アトランティア防衛作戦始動
『寒い…寒いよ、姉上…』
あの時私は弟の冷たい手をきつく握りしめて、大丈夫だと言うことしかできなかった。私がどんなに優れた治癒能力を持っていても、大切な人は助けられはしなかった。自分の体に流れる血は、受け継いだ能力は、何よりも残酷な呪いだ。
――――――
目覚めて最初に見えたのは知らない天井。
ルディアナは一拍遅れてここが王宮の一室であることを思い出した。
カーテンの隙間から射し込む光の角度からみて時刻は朝方、それも日の出から間もなくだと予想する。
「力の使いすぎね」
倒れるように眠りについたのは明け方だったはずだから、それほど寝ていないのだろうか。体を起こしてベッドからおりると気だるさを感じた。力を使いすぎたせいで睡眠をとっても全快とはいかないらしい。鈍く痛む頭を押さえて、重い体に鞭打ってカーテンを開けると眩い朝日が部屋を満たした。ルディアナは鋭く刺さる光に身をさらして、軽く体を伸ばす。
「さあ、今日も頑張りましょうか」
能力者の義務、もとい、私の贖罪を。
「失礼いたします」
扉をノックして執務室に入ると、予想通りの面子が揃っていた。
「朝早くからお仕事ご苦労様です」
一礼して顔を上げたルディアナは、首を傾げた。すぐに挨拶でも返ってくるかと思っていたが、無言のまま三者全員が微妙な顔でこちらを見ていたのだ。
「揃いも揃って変な顔してどうなさったのです」
…まさか寝癖でもついているのだろうか。
一応身支度は整えたつもりだったが自信はない。
侍女などに手伝ってもらうのが常識だと知識として知っているものの、祖国では身の回りのことは自分でやってきたので少し抵抗があったのだ。
おずおずと髪に手をやったところで漸くアレクシスが口を開いた。
「体調は大丈夫だろうか?」
「ええ、全快とは言いませんがお気遣いなく」
「そうか、良かった」
安心したように微笑んだアレクシスとリヴェーダ。シュレーはほっと息をついた。なぜだか知らないが随分心配されていたようだ。彼らには私がどれだけひ弱に見えているのだ、と思わず苦笑する。
いや、環境の変化を心配してくれているのだろうか。仮にもここは敵国だった訳だし。
「それにとても快適なお部屋でしたから」
「そうか、それは良かった」
「で、本題なのですが今日私にお手伝いできることはないでしょうか?」
再び微妙な空気が流れる。だから、何故。
「間違いなく自己管理だな」
「僕としては絶対安静でしょうかね」
「…随分過保護ね。私が言ったのはそういうことではないのだけど。再発した者たちの治療とか、治療薬の開発とか、色々あるでしょう?
独学でかじった程度とはいえ大陸の医療には心得がありますから。あと陛下にお預けした書籍も役立つかもしれませんし、一度この国の医師や薬師たちと話しもしたいですね」
要望をアレクシスに伝えれば、リヴェーダとシュレーが静かに眉間を押さえた。呆れてものも言えぬ、を分かりやすく体現している。齢13の少年にこれはちょっと堪える。
「頼むから寝てろ、な?」
「これ以上僕の心労を増やさないでくれます?ね?」
リヴェーダに肩を揺さぶられ、シュレーからは絶対零度の視線で射ぬかれる。この二人、何がなんでもこの城を出さない気だ。
何でそこまで過保護になったのかは知らないが自分に信用がないことだけはよくわかった。
「二人とも、気持ちは分かるがそれくらいにして話を戻そう」
「…ああ、そうだな」
リヴェーダの手が肩から離れたところで漸く本題に入る。
「陛下、治療が必要な者は現時点でどれほど?」
「ルディは黙っててください」
「何にしろ現状の把握は必要だわ」
若干むくれた様子のシュレー。
たまに見える年相応なところは可愛らしい。
「そうだな、症状の軽い者は後回しとして今日様子を見て欲しい者は10名程度だ。貴方の体調を考慮してもそれ以上の治療は認められない」
「…分かりました。その代わり薬の研究などは許可をいただきます」
アレクシスは仕方がない、と呆れたように頷いた。
「しかし、こちらにも条件はある。
まず、治療にはシュレーかリヴェーダを連れていくこと。そして病に関して思うことがあれば随時報告をあげること。これを厳守してほしい」
「ええ、勿論です」
ここでアレクシスの許可さえとってしまえば、過保護な二人はやり込める。ルディアナは心のうちで笑ったはずが、シュレーにはジト目を向けられてしまった。心でも読めるのだろうかこの子は。
「ルディのことだから、どうせ今から治療行きたいって言うんでしょ?」
「なんだ、いいの?」
「僕としては大変不本意だよ。
でも治療を待ってる民がいるのも事実だからね。僕の言うことはちゃんと聞いて、無理をしないっていうなら付き合ってあげるよ?」
「ええ、心得たわ」
素直に頷いたのは、シュレーが心配してくれているのがわかるから。ただ不思議なのはそれがちょっと行きすぎてる気がするのだ。とにかく、シュレーの心労とやらを増やさないようにしようと思った。
「おい」
「?」
部屋を出るところでリヴェーダに声をかけられ振りかえった。
「俺は薬の開発チームに話しつけてくるから戻ったら声かけろよ」
「ありがとう」
感謝を述べれば笑って手を振ってくれる。
違和感なく行われた動作にルディアナは安心した。
「上手く治せていたみたいで良かった」
「お陰さまで、これに関しての礼はとびっきりの考えとくな」
礼、といってくれたので甘えるべきだろう。ささやかな気遣いへの感謝も兼ねてその厚意をうけようと思い、頷いた。
「じゃあお言葉に甘えて、楽しみにしてるわ」
「おー、行ってこい」
リヴェーダから視線を外せば、アレクシスと目があった。
「体調にはくれぐれも気を付けて」
「ありがとうございます」
リヴェーダとアレクシスに見送られ部屋を出たところで、シュレーが思い出したように声をあげた。
「ルディ、朝食はどうする?」
そういえばご飯をどこで調達するか考えていなかった。
ふと、浮かんだのはあの屋台。
明日も必ず買いにきますね、と宣言した手前早めに訪れた方がいいだろう。
「ええと…パンでもいいかしら」
「パンならなんでもいい?」
「ううん、中にトマトが入ってる屋台で売っていたものなんだけど」
シュレーは私の言うパンに思い当たったらしくああ、と頷いた。
「ラオのパンだね」
「ラオのパンっていうの、あれ」
「皆そう呼んでるよ。
屋台やってるのがラオって男だから
ラオのパン」
「なるほど」
あの押しが強めの青年はラオというのか。
「あ、そうだ。
お金持ってないんだったわ」
「いいよ、奢ってあげるから」
「…あとで返すわね」
「パンのひとつやふたつで貸し作ろうだなんて思ってないんだけど?ルディは僕をどこまで馬鹿にしてんの?」
「え?」
シュレーがあまりにも途端に声を荒らげたのでびっくりした。何が気に障ったのか全くもって謎である。
「そうじゃなくて、世間体の問題でしょう」
「だから誰の目を気にしてるわけ?」
男が女性に対して贈り物をするのは普通でしょ、と呟いたところでやっと納得した。シュレーは子供扱いされるのが気に入らないのだ。やはりシュレーといえどお年頃の少年だ。これからは気を付けよう。
「ラオ、パンふたつ」
「朝早くから来るなんて珍しいですね、シュレー様」
屋台にいたあの青年は、シュレーの不遜な態度をさらりと笑って流した。やはり彼がラオかと思いつつ頭を下げれば、ラオはカッ目を見開いた。ルディアナは思わず一歩引いて身構えてしまう。
シュレーは慣れているのか欠片も動じていないところをみると、これがラオの通常運転だろうか。なにやら狂気の沙汰だ。
「貴女は!」
「な、なにか?」
そして叫んだかと思えば、ふにゃりと相好を崩す。彼は表情がコロコロかわっておもしろいが、いちいち心臓に悪い。昨日は押しが強い青年だと思っていたが、愉快な青年に改めたいと思う。あと、こんな特徴的な喋り方していなかったから印象が違うのだろうか。
「良かった~、来てくれたんですね。必ず買いにきて下さると仰っていたのに3日も来てくださらないから心配してたんですよぉ!お口に合わなかったのかな、とか」
…え?
今、なんと?
「3日…?」
ギギギ、と音がしそうなほどぎこちなく首をシュレーに向ければ、訝しげな眼差しを頂戴した。
「当たり前でしょ。
ルディ3日3晩寝てたんだから」
シュレーとリヴェーダは実に正当な主張をしていたことを今更ながらに思い知る。もう2度と力を使い果たすまい。そう固く決意した。
「なんだ、律儀に約束守ってくれてたわけですね~!
そんな優しい聖女様にはおまけしてあげちゃいます」
「ルディアナと申します。ぜひそうお呼びください」
いい加減やめてくれないだろうか。
それにしても、そんなにホイホイまけていて商売は成り立つのか怪しいところだ。
「ほぉ、ルディアナ様。
今日もおまけしたんで、また明日もお越しくださいな~!というかできれば毎日でも、ぜひ」
「何それ、ちょっとラオ。
僕はおまけしてもらったことないけど?」
「いやぁ、商売抜きにしても綺麗な女の人にはサービスしたいじゃない?」
「この好色野郎、店ごと潰れてしまばいいのに」
「それは困りますよぉ。まあ彼女の名前出すだけで集客効果絶大なんで、パン一個や二個なら安い宣伝費というか」
いや、むしろ商売上手なのか。でもたぶん私にそんな集客効果ないのでは。もともと人気のパンだったのだから宣伝抜きでも集客には困らないはずだ。
「ルディ、どうせなら3個ぐらいふんだくれば?」
「食べられないわよ、そんな。…いや、いけるかしら」
「実はよく食べるよね」
3日食べてないのだと気づけばパンくらいいくらでも食べられる気がしてきたのだから、我ながら仕方のない腹だ。
「ん?3個食べたい?よっしゃ毎度あり~。おまけして4個だよぉ」
「ちょっとラオ、なに注文盛ってんの!?」
え~、と間延びした返事でシラをきるラオは間違いなく商売上手だ。
「ごめんシュレー君、後で返すわね」
「あぁ、もう!いいよ別に!」
何だかんだ言いつつしっかり3つ分代金を払うシュレーに、にやにやするラオ。
軽口を叩きあえる程度にはこの二人も気心が知れた仲ということだろうか。
「毎度ありぃ」
「2度と買わないからね!
行こう、ルディ!」
「ええ、ちょっと待って。
じゃあまた明日もきますね、ラオさん」
「はぁい、待ってますから」
ラオからパンを受けとり、さっさと屋台から離れていくシュレーの後を追う。
「ルディあんな店行っちゃダメだよ。それ一個頂戴」
「はいどうぞ、半分ずつ食べましょう。でも純粋にこのパン美味しいと思うわ」
「僕だって、不味いとは言ってないでしょ」
シュレー君、このパン好きなのね。
ラオさんと打ち解けるほどあの屋台に通ったんでしょう。やっぱり言えないけれど。
「今日行くところ、元重篤患者の人達が大半なんだ」
「初日に再発した人たちも重篤患者だったものね。かかりやすい人とそうでない人の違いってなんなのかしら」
一瞬シュレーが止まった気がしたが、すぐに動き出す。気のせいだったのだろうか。
「今までは個人差があるんだと思ってたんだけど、再発のタイミングとかを考えるとちょっと妙かも」
「タイミングというと?」
「治療から再発までの時間。
再発しやすい人は元重篤患者の人でほぼ固定といってもいいんだ。でも同じくらい症状が重い人でも再発までに最大半日の差があった」
「でも、それだって誤差の範囲かもしれないわ」
「そう、なんだけど。まあ、僕が気になるだけだしあんまり気にしないでいいよ」
とはいうものの、シュレーの顔はどこか浮かない。
「再発には一定の条件があるのかしら」
「条件?例えば?」
「そうね、うーん…初日の再発したタイミングを考えれば、そう食事かしら」
「 それで?」
シュレーが息を呑んだ気配がしたが、先を促される。例えばの話であくまで想像なのだけど。
「特定のお肉を食べるとその病への免疫力が低下して症状が繰返し現れる、とか。そうじゃなければ特定の食べあわせが良くない、とか」
「あの日ルディは相当種類の料理を食べたよね。でも、症状はでてない」
言われてみれば、確かに勧められるがまま片っ端から食べていた。
つまり食べあわせの説は薄い。
「この病はかからない人はかからないんでしょう?私もそうなのかも。それに初めて発症する人には関係ない条件の可能性もあるわね」
「もちろん可能性のひとつとして踏まえておくけど、“食事”がキーなのは確かだよ」
本当に食事だったのか。
そうすると、あの時シュレーはわざと多種多様な料理を食べさせたことになる。
毒味なんて…まさかね。
そんな思いが伝わったのかシュレーは慌てたように言い加えた。
「いや、あの時は知らなかったけど!病の再発が確認できた後、兄上に言われて調べたんだ。
倒れた人は“食事を取ったか否か”」
「シュレー君がそんな人じゃないのはわかるから大丈夫よ。で、調査結果は?」
シュレーはほっと息をついた。
随分焦っていたらしい。
「再発者の大半が何かしらを食べていた」
「違う人もいるのね?」
「割合としては僅かだった。
本人がなにか食べたことを忘れてるのかもしれないし」
シュレーの言うとおりなら、やることは見えてきた。
「そういうことなら、今日の治療で食生活についても聞いていきましょう。再発した日の献立はもちろん、よく食べるものとかも」
徐々に解決の糸口は見えてきた。
そう意気込んで隣を見れば、シュレーはどこか暗い面持ちだった。何故、そう問う前に向こうが口を開く。
「ねえ、食べ物に問題があるとすれば考えられる原因は2つ考えられるの分かってる?」
「ひとつは私がさっき言ったとおり、免疫に関することよね。
後もうひとつは…食中毒かしら?でも、症状が一致しないわね」
「惜しい。正解は毒物だよ。
問題はそれが自然と発生する天然の毒素からくるものか、人為的に混入されたものかだ」
つまり、シュレーが言いたいことは。
「誰かが特定の食べ物に毒を混入しているかもしれない」
「…なるほど、毒ね。間違いないわ」
治癒のとき感じた違和感。
あれは病ではなく毒の中毒症状だから、そう考えれば納得。
「食生活の調査を行いつつ、家にある食材を分けてもらうべきかしら」
「取り合えず食材にある程度あたりをつけるべきだね。手当たり次第に、っていうのは無駄が多い」
「なるほど、じゃあ綿密な食生活チェックからね」
ルディアナとシュレーは顔を見合わせて頷いた。