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6.襲来

「私はこの戦争で多くを失った。仲間も、誇りも、信じていた世界の理も。だが、あの瞬間ほど、この世が悪夢に満ちていると悟ったことはなかった。」


■■■■■■

 

 軍は西海岸の主要都市に迎撃態勢を敷いていた。

 霧影がどこから現れるか分からない以上、各都市に戦力を分散せざるを得なかった。


 サンディエゴ、ロサンゼルス、シアトル、そして——サンフランシスコ。

 わずか数時間で海上にはいくつもの艦隊が展開され、街の各地には戦車隊が配置されていった。

 空軍基地も非常態勢に入り、対空砲陣地が急ごしらえで構築される。


 日本軍だろうと、どんな軍だろうと、何が来ようと迎え撃つ体制は整っていた。


 だが、問題は市民だった。


 避難警報はすでに発令されていたが、避難は完了していなかった。

 都市の人口を考えれば、それは当然だった。

 いくつもの避難所がすでに満杯となり、交通は麻痺し、各所で混乱と怒号が渦巻いていた。

 誰もが“まさか本当に戦争が来るとは思っていなかった”のだ。


 空襲警報や避難訓練は何度もあった。

 だが、それはすべて“形式的なもの”だった。

 実際に“敵”が現れたことなど、一度もない。


 それが今、目の前の現実になろうとしている。

 テレビやラジオは緊急放送を繰り返し、市民に冷静な行動を呼びかけていたが、街には不安と恐怖が広がっていた。


「本当に何か来るのか?」

「見た者が戻ってこないって本当か?」

「……まさか日本が、こんな兵器を?」

 

 彼らにとって“戦争”とは、遠く離れた国で起きるものであり、自分たちの暮らしとは無関係なニュースでしかなかった。

 けれど今——その戦争が、自分たちの街に迫っていた。


――――――

 

 霧影が現れたのは、避難開始の翌日だった。


 その始まりは、静寂を破る異様な現象だった。

 サンフランシスコ沖、作戦海域の海が突如として赤く発光したのだ。

 それと同時に、海域で複数の爆発が発生。水柱が次々と上がり、警戒態勢にあった艦隊が混乱に包まれる。


「なにが起きている!? これは——」


 すぐに判明した。潜水艦隊が次々と沈められていた。

 ソナーにも反応はなかったが、当然だった。

 奴はソナーの“探知範囲外”から攻撃してきたのだ。


 そして海面に、黒々とした巨大な影が浮かび上がった。

 次の瞬間、それは無数の棘を背にまとったまま、海上にその姿を現した。

 その巨体は、まるで島が動き出したかのようだった。

 棘が波を切り裂き、甲板を貫き、艦を破壊しながら、霧影は——まっすぐに、サンフランシスコを目指していた。


「全艦、砲撃開始!!」


 提督の号令が下され、海を震わせる一斉砲撃が始まった。

 砲弾が霧影に次々と命中し、海に炎と爆煙が舞った。

 命中精度は高く、作戦としては完璧だった。


 ——だが、霧影は止まらなかった。


 爆発の中から現れたその巨体は、体勢を一切崩すことなく、淡々と、静かに、だが確実に都市へと歩を進めていた。


 司令部の予想では、霧影は迎撃する艦隊に牙を剥き、激戦になるはずだった。

 しかし違った。


 霧影は進路上の艦を、ただ邪魔な瓦礫のように破壊するだけだった。

 攻撃を受けた艦が火を噴き、真っ二つになって沈んでも、霧影は一切振り向かず、その足を止めようとしなかった。

 まるで、他に何も興味はないとでも言うように。

 その目には、ただひとつ——サンフランシスコしか映っていなかった。


 最初に破壊されたのは、ゴールデンゲートブリッジだった。


 そこには、霧影の接近を阻止すべく配置された戦車隊と、いまだ避難しきれなかった多くの民間人が押し寄せていた。

 警報が鳴る中、混乱する群衆と、迎撃態勢を整える兵士たちで、橋はほとんど動けないほどに密集していた。


 そして——その瞬間が訪れた。


 霧影は何のためらいもなく、橋の支柱に突撃した。

 頑丈なはずの鋼鉄の柱が、まるで木の枝のように折れた。

 衝撃は橋全体に波及し、音もなく床板がきしみ、次の瞬間には悲鳴と共に崩壊が始まった。

 群衆は悲鳴を上げながら橋の両端に向かって殺到したが、すでに手遅れだった。

 橋の中央部はすでに落下を始めており、戦車ごと、車ごと、人ごと、渦を巻く海へと引きずり込まれていく。


 そんな状況でも霧影の攻撃は続いた。

 奴は沖縄の時と同じように、ただの建造物ではなく、人間を狙っていた。


 崩れゆく橋の上、必死に逃げる兵士と市民に向かって、霧影は再びその爪を振るった。

 鋼鉄をも砕く爪が、避難する車列をなぎ払い、装甲車を真っ二つに引き裂き、橋の残骸ごと海に叩き落とす。

 その姿には一切の感情も迷いもなく、ただの破壊と抹消の意志だけがあった。

 

 艦隊は攻撃を躊躇していた。

 未だ橋の上や周辺には、多くの民間人が取り残されていた。

 この状況で砲撃を行えば、自軍の砲弾で自国民を殺すことになる。指揮官たちは歯噛みしながら、ただ戦況を見守るしかなかった。


 その時、一隻の戦艦が命令を無視して前進を始めた。

 霧影へ向かって突撃する。その意思は明らかだった。


 一人でも多くの命を救うために。


 戦艦は霧影の側面に回り込み、橋の方向から引き離す形での突撃を試みた。

 もしこのまま体当たりに成功すれば、橋の上に残る人々を救える。

 うまくいけば、霧影の進撃を止められる最後の希望となるかもしれなかった。

 

 しかし、霧影はその意図を察したかのように、突如として腕を振り上げた。

 その巨腕は空を裂くように振り下ろされ、突撃寸前の戦艦を真正面から殴りつけた。


 雷鳴のような衝撃音が響き渡り、戦艦の後部が海面から跳ね上がった。

 船体がきしみを上げながら傾き、艦橋の窓が粉々に砕け散った。


 そして、霧影はそのまま戦艦を片手で掴み上げると、橋に向かって投げつけた。


 巨大な鋼鉄の塊が、残された民間人たちの頭上に叩きつけられる。

 次の瞬間、轟音とともに爆発が起き、橋の残骸が空に舞い上がった。

 誰一人として助からなかった。


 私はその光景を見て、背筋が凍るのを感じた。

 人々を救うための勇気が、皮肉にも最後のトドメになってしまったのだ。


 橋の破壊を終えた霧影の次なる標的は、サンフランシスコ市街だった。


 そこには、まだ避難しきれていない数万の民間人が取り残されていた。

 さっきまで橋の向こうで起きていた“惨劇”は、決して遠い光景ではなかった。

 彼らの目の前で、それがこちらに迫ってくる。


 その瞬間、サンフランシスコは完全なパニックに陥った。


 人々は叫び、泣き、押し合いながら逃げ惑った。

 理性はなく、秩序もなかった。ただ“生き延びたい”という本能だけが街を支配した。

 車は歩道を突っ切り、避難所に殺到した人々が将棋倒しになっていく。

 サイレンが鳴り響く中、車や徒歩で逃げ惑う群衆。だが、もう時間は残されていなかった。


 その間も、霧影は一歩も止まることなく進撃していた。


 艦隊は砲撃を再開した。砲弾が霧影の背や肩、側頭部に命中する。

 しかし、奴は痛みすら感じていないかのように、反応一つ見せなかった。


 そして次の瞬間、霧影はすでに鉄屑と化した戦艦の残骸を再び振り上げ、投げた。


 狙いは市街地の中心部。ビルが立ち並ぶ金融街だった。


 鉄の巨塊は唸りを上げて空を裂き、摩天楼の群れに突き刺さるように激突した。

 轟音と共に爆発が起き、爆風が周囲の建物を次々に薙ぎ倒す。

 砕けたガラスが空を舞い、ビルの上層階が次々と崩れ落ちる。


 火炎、爆発、轟音、そして絶叫——。


 数万人がその場で圧死し、瞬く間に街の一角が瓦礫の山へと変貌した。

 まるで街そのものが、大きな掌で握り潰されたかのようだった。

 市街地に広がる炎は、避難しきれなかった者たちの絶望の叫びをかき消した。

 

 霧影は、業火に包まれたサンフランシスコの海岸線に、ついに上陸しようとしていた。


 焦げた空気が立ちこめ、瓦礫と火炎が地面を覆い尽くす中でも、まだ数多くの人々が街に取り残されていた。

 焼け焦げた車、崩れたビルの影、地下鉄の出入口や避難所に、逃げ遅れた者たちが密集していた。

 最後の防衛線となった戦車隊が、命令を待たずに一斉砲撃を開始する。

 咆哮のような砲声が響き、砲弾が霧影の脚部、腹部、胸へと連続して炸裂した。


 この時になってようやく霧影の進行が止まった。

 砲撃が効いたのか?

 私は最悪な戦況の中で、何もせずに立ち止まる霧影を見て、ようやく希望の兆しが見えたと、思った。

 だが、すぐにそれが希望ではなく、“前兆”だと気づかされることになった。


 熱と衝撃に包まれてなお、奴はその場に静かに立ち尽くしていた。

 そして、突如——棘が、赤く光りはじめた。


 それは見覚えのある“光”だった。

 潜水艦が爆発したときの海の閃光。

 沖縄で私の乗っていた巡洋艦が消し飛ぶ直前、見た、あの色だった。


「……まさか……」


 私は息を呑んだ。

 これから何が起こるのか、全身がそれを理解していた。


 霧影の口が、ゆっくりと開いた瞬間、赤い閃光が光の束となって放たれた。

 戦車隊は一瞬で消し飛び、逃げ遅れていた民間人ごと、数ブロックにわたるビル群が一瞬で崩壊した。

 爆風が地面を剥ぎ取り、鉄骨を引きちぎり、建物を内部から粉砕する。

 赤い炎が空を裂き、街の一角が“存在ごと”消滅した。


 目撃した全員が言葉を失った。

 その光景は、もはや“戦争”ではなかった。

 これは——災厄だった。


 サンフランシスコは、すでに半ば崩壊していた。

 それでも霧影は止まらない。

 上陸したその巨体が、まるで意味をなさないかのようにビル群を薙ぎ倒し、逃げ惑う人々を、無造作に踏み潰していく。


 艦隊は、ついに決断した。


「撃て!」


 司令官は叫んだ。

 避難の完了を待つことなく、総攻撃の号令が下された。

 これ以上の犠牲を避けるには、たとえ民間人を巻き添えにしてでも、霧影を止めなければならなかった。


 もはや、ためらう時間など残されていなかった。


 戦艦の主砲が火を噴き、砲声が街を震わせる。

 爆撃機が雲を割って現れ、爆弾が霧影をめがけて降り注ぐ。

 空と海から、あらゆる火力を結集した猛攻が始まった。

 煙と火柱、地鳴りと衝撃が都市を包み込み、戦場の轟音が響き渡った。


 しかし砲撃も、空襲も、霧影の進行を止めることはできなかった。

 奴は、怯むこともなく、立ち止まりさえしなかった。


 破壊は続いた。


 ビル群は次々と崩れ、鉄とコンクリートが瓦礫と化す。

 避難所は爆風と衝撃で内部から破壊され、住宅地は燃え盛る火の海となり、渋滞した道路は、死体と焼け焦げた車の山に姿を変えていった。


 サンフランシスコは、もはや都市としての形を失っていた。


 そしてようやく、霧影の視線がこちらに向いた。


 数え切れぬ命を奪い尽くした後で、奴は初めて、私たちを“敵”と見なした。

 だが、その瞬間にはもう、戦う術を持たぬ者たちしか残っていなかった。


 弾薬は尽き、砲塔は沈黙し、兵士たちは疲弊し、戦う力を失っていた。

 そこにあったのは、もはや戦闘ではない。

 一方的な“処刑”だった。


 サンフランシスコは、消えた。


 軍は壊滅し、街は灰と瓦礫と化した。

 数時間前まで人々が暮らしていた街は、もはやこの世に存在しない。

 繁栄と文明の象徴だったその都市は、地図から抹消された。

https://www.pixiv.net/artworks/130000875

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