3(もう一度)
幅が五〇センチくらいの厚手のボードに描かれた作品で、とても優しい色使いで、四季の移ろいを切り取ったものだった。
女の子がいて、絵柄はどことなくマンガっぽい。
夏は青空と入道雲、そして山へと続く道路のかたわらで麦わら帽子をかぶって暑さにゆらいで。
秋は黄色い街路樹の落ち葉に足をうずめて小春日和の柔らかな陽射しに微笑んで。
冬は手袋とマフラー、鼻先と耳を真っ赤にしながら冷たい空気に白く暖かな息をはいて。
春は満開の桜の下で両手を広げ、眩しそうに微笑んで。
クラス委員の吉田さんが横に立っていた。メガネの奥を険しくして、「ねぇ十勝くん、この子、誰かな?」
いわれて後ろに十勝くんが立っているのに気がついた。
「誰でもないよ」十勝くんは答えた。「それが?」
「いや」
吉田さんは何だかぞんざいに手を振って、ちょっと口を尖らせた。「なんでもない」
「あっそう」十勝くんは暫く黙ったあと、ふと「今度モデル頼める?」
吉田さんは目を丸くして十勝くんを見て。
十勝くんは明後日の方を向いて。
わたしはそっとその場から離れた。
こうしてわたしのなんとなく初恋らしきものは何もしないまま失恋で終った。
彼はたぶん、画家になる。
四枚の絵の印象だけが強く残った。
四月生まれって関係ある?
イエス。たぶんある。
四季はどれも好き。
それぞれ個性的な匂いがあって。
たとえば夏のむわっとした熱気と喧しいセミの鳴き声、汗に濡れた髪にまとわりつく塩素の匂い。秋は穏やかな陽射しの中で黄色い葉っぱが舞い散って、次の季節の準備に勤しむ、少しほこりっぽい匂い。冬のキンキンに凍った空気は耳たぶを切りつけ、口をうずめたマフラーの毛糸に絡んだチクチクする自分の息の匂い。そして春は暖かなお日さまの眩しい光はらんだ風に混じる、草木と青と湿った土の匂い。
四月生まれっていうのは関係している。
わたしはにもう一度、桜を見たいと思った。
甘い桜の匂いで胸をいっぱいにしたかった。
でもそれはかなわない。
わたしは病院に戻った。
影の薄い子だとよくいわれた。
わたしがいなくなっても何も変わらない。残った人でどうにかやっていくんだろうし、そうでないとどうしようもない。
わたしは自分を繋ぐ機械のスイッチを手当たり次第に反対にした。なんかビーってブザーが鳴ったからコンセントとかなんでもかんでも引っこ抜いて、わたしの身体をつないでた一切合切を引っこ抜いて、わたしの身体を自由にした。バタバタと廊下を駆けて来る足音がした。
人間の死亡率は百パーセント。生きることはどうしたって選べないけど、死ぬ時ってのは選べる場合がある。いつどこでどんな風に。それが今。
わたしはもう一度、満開の桜と舞い散る花びらの中で、胸いっぱいにその匂いを吸い込みたかった。
でもそれはかなわない。
分かってる。だったらもう、わたしがここにいる理由なんてないじゃない。そうでしょう?
「どうしちゃたのよ」母がいった。「なにも慌てることないのに」わたしの手を握って。
「そうだよ」アッコがいった。「いっしょに卒業してさ、それから、」
言葉をユッコが継いだ。「いっしょの高校、行こう?」
影の薄い子だとよくいわれた。
実際そうだったと思う。あんまり喋らないし、しょっちゅうぼーっとしてるし。
たぶんみんな分かってる。
無理だってこと。
わたしも分かってる。
無理だってこと。
でも。
もしかしたら。
もう少しがんばってみようかな、って思った。
だってお父さんもお母さんも、弟もいて、担任の松本先生もいてアッコもユッコもいるんだもん。