下
翌日、学校の教室で清水さんと再会した俺は、昨日の心配の一つが杞憂に終わった事を悟った。
終わったというか、彼女はむしろ始まっていた。
彼女は変身して現れたのだ。
別に文学少女から魔法少女に変身したわけではない。
しかし昨日までと打って変わり、地味とはとても言えない容姿となっていたのだ。
髪や制服の手入れは相変わらずだが、彼女のトレードマークだった黒縁の眼鏡は取り払われ、少し高めの位置で結ばれたポニーテールは髪を梳いたのか、細くしなやかにうなじに垂れている。
額が殆ど見えなかった前髪も随分さっぱりとして快活な印象を与えていた。
眼鏡をかけた地味な女子がある日突然美少女に生まれ変わって登校してくる。
漫画にありがちなそんな展開を地で行こうとする彼女はやはり変わり者だった。
「おはよう犬養君」
「清水さん……だよね?えっと、髪型変えたんだね。眼鏡も無くなってるし」
「うん。少しは垢ぬけてみようと思ってさ」
「それにしても随分と思い切ったね」
「昨日誰かさんに言いたい放題言われて地味な文学少女には未練が無くなっちゃったんだよねー」
「意外と根に持つんだね……」
「そりゃ私も一応女子高生ですから。そんなわけで、今日の放課後ちょっと付き合って貰ってもいいかな?」
「それはかまわないよ」
何がそんなわけなのか分からないが、楽しい時間になるであろう予感がした。
クラスメイトの集まる視線を気に留めた様子もなく、いつものように自席で読書を始めた彼女は文学少女成分を失っていたものの、それはそれで絵になる美少女だった。
放課後、俺と清水さんは個人経営の小さな喫茶店でテーブルを挟んで向かい合っていた。
なんでも彼女行きつけの店らしく、その理由が『長時間本を読んでも何も言われないから』というのが如何にも彼女らしい。
のんびりとコーヒーを啜って彼女を眺める俺とは対照的に、彼女は注文した紅茶に殆ど手を付けることもなく、ハードカバーの本を開いた手元に視線を落としていた。
恐らくはこれが此処での彼女の日常風景なのだろう。
しかし今日は日常ではないはずだ。
目の前に俺というゲストがいるのだから。
それにも拘わらず、彼女は一向に顔を上げる気配がない。
これじゃまるで熱の冷めた末期の学生カップルの様相だ。
だが俺にはなんとなくその行動の理由に見当がついた。
恐らくあの本は盾なのだ。
彼女にとって日常を最も演出し易いアイテムが本であり、本を盾に平静を装って内心を読まれまいと俺の視線を警戒しているのだ。
もしくは様変わりした自分に今度はどんな言葉が飛んでくるのかと身構えているのだろう。
昨日の俺の歯に衣着せぬ物言いに意外と傷ついていたのかもしれない。
それでもこうして俺を誘うのだから、度胸があるのやら無いのやら……。
こうしていても埒が明かないので、俺から話を振ることにした。
「清水さんてやっぱり本の世界に入り浸ってるでしょ?」
「犬養君の切り出しっていつも唐突よねぇ。なんでそう思うの?」
視線を本に落としたまま平坦なトーンでそう返してくる。
「だってベタ過ぎるでしょ。
眼鏡キャラが眼鏡外して華麗にお洒落デビューなんて今時漫画でも見ないよ。
昨日までの文学少女といい、まるで漫画やラノベを人生の教科書にして生きてるみたいだ」
俺の物言いにカチンと来たのか、彼女は漸く顔を上げて俺を見た。
「確かに本の影響を受けてることは否定しないけど、普通に見た目を変えようとしたらベタになっちゃうのは仕方ないでしょ?
一番ありがちな出来事が定番として認知されるからこそ演出装置としても利用されるんだから」
「いやまぁそうなんだけどね。
でも清水さんの場合は芝居がかったところがあるせいで余計にそう感じるんだよ。
文学少女辞めて今日は少し快活なキャラを装ってるでしょ。
口調も昨日までとは微妙に変えてるよね?」
「うっ……」
図星を突いたらしく、清水さんは口を噤んで再び本に視線を落とした。
「別に昨日までと今日のどちらが本物なのかなんて野暮なこと言いたいわけじゃないし、どちらかが偽物だとも思ってないよ。
勿論それが悪い事だと言っているわけでもないし、むしろ面白いと思う。
実際俺はそんな清水さんに興味を持って話しかけたわけだしね。
俺はあまり人に関心を持たないし、相手の為に自分を装う真似も出来ない性分だからさ。
そんな俺からアプローチを仕掛けさせた昨日までの清水さんは間違いなく魅力的だったんだと思うよ」
「ちょ、ちょっと待って、私、今日少しお洒落してきただけなのに、なんでそんな悩み相談の回答みたいな事言われてるの?」
そうだね。
でもここに誘ったのは君なのに、なんで君は俺を無視して本を読んでるの?
あとその変わり様は全然『少し』じゃないから。
とは思うものの、流石の俺でもそこまでは言わない。
「別に今の清水さんを悪く言ってるわけじゃないし窘めてるわけでもないんだよ。
俺は昨日失礼な事言ってしまったけど、文学少女の清水さんの事を気に入ってたってことを言いたかったんだ。
だから俺の言葉のせいで清水さんを振り回しちゃったみたいで申し訳なくて」
「そんなの別に気にしないでいいよ。
私が好きでやってるんだし、ただ垢抜けないって言われた昨日の自分が気に入らなかっただけなんだから」
彼女がどんどん不機嫌になっていくのがわかる。
俺はまた何かまずいことを言っただろうか?
「う~ん……その、垢抜けない発言については本当に失礼だったと思ってる。
ただ、そんな俺の言葉なんて真に受けて欲しくなかったって言うのは流石に我儘かな?」
「我儘すぎるよ!!」
突然の彼女の叫びに、俺は思わずコーヒーを落としそうになった。
顔を上げると、彼女は目に涙を浮かべて俺を睨んでいた。
「…………犬養君って本当に言いたい事ばっかり言うんだ……」
「……ごめん。傷つけるつもりは無かったんだ」
周囲の視線と、重苦しい沈黙が俺達を包んだ。
俺は動揺したが、彼女の怒りの原因が解らなかった。
「ダメだね俺って……。
せっかく今まで清水さんが会話を合わせてくれてたのに、結局怒らせちゃって」
「…………」
彼女は今までも我慢してくれていたのだと思う。
実際、彼女が俺の物言いを許容していなければ、ここまで交友関係を築くことは無かっただろう。
今思えば、それは彼女が文学少女を気取っていたからなのかもしれない。
文学少女は静かに怒ることはあっても、怒鳴ったりはしないからだ。
そして俺は、快活に様変わりした彼女を見て、無意識にそんな嘗ての彼女に未練を抱いていたのではないだろうか。
的外れな分析かもしれないが、もしそうであるならば、俺はどうしようもなく最低な人間だ。
「今まで俺と話しててつまらなかったよね」
「……そんなこと……ないよ」
言葉の間に肯定的なニュアンスを感じてしまう。
いや、せっかく彼女が譲歩してくれているのだ。
ここで仲直りしておかないと、今度こそ俺と彼女の関係は破綻するだろう。
「これからはもう少し気を使って喋る事にするよ」
「…………それはやめて」
は?なんで?
不自然な会話の流れを生んだ彼女を見て、俺は顔に疑問符を浮かべた。
「私は……犬養君と話してて楽しかったよ。
本当に言葉を飾らないで素直に物を言う人なんだなって。
私がどんな風に見えてるのか教えられて、すごく楽しかった」
「でもそのせいで今こうして清水さんを泣かせ――」
「泣いてません」
俺の言葉を遮った彼女の目はまだ少し赤いものの、浮かんでいた涙は既に引っ込んでいた。
しかし泣いたか泣いてないかなんてそれほど重要な事だろうか?
…………うん、きっと重要だよね。
「こんなこと聞くのもどうかと思うんだけど、俺ってどうすればいいと思う?」
俺の言葉に清水さんは怒り顔から呆れ顔になった。
「犬養君は純粋すぎるね。そこが美点でありそれ以上の欠点だよ」
「まったくその通りだと思います」
「私が今日ここに誘った理由はね、そんな犬養君が今の私を見てどんな感想を言ってくるのか聞いてみたかったからなの」
あぁ……なるほど、だから自分から話を振らなかったのか。
『今日の私ってどう?』とか自分から聞いたら痛い人だもんね。
「とっても美人になったと思うよ」
「犬養君、頭にホコリ付いてるよ」
「え?どこに?」
「ここに」
パコンッ
「あたっ!」
突き出した俺の頭を、身を乗り出した彼女の持つハードカバーの背表紙が叩いた。
彼女が紅潮した顔で睨んでくる。
「……犬養君、そういうことを恥ずかしげもなく言うのはやめてね?」
「ハードカバーで叩いてから言わないでよ……」
「もう文学少女じゃないからいいの」
「俺が何て言うのか聞きたがったのは清水さんじゃないか。
それに文学少女じゃなくても、確か今は少し洒落な文学趣味の少女じゃなかったっけ?」
「それも今辞めた。
犬養君は自分を変えられないみたいだけど、私はいろんな自分になることを楽しんでるからね。
だから無神経な犬養君ともうまく付き合っていけるように、私のほうが変わることにしたの」
「フレキシブルなのは有難いけど、その結果が美人と褒めた相手を本で叩いてくる人ってどうなの?」
「読書家ならもうちょっと言い回しには気を使ってね。
それと、私もこれから犬養君には遠慮しないことにするから」
「変わったというより清水さんって実は今まで猫被ってたでしょ?
今の清水さんも俺に劣らず割と言いたい放題だよ?」
「そうさせたのは誰だと思ってるの」
「ごめんなさい……それと……清水さん、ありがとう」
「え、何が?」
「これからも俺と付き合っていけるように変わってくれて」
「ッ!」
彼女の顔が火がついたように更に赤くなった。
「う~……」
「あ、今の清水さんもかわいいよ」
バコッ!
「ちょっ!今のはホントに痛いんだけど!?」
「あなた学習しない人なの!?」
「なら結局なんて言って欲しかったのさ……」
すっかり主導権を奪われて俺はため息をついた。
「もっとこう、いい感じだーとか、お洒落だねーとか、そういうのでよかったの!」
ごめん清水さん、俺にはその意味の違いがわからないよ……。
「ん~……。あ、もしかして告白だと思ったとか?いや嘘です本を振り上げないで!」
「……まったくもう!」
ハードカバーを頭上に掲げられて、俺は慌てて前言撤回した。
そしてもう一つ前言撤回。
あの本はどうやら盾ではなく武器だったらしい。
「それで、私は結局昨日の私より良くなったと思う?」
「客観的に見れば間違いなく良くなったと思うよ。
きっとこれから清水さんはモテるんじゃないかな」
「主観的にはどうなの?」
「俺の主観なんて参考にならないと思うよ?
俺はお洒落にあんまり興味ないし」
「…………やっぱり元に戻そうかな」
「いや、だから俺の言葉を真に受けないでよ。
清水さんが好きな自分でいればそれでいいじゃないか」
清水さんはやれやれといった表情で芝居がかった溜息をついた。
「まぁ、折角お金出してコンタクトも買っちゃったことだしもう戻したくはないけどね」
「うん。そのままでいいと思うよ」
彼女の言葉を肯定したというのに、彼女はそれが何故か気に入らない様子だった。
「犬養君ってさ、昨日私に垢抜けないって言ったよね?」
またその件を掘り返すのか。
余程堪えてたんだな……。
いや、そもそもあの一言が全ての元凶とも言えるしむしろ当然なのかもしれない。
「うん。その件については必要なら何度でも謝るよ」
「謝らなくてもいいけど、私は今日、そんな犬養君を見返す為にこうしてお洒落をしてきたってことわかってる?」
「…………」
なるほど……漸く俺にも理解出来た。
どうやら俺はまたやらかしていたらしい。
つまり……。
「そんな私に対して今度はそもそもお洒落に興味ないとか、そんな言葉真に受けるななんていうんだから……へこむよ……」
最後が少し涙声になった彼女の言葉を聞いて、俺は思った事をそのまま口にした。
「俺は確かにお洒落にそれほど興味は無いけど、清水さんには興味があるよ?
文学少女の清水さんもそうだし、今日のお洒落な清水さんも俺には魅力的に映る。
それじゃダメなのかな?」
「…………」
ほうぜんとした顔で俺を見る清水さん。
徐々に紅潮していくその顔は、怒りに震えているようにも見えた。
「もう出よっか……」
「え?あ、うん」
またまたやらかしてしまったのだろうか?
少しでも機嫌を取るべく俺は伝票を手にレジの前へ向かった。
流石の俺もこの流れで『割り勘でいい?』と聞く勇気は持ち合わせていない。
俺達の会話が駄々洩れだったであろう狭い店内で、レジの前に立つ女性店員は満面の笑みを浮かべて俺に釣銭を渡した。
店を出ると、少し肌寒い風が俺の体を撫でた。
今日は幾分緊張する場面もあったが、それでも総評するなら楽しい時間だった。
彼女は嬉しくないだろうが、彼女は俺を退屈させない天才かもしれない。
それに、彼女は俺に合わせてくれると言ってくれた。
そんな人は初めてだったし、俺はそんな彼女との交友を大事にしたいと思った。
己を曲げてでも保ちたいと思う繋がり。
それが友情であり、友人と呼べるものなのかもしれない。
「奢って貰っちゃってごめんね」
「昨日のお詫びと、今日楽しく過ごさせて貰ったお礼だよ」
俺の言葉に、彼女はどこか困ったような笑顔を浮かべた。
先ほどの言葉を怒ってはいないようなのでひとまずは安心だ。
「犬養君、私に変わって欲しいと思ったら言ってね。
私もまた犬養君がどんな反応するのか見てみたいし」
「清水さんは面白い人だね。
なら、明日は化粧をしないで来て欲しいかな」
「え?」
「全然化粧してるように見えない清水さんの素顔に興味がある」
「別にいいけど、今の私のメイクに気付かないようじゃ、多分違いに気付かないと思うよ?」
「そうなの?」
もう一度彼女の顔をよく観察する。
しかし、何度見てもやはり特段化粧をしている様には見えなかった。
「またそうやって凝視しちゃってー」
「ごめんね。後学の為に化粧してるかどうかを見極める方法を知りたかった」
「ふーん、……それで、わかった?」
「首のあたりにファンデーションの境目を探してみたけどよくわからないかな」
「それは当たり前。ファンデーションなんて使ってないもの」
「へ?」
「実は以前から色付のリップを使ってるの」
そう言って鞄から薄いピンク色のリップを取り出して見せる清水さんは珍しくしたり顔だった。
「それはちょっと、いやかなり卑怯じゃないかな。
色付リップを化粧と主張するのは如何なものかと思うよ?」
「そうだよねー。
これだけジロジロ見られても気付かれないくらいだもんねー。
してないのも同然だよねー」
「気付けなくてごめんなさい。勉強不足でした」
と言いつつも、女の化粧について勉強しようなどとは露ほども思わないのだが。
しかしよく見れば、彼女の言う通りその唇は艶があり、少しだけ鮮やかな気もする。
「犬養君~?」
「はいごめんなさい。もう凝視しません」
「ふふっ。犬養君は私が怒ったりからかっても全然怒らないんだね」
「怒られるのは慣れてるし、大抵の場合原因は俺にあったからね」
「そっか。今日は叩いちゃってごめんね」
「気にしないで。それでチャラになるならいくらでも叩いていいよ」
「暴力的な女と思われたくないからもうさせないで欲しいなぁ~」
「努力してみる。清水さん、今日は楽しかったよ」
「うん。私も」
「それで、最後に一つお願いがあるんだけど……」
「ん?何?」
「…………」
「どうしたの?」
おかしい。俺が言葉に詰まることなんて普通はない。
言うべきかを迷っている?
きっとそうだ。これはリスクのある発言だからだ。
だが、言わないという選択肢は無い。
俺は余程の不都合が無い限りは思いのままに振る舞う享楽主義者。
ここで言葉を飲み込むなんて俺らしくない。
「俺と友達になってくれないかな」
「…………はい?」
清水さんはポカンとした顔で聞き返してきた。
「……あれ?なんかおかしなこと言っちゃったかな」
「あ、ううん。そっか…………そうだったんだね」
「?」
「えっとね、こちらこそよろしくお願いします」
彼女はそう言って丁寧にお辞儀をしてきた。
彼女の承諾を聞いて、俺は胸を撫で下ろした。
「うん。ありがとう」
「それじゃ友達になった犬養君に、私からも一つお願いしてもいいかな?」
「勿論だよ」
「私のことはこれから名前で呼んでくれない?」
「え?あ、うん。縁さん……でいいよね?」
「うん。名前で呼ばれた方が友達っぽいよね」
「そうかもしれないね。なら俺のことも凪人でいいよ」
「ありがとう。……ねぇ凪人君?」
悪戯っぽい顔をして俺に近づいて来る彼女に、もはや文学少女の面影は無い。
「私も凪人君に興味があるし、魅力的だと思うよ」
「へ!?」
突拍子もない言葉に、俺は間抜けな声を出してしまった。
「あはは!やっと言い返せた!」
「…………」
あぁ、なるほど……。
喫茶店での俺の最後の言葉に言い返したのか。
「それじゃ凪人君、また明日ね」
はにかんで手を振りながらそう告げてきた彼女に、俺も手を振り返した。
「うん。縁さん、また明日」
背を向けて遠ざかっていく彼女の後姿に、戸惑いと若干の名残惜しさを覚えた。
昨日もこうして彼女の背中を見送ったが、その後ろ姿はまるで別人だ。
彼女は無色透明な水などではなく、七色の自分を内に秘めた虹の様な人だった。
涼しい風に顔を撫でられ、俺は自分の頬が少し紅潮していることに気付いた。
先程彼女が言い返した言葉に特別な感情の色がさしていたように感じられて、それが僅かに色移りしてしまったらしい。
もしかすると……無色なのは初めから俺の方だったのかもしれない。
とりとめのない会話パートというものを短編で書いてみたくなったものの、それだけでは小説としての体裁が保てないので、あれこれ弄っていたら意外と長くなってしまった為二話構成にしました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。




