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滌葬草子  作者: 相宮祐紀
〈一〉 滌宮
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一   獣物





 ああおそれおおい、草を踏む。朝に暴かれゆく霧の中、青々()うる草原(くさはら)を行く。足が湿った地にめり込めば、草鞋(わらじ)(かせ)に変わり身遂げる。あたたかく鈍くぬめる一歩を刻めば、どこか心地よく、そのたび草が(いまし)めのように襤褸(ぼろ)(ぎぬ)巻いた(すね)に絡まる。あえて蹴散らし歩いていくと、花を一輪、潰しかかった。あきれたものだと奥歯を噛んだ。おぼえずその場に足をとめ、かがみ込みそうになっていた。

 折りかけた膝に力を入れる。棒立ちで伏丸(ふせまる)は見おろす。淡紫(うすむらさき)のちいさな花だ。草の蔭、泥の露を浴び、それでも可憐なままでいる。引きちぎりたく守りたかった。しばし茫然となって眺めた。ふいに、細い音を聞き、はっとして顔を向けてみる。

 ぬかるみの中に小鳥が一羽、糞をかぶったような色。怯えたつぶらなその目をもって、花を見ているのだと思った。きっと近づけずにいるのだと。おまえもこれがほしかったのか、伏丸は口もとに笑みを覚えつつ、小鳥を避けて先へ進んだ。あるいは、後退したかもしれない。もう行くあても先もなかった。

 振り返らずただ足を動かす。べちゃりぐちゃりと耳障りだが、とどまっていることもできない。枷はますます濡れ重くなる。風が前から吹いてくる。汗の滲んだ(ひたい)をかすめ、霧をゆらしたその肌ざわりをやけに冷たいものと感じて、なにも持たない指がふるえた。捨てた。太刀(たち)匕首(あいくち)も、持ちものはすべて捨て置いてきた。血みどろになったあの場所に。

 ぬる、とひときわ深く沈んだ。泥とは異なる粘りがあった。見ずともわかる。血だまりだ。赤黒く固まりかけてはいても、まだなまなましく新しい。そばには、動かぬひとのなきがら。ひとつではない、ひとりではない。どこからなにがこぼれ出したか、詳しく確かめはしなかった。べつにめずらしくもないことだ。いつでもどこでも大小はあれ、(いくさ)というのは起こるもの。ここでも昨夜起こったらしい。伏丸はまだ歩き続けた。

 戦が済んだ、そのままの野辺。そこかしこには、どす黒くなった刀や鎌が落ちている。折れたり曲がったりしたものばかり。そうでないものは持ち帰られるか、持ち去られるかしたのだろう。少し先には、ひとがいた。兵士か近くに住む民か、動くひとたちが数人で、かすんだ空気の中に紛れて金目のものを漁るのだ。金物(かなもの)のぶつかる乾いた音と、濡れた足音の交ざるあいまに、かすかに呻き声が聞こえた。もろもろ片づけ、埋めはじめるのは、まだもう少し先らしかった。

 すべて、ぼやけているかのようで、伏丸はやはり歩き続けた。ひたすら続けてきっかけもなく、ふと顔をあげ、愕然とする。気づけば、朝の光がほのめき、あたりに広がりだしている。やわらかな霧が流されていく。みずみずしい草の上に掠れ、流れて溜まって伸びていく色がだんだん朝日に晒されていく、いけない。

 あまりに、鮮やかだ。きっと、あまりにまばゆすぎるからここから離れなければならない。離れたい、とせつに思った。思いは(おこり)じみていた。

 戦など石ころと変わらない。血だっておなじで見慣れ過ぎたし、いましがたまで平気だったのに、それなのにすぐ離れたい。ほどなく、薄闇と霧がぼかした、血と死にまみれた景色のすべてが朝に暴かれてしまうのだ。慣れているはずだ落ち着けと、幾度も、幾度も言い聞かせるのに身体が芯から冷えていく。伏丸は足を引きずりながら、もとめるように天を仰いだ。

 塗り込めたような闇はもうない。なごりの紫すらもう薄い。淡くどこまでも底抜けており、じき(はなだ)(いろ)に冴えるのだ。遠い山の端、かたちない雲、傾いていく月の明かりが、ほんのりとかかり、のこるのを見る。伏丸はいまにも消えそうなそれを追いかけ、身体を動かした。

 土やら血やらがはね飛んだ。わかっていないはずがなかった。月に追いつけるわけがない。でもわからない。どこへいくのか、どこへ向かうのかわからない。向かってよいところなどもうない。進むことも戻ることも遠い。重い。足が、全身が重く、羽交い絞めにされとらわれるよう。まとわりつかれ、振りほどけぬまま背後から射す。日が射してくる。月を追いかけているのではない。この光から逃げているのだ。でも逃げきれない。もう逃げられない。はじめから遅い。とらわれている。

 ひゅっ、と空気が喉をこすった。視界がゆらぎ、身体の中身の潰れるような音を聞く。じわ、じわりと腹から胸へ、ぬるい感触が滲み込んでくる。ざわざわと顔を葉の先が這う。転んだ。なにかに躓いていた。なにかは、すぐ近くにあった。青白い、肌が剥き出しだった。身にまとうものを引き剥がされて、裸で転がされていた。

 ほどけた長い黒髪が、細腕に乱れ絡まり固まり、踏み躙られたそのひとのすべて、せめてひとつでも守ろうとしたか顔を覆って隠そうとして、それでも隙からかすかにのぞく。射し込む光に浮かびあがった、はんびらきの目はからっぽだった。

 見たくない、のに目を離せない。縫い留められて離れられない。痛い。地べたに張りついたまま、魅入られたように動けない。身体の内で臓腑が膨れ、脈打ち弾け飛びそうになる。どんどん激しくなって壊れる、鼓動と光と血の混ざりものがこの世のすべてのように渦巻く。すべてあの日とかさなっていく。

 きっと、近くの村の女人だ。つつましく、たくましく生きていたのだ。近所で戦があったのだ。加わっていたのかもしれない。そのさなかなのか、あとなのか。ひとをひととも思っていない、いやしいおぞましいひとでなしどもに、こんなすがたにされたのだ。ゆき、と露を浴びて思った。初夏の草原が凍てついていた。狂った。気も身も狂い尽くした。前からそうだ。あのときからだ。あのとき、あのとき花に囲われ倒れたすがたを見つけた刹那。この世ごとほうむると誓った。

 だが、そんなことはかなわなかった。この世をほうむる力などない。そんな大それたことかなわない、それならせめて、奴だけは。奴らだけはとこの手ですべて。すべて壊したあの手ごたえが、手ざわりが色が音がことばが、反吐の味までがよみがえる。ぬらりぐらりとゆらいでいるのは身体か地面かわからないまま、閉ざすことすら忘れた視界に白々とした光があふれ、すぐそばにあるがらんどうの目の端にのこったしずくが流れてきらめいて落ちたその瞬間に、爆ぜた。身体が爆ぜた気がした。

 いっそ、それでもかまわなかった。それは、決してゆるせなかった。とけ合うことのない情動が、ぶつかり互いを食らい合う。毒牙を突き込み合って腐れる。そのいやしいおぞましい汚泥に、たかってまとわりついてくるもの。この獣物(けだもの)を縛めてくれ、白んだ頭で願うそのとき、突如なにかが空気を裂いた。

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