第6話 血と甘い匂い
「弾は貫通しています。出血は多いですが、急所は外れています。旦那様には安静にしていただき、血が増え傷が癒えるのを待ちましょう」
オオカミを追い詰めた狩人――だった男――は、赤ずきんの治療を終えると感情の見えない声で淡々と告げた。
彼は赤ずきんを旦那様と呼び、オオカミが抵抗する間さえ与えず、伯爵家の森の狩猟屋敷まで運んできた。おばあさまを大奥様と呼び、おばあさまも彼を信頼した様子で赤ずきんの治療を任せた。
「これは赤ずきんに仕える家臣よ。そこらの医師より人の身体に詳しいから安心なさい」
おばあさまは、恐怖と混乱に崩れそうなオオカミの方肩を優しく抱きしめた。
オオカミは狩人だった家臣が赤ずきんを治療するのを手伝った。
清潔な布やお湯を取り換えたり、赤ずきんの汗をぬぐったり、こんなことしかできないんだなぁ、と無力感に打ちひしがれながら。
「あんなに毎日呪われていたくせに、銃で撃たれて死にかけるなんて……」
オオカミは赤ずきんの手を握りしめながら鼻をすすった。
「利権狙いのやつらが痺れを切らしたのね」
おばあさまは赤ずきんを見つめながら厳しい表情で語った。
「この子はずっと街道計画に反対してきた。生意気な若い領主を秘密裏に呪いで始末したいのに、呪っても呪っても赤ずきんは死なない。それならと、身元が怪しい傭兵を雇い、隣の領主の私兵に紛れ込ませ、赤ずきんを殺したら素知らぬ顔でトカゲのしっぽを切り捨てるつもりだったのでしょう」
おばあさまは二階の窓から冷ややかに庭を見下ろした。
視線の先には、愛の冒険に出かけた伊達な狩人がいた。彼は縄で縛りあげられ庭に転がされ、武装した兵士たちと猟犬に取り囲まれている。
赤ずきんが猟銃で撃ち、捕らえさせたのはこちらの狩人だった。
「森番でもないのに禁猟中の森をうろちょろし、そのくせ密猟をするわけでもない男なんておかしいでしょう? わたくしも恋に落ちたふりをして素性を探っていたけれど、思いのほかせっかちで気が短かったわね」
おばあさまは貴婦人らしく高慢に微笑んだ。
「おかげで領主の暗殺未遂事件として大手を振って大騒ぎできるわ。今までのように公然と圧力をかけるのは難しくなる。隣の領主も利権狙いのやつらに利用されていたと知って怒り狂っているから、強硬な街道計画反対派になってくれたわ。お前もご苦労だったわね」
「もったいなきお言葉にございます」
狩人だった家臣はおばあさまに深々と頭を垂れ、それからオオカミを見た。
こうして屋根の下で見ると、オオカミの目にはありふれた男に見えた。日々こつこつと畑を耕し、家畜の世話をし、誰の目にも留まらない、そういう男。顔も体格も特徴らしい特徴がなく、人混みの中から探し当てたり、あとあと思い出したりするのが難しそうだ。
「俺は立場上、街道利権ばかりか爵位と領地まで求めた輩…… 旦那様の再従兄に雇われた殺し屋です」
狩人だった家臣はあっさりとオオカミに打ち明けた。
ありがちな話だ。血縁があると血と混ざり合い、呪いが濃くなる。
オオカミは赤ずきんの額に浮かぶ汗をぬぐってやりながら声を絞り出した。
「私は貴族や偉い人じゃないからこう思っちゃうのかもしれないけど、土地や利権がほしいからって毎日のように呪いを飛ばし続けるって、常軌を逸しているよ。呪う方だって、色々と削り取られちゃうのに……」
「削り取られ、骨と皮だけになって死んだそうです。先ほど」
狩人だった家臣がオオカミに淡々と告げた。
「なかなか死ななかったので難儀していました。しかし、俺があなたを殺し損ねたと報告を受け、狂気のまま最後の呪いを吐き出すとこと切れたとか。ようやく、“なぜか突然瘦せ衰え死んだ” ことになりました」
オオカミを見る狩人は礼儀正しく、やはりどこにでもいそうな男に見えた。
だからどこにでも潜り込み、馴染み、跡形もなく消え去ることができるのかもしれない。
「わたくしなら最初に呪いをかけられた時点で、適当に理由をこしらえて不届き者を滅ぼしていましたよ。けれど、赤ずきんはわたくしと違って、おおらかでのんびり屋さんでしょう? 」
おばあさまは困り果てたように、寝台で眠る孫を見た。
「戦場の武勇ばかりか、どれほど呪っても死なない。呪いの森の獣を手懐けた領主。赤ずきんを呪う者ばかりが破滅に追い込まれる。親族どもや利権目当ての愚か者どもが、この地と爵位、呪いの森を恐れ諦めるまで、気長に時間をかけたの。オオカミや、あなたが赤ずきんにかけられた呪いを食べてくれたおかげよ」
おばあさまは生粋の貴婦人なので、優雅に容赦がない。
同じくらい慈悲深く、身分を超えた友情に篤い人だ。
貴婦人は冷酷な高慢を装い、オオカミに種明かしをしてくれた。
赤ずきんは、呪いを受け続け、耐え続け、我が身を蝕む呪いを利用して敵を炙り出し、恐怖を植え付け、騎士の剣を汚さず命を削り落とした。
そのために、オオカミが必要だった。呪いを食べ、呪った者を削り、狂わせ、破滅させる女が。呪いを食べる女を殺せなかった、と報告させ、なかなか死なない再従兄にとどめを刺すために。
「俺があなたの存在を再従兄に伝えました」
狩人だった家臣は、静かにオオカミに告げた。
「案の定、再従兄はあなたを殺すよう命じました。あなたの存在を知る者はほかにいません。すべて俺の独断です。俺が報告するまで、旦那様はなにもご存じありませんでした」
不意に、オオカミの手が弱く、たしかに握り返された。
「赤ずきん!?」
弾かれるように寝台に向き直ると、青空色の目がオオカミを見上げていた。
雲ひとつなく真っ青なのに今にも雨が降り出しそうだなぁ、とオオカミは赤ずきんを雨宿りできる木陰に連れて行ってあげたくなった。赤ずきんを雨から守ってあげたくて、オオカミは彼におおいかぶさった。大粒の雨よりもとめどなく、オオカミの涙が赤ずきんの頬に滴り落ちる。
おばあさまと狩人だった家臣は部屋から出て行った。
「おばあさまと狩人さん、って呼んでいいのかな、二人からいろいろ聞いたよ」
赤ずきんが起き上がり、重ねた枕に背を預けるのを支えながら、オオカミは彼をからかった。少しでもいつもと同じ明るい雰囲気にしてあげたかった。
「本当に領主様は大変だねぇ」
のんきを装うオオカミの調子に、赤ずきんは泣くのをこらえるように笑い、腹部によみがえった痛みに眉をしかめた。
「まったく、大変ですよ。父は戦死し、母は病死し、再従兄や親戚から爵位と領地、よそ者から森を狙われ、毎日山のように呪われ、大切な人まで失いかけ、このざまです」
赤ずきんがオオカミの肩に頭をもたせ、腕に身を任せると、彼の重みと体温がたしかに彼女に伝わってくる。
「このざまなのはお互い様だよ」
オオカミは赤ずきんの頭をなでながら囁いた。
「わたしの両親は呪われて殺されちゃったんだ。お父さんに一方的に恋して狂っちゃった人に。わたしも呪われて、死にかけて、たまたま獣に拾われた。勝手に契約を結ばされて、生き残っちゃった。おまけに呪いを触れて、美味しく食べられるようになっちゃった。意味わかんないよねぇ」
照れ笑いにはまだほんの少し苦みが残る。
その苦みを舐め取ろうとするように、赤ずきんはオオカミの冷たい頬に口づけた。
「オオカミさんのことを知ることができて、嬉しいです」
「そういうの、ちょっと困るなぁ」
オオカミの灰褐色の髪が、赤ずきんの金色の髪に混じり合う。
「もうちょっとこう、怖がってほしいというか、引いてほしいというか……」
「なぜですか? 好きな人のことを知りたい。獣の臣下に過去をたずねるのは、悲嘆や苦痛をよみがえらせると思ってこらえていました。だから、オオカミさんが話してくれて、本当に嬉しいんです。あなたの手にかかれば、私はこんなことで大喜びできるんですよ」
オオカミは、呪いの森で独りで生きて、独りで死ぬつもりだった。
肩のほこりを払うように呪いを返し、結果的に両親の復讐を果たしてくれた獣には、恩義があるといえばある、と言えなくもない、かもしれないから。
でももう、この甘美な味を知ってしまったら、独りではいられない。
オオカミは舌なめずりした。
赤ずきんは甘い匂いがする。
「赤ずきん、好きだよ。こんなに甘く美味しい人はあなただけ」
オオカミの琥珀色の目がのぞきこむと、赤ずきんの青い目が爛々と輝いた。
「まだまだ毎日たくさん呪われますから、お気に召すまま味わってくださいね。オオカミさん、私の呪いは美味しいですか?」
しくじったなぁ。この男に手を出すべきじゃなかった。
だってもう、離れられない。
赤ずきんの笑顔は、金色の猟犬が尻尾をぶんぶんと振るように愛らしい。
獲物を捕らえ、血が滴る牙を剥いて、主に駆け寄ってくる猟犬だ。
生臭くてかわいいなぁ、とオオカミはうっとりとにっこりした。
「赤ずきん、美味しいよ。でも、あなたのほうがずっとずっと甘い」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
数年ぶりのリハビリ執筆でしたが、いかがでしたでしょうか。
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