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王妃ネブラ【タビス—女神の刻印をもつ者—外伝】   作者: オオオカ エピ


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15/15

■□■月星暦一五五二年一月〜五月 誕生そして……


挿絵(By みてみん)

■アトラス


「久しぶりですね、こうして二人でお話するのは」

「そうだな」


 長椅子ソファーに腰を下ろし、テーブルを挟んで二人は対面した。


 オレンジの街の灯りを見下ろした露台から、冴え冴えとした月を見ていた夜から、もう十五年近くの歳月が流れていた。


「あの頃、わたくしは、貴方に恋をしておりましたのよ」


 ネブラは、そう口にして、懐かしそうにころころと笑った。


「一度くらい、踊っていただけばよかった」

「それは失礼したな。当時の俺には、思いも及ばなかった」


 密やかな時間は、露台から動いてしまったら終わってしまう。

 そんな気すらしていたから、露台で会うことに拘っていたのかも知れない。


「いいのです。分かっていました。あの場所は、ただの避難場所、だったのでしょう?」


 悪戯っぽい笑顔を向けるネブラ。

 こんな笑みは、当時は浮かべていなかった。


「でも、わたくしは、その時間がとても愛おしかった」

「あの時間があったから、俺は、踏みとどまれたのだと思う」


 疲弊した当時を思うと、今でも胸の奥が疼く。

 それでも、あの時間は細やか(ささやか)な癒やしだった。

 薄闇の中の仄かな白い灯火のように、記憶の中に根付いている。

 

「感謝していたよ」


 言って、その気持ちを口に出したことがなかったことに、アトラスは気づいた。


「それは、光栄ですわ」


 そう、口を綻ばせるネブラの笑みに、重なる顔があった。


「ネブラ、もしかして君は……」


 アトラスはそれ以上を口に出せない。

 続けられない言葉は、ネブラが首を振って終わらせた。


「アトラス様。わたくしは、ちゃんと、アウルム様のことをお慕いしておりますわ」


 大きくなってきたお腹に触れる仕草には、紛うことのない慈しみがあった。


「御子を授かったこと、後悔はありません」


 身の危険と引き換えにしてでも、と口に出さない思いは決意となって顔に表れる。


「絶対に産みます」


 栗色の瞳に宿る覚悟の色を見つけて、アトラスは息を呑んだ。


 今更、口にできる言葉は無かった。


「……でも、何事にも万が一というものはあります。もしもの時は、この子のことをお願い致します」


 語尾が震えていた。

 気づかなかったふりをして、アトラスは言葉を紡ぐ


「俺は支える者だからな。どんな状況下でも、それは変わらない」

「心強いですわ」


 ネブラが目を伏せて微笑んだ。

 目尻に光るものがあった。


「できるだけのことはする。できる手段はなんでも講じる。だから、君も諦めないでくれ」

「もちろんですわ」 


 ネブラは微笑んだ。

 そこに、迷いは無かった。


「わたくしもまた、アウルム様と共に在る者でありたいのです」

「それを聞いて、安心した」


 立ち上がり、アトラスは礼を取った。


「妃殿下」


 口調を改め、アトラスはネブラを見据えた。


「御子の誕生まで、私も月星に滞在します。兄には休みを取らせます故、妃殿下はお健やかに、御子を育んでください」

「ご配慮、痛み入ります。アトラス殿下」


 そのまま部屋を辞すと、扉の外では、アウルムが壁に寄りかかって待っていた。


「もう、良いのか?」

「あとは貴方の役目だ、兄上」


 アウルムは珍しく、王の顔をしていなかった。

 苦笑まじりに、アトラスは兄の背中を叩いた。


「仕事のことは任せろ」

「頼りにしているよ、弟殿」



 それからの数カ月。

 夫としてのアウルムは、それはそれは献身的に、妻に尽くしていた。

 その仲睦ましさに、侍女達が赤面していたほどだったという。


 その期間は、彼の人生の中でアウルムが肩書では無く、ただの一人の男としての自分を優先した、唯一の時間だっただろう。


  □□□


 薫風のみぎり、爽やかな青い空の下。

 王妃ネブラは産気づいた。


 陣痛が始まってからの時間は、長かった。

 産屋の外、口少なげに待つアウルムには、アトラスが付き合っていた。

 

 やがて聞こえてきた赤子の声に、前掛け(エプロン)を汚した医官が中から出てきた。


「王子様のご誕生です」

「でかしたっ!」


 叫んだのは、到着したばかりのスールだった。


「陛下、おめでとうございます。これで、陛下の御代も安泰でございますなっ!」


 孫の誕生を喜ぶだけの声が、耳障りだった。

 察したアトラスが、すぐさまスールを追い出した。


 アウルムは報告に来た医官の顔を見据えた。

 慶事を告げに来た割には、表情が優れないのが妙に気になった。


「それで?」 


 開いた扉の先からの、濃厚な匂いを鼻が捉えていた。

 かつて、嗅ぎなれたその匂いを、兄弟は間違えない。


「ネブラは?」

「それが、王妃様は、出血が多く……」

「……っ」

「陛下、中は……」


 止める官を振り切って、アウルムは部屋の中に入っていった。


「陛下っ?」

「陛下!」


 アウルムが目にしたのは、赤い床とネブラの白い顔。


 産婆から赤子を取り上げると、アウルムはネブラの胸に抱かせた。


「赤、ちゃん……」

「そうだ。王子だ」

「良か、った……」


 手のひらで、熱い命の塊に触れたネブラの口許に笑みが浮かんだ。


「わたくしを、母にしてくれて、ありがと、う。レク、ㇲ……」


 焦点が定まらなかった。

 もう、見えていないのかも知れない。


「ネブラ、よくやったな」


 アウルムを探すように、ネブラは声の方に顔を向けた。


「感謝する」

 

 彷徨うネブラの手を、アウルムは握りしめた。


「……ウルム様。ネブラは、幸せで……した……」


 吐息の間から、紡がれる声はだんだんと、小さくなっていく。


「あとは……」

「もちろんだ、任せろっ!」

「嬉、しい……」


 アウルムはネブラの口許に耳を寄せた。


「……、……」

「……ああ」

「……、…」

「……っ!」


 アウルムが息を呑んだ。

 泣き叫ぶ赤子の声に紛れて、もう、その声は聞こえない。


   ■■■


 部屋の外から、兄の背中を見詰めるアトラスの隣に、白い医官服を纏ったハイネがすっと立った。


 袖口が赤に染まっていた。


「残ったのはこれだけだ」


 差し出されたのは一包の竜血薬。一瞥しただけで、アトラスは受け取らなかった。


「それは、アリアンナに飲ませてやれ」


 微かに苔色の瞳を見開き、ハイネは頷いた。

 黙って、懐にしまう。 


「言葉は交わせたのか?」

「幸せだった、と……」


 巫覡が視て得たのは、医官たちの努力や秘薬がもたらしたのは、その僅かな時間だけだったのかも知れない。


「そう、か……」


 小刻みに震えるアウルムの背から目を反らし、アトラスはそっと扉を閉めた。


   ※


 城下は王子の誕生に湧いた。

 それは、賭けに破れながらも、使命を果たした果敢な女性の努力の結実である。


 孤独な少年の心を救い、孤高の王に寄り添った彼女の名は、ネブラ・ナン・テルグム。


 妃として、王の隣に居た期間はたったの六年だったが、偏見に見誤らない判断ができる、聡明な女性だった。


「王妃ネブラ。私は貴女を誇りに思う」


 女神の身許に向かう旅路が安らかなものとなるよう、黒衣の神官服に身を包んだタビスは、密やかに追悼の祈りを捧げた。

 

   ※※※


 アウルムはその後も、数奇な運命に翻弄されるアトラスの守護者であり続けたが、八十七歳で没するまで、生涯後妻を娶ることはなかった。


 アウルムの息子は、レクスと名付けられた。

 その名は王妃が生前に決めていたものだった。


 残念ながら、母を知らない息子と、妻を喪った父親との親子関係は順調だったとは言えない。


 アウルムに王位を譲られたレクスの治世は、叔父のアトラスの支えによって、保たれていくことになる。



『王妃ネブラ』タビスー女神の刻印を持つ者ー外伝

 ー了ー


※)本編第七章『偽りの王』で、アウルムに用いた。


お読みいただき、ありがとうございました。


 アトラスの物語、そしてレクスのその後は

 本編『タビスー女神の刻印を持つ者ー』でお楽しみいただけたら嬉しいです。

https://ncode.syosetu.com/n5818ip/

 どうぞよろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
ネブラはもうすぐ子を産む状況。 そしてアトラスとの会話の時間を持つことができた。 そして自分の本心を語るネブラとアトラス。 きっとこれはネブラのアトラスとの最後の会話になると思っていたのかもしれません…
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