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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
第二部 交錯する星々

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新しい教室

 王立総合学園の朝は、思っていた以上に騒がしい。


 石畳の道を行き交う学生たち。校舎の窓から聞こえてくる笑い声。どこかで鳴り響く鐘の音。


 そして、その頭上を、荷物を積んだ小さな運搬用魔導具がゆっくりと飛んでいく。


「……あれ、荷物が落ちたりしないのかな」


 思わず呟くと、隣を歩いていたカイルが空を見上げた。


「落ちたら避ければいいだろ」


「いや、そういう問題じゃなくて」


「じゃあ斬るか?」


「もっと違う」


 カイル・レインフォードは、朝から実に元気だった。


 入学式を終えて、今日から本格的な授業が始まる。


 俺たちは学園の正門を抜け、それぞれの教室へ向かっていた。


 十五歳になった俺――シオン・クレイヴェルにとって、この場所は長い間目指してきた場所だ。


 魔法を学ぶだけではない。


 魔導技術、歴史、政治、剣術、商業。


 さまざまな分野の人間が集まり、それぞれの未来を目指す。


 王立総合学園。


 その名前にふさわしい規模の施設だった。


「そういえば、シオン」


「ん?」


「お前、今日は何の授業なんだ?」


「午前は魔導理論と基礎回路設計。午後は実習室の説明だったかな」


「うわ、朝から難しそうだな」


「カイルは?」


「剣術実技、身体強化、それから戦術基礎!」


「全部楽しそうに言うな」


「実際、楽しみだからな!」


 眩しい笑顔だった。


 同じ学園に入学したとはいえ、俺とカイルでは学ぶ内容がかなり違う。


 カイルは戦闘系の課程を中心に履修し、俺は魔導技術科で研究を進める予定だ。


 もっとも、共通科目もあるから、顔を合わせる機会は多い。


「お二人とも、朝から賑やかですわね」


 背後から聞き慣れた声がした。


 振り返ると、ヴィオレッタ・ローゼンベルクが歩いてきていた。


 長い金髪を青いリボンでまとめ、背筋を伸ばして歩く姿は、相変わらず堂々としている。


「おはよう、ヴィオレッタ」


「おはようございます、シオン。カイルも」


「おう! おはよう!」


「……朝からそんな大声を出さなくても聞こえますわ」


「元気なのはいいことだろ?」


「限度というものがあります」


 いつものやり取りだった。


 俺は少し笑いながら、ヴィオレッタの手元に目を向けた。


 抱えているのは、分厚い本が三冊。


「それ、全部今日使うの?」


「ええ。領地経営論、王国行政史、それから財政基礎です」


「初日から大変そうだね」


「望んで学ぶことですもの。苦にはなりませんわ」


 そう言って微笑む彼女の目は、真剣だった。


 ヴィオレッタは以前から、領地の運営や行政に強い関心を持っている。


 公爵家の令嬢だから、というだけではない。


 彼女自身が、それを学びたいと思っているのだ。


「シオンも、無理はなさらないでくださいね」


「え?」


「研究に夢中になると、周囲が見えなくなるでしょう?」


「……そんなことないと思うけど」


「以前、食事の時間を忘れていましたわよね」


「一回だけだよ」


「三回です」


 即答だった。


 隣でカイルが吹き出す。


「数えられてるぞ、シオン!」


「カイルだって訓練に夢中で夕食を忘れただろ」


「あれは仕方ない! ロイドさんがあと一本って言うから!」


「それを五回繰り返したのでしょう?」


 ヴィオレッタの追撃に、カイルが黙った。


 俺たちは顔を見合わせ、同時に笑った。


 学園に来ても、こうして三人で話せる。


 そのことが、少し嬉しかった。


     ◇


 魔導技術科の教室は、学園の東棟にあった。


 広い廊下を進み、指定された教室の扉を開ける。


 すでに十数人の学生が席についていた。


 壁際には小型の魔導灯が並び、教室の前方には黒板と、回路図を投影するための魔導装置が設置されている。


「おっ、シオン!」


 声をかけてきたのは、茶色の巻き毛に眼鏡をかけた少年だった。


 エリオット・ベルン。


 入学式の日、荷車の修理をきっかけに知り合った商家の息子だ。


「おはよう、エリオット」


「こっち空いてるよ!」


 勧められた席に腰を下ろす。


 エリオットは机の上に広げた紙を、さっそく俺に見せてきた。


「昨日の運搬用魔導具、気になって調べてみたんだ」


「昨日の?」


「ほら、校内で荷物を運んでたやつ。あれって浮遊術式だけじゃなくて、経路指定の回路も組み込んでるらしい」


「へえ……」


 紙には、かなり細かい回路図が描かれていた。


 ただし、ところどころに大きな疑問符がついている。


「ここが分からないんだよね。どうやって曲がる位置を判断してるんだろう」


「目印になる魔力信号を拾ってるんじゃないかな」


「やっぱりそう思う?」


「でも、それだけだと人が通ったときに避けられない気がする」


「そうなんだよ!」


 エリオットが勢いよく身を乗り出した。


「つまり、別の検知回路があるはずなんだ!」


「……朝から楽しそう」


 横から静かな声がした。


 見ると、深い緑色の髪を肩まで伸ばした少女が立っていた。


 耳の先が、少し尖っている。


 エルグラン森林連邦から来た留学生、リシア・エルフォードだ。


「おはよう、リシア」


「おはよう。何の話?」


「運搬用魔導具の経路制御について」


 エリオットが説明すると、リシアは回路図を覗き込んだ。


「……森林連邦では、似た仕組みを使うことがある」


「本当?」


「うん。ただし、あちらは人工的な目印じゃなくて、周囲の魔力の流れを読む方式」


 俺は思わず顔を上げた。


「周囲の魔力を?」


「そう。木々や地面に流れる微弱な魔力の違いを利用するの」


 それは興味深い話だった。


 俺が得意とする魔力の流れの感知とも、どこか通じるものがある。


「それって、環境が変わったら経路も変わるんじゃない?」


「変わる。だから都市部では使いにくい」


「なるほど……」


 人工的な目印を使う王国式。


 自然の魔力を利用する森林連邦式。


 同じ目的でも、考え方が違う。


 それだけで、ここに来た価値があるような気がした。


「二人とも、詳しいね……」


 エリオットが感心したように言う。


「いや、リシアの話は俺も初めて聞いたよ」


「私も王国式は詳しくない」


「じゃあ、三人で調べればいいんじゃない?」


 エリオットの提案に、俺とリシアは顔を見合わせた。


「それ、いいかも」


「……賛成」


 こうして、授業が始まる前に、小さな研究仲間ができた。


     ◇


 始業の鐘が鳴ると、教室に一人の男性が入ってきた。


 四十代ほどだろうか。


 短く整えた黒髪に、細い銀縁の眼鏡。


 手には数冊の資料を抱えている。


「おはよう。今日から魔導理論を担当する、アーネスト・フェルグだ」


 落ち着いた声だった。


「まず最初に言っておく。ここでは、魔法が使えることと、魔導技術を理解していることは別物だ」


 教師は黒板に、簡単な魔導回路を描いた。


 魔力を取り込み、一定の変換を経て、魔導灯を点灯させる。


 基本的な構造だ。


「この回路を見て、何が問題か分かる者はいるか?」


 教室が静かになった。


 俺は黒板を見つめた。


 取り込み口。


 変換回路。


 出力部分。


 一見すると、問題はない。


 けれど。


「……あれ?」


 思わず声が漏れた。


 教師がこちらを見る。


「何か気づいたか?」


「あ、はい」


「言ってみなさい」


 俺は立ち上がった。


「魔力の流入量を制御する部分がないと思います」


 教師の眉がわずかに動いた。


「続けて」


「この構造だと、供給される魔力が増えたとき、変換回路に負荷が集中します。短時間なら問題なくても、長期間使うと劣化が早まるはずです」


 黒板を指しながら説明する。


「特に、出力が一定のままなら、余分な魔力の逃げ道もありません」


 教師はしばらく俺を見ていた。


 そして、小さく頷いた。


「正解だ」


 教室のあちこちから、感心したような声が上がる。


「名前は?」


「シオン・クレイヴェルです」


「クレイヴェル……なるほど」


 教師は何か思い当たったようだったが、それ以上は言わなかった。


「では、クレイヴェル。君ならどう改善する?」


「流入量の調整回路を追加します。それから、劣化を早期に検知できる仕組みがあれば……」


 そこまで言って、少し迷った。


 俺がこれまで取り組んできた警告装置の研究に近い。


 ただ、ここで自分の研究成果を詳しく話す必要はないだろう。


「……異常を検知した段階で、出力を落とす仕組みを考えます」


「悪くない。ただし、装置の用途によっては、出力を落とすこと自体が危険になる場合もある」


「あ……確かに」


 例えば、夜間の照明。


 あるいは医療用の装置。


 安全のために停止した結果、別の危険が生まれることもある。


「技術者に必要なのは、正しい回路を作ることだけではない」


 教師は黒板に大きく文字を書いた。


『用途』


『環境』


『責任』


「何のために使われるのか。どこで使われるのか。そして、問題が起きたとき、誰にどのような影響が出るのか」


 教室が静まり返った。


「それを考えられない者に、人々の生活を支える技術を扱う資格はない」


 俺は、ゆっくりと椅子に座った。


 胸の奥に、その言葉が残った。


 これまで俺は、便利なものを作りたいと思ってきた。


 村の暮らしを少しでも良くしたかった。


 危険を早く知らせる仕組みを作りたかった。


 けれど、作ったものが人々の生活に入り込めば、それだけ責任も大きくなる。


 分かっていたつもりだった。


 まだ、学ぶことは多い。


     ◇


 昼休み。


 俺はエリオット、リシアと一緒に食堂へ向かった。


 学園の食堂は広く、学生たちで賑わっていた。


 料理の種類も多い。


 肉料理、魚料理、野菜の煮込み。


 そして、見たことのない料理まである。


「これ、何だろう」


 俺が指差したのは、薄い生地で肉と野菜を包んだ料理だった。


「南方の料理だよ。香辛料が効いてて美味しいんだ」


 エリオットが説明してくれる。


「じゃあ、それにしようかな」


「私は野菜の煮込みにする」


 リシアは迷わず決めた。


 料理を受け取って席を探していると、遠くから大きな声が聞こえた。


「シオーン!」


 嫌な予感がした。


 振り返る。


 予想どおり、カイルがこちらへ走ってきていた。


 その後ろには、背の高い赤茶色の髪の少年がいる。


 ディーン・アシュベルクだ。


「お前、食堂にいたのか!」


「いるけど……何?」


「聞いてくれ! 今日の剣術実技でさ!」


 カイルは興奮した様子で話し始めた。


 どうやら、最初の授業でディーンと模擬戦をすることになったらしい。


「で、どっちが勝ったの?」


「まだやってない!」


「……そう」


「午後だ!」


「じゃあ、何を報告しに来たの?」


「楽しみだってことを!」


 俺は思わず額を押さえた。


 ディーンが苦笑する。


「すまない。こいつ、朝からずっとこんな調子なんだ」


「大変だったね」


「おい、二人とも!」


 エリオットが笑いをこらえ、リシアは不思議そうにカイルを見ていた。


「……剣術って、そんなに楽しい?」


「楽しいぞ!」


「即答なんだ」


「もちろん!」


 カイルの答えに、リシアは少し考え込んだ。


「……魔導回路を調べるのと、同じ感覚なのかな」


「たぶん、そうだと思う」


 俺が答えると、カイルがこちらを見る。


「お前ら、回路の話になると目が変わるもんな」


「カイルも剣の話になると同じだよ」


「そうか?」


「そうだよ」


 そんな話をしていると、食堂の入口からヴィオレッタが入ってきた。


 隣には、栗色の髪を結んだ少女がいる。


 セシリア・アルヴェインだ。


 入学式の日に知り合った、領地経営に関心を持つ貴族の令嬢だった。


「皆さん、お揃いですのね」


「ヴィオレッタ。こっち、空いてるよ」


「ありがとうございます」


 二人が席につく。


 こうして見ると、ずいぶん賑やかな顔ぶれになった。


 剣士を目指す者。


 研究者を目指す者。


 領地経営を学ぶ者。


 それぞれ、目指すものが違う。


 けれど、同じ場所で学んでいる。


「そういえば、シオン」


 ヴィオレッタが俺に尋ねた。


「午前の授業はいかがでした?」


「面白かったよ。特に、技術者の責任についての話が印象に残った」


「責任、ですか?」


「うん。便利なものを作るだけじゃ駄目なんだって」


 俺が授業の内容を説明すると、ヴィオレッタは真剣に耳を傾けた。


「それは領地経営にも通じる考え方ですわね」


「そうなの?」


「ええ。例えば、新しい灌漑設備を導入したとしても、維持費や管理する人員を考えなければ、かえって領民の負担になることがあります」


「なるほど……」


 セシリアも頷いた。


「私の家の領地でも、似た問題がありました。設備を作る費用より、維持する費用の方が大変だったんです」


「それ、詳しく聞きたいな」


 思わず身を乗り出す。


 ヴィオレッタが小さく笑った。


「やはり、そういう話にはすぐ食いつきますのね」


「だって、実際に使う人の話は大事だから」


「……そうですわね」


 彼女は少しだけ柔らかい表情になった。


「でしたら、今度、資料をお見せしますわ」


「ありがとう。助かるよ」


 何気ない会話だった。


 けれど、研究室だけでは得られない知識が、ここにはある。


 そんなことを改めて感じた。


     ◇


 午後の授業を終えた頃には、外は夕暮れに染まり始めていた。


 魔導技術科の実習室は、想像していた以上に充実していた。


 精密な加工器具。


 魔力の流れを測定する装置。


 回路を組み立てるための専用台。


 王立魔導技術院ほどではないにしても、学生が自由に学べる環境としては十分すぎる。


「……ここなら、いろいろ試せそうだな」


 俺は実習室の扉を閉めながら呟いた。


 今日だけでも、考えたいことがいくつも増えた。


 森林連邦の魔力経路制御。


 用途によって変わる安全設計。


 そして、警告装置の改良。


 頭の中で、さまざまな考えがつながっていく。


「シオン!」


 廊下の向こうから声がした。


 カイルだった。


 その後ろにディーンもいる。


「模擬戦、終わったの?」


「おう!」


「どうだった?」


 カイルがにやりと笑った。


「引き分けだ!」


「……へえ」


 少し意外だった。


 カイルは昔から剣の腕を磨いてきた。


 ロイドとの訓練も続けている。


 そのカイルと引き分けたということは、ディーンも相当な実力者なのだろう。


「最後は二人とも武器を落としてな」


 ディーンが肩をすくめる。


「先生に止められた」


「いや、あと少し続けてたら俺が勝ってた!」


「それはこっちの台詞だ」


「何だと?」


「やるか?」


「望むところだ!」


「廊下でやらないでね」


 二人が同時に黙った。


 どうやら、良いライバルができたらしい。


 俺たちは並んで校舎を出た。


 夕焼けの中、学園の中央塔が赤く染まっている。


 遠くでは、魔導灯が一つ、また一つと灯り始めていた。


「なあ、シオン」


 カイルが空を見上げながら言った。


「ここ、面白いな」


「うん」


「強いやつもいるし、知らないこともいっぱいある」


「そうだね」


「もっと強くなれる気がする」


 その声には、迷いがなかった。


 俺は少し笑った。


「俺も、もっと学びたいよ」


 カイルがこちらを見る。


「じゃあ、競争だな」


「何の?」


「どっちが先に、自分の目標に近づくか!」


「それ、比べられるの?」


「細かいことはいいんだよ!」


 相変わらずだった。


 でも、悪くない。


 俺たちは、それぞれ違う道を歩いている。


 それでも、同じ未来を目指して進んでいける。


 そう思えた。


 校門の近くまで来ると、ヴィオレッタとセシリアの姿が見えた。


 こちらに気づいたヴィオレッタが、小さく手を振る。


「シオン、カイル!」


 俺たちは二人のもとへ歩いていった。


 今日から始まった、新しい生活。


 まだ何も知らない。


 この学園で、どんな人々と出会うのか。


 どんな困難が待っているのか。


 そして、俺たちがそれぞれ何を選ぶことになるのか。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 俺は、ここで学びたい。


 もっと広い世界を知りたい。


 自分にできることを、少しずつ増やしていきたい。


 夕暮れの校門を抜けながら、俺は胸の中でそう思った。


 新しい日々は、まだ始まったばかりだった。


     ◇


 その日の夜。


 王立総合学園の教員棟では、翌週の授業に向けた準備が進められていた。


 人気のない廊下を、一人の教師が歩いている。


 腕には、学生の成績資料と授業計画書。


 ごく普通の光景だった。


 教師は自分の執務室に入ると、机の上に資料を置いた。


 そして、一枚の名簿を開く。


 新入生の名前が並んでいた。


 その中の一つに、指が止まる。


『シオン・クレイヴェル』


 教師はしばらくその名前を眺めていた。


 やがて、名簿を閉じる。


「……予定より、少し早いな」


 小さな呟きは、誰にも聞かれなかった。


 窓の外では、王都の魔導灯が静かに輝いていた。


 その光は、いつもと何も変わらない。


 少なくとも、今夜のところは。

挿絵(By みてみん)

エリオット、リシア、ディーン、セシリアのイメージ添付してます。

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