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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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剣に宿る力

 王立総合学園の朝は、鐘の音とともに始まる。


 校舎の窓から差し込む陽光は柔らかく、広い中庭には登校する生徒たちの声が響いていた。


 その一角にある屋外訓練場では、朝から威勢のいい声が上がっていた。


「はあっ!」


 木剣が風を切る。


 踏み込みとともに繰り出された一撃を、向かい合う少年が受け止めた。


 乾いた音が響く。


「甘い!」


 ディーン・アシュベルクが木剣を滑らせ、相手の手元を狙った。


「うおっ!」


 カイル・レインフォードは慌てて身体を引く。


 木剣の先端が制服の袖をかすめた。


「危ねえ!」


「今のは当てられたぞ」


「分かってるって!」


 カイルは笑いながら構え直した。


 先日の模擬戦以来、二人は授業前にも剣を交えるようになっていた。


 冒険者を目指すカイル。


 騎士を志すディーン。


 目標は違うが、強くなりたいという気持ちは同じだった。


「もう一本!」


「構わないが、授業まで時間がないぞ」


「あと一回だけ!」


「お前の『あと一回』は信用できない」


 ディーンが呆れたように言った、そのときだった。


「そこまでだ」


 低い声が訓練場に響いた。


 二人が振り返る。


 入口には、グレイグ・ハルバート教官が立っていた。


「元気なのは結構だが、授業前に体力を使い切るな」


「おはようございます、教官!」


 カイルが勢いよく頭を下げる。


 ディーンも木剣を下ろし、一礼した。


「おはようございます」


 グレイグは二人を見比べる。


「ちょうどいい。今日の授業では、お前たちにも役立つことを教える」


「新しい剣技ですか?」


 カイルが目を輝かせた。


「剣技以前の問題だ」


「……え?」


「戦気を扱う」


 その言葉に、カイルの表情が変わった。


「戦気!?」


 訓練場に、ひときわ大きな声が響いた。


     ◇


 授業が始まる頃には、訓練場に大勢の生徒が集まっていた。


 剣術を中心に学ぶ者もいれば、槍術や格闘術を修める者もいる。


 グレイグは全員を整列させると、静かに口を開いた。


「今日から、戦気の基礎訓練を始める」


 生徒たちの間にざわめきが広がる。


「戦気って、騎士が使うあれか?」


「剣に光みたいなものを纏わせるやつだろ?」


「俺、兄貴が使うところを見たことあるぞ」


 グレイグはざわめきが収まるのを待った。


「戦気は、剣士だけの技術ではない。槍使いも、格闘家も、武器を持たずに戦う者も扱うことができる」


 彼は訓練場の中央へ進んだ。


「魔法は魔力を術式によって制御し、さまざまな現象を引き起こす。対して戦気は、肉体の内にある力を練り上げ、身体や武器に纏わせる技術だ」


 カイルは食い入るように話を聞いていた。


「戦気を扱えば、筋力、速度、耐久力を高められる。熟練者なら武器の強度を補い、斬撃の威力を飛躍的に高めることも可能だ」


「教官!」


 カイルが手を挙げる。


「何だ、レインフォード」


「戦気が使えるようになれば、岩とか斬れますか?」


 何人かの生徒が笑った。


 だが、グレイグは笑わなかった。


「斬れる者もいる」


 その答えに、笑い声が止まる。


「岩どころではない。戦気を極めた者の中には、剣の一振りで大地を裂き、戦場の地形を変えてしまう者すらいる」


 訓練場が静まり返った。


 カイルは目を見開いた。


「……本当に?」


「本当だ。ただし、そんな芸当ができるのは、ごく一握りの強者だけだ」


 グレイグは木剣を肩に担いだ。


「今のお前たちが真似をすれば、岩を斬る前に自分の身体を壊すだろうな」


「うっ……」


「強さには順序がある。まずは、そのことを覚えろ」


 グレイグは地面に置かれた木製の標的を指さした。


「見ていろ」


 彼は木剣を片手で構えた。


 大きく振りかぶることも、派手な動きを見せることもない。


 ただ、静かに息を吐いた。


 その瞬間。


 木剣の周囲で、空気がかすかに揺らいだ。


 陽炎のような、透明な膜。


 それが刀身を薄く覆っている。


「……見えるか?」


 グレイグが尋ねた。


 生徒たちは息を呑んでいた。


「これが戦気だ」


 次の瞬間、木剣が振り下ろされた。


 鋭い音が響く。


 木製の標的が、斜めに割れた。


 さらに、標的の後方に置かれていた薄い板にも、一本の切れ目が走っていた。


「うおおおっ!」


 カイルが叫んだ。


「今、離れたところまで斬りましたよね!?」


「戦気を刃の先へ伸ばした。応用の一つだ」


「すげえ……!」


 ディーンも真剣な表情で標的を見つめていた。


「木剣そのものを強化し、斬撃の届く範囲まで広げたのか……」


「そうだ、アシュベルク」


 グレイグは頷いた。


「だが、今の技を覚えるのはまだ先だ」


 彼は木剣を置いた。


「まずは、戦気を感じ取るところから始める」


     ◇


「全員、武器を置け」


 グレイグの指示に従い、生徒たちは訓練用の武器を地面へ置いた。


「足を肩幅に開き、姿勢を整えろ。呼吸はゆっくりと。余計な力を抜け」


 カイルは言われたとおりに立った。


 両足を開き、目を閉じる。


「戦気は、ただ気合いを入れれば出てくるものではない。身体の動き、呼吸、意識。それらを揃えることから始まる」


 教官の声が続く。


「まず、自分の呼吸を感じろ。次に、心臓の鼓動。手足の先まで意識を向けてみろ」


 カイルは集中した。


 息を吸う。


 吐く。


 もう一度、吸う。


(……よし)


 拳を握る。


(戦気……戦気……)


 全身に力を込めた。


「ぬおおおおおっ!」


「レインフォード!」


 グレイグの怒声が飛んだ。


「力むなと言っただろう!」


「す、すみません!」


「戦気は叫んだら出るものではない!」


「でも、気合いを入れた方が出そうで!」


「その考えを捨てろ!」


 周囲から笑い声が上がった。


 カイルは頭をかいた。


「……難しいな」


 隣に立つディーンは、静かに呼吸を整えていた。


 肩の力を抜き、足裏で地面を捉える。


 目を閉じたまま、微動だにしない。


 カイルは横目でその姿を見た。


(……あいつ、もう何か分かってるのか?)


 少し悔しくなった。


 だが、すぐに首を振る。


(いや、俺は俺だ)


 もう一度、呼吸を整える。


 今度は無理に力を込めない。


 ゆっくりと息を吸い、吐く。


 腕の重さ。


 足の裏に伝わる地面の感触。


 胸の奥で打つ心臓。


 普段は意識しないものに、少しずつ注意を向けていく。


 すると。


(……ん?)


 身体の奥に、わずかな熱を感じた。


 胸のあたりから、腕へ。


 指先へ。


 ほんの一瞬、温かいものが流れた気がした。


「……あっ!」


 思わず声が出た。


 途端に、その感覚は消えた。


「……あれ?」


「どうした、レインフォード」


 グレイグが近づいてきた。


「今、何か……身体の中が温かくなったような……」


 グレイグはカイルをじっと見た。


「どこだ?」


「胸のあたりから、腕に……」


「なるほど」


 教官は頷いた。


「悪くない」


「本当ですか!?」


「だが、今の段階で戦気を扱えたとは言えん。身体の感覚を意識できるようになった、それだけだ」


「……はい!」


「その感覚を忘れるな。次は、同じ状態を何度でも作れるようにしろ」


 カイルは大きく頷いた。


 胸が高鳴る。


 ほんの少しだけ。


 強くなるための扉に、指が触れたような気がした。


     ◇


 訓練が進むにつれ、生徒たちの反応にも差が現れ始めた。


 まったく感覚をつかめない者。


 身体の内側に熱を感じる者。


 そして、ごくわずかに、戦気の兆候を外へ表す者。


 ディーンは、その最後の一人だった。


「……ふっ」


 静かに息を吐く。


 彼の右腕の周囲で、空気がほんのわずかに揺らいだ。


 長くは続かない。


 目を凝らさなければ見逃してしまうほど、小さな変化だった。


 それでも、確かに何かがあった。


「アシュベルク」


 グレイグが声をかける。


「はい」


「今の感覚を説明してみろ」


 ディーンは少し考えた。


「……身体の奥にある熱を、腕へ運ぶような感覚でした」


「力を込めたか?」


「いいえ。むしろ、余計な力を抜いた方が流れやすかったです」


 グレイグは満足そうに頷いた。


「そのとおりだ」


 カイルが目を丸くする。


「おい、ディーン! 今、戦気が出たのか!?」


「ほんの少しだけな」


「くそっ、先を越された!」


「競争ではないだろう」


「いや、競争だ!」


 カイルは拳を握った。


「俺も絶対に出してやる!」


 ディーンは苦笑した。


「その意気込みはいいが、また力むなよ」


「分かってる!」


 そう言いながら、カイルは再び全身に力を込めた。


「ぬおおお……!」


「だから力むな!」


 グレイグの怒声が響く。


 訓練場に笑い声が広がった。


     ◇


 昼休み。


 食堂でカイルは、いつも以上の勢いで食事をかき込んでいた。


「……で、どうだったの?」


 向かいに座るシオンが尋ねる。


「戦気の授業」


「すごかった!」


 カイルは即答した。


「教官が木剣で標的を斬ったんだ! しかも、離れた板まで!」


「へえ……」


 シオンは興味深そうに身を乗り出した。


「戦気を武器に纏わせたってこと?」


「そう!」


「木剣の強度も上がるのかな」


「たぶんな!」


「魔力で物質を強化する技術とは、何が違うんだろう……」


 シオンは考え込んだ。


 魔法による身体強化や武器強化は、術式を利用して外部から作用を与えるものだ。


 対して戦気は、使用者自身の内側から生み出される力を、身体や武器へ纏わせる。


 似ている部分はある。


 だが、同じものなのだろうか。


「戦気って、魔力とは別なんだよね?」


「教官はそう言ってた」


「じゃあ、魔導回路では扱えないのかな……」


「おいおい、シオン」


 カイルが笑った。


「何でも研究につなげるなよ」


「気になるものは気になるんだよ」


「まあ、お前らしいけどな!」


 その会話を聞いていたヴィオレッタが、紅茶のカップを置いた。


「戦気の研究は、魔法研究ほど体系化されていない分野も多いと聞きますわ」


「そうなの?」


 シオンが尋ねた。


「ええ。武術の流派や師弟関係によって、教え方が大きく異なるそうです」


「なるほど……」


「ですから、学園で基礎を学べるのは貴重な機会ですわね」


 ヴィオレッタはカイルへ視線を向けた。


「ところで、カイル。あなたはどこまでできましたの?」


「……」


 カイルの動きが止まった。


「……ちょっと、温かくなった」


「温かく?」


「身体の中が」


 ヴィオレッタは瞬きをした。


「……それだけですの?」


「それだけって言うなよ!」


 カイルは抗議した。


「最初はそこからなんだって!」


「ふふ。失礼しました」


 ヴィオレッタは口元を押さえて笑った。


 シオンも微笑む。


「でも、いいじゃないか。最初の授業で感覚をつかめたんでしょ?」


「そうなんだよ!」


 カイルは勢いよく頷いた。


「次は絶対に、目に見えるくらい出してやる!」


「焦って怪我しないようにね」


「分かってるって!」


 シオンは苦笑した。


 その返事に、あまり説得力はなかった。


     ◇


 午後。


 王宮では、リューデン王国の使節団とアルセリア王国の高官たちによる協議が続いていた。


 エレノアは、机の上に広げられた交易路の地図を見つめていた。


「こちらの街道を利用すれば、現在より輸送日数を短縮できると考えております」


 リューデン側の外交官が説明する。


 アルセリア側の担当官は、慎重な表情で地図を見た。


「確かに距離は短くなります。しかし、この一帯は冬季の通行が難しい地域です」


「その点については、街道整備を含めた共同事業をご提案したいと考えております」


「費用負担は、どのように?」


「詳細は今後の協議になりますが、双方に利益のある形を目指したいと考えております」


 エレノアは静かに頷いた。


 交易を増やすには、道が必要だ。


 道を整備するには、費用がかかる。


 費用を誰が負担するのか。


 完成後の維持管理はどうするのか。


 どれも、避けて通れない問題だった。


 アルセリア側の担当官が言った。


「提案の趣旨は理解しました。ただ、王国としては、帝国との関係も考慮する必要があります」


 エレノアは顔を上げた。


「承知しております」


「リューデンへの支援と受け取られる行動が、帝国を刺激する可能性もありますので」


「ええ」


 エレノアは静かに答えた。


「ですが、私たちは対立を望んでいるわけではありません」


 担当官が耳を傾ける。


「星晶石の安定供給は、アルセリア王国にとっても利益になるはずです」


「それは、確かに」


「私たちは、互いの国が自らの意思で交易を行える関係を築きたいのです」


 エレノアの声には、揺るぎない意志があった。


「そのために、できることを一つずつ積み重ねたいと考えております」


 担当官はしばらく考え込んだ。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……そのお考えは、理解いたしました」


 交渉は、少しずつ進んでいた。


 だが、まだ結論には至っていない。


     ◇


 夕刻。


 協議を終えたエレノアは、王宮の庭園を歩いていた。


 少し離れたところを、ヴァルターがついてくる。


「……今日も、簡単には進みませんでしたね」


 エレノアが呟いた。


「外交とは、そういうものでしょう」


 ヴァルターが答える。


「剣なら、もっと簡単なのかもしれませんね」


「そうとも限りません」


 エレノアは振り返った。


「そうなのですか?」


「強い相手ほど、一度の打ち合いで決着がつくとは限りません」


 ヴァルターは庭園の石畳を見下ろした。


「相手の構え、呼吸、間合い。何度も確かめながら、わずかな隙を探すこともあります」


「……交渉と似ていますね」


「ええ」


 エレノアは微笑んだ。


「あなたは、本当に何でも剣に例えますね」


「長く剣を握っておりますので」


 その返事に、エレノアは小さく笑った。


 やがて、二人は庭園の端にある開けた場所へ差しかかった。


 ヴァルターが足を止める。


「殿下。少し、お待ちいただけますか」


「どうしました?」


「……確認したいことがございます」


 ヴァルターは周囲を見渡した。


 庭園の向こうには、王宮の外壁が続いている。


 警備の騎士たちが、一定の間隔で巡回していた。


「何かありましたか?」


「いえ」


 ヴァルターは静かに答えた。


「念のためです」


 エレノアは頷いた。


 ヴァルターの警戒心は、いつものことだった。


 だが、その目が一瞬だけ鋭くなったことに、彼女は気づいていた。


     ◇


 同じ頃。


 王立総合学園の訓練場では、カイルが一人で立っていた。


 夕陽が地面を赤く染めている。


 授業はとっくに終わっていた。


 それでも、カイルは帰ろうとしなかった。


「……よし」


 足を肩幅に開く。


 呼吸を整える。


 目を閉じる。


 胸の奥に意識を向ける。


 朝の授業で感じた、あのわずかな熱。


 もう一度、あれを感じたい。


(……力むな)


 教官の言葉を思い出す。


(……焦るな)


 ディーンの姿が頭に浮かんだ。


 あいつは、もう戦気の兆候を見せていた。


 悔しくないと言えば、嘘になる。


 だが。


(……負けてられないよな)


 カイルは静かに息を吐いた。


 冒険者になる。


 世界を旅して、まだ見ぬ場所へ行く。


 強い魔物とも戦う。


 困っている人がいれば、助けられるようになりたい。


 そのためには、今よりもっと強くならなければならない。


 カイルは拳を握った。


 今度は、無理に力を込めなかった。


 ただ、呼吸を整える。


 胸の奥に意識を向ける。


 すると。


(……あ)


 再び、熱が生まれた。


 胸の奥から、腕へ。


 手のひらへ。


 わずかな力が流れていく。


 カイルは目を開けなかった。


 その感覚を逃がさないように、静かに呼吸を続けた。


 右手の周囲で、空気がほんのわずかに揺らぐ。


 だが、それは一瞬だった。


 次の瞬間には、何事もなかったかのように消えていた。


「……はあっ!」


 カイルは大きく息を吐いた。


 額に汗が浮かんでいる。


 それでも、口元には笑みがあった。


「……今の、できたよな?」


 誰にともなく呟く。


 確かな手応えがあった。


 ほんの少し。


 けれど、昨日までの自分とは違う。


「……よし!」


 カイルは拳を握りしめた。


「明日もやるぞ!」


 夕暮れの訓練場に、元気な声が響いた。


     ◇


 その夜。


 王宮の客室で、ヴァルターは静かに剣の手入れをしていた。


 長年使い込まれた剣。


 その刀身には、細かな傷がいくつも残っている。


 だが、刃の輝きは少しも失われていなかった。


 ヴァルターは布で刀身を拭い、鞘へ収めた。


 そして、窓の外へ目を向ける。


 王都の夜景。


 無数の魔導灯。


 遠くには、王立総合学園の建物も見えていた。


「……若い剣士たちも、いるのだろうな」


 ヴァルターは小さく呟いた。


 王立総合学園。


 優秀な若者たちが集まる場所。


 その中には、いつか自分を超える剣士が現れるかもしれない。


 そう考えると、少しだけ楽しみでもあった。


 ヴァルターは立ち上がった。


 窓辺へ歩み寄る。


 その瞬間。


 室内の空気が、わずかに揺らいだ。


 身体の周囲に、薄い戦気が立ち上る。


 だが、それはすぐに消えた。


 ヴァルターは静かに息を吐いた。


「……まだまだ、先は長い」


 その言葉が、何を意味するのか。


 誰も知らない。


 ただ一つ確かなことは。


 彼が、今なお強さを求め続けているということだった。


 そして、その強さが、やがて王立総合学園の少年たちの前に示される日が来ることも。


 まだ、誰も知らなかった。

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