異性への攻撃はハニー トラップのようなものが一番効くのだろう。これも悪霊の典型的な手口だ。
悪霊はさらに翠の近づき、蛇のように身体に巻き付く。
『ねえ、私とお友達になろうよ』
「そんな甘い声出して、美穂ちゃんも騙したんだな? 美穂ちゃんの空想上の友達もお前か!」
一方、翠はそんな攻撃に全く騙されない。意外と冷静さを発揮する板。
「本当の友達だったら、命を捨てられるだろ? イエス・キリストにように」
『ひっ!』
所詮、これも悪霊だ。「イエス・キリスト」という言葉だけでも、ガタガタと震え、動揺し始めた。同時に琴羽への金縛攻撃も緩む。琴羽はつかず立ち上がり、翠の側へ。
「悪霊よ、よく聞け!『友の為に自分の命を捨てること。これ以上の愛はない』! お前にそれが出来るか?」
翠が御言葉を宣言したと同時だった。悪霊は剣に刺されたように弱まり、その場で倒れた。もう翠に誘惑する力は残ってはなさそうだったが、このチャンスは逃せない。
「イエス・キリストの御名で命令する! 今すぐこの家から出て行きなさい!」
あっけなく悪霊は出て行ってしまった。いくつか汚い捨て台詞も吐いていたが、もう抵抗すらできないようだった。
気づくと二人とも汗だくだった。翠もイケメン御曹司が嘘みたいに汗びっしり。琴羽もそう。エクソシストが成功した事にホッとし、安堵のため息すら出ないぐらい。
「わ、でもなんか気が抜けそう」
「ちょ、琴羽さん、気をしっかり!」
「でも、これでエクソシスト成功?」
思わず二人で顔を見合わせた。
「成功じゃね?」
「よし、やった!」
「やった!」
ついつい二人でハイタッチする。翠だけでなく、琴羽も子供のように笑ってしまう。ちょうどすず花からも連絡があり、美穂は全くの健康で異常もないという。
気づけばもう夕方だ。今年はクリスマスイブ礼拝に出られそうにはなかったが、今日はこれでオッケーだろう。
それに翠と二回目のエクソシスト。二回目の山も乗り越えられ、もう御曹司と派遣社員ではなく、コンビか?
「俺ら、名コンビじゃない?」
無邪気な翠の笑い声が響く。琴羽も思わず頷いてしまっていた。




