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1(影の薄い子)

   サブマリン・ガール


 影の薄い子だとよくいわれた。


 五月の連休最後の日、自転車でのおつかい帰りに山の青く瑞々しい稜線に見とれガードレールに接触、体勢の立て直しに失敗していきおいよく頭を電柱にぶつけ、道路を飛び出し田んぼに落ちた。

 見つかるまでにだいぶ時間を要した。泥の中から引き上げられたのはとっぷり日も暮れた頃で、そのまますぐさま救急車に乗せられた。

 それは十五年生きて初めてのこと。

 ガードレールでチノパンごと深く切った足と割れて凹んでしまった頭。

 植え終ったばかり水田に身体の半分を浸していた。水泳部なのに水深十数センチでおぼれたようなものだ。


 お医者さんは両親に死んでいないのが奇跡だと告げた。田んぼの持ち主には悪いことをしたと思う。わたしはベッドに寝かされ、全身を何だかよく分からないたくさんの機械につながれた。泥まみれの服は全部ハサミを入れられ、お気に入りのブラウスは汚れ落としのボロ布にもなれないありさまだった。


 と、後から知った話をつなぎあわせると、だいたいこんな感じだったようだ。とにかくわたしははた目にも分かるほど大変な格好にされてベッドから動けずにいた。


 時間の感覚がなんだかぼんやりしていてはっきりしないのだけれども、ある晩にわたしはふっと、自分がそこにいるのを理解した。なんだか裸のようでギョッとした。ベッドには誰がどうひいき目に見ても無理に生かされているとしか思えないありさまの女の子が寝かされていた。それが自分であることに気がつくのはちょっと時間がかかった。だって鏡を見るのとは違うし、顔つきも変わっちゃって。


 なんだが作り物っぽい感じだった。ちょうど魂が抜けちゃったみたいな。いっぱい機械があって、ちっちゃいランプが幾つも点いて、そっちのほうが生きているみたいだった。


 ベッドで眠る自分をはたから見るのはちょっとしんどい。ビデオに撮られた自分の姿、立ち振る舞い、声の感じに、あれっ? て思うのに似ている。他人から自分がそう見られているのかとがっかりするのと同時に、その画面の中の自分は、自分と何か違う別モノみたいに感じる。もちろんどっちも自分に違いないのだけれども、画面の中と、それを見ている自分が同じって理解するのは精神衛生上大変よろしくないと思うのです。


 だからわたしはとりあえず家に帰ってみたりする。裸だと思っていたのにいつの間にやらわたしはブラウスにチノパン姿だった。なるほど、そっか。納得した。わたしはこの格好でおつかい帰りだったんだ。牛乳と納豆、卵に減塩のおしょうゆ。どうしたんだろう、あれは。スーパーの袋に入れていたのは確か。乗っていた自転車もどこにやったかなぁとか思ったけど、真っ暗でも家のリビングだからまぁいいや。


 キッチンの冷蔵庫がふいーんと小さくうなった。家の中、ひんやり。ふと、咳の音。わたしは両親の寝室をそっとのぞいて、おっきいベッドを並べて眠る母のそばに立った。


 こん、と母が咳をした。季節の変わり目に母はよくこんな咳をする。

 ふと、母はうすく目を開け、ぼんやりながらも、あら、と呟く。「病院にいなきゃ駄目じゃない」


 それから目を閉じ、こん、と小さく咳をする。

 早く次の季節になればいいな、とわたしは思う。


 また夜になって夕食の後、弟が宿題だかなんだかで自分の部屋にひっこむと、ソファに座ってテレビを見ていた父の横に母も座った。「昨夜、あの子が枕元にいたわ」

 いやその。ここにいるんですけど。


「ちっとも変わっていなかった」


 父は母の肩を抱いて引き寄せた。母もされるがままだった。わたしはなんだこっぱずかしくなってそこから先は知らない。


 影の薄い子だとよくいわれた。


 取り立てて特技もなければ、成績だって凡庸だ。

 ごめんなさい嘘つきました。成績はちょっと悪い。


 そんなわたしの分かりやすい逸話といえば、やっぱり部活のことだと思う。


 わたしは母と同じでぜん息の嫌いがって、鍛えるために水泳教室に入っていた。近所の体育大学の学生がコーチで、普通のスイミングクラブと違って、泳ぎの他にもちょっと面白いプログラムを市営プールで習っていた。立ち泳ぎとか横泳ぎ、潜水とか。アッコとユッコに会ったのもその水泳教室だった。


 だから中学へ上がったわたしは特に何も考えず水泳部に入部した。新入部員の自己紹介ですっ飛ばされ、アッコとユッコも同じ部活に入っていたのに気づかれなかった。週が明けて、部活動が本格的に始まって、柔軟のあと、みんなでぞろぞろ走っていたときだった。「おっす」アッコがわたしに気がついて、「同じ部活だったか」けらけら笑った。


 アッコとユッコも違う小学校だったし、同じクラスでなかったから、学校でいっしょになるのはなんだか面白いって思った。


 わたしたちはすぐ友達になった。部活帰りにコンビニに寄って買い食いしたり、休日に競泳用の水着を買いに行った。ゴーグルとキャップも新調した。コーチが持っていてちょっとあこがれだったセームを買った。


 学校には八コースの屋外二十五メートルプールがあった。掃除は水泳部がした。きれいにしたあと水を入れ、塩素の錠剤を投げ込み、水温の低い中、体育の授業よりひと月以上も前から練習が始まる。初めて水に浸かった日は両足つった。浮かびながら足の指を反らしてこむら返りを治すのはすぐにできるようになった。

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