夢かと許り
二人で外の縁台に並んで座る。この少年を連れてきた常連の若い男は中へと入って行った。
「どうぞ」
皿に盛り付けた団子を差し出せばムッスリと曲げていた口元が少しほころぶ。そんなちゃんと子どもらしい姿にこちらも顔がほころんだ。
気持ちを落ち着かせようと晴天の空に目を向けると楓は一度ゆっくり息を吸い込む。
「初花……さっきの女性からから君が妖を払う陰陽師だということを聞いたよ。君があの日助けてくれたというのも知っている。ありがとう」
「あの妖を沈めたのも俺でなくあんた自身の力だ。俺は何もしていない」
「そんなことない。そんなことは、ないんだよ。その傷だらけの手が証明だ」
誰かのために自身に傷を作れることがどれほど勇気と優しさの必要な行動か。その気持ちが人を救うこともある。
そしてあの妖と出会ってくれたことが何よりも自分にとっての救いだった。あの妖も少年もこの世の存在全てが夢のようだと思う。けどこの世界がすぐに消えて覚めてしまうのではないかと思うほどには穏やかで幸せな日常を今、確かに変わらずおくれている。
少年の傷に触れそうになった手を誤魔化すように白湯に手を伸ばす。熱いそれを平気で持てることに少年との年齢差を確かに感じた。
団子をほうばっているからか少年からの返事はない。少年は顔を正面に向けながら視線だけはこちらを見上げている。今は黒いがその瞳が赤く染まる様を楓は知っている。もちろんそれが恐ろしいものでないというのも知っている。そしてあれらの存在が虚像でないということは身をもって知った。
「呑気なもんだな」
蔑むような感情はなかった。けれど淡々と漏らされた言葉の意味がわからず楓は首を傾げる。
少年が団子を食べ終わって出た串を皿に置く。物欲しそうにもう一本の団子を見ているので皿を押し出せば確認するようにこちらを見たあと最後の団子を取った。
「妖が人に憑くのは、その人間に罪があるからだ」
「罪……なるほど」
夢でつらつらと語られたが、前提条件が罪を犯したものだったのか。
「だから罪人である私を裁きに来たってことかな」
ここに少年が来た理由を察し問いかける。けれどそれにしてはこの少年も随分と呑気なものだ。罪人を前に団子なんて食べていて大丈夫なのだろうか。
「何か勘違いしているようだが」
団子を口にし串から抜いたと同時に少年が話す。
「陰陽師の仕事は妖を払い、取り憑かれていた人間を清めることだ。あんたを裁くことなんて出来ない」
「じゃあその清めってやつをしに来たのかい?」
なら、あの妖も自分の中から消えてしまうのだろうか。どんな理由があるのかはわからない。けど、何らかの情を自分のために残してくれたようだった。だから消えてしまうのはその情を無碍にしてしまうようでなんだか悲しい。
「そう思ったが……どうやら無駄のようだ」
視線のみ向けられ言われた言葉の意味が楓はわからず思わず眉をひそめ首を傾げる。
どういう意味なのか問いかけた言葉には結局答えてはくれなかった。それが応える気はないからなのかそれとも答えられないからなのか、わからかった。
結局その日は団子を食べると少年は一緒に来た常連の客とともに帰ってしまった。
あの少年と行動を共にしているということはあの常連の方も陰陽師なのだろうか。そんな疑問が頭に浮かんだが気にしたところで仕方ないと思い直す。
きっとあの少年と関わりを持つことはもうないだろう。ずっと来てくれていた常連の客も陰陽師だとするなら自分についていた妖のことを何か感じ取りここに客として来ていたのかもしれない。
今もう妖のことも解決したのならここに来ることもないということだ。
「私の『このこ』をよろしく頼むよ」
夢で言われたことを果たせないのが少し申し訳なかった。
そう、思った。そう思っていたのだが……。
「お待たせしましたみ、たらし、団子で……す」
声をかけながら両手で熱そうに白湯の入っている湯のみをもっている少年に驚き言葉が途切れ途切れになる。束ねた長い黒髪を揺らしながら少年が黒い瞳でこちらを見上げる。
焼きあがった団子を持っていってほしいと頼まれ縁台に行けばもう会わないと思っていた少年がいるではないか。
「どうして……?」
最後に会った日にもう会わないだろうと思っていたので驚いてしまう。しかもあれから数日しか経っていない。
縁台には少年の他にあの常連の若い男ともう一人見たこともない少女が一緒に座っている。歳は自分とあまり変わらないように思う。おおよそ15、6くらいだろうか。腰には刀を下げている。
声に反応したのか注文された団子を置かず突っ立ったままの自分を不思議に思ったのか、少年が眉をひそめた顔で見上げて来る。
「そんなの団子を食べに来たに決まっている」
言われた言葉に納得したい気持ちは大きいが、きっとそれだけじゃないと確信もあった。終わったのではないのだろうか。まだ何か陰陽師が関わらなければならないことがあるのだろうか。そう思うのに、追求できる立場でもない。
彼らが団子を食べに来たと言ったのならそれ以上のことが聞けるはずもない。それが店を長く続ける秘訣であり暗黙の了解だ。
縁台に注文された団子を置き、頭を下げ店の中に戻ろうと暖簾をくぐる。その瞬間もう一度なんとなしに少年たちの方を向いた。そこには先程置いたばかりの団子を口にし微かな笑みを浮かべている少年がいる。
団子を食べに来たと言うのもあながち間違いではないのかもしれない。暖簾を潜りながらそんなことを思った。
「かえちゃんなんだか嬉しそうね」
ニコニコと笑みを浮べて初花から言われた言葉で自分の頬が緩んでいたことに気づく。思わず恥ずかしさに口元に手を持っていく。
「いや……うん、そうかもしれない」
あの少年の過去を自分は実際には知らない。けれどもあの妖が見てきた記憶は確かなはずだ。振り払うことも逃げることもできず、傷つき痛みを伴う言葉をあの小さな体で受け止めてきたのだ、向けられる視線の冷たさと鋭さに向き合ってきたのだ。
幼子には無償の愛を。美しく暖かな言葉に、触れる手は優しさで溢れたもの。向ける眼差しは慈しみに満ちたものであるべきで、傷つかないように笑っていれるように守っていかなければならない。
なんてそんなの子が抱いた勝手なエゴで、周りが作り出した幻想でしかない。
大人が己の子供だろうが他人にそんな愛を向ける余裕はない。そんな義務もなかった。弱いから大切にしてもらえる。家族だから傷つくことなんてしない。
そんなの勝手な思い込みだともうわかっている。
けれどもわかっていてもそんな幻想を願わずにはいられないのだ。
「どんな些細な理由でも、一日の中のほんの僅かな時間でも、笑える瞬間があればと。それが此処で得られるなら光栄なことだと思えて」
「そうね」
ゆっくりと頷いてくれた初花に笑みを返す。けれど周りで女性客たちから悲鳴のような歓声が上がったのにどちらともなくそれが苦笑へと変わる。時々忘れそうになるがここでは女性受けがいい顔立ちだった。
こちらを見つめる女性たちに頭を下げ、いつも団子を焼く場所へと戻る。
胸の奥の方が自分ではどうしようもないくらい締め付けられる。それに呼応するように心臓が強く鼓動する。嬉しくてたまらないのだなと、他人事のように思う。けども、それはなんとなく自分だけの気持ちでないような、そんな気がした。