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群星のヴェルシェリア  作者: セイ
異界の勇者と帝国の戦火

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勇者の分岐点

高橋悠斗が初めて雷を放ったとき、帝国軍の教官たちは驚いていた。


 その反応を、悠斗は忘れられなかった。


 昨日までの自分は、どこにでもいる高校生だった。成績は中の上。運動はそれなりに得意だったが、全国大会に出場するような才能はない。


 将来の夢も、まだはっきりしていなかった。


 そんな自分が、異世界では特別な力を持っている。


 しかも、帝国軍の精鋭たちが、その才能を認めてくれている。


「ユウト! もう一度だ!」


「はい!」


 ヴァルディア帝国、第二魔導訓練場。


 悠斗は右腕を伸ばし、十歩ほど先に設置された金属製の標的へ意識を集中させた。


 指先に熱が集まる。


 皮膚の下を、細かな振動が走る。


 教官から教わったとおり、体内の魔力を腕へ流す。


「――《雷弾》!」


 青白い閃光が走った。


 乾いた破裂音とともに、標的の中心が激しく揺れる。


「命中!」


 観測役の兵士が叫んだ。


 悠斗は、思わず拳を握った。


「よっしゃ!」


「見事だ。昨日まで魔導を知らなかったとは思えん」


 指導官のレオン・ハーゼルは、満足そうにうなずいた。


 三十代前半ほどの帝国軍雷撃魔導士。左頬に古い傷があり、厳しい表情をしているが、指導は丁寧だった。


「ただし、魔力を流しすぎだ。次は出力を半分に抑えろ」


「半分ですか?」


「ああ。敵を倒すだけが魔導ではない。必要な力を、必要な場所へ届けることが重要だ」


 悠斗は、標的を見つめた。


 中心部には、小さな焦げ跡が残っている。


 自分が放った雷の痕跡。


 それが、どうしようもなく嬉しかった。


「……もう一回、やっていいですか?」


 レオンは笑った。


「もちろんだ」


 悠斗は再び構えた。


 今度は、さっきより慎重に魔力を集める。


 青白い光が、指先に小さく灯った。


 ――バチッ!


 雷が走る。


 標的の中心に、正確に命中した。


「……成功だ」


 レオンが、低い声で言った。


「出力を半分に抑えながら、命中精度を維持した。素晴らしい」


 悠斗は、思わず笑った。


 そのとき。


「……君には、もっと高度な訓練を受けてもらいたい」


 レオンが言った。


「高度な訓練?」


「ああ。帝国軍の精鋭雷撃部隊が使用する技術だ」


 悠斗は、目を見開いた。


「……俺が?」


「君なら、十分に可能だ」


 レオンは、静かに続けた。


「ただし、通常の訓練とは違う。実戦を想定した内容になる」


 悠斗は、少しだけ考えた。


 実戦。


 その言葉には、昨日まで感じなかった重みがあった。


 だが。


「……受けてみたいです」


 気づけば、そう答えていた。


     ◇


 同じ頃。


 治癒魔導訓練場では、佐伯美咲が教官の指導を受けていた。


「傷口を塞ぐことだけ考えないでください」


 女性教官が、落ち着いた声で説明する。


「治癒魔法は、身体が本来持つ回復力を助けるものです。損傷の状態を把握せずに魔力を流せば、かえって負担になることもあります」


「……はい」


 美咲は、負傷者を模した人形の腕に触れた。


 淡い緑色の光が広がる。


 人形に刻まれた傷の模型が、ゆっくりと閉じていった。


「よくできました」


 教官がうなずく。


「初日としては十分です」


「ありがとうございます」


 美咲は、ほっと息を吐いた。


 だが、その直後。


「……もう嫌だ」


 隣の区画から、小さな声が聞こえた。


 振り返ると、一人の女子生徒が立ち尽くしていた。


 肩まで伸びた黒髪。


 同じクラスの小宮奈緒だった。


「奈緒ちゃん?」


 美咲が近づく。


「……私、訓練したくない」


 奈緒は、震える声で答えた。


「昨日もほとんど魔力がないって言われたし、今日も何をやってもうまくいかない」


「でも、まだ始まったばかりだよ」


「そういうことじゃないの」


 奈緒は、首を振った。


「私、魔法なんて使いたくない。戦いたくもない。ただ帰りたいだけなのに……」


 美咲は、言葉を失った。


 奈緒の目には、涙が浮かんでいた。


「みんな、少しずつ楽しそうになってる。魔法が使えるとか、強くなれるとか。でも、私は怖いままなの」


 美咲は、そっと奈緒の肩に手を置いた。


「……分かった。無理しなくていいよ」


「本当に?」


「うん。久世君も、訓練は強制じゃないって確認してくれたでしょう?」


 奈緒は、小さくうなずいた。


「私からも教官に話す。一緒に行こう」


 美咲は奈緒の手を取った。


 しかし、その様子を見ていた教官の表情は、あまり歓迎しているようには見えなかった。


     ◇


 昼休み。


 朔也は、美咲から話を聞いていた。


「……小宮さんが?」


「うん。訓練を休みたいって伝えたら、教官に『もう少し努力してから判断してはどうか』って言われたの」


「断られたのか?」


「はっきり断られたわけじゃない。でも、奈緒ちゃんはそれ以上言えなくなっちゃって」


 朔也は、眉をひそめた。


 昨日、将軍は訓練への参加を強制しないと約束した。


 それなのに、現場では断りにくい雰囲気が作られている。


「……俺から確認する」


「ありがとう。でも、久世君」


「何?」


「全部、一人で抱え込まないでね」


 朔也は、少し驚いた。


「……そんなつもりはないよ」


「本当に?」


 美咲は、じっと朔也を見た。


「昨日から、ずっとみんなのために動いてるでしょう。自分のことだって大変なのに」


 朔也は、苦笑した。


「……放っておけないだけだよ」


「それが心配なの」


 美咲は、静かに言った。


「三十二人全員を守ろうとして、久世君が倒れたら困るから」


 朔也は、返事ができなかった。


 そのとき、食堂の入口から悠斗が現れた。


「おーい、朔也!」


 いつもより明るい声だった。


「聞いてくれよ! 今日、雷魔法を三回連続で成功させた!」


「すごいじゃないか」


「だろ!」


 悠斗は、興奮した様子で椅子に座った。


「しかも教官がさ、俺ならすぐに中級魔導まで進めるって!」


 美咲が微笑んだ。


「よかったね、高橋君」


「ああ! 何か、初めて自分に才能があるって思えた」


 悠斗は笑った。


 だが、朔也は一つ気になった。


「……訓練、かなり厳しいんじゃないか?」


「まあな。でも面白いよ」


「無理はするなよ」


「分かってるって」


 悠斗は、少しだけ顔をしかめた。


「……なあ、朔也」


「何?」


「お前、俺が訓練するの嫌なのか?」


「そんなことない」


「だったら、毎回心配そうな顔するなよ」


 朔也は、言葉に詰まった。


 悠斗は、視線を落とした。


「俺だって、帰りたいよ。でも、ここで何もできないまま待ってるのは嫌なんだ」


 その声は、思っていたより真剣だった。


「……分かるよ」


「本当に?」


「ああ」


 朔也は、うなずいた。


「ただ、帝国が何を考えてるのか分からないから」


「……それは、そうだけどさ」


 悠斗は、しばらく黙っていた。


 そして、立ち上がった。


「午後の訓練、早めに行くわ」


「悠斗……」


「また後でな」


 軽く手を振って、悠斗は食堂を出ていった。


 美咲が、静かに息を吐いた。


「……少しずつ、変わってきてるね」


「ああ」


 朔也は、悠斗の背中を見つめた。


 昨日まで、同じ教室で笑っていた。


 それなのに、たった数日で、見ているものが違い始めている。


     ◇


 午後。


 朔也は、訓練場の管理責任者を訪ねた。


「訓練を希望しない生徒について、確認したいことがあります」


 応対したのは、昨日の測定にも立ち会っていた文官だった。


「何でしょう?」


「訓練は強制ではないと聞いています。ですが、休みたいと申し出た生徒が、参加を続けるよう勧められています」


「……教官は、本人の将来を考えて助言したのでしょう」


「助言と強制は違います」


 朔也は、静かに言った。


「本人が断っているなら、その意思を尊重してほしいんです」


 文官は、少しだけ眉をひそめた。


「クゼ殿。ここは、あなた方の世界とは違います」


「……分かっています」


「魔力を持つ者が、制御方法を知らずに生活することは危険です。訓練は、あなた方自身を守るためでもあるのです」


「安全教育が必要なのは理解しています」


 朔也は答えた。


「でも、それなら戦闘訓練と分けられるはずです」


 文官は、口を閉じた。


「魔力の暴走を防ぐための教育は受けます。ただ、剣や攻撃魔法の訓練まで全員に必要だとは思いません」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて文官は、ため息をついた。


「……上に確認します」


「お願いします」


 朔也は、頭を下げた。


 その直後だった。


 廊下の向こうから、二人の軍人が歩いてきた。


「……例の勇者か」


「特殊適性班の?」


 小声だったが、朔也には聞こえた。


「測定装置を壊したらしい」


「将軍が直接報告を受けたそうだ」


 二人は、朔也に気づくと口を閉じた。


 朔也は、何も言わなかった。


 しかし、胸の奥に小さな不安が残った。


 ――俺の能力って、何なんだ?


 昨日の測定では、魔力量を測れなかった。


 今日も、研究員は詳しい説明を避けている。


 自分だけが、何か別の目的で調べられているような気がした。


     ◇


 同じ頃。


 アルセリア王国、王立魔導研究所。


「……やっぱり、おかしい」


 俺は、机の上に並べた資料を見つめていた。


 帝国で観測された魔力波形。


 リューデン王国の第六観測記録。


 そして、古代遺跡で確認された魔導回路の構造。


 似ている部分はある。


 だが、同じではない。


「どこが気になるの?」


 ヴィオレッタが尋ねた。


「この部分だ」


 俺は、波形の一箇所を指さした。


「帝国の魔力反応は、一度だけ大きく変動した後、急激に安定している」


「……召喚が成功したから、ではないの?」


「その可能性はある。でも、普通の召喚術なら、対象を呼び出した後に魔力が減衰するはずなんだ」


 エリオットが、資料をのぞき込んだ。


「……確かに。これだと、何かが継続して動いているように見えるね」


「そうなんだ」


 俺は、うなずいた。


「召喚そのものとは別に、何かの装置が稼働しているのかもしれない」


 そのとき、カイルが口を開いた。


「……二つの波形を、分けて考えた方がいい」


「二つ?」


「ああ。こっちが召喚時の反応だとすると、もう一つは……」


 カイルは、紙の上に線を引いた。


「……同期を維持するための反応に見える」


 俺は、思わず顔を上げた。


「同期?」


「二つの異なる魔力の流れを、同じ周期に合わせるようなものだ」


 エリオットが、目を細めた。


「……それ、かなり高度な制御だよ」


「ああ」


 カイルは、静かにうなずいた。


「普通の魔導装置じゃ、難しいだろうな」


 俺は、カイルの描いた線を見つめた。


 確かに、そう考えると説明がつく。


 だが、気になることがあった。


「……カイル、よくそんな発想が出てきたな」


 カイルは、一瞬だけ動きを止めた。


「……迅雷流の改良で、似たようなことを考えたことがある」


「そうなのか?」


「ああ。魔力を一気に流すだけじゃ、身体が壊れるからな」


 俺は、納得した。


 《雷迅》は、カイル自身の身体に大きな負担をかける技だ。


 その制御を研究しているなら、魔力の同期という考え方にたどり着いても不思議ではない。


「……なるほど」


 俺は、再び資料へ視線を戻した。


 そのとき、研究室の扉が叩かれた。


「シオン君、いるかな?」


 ユリウスさんだった。


「はい!」


 扉を開くと、ユリウスさんは一通の封書を持っていた。


「リューデン王国から、正式な情報提供が届いたよ」


 俺は、思わず姿勢を正した。


「何か分かったんですか?」


「帝国皇都で、大規模な儀式が行われた可能性が高いそうだ」


 ユリウスさんは、封書を机に置いた。


「ただ、何を召喚したのかは、まだ分かっていないんだ。リューデン王国は、帝国へ正式な照会を行う方針らしい」


「……エレノア殿下が?」


「うん。殿下の判断だと聞いているよ」


 俺は、少しだけ安心した。


 エレノア殿下なら、慎重に動いてくれるだろう。


 だが、ユリウスさんの表情は険しかった。


「それと、もう一つ気になる報告がある」


「何ですか?」


「帝国軍が、アルセリア国境付近の部隊を増強しているんだ」


 研究室が、静まり返った。


「国境ですか?」


 ヴィオレッタが尋ねた。


「そう。まだ侵攻の兆候とまでは言えないけれど、通常の演習にしては規模が大きいんだ」


 俺は、拳を握った。


 召喚。


 軍備増強。


 この二つが、無関係だとは思えなかった。


     ◇


 夕方。


 リューデン王国、王宮。


 エレノア・リューデンは、ハロルド・セインから新たな報告を受けていた。


「帝国への照会文書は?」


「すでに送付しました。ただ、回答までには時間がかかると思われます」


「そうでしょうね」


 エレノアは、静かにうなずいた。


「それと、殿下」


 ハロルドは、別の書類を差し出した。


「第六観測記録の解析について、王室研究官から追加報告がありました」


「何か分かったの?」


「記録の一部に、外部世界の存在が複数確認されたことを示す可能性のある記述が見つかりました」


 エレノアは、眉をひそめた。


「複数?」


「はい。ただし、記録が欠損しているため、同時に存在したのか、異なる時代に現れたのかは分かりません」


 エレノアは、しばらく黙っていた。


 異世界から来た存在。


 それが、一人ではなかった可能性。


 そして、帝国で起きた大規模な召喚現象。


「偶然とは思えないわね」


 ハロルドは、静かにうなずいた。


「私も同感です」


 そのとき、扉が叩かれた。


「失礼します」


 ヴァルターが入ってきた。


 いつもの軽装姿で、腰には剣を帯びている。


「エレノア殿下。国境の件、報告が入りました」


「聞かせて」


「帝国軍が、アルセリアとの国境だけでなく、リューデン方面でも偵察活動を増やしているようです」


 エレノアの表情が変わった。


「こちらにも?」


「はい。まだ小規模ですが、通常の巡回とは動きが違います」


 ハロルドが、地図を広げた。


「……帝国は、両国の反応を探っている可能性がありますね」


 ヴァルターは、うなずいた。


「俺もそう思います」


 エレノアは、机の上の地図を見た。


 アルセリア王国。


 リューデン王国。


 ヴァルディア帝国。


 三国の国境が、複雑に交わっている。


「帝国は、何を考えているのかしら」


 ヴァルターは、少しだけ表情を険しくした。


「戦争の準備かもしれません」


 その言葉に、エレノアは目を閉じた。


 もし本当に戦争が始まれば、多くの人が傷つく。


 そして、召喚された存在が人間だった場合、その人々も戦争に利用されるかもしれない。


「急ぎましょう」


 エレノアは、静かに言った。


「帝国の動きを、もっと詳しく調べる必要があるわ」


「承知しました」


 ハロルドが頭を下げる。


 ヴァルターも、静かにうなずいた。


 会議が終わり、ハロルドが退室した後。


 ヴァルターは、扉が閉まったことを確認してから、エレノアへ近づいた。


「……エレノア」


「何?」


「無茶はするなよ」


 エレノアは、少しだけ笑った。


「まだ何もしていないわ」


「『まだ』って言ったな」


「あなたには、隠し事ができないわね」


「今さらだろ」


 ヴァルターは、肩をすくめた。


 エレノアは、窓の外へ視線を向けた。


「もし本当に、帝国が異世界から人を呼び出していたら……」


「ああ」


「その人たちは、どうなるのかしら」


 ヴァルターは、しばらく黙っていた。


 そして、静かに答えた。


「……まずは、確かめるしかない」


「そうね」


 エレノアは、うなずいた。


「でも、もし助けを求めている人がいたら、私は放っておけないと思う」


 ヴァルターは、彼女を見つめた。


「……そのときは、俺を使え」


「いいの?」


「当然だろ」


 ヴァルターは、少しだけ笑った。


「お前が一人で危ないところへ行くより、ずっといい」


 エレノアは、静かに微笑んだ。


「ありがとう、ヴァルター」


     ◇


 夜。


 ヴァルディア帝国の勇者宿舎。


 朔也は、窓の外を見つめていた。


 遠くの訓練場では、まだ魔法の光が見える。


 青白い雷。


 赤い炎。


 緑色の結界。


 昨日まで、誰も使えなかった力。


 それが、今では少しずつ形になっている。


「久世君」


 背後から、美咲の声がした。


「どうした?」


「奈緒ちゃんの件、ありがとう」


「訓練、休めることになった?」


「うん。安全教育だけ受ければいいって」


 朔也は、ほっと息を吐いた。


「よかった」


「でも……」


 美咲は、少しだけ表情を曇らせた。


「ほかにも、訓練を受けたくない子がいるみたい」


「そうか」


「逆に、もっと強くなりたいって言ってる子もいる」


 朔也は、うなずいた。


「それでいいと思う」


「え?」


「全員が同じ考えじゃなくてもいい。大事なのは、自分で選べることだ」


 美咲は、少しだけ笑った。


「久世君らしいね」


 朔也も、苦笑した。


 だが、そのとき。


 廊下の向こうから、悠斗の声が聞こえた。


「だから、俺は受けたいって言ってるんだ!」


 朔也と美咲は、顔を見合わせた。


 急いで廊下へ出る。


 そこには、悠斗と数人の生徒がいた。


「どうした?」


 朔也が尋ねると、悠斗が振り返った。


「朔也」


 その表情は、少し険しかった。


「俺、明日から精鋭部隊の訓練に参加する」


「分かった」


「それだけじゃない」


 悠斗は、まっすぐに朔也を見た。


「帝国軍から、正式に協力を求められた」


 朔也は、息を止めた。


「協力?」


「ああ。国境の警備任務だって」


 美咲が、目を見開いた。


「国境?」


 悠斗は、うなずいた。


「まだ戦闘じゃない。見学と補助だけだって説明された」


 朔也は、静かに尋ねた。


「いつ?」


「三日後」


 沈黙。


 朔也は、悠斗を見つめた。


 昨日まで、ただの高校生だった。


 今日、初めて魔法を使った。


 そして三日後には、国境へ向かうという。


「悠斗」


「分かってる」


 悠斗は、朔也の言葉を遮った。


「危ないかもしれないってことくらい」


「だったら……」


「でも、俺は自分で決めたいんだ」


 悠斗の声が、少しだけ強くなった。


「お前がみんなを守ろうとしてるのは分かる。でも、俺までお前に守られるだけの人間じゃない」


 朔也は、何も言えなかった。


 悠斗は、静かに続けた。


「俺にも、できることがあるんだ」


 その言葉には、確かな意志があった。


 朔也は、ゆっくりと息を吐いた。


「分かった」


 悠斗が、少し驚いたように顔を上げた。


「本当に?」


「ああ」


 朔也は、うなずいた。


「ただ、一つだけ約束してくれ」


「何だよ?」


「危険だと思ったら、必ず戻ってこい」


 悠斗は、しばらく黙っていた。


 そして、小さく笑った。


「分かったよ」


 だが、その笑顔を見ても、朔也の不安は消えなかった。


 国境。


 帝国軍。


 そして、まだ何も知らない自分たち。


 ――本当に、これでいいのか?


 答えは、まだ出なかった。


     ◇


 同じ夜。


 帝国軍参謀本部。


 グライス将軍は、部下から報告を受けていた。


「高橋悠斗、国境警備任務への参加を承諾しました」


「そうか」


 将軍は、静かにうなずいた。


「久世朔也は?」


「参加しておりません。また、訓練への参加を希望しない生徒について、再度申し入れを行っています」


「相変わらずだな」


 将軍は、少しだけ笑った。


「だが、それでいい」


 部下が、首をかしげた。


「よろしいのですか?」


「ああ。全員を同じ方向へ動かす必要はない」


 将軍は、机の上の地図を見た。


 アルセリア王国との国境。


 そこには、複数の部隊配置が記されている。


「三日後の視察には、予定どおり参加させろ」


「承知しました」


「ただし、危険な任務には就かせるな」


 部下が、少し驚いたように顔を上げた。


「将軍?」


「今、勇者を失うわけにはいかん」


 将軍は、低い声で答えた。


「まずは、帝国軍の一員として行動することに慣れさせる」


 そして、静かに続けた。


「戦場へ出るかどうかは、その後だ」


 部下は、頭を下げた。


 扉が閉まる。


 将軍は、一人になった執務室で、地図を見つめていた。


 国境の向こうには、アルセリア王国がある。


 そして、そのさらに先には、リューデン王国。


 帝国の未来を左右する戦いが、近づいていた。


     ◇


 その頃。


 アルセリア王国の王都。


 俺は、研究所の窓から夜空を見上げていた。


 帝国の魔力波形。


 リューデン王国の古代記録。


 そして、国境で増え続ける軍の動き。


 何かが、つながり始めている。


 だが、まだ全体像は見えない。


「シオン」


 背後から、ヴィオレッタが声をかけた。


「そろそろ休んだ方がいいわ」


「ああ」


 俺は、振り返った。


 ヴィオレッタは、少しだけ心配そうな表情をしていた。


「また、一人で抱え込もうとしているでしょう?」


「そんなつもりはないよ」


「本当に?」


 俺は、苦笑した。


「努力する」


 ヴィオレッタは、小さく笑った。


「それなら、いいわ」


 そして、俺の隣に立った。


 二人で、夜空を見上げる。


 無数の星が、静かに輝いていた。


 そのどこかに、俺がかつて暮らしていた世界があるのだろうか。


 それとも、まったく別の場所なのだろうか。


 分からない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 俺は、もうこの世界で生きている。


 守りたい人がいる。


 帰る場所がある。


 そして、その日常を脅かすものが近づいている。


「ヴィオレッタ」


「何?」


「もし戦争になったら……」


 言いかけて、俺は口を閉じた。


 ヴィオレッタは、静かに俺を見た。


「そのときは、一緒に考えましょう」


 俺は、少し驚いた。


「いいのか?」


「当然でしょう」


 彼女は、微笑んだ。


「あなた一人で、全部決める必要はないのよ」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。


「ありがとう」


 俺は、静かに答えた。


 夜風が、窓から吹き込んだ。


 遠くで、王都の鐘が鳴る。


 その音は、どこか不吉な予感を含んでいるように聞こえた。


 ――帝国。


 ――勇者召喚。


 ――古代文明。


 まだ見ぬ人々の運命が、少しずつ俺たちの世界へ近づいていた。

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