海上の攻防戦
「よし、俺の乗ってきた船はまだ見つかってないみたいだ」
「そう…それは良かったわね」
夜明け前に港に着いたリヴェーダとルディアナは、貨物の陰に隠れながら辺りをうかがっていた。
こんなにも早く港に到着したのはもちろんリヴェーダの手柄だ。
王宮から出る時、予想通りリヴェーダを捜索する騎士や衛兵に何度か遭遇したのだが
文字通り秒殺だった。
例え出会い頭でも向こうが声をあげるより早く、リヴェーダの左手が閃いてあっという間に床に沈めてしまうのだ。
宣言通り、腕一本で十分だったわけだ。
腕が立つことは分かっていたけれど、ここまでくるとリヴェーダがどれだけ強いのか皆目見当もつかない。
「妙だわ、人気が無さすぎる」
「だな」
確かに騒ぎにならなかったけれど、港にひとりも騎士がいないのは少し引っ掛かる。いくらリヴェーダの捜索に人手を割いたとしても、小隊ひとつくらいは来ていると踏んでいたのだが。
アトランティアの使者と分かっていたのなら、まず船を押さえようとするはずなのに。
――罠だろうか。
「とにかく船に乗ればこっちのものだ、行くぞ」
「船を特定するための罠かもしれないわ」
「なら、どうするんだ?」
東の空が明るくなってきたのを見て、リヴェーダの声に焦りが混じった。
ルディアナも船の向こうに朝日の気配を感じて、あっと声を漏らした。
波止場がちょうど東に向いているのだ。
「朝日を目眩ましに出来ないかしら。
それと―――」
「よし、それに賭けるか。
タイミングは任せる」
「ええ」
ルディアナは息をつめてその時を待った。
「今だわ!」
日が出るその瞬間に、物陰から飛び出した。
リヴェーダが素早く辺りを見回すが異変は見られなかったらしい。
それでも速度は落とさず大型船に飛び乗った。
「とりあえず、第1関門突破ってとこか?」
「ええ、そうね」
船の甲板に出て、もう一度周囲に目を走らせる。
今度は波止場に泊められた船をひとつひとつ、注意深く。
しかし、それでも変わったところはない。
「杞憂だったかしら」
「…いや?
そうでもなさそうだ」
突然轟音が響き、船が大きく揺れた。
バランスを崩して転びかけたが、リヴェーダの支えで事なきを得た。
ルディアナに手を貸しながら、リヴェーダは意味ありげにある船に視線を投げた。
「今のは、あの船だな。
大砲を積んでる」
「みたいね。
この港には軍の船が一時停泊してた筈だから、そう来ると思ってたわ」
ルディアナはその艶やかな唇で弧を描いた。
先程の一発は見事にルディアナの乗る船に命中したらしいが、恐らくあと二発撃ち込んでくるだろう。
確実に、そしてすぐに沈没させるために。
「あの型の船に積んである砲台は三基のはずだから、あと二発打ったら暫くは撃ってこないわ。
弾を詰めるのに時間がかかるの」
「あと二発なぁ、その前にこの船が沈みそうだな。
さっきの弾で浸水始めてるからな、この船」
「それは祈るしかないわね」
「んな無茶な」
リヴェーダが苦笑を浮かべた時、立て続けに二発の弾が轟音を響かせながら船にあたった。
「あら、あの船から人が大勢降りてきた。
しかも全員もれなく騎士団の団服を着てるわ」
「呑気なこと言ってる場合か、飛び降りるぞ!」
「ええ」
リヴェーダに担ぐように抱えられ、三発の弾をくらって沈みかけた船から身を踊らせた。
そして二人は音をたてて海に叩きつけられる、
なんてことはなく隣に泊めてあった船の甲板に着地した。
「出航だ!」
リヴェーダがそう言うがいなや、船が加速を始める。
ルディアナたちが最初に飛び乗った沈没まっしぐらの大型船、ではなくその陰に泊められたこの小型船こそがリヴェーダが乗ってきた船だった。
「ふふ、あっちの方々焦ってるわ。
今更気付いたところで手遅れよ」
突如飛び出した船に気付いた騎士団の面々が隊列を崩していくのを微笑を浮かべながら眺める。
この程度で隊列を崩すとは、ジョルジュの教育が甘いのではないか。本当に教育が必要なのは誰か分からないわね。
「お前…趣味悪いな」
「なによ、貴方の船に穴が開かずにすんだでしょう」
「それは感謝してる」
今もぐんぐんと勢いが上がるこの船にはもう追いつけまい。
そうルディアナが気を抜いた瞬間、ルディアナがいる甲板のすぐ横で水飛沫が上がった。
「おい、大丈夫か!」
リヴェーダが駆け寄ってきて、ルディアナは背に庇われた。
「大砲!?
あり得ないわ!
まさか、もう弾の装填が終わったというの?」
「二隻あったみたいだな、向こうの船」
思わず唇を噛んだ。
「やられた、向こうも同じ手を使ってたんだわ。
近くの港から一隻運んでいたのも予想外ね。
大砲を積んだ大型船は一隻だと思っていたのに」
最初に見えていた軍艦の陰から新たに姿を現したもう一隻の船は、すでに舳先をこちらに向けていた。
まだそれなりの距離があり、機動力は小型船であるこちらの方が高いためすぐに追いつかれることはない筈だが、大砲が当たったら厄介だ。
と、その時あちらの甲板にダークブラウンの髪を見つけ瞠目した。
向こうもルディアナに気づいたのか、怒声が上がる。
「王宮じゃなくて、こっちが本命だったのね…!」
「あの第一王子、俺をわざと逃がしてここで罠をはったのか。
バカ王子と名高いわりに、なかなか頭が回るな」
先程とは対照的に、リヴェーダは極めて呑気だ。
「第一王子は、こんなことを考えられるような人じゃない。
【剣】を任されているけれど頭は使えない、腕が立つだけのお飾りよ」
「じゃあ、誰が?」
ジョルジュの横に立つ、黒い眼帯を着けた長身の青年に目を移した。
ルディアナの五つ上という若さでありながら、副団長を務める切れ者。
ルディアナはこの作戦は彼の指示に違いないと確信していた。
「副団長のエドガー=ロックウィルよ。
人望も腕も頭脳も申し分なくて、実力だけなら彼が【剣】に就くべきだったわ。
ただ、本人にその気がないらしいけれど」
それにはエドガーの複雑な生い立ちが絡んでいるし、リヴェーダに話すようなことではないと口をつぐんだ。
「それより、あの船から逃げ切れるかしら」
「なんだ、知らないのか?
アトランティアは海の加護を受ける国だ。
俺が船に乗った時点で向こうに勝ち目はない」
自信気に胸を張るリヴェーダは、向こうの船のことなど本当に気にも留めていないようだ。
「でも、どうやって?」
「そんなの見ればわかる」
リヴェーダに促され甲板から海を覗きこんだ。
特に不審な点は見受けられないが、違和感がある。
やけに流れが早いのだ。
「海流?」
「そういうことだ。
この海流が俺たちの船だけをアトランティアに運んでくれる」
通りでこの船が速いわけだ。
大型船との距離が縮まらないのも、海流の影響だろうか。
「…規格外だわ」
こちらを追いかけようとするイヴェニア国軍を嘲笑うかのように、小型船はさらに加速した。
――――――――
「何をやっている!
早くあの船を撃つんだ!」
甲板で怒鳴り散らす第一王子、ジョルジュを冷ややかに見ていたエドガーは思わずため息をついた。
「お止めください、ジョルジュ様。
もうあの船は射程距離を外れていますから、撃つだけ弾の無駄です」
「ふざけるな!
もっと速く出来んのか、あの船には二人も罪人が乗っているのだ!
木端微塵に叩き壊せ!」
「二人?
使者は一人ではなかったのですか」
理不尽にも、手紙を届けただけでこうして命を狙われている使者は一人だったはずだ。
バカ王子の戯れ言か、とエドガーは眉をひそめた。
「何を言っている、エドガー。
お前も見ただろう、使者とともに船に乗っていたのはルディアナだ。
あの女は処刑に怖じ気づいて、あろうことか罪人を手引きしたのだ!」
エドガーは思わぬ名前に内心動揺したものの、平然とした態度を貫く。
「何を仰っているのですか。
彼女は我が国の至宝であり貴方の婚約者様ではありませんか。
処刑されるなど、陛下がお許しになるわけがありません」
そんなエドガーをはっと鼻で嗤ったジョルジュは、醜く歪んだ口から耳を疑う内容を紡ぎだした。
「婚約は私の一存で破棄した。
奴は私の新しい婚約者となるソレーヌに手を出した罪で、処刑が決まっているのだ」
ソレーヌ、という名の女性はエドガーが知る限りマヌエル=ミスリルの娘ひとりだ。
権力を笠に着るあの腐った男は【盾】の称号だけでは飽きたらず、娘を使って王族に名を連ねる気か。
眼帯の下に隠れた瞳の奥が怒りに鈍く痛んだ。
自国の歴史も知らないのか、このバカ王子は。
ルディアナを処刑?
笑わせてくれる。
「深追いは不要だ、船を戻せ!」
声を張り上げれば、部下たちはすぐに船を岸へと向けた。
「ええい、船を戻すな!」
エドガーの命令に背いてまでジョルジュに従うものなど騎士団にはいないだろう。
「今のお言葉、陛下に一刻も早くお伝えした方がよろしいでしょう」
「なんだと、私に指図するな」
「下手すれば貴方の首が飛ぶことになりますよ」
「な、何を言うのだエドガー!
不敬だぞ!」
ジョルジュがたじろぐのを見て、鼻で嗤いそうになるのを堪える。
もはや、この国も終わりだな。
朝日のなかに消えていく船を眺めて、エドガーは笑みを溢した。