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第二想・想曲/陸~矛盾~

 降り続く雨に紛れる事無く、静かなその声音は若菜の耳朶を叩く。

 ああ、そうだ。自分は、死のうとしていたのだ。先に、逝かせてしまったから。守ってあげることが、出来なかったから。自分の子供になるはずだった、あの子を。


――お互いが好きならさ、別にいいんじゃない?


 父親の再婚相手を紹介された時、彼は特に反対しなかった。しかし、思春期だということもあってか、一度も自分のことを゛母さん"とは呼んでくれなかった。

 一緒に暮らし始めてもう一ヶ月が過ぎようとしているのに、未だに「若菜さん」と名前で呼んでくる彼に淋しさを感じながらも、彼女は幸せだった。焦らなくてもいい。自分たちの目の前には、膨大な時間が残されているのだから。きっといつか、彼は自分を母と呼んでくれるだろう。

「…別れることはないと…何を根拠に思っていたのかしらね…」

 一瞬のうちに奪われた『未来(あした)』。呼びかけに応えた笑顔が、血の海へと消えた。制御を失った車が、歩道にいた彼を轢いたのだ。目の前で起こった惨劇を、若菜は決して忘れない。すり抜けていったあの手の温もりも、決して。

 どうして彼が死ななければならなかったのか。どうして加害者は酒を飲んでまで車を運転しようとしたのか。どうしてあの時自分は助けられなかったのか。どうして?何故?

 繰り返される問いかけ。答えの出ない、暗闇の迷宮。

「…守れたかもしれないのに。あの日、私はあの子の向かい側にいたのだから…」

 もっと周囲に気を配っていれば、向こうからやって来る車の異常さに気付いたかもしれない。自分が呼び止めなければ、あの子は信号が変わる前に横断歩道を渡っていたかもしれない。

 浮んでくるのは全て仮定。起こってしまった事への後悔。過去は変えられないと、わかってはいるけれども。考えずには、いられないから。

 私が、あの子を殺したのではないかと。そう、思わずにはいられないから。

「だから、せめて…せめて、一言謝りたくて…」

 自らの命を絶つ為に出かけた。そして、辿り着いたのが、この場所。季節外れの菖蒲が咲き乱れる、現とも幻ともつかぬ場所。

「―――それが、ただの貴女の自己満足でしかないって事、わかって言っていますか?」

 今まで若菜の告白を黙って聴いていた彼が、静かな声音で沈黙を破った。

「貴女が愛する人を失って悲しいように、死者もまた、愛する人の死を悼むでしょう」

 若菜は伏せていた顔を上げる。

 無表情の中で、深緑の双眸だけが冷酷な輝きを宿して若菜を見下ろしていた。

「もし貴女が今自殺したら、彼はこう思うでしょうね。――自分が殺したのだ、と」

 静かな、それでいて斬り付けるような鋭さを持つ少年の言葉に、若菜は硬直した。その黒曜石の瞳を見開き、淡々と告げる少年を見つめ続ける。

「自分の死が愛する人を悲しませている――その事実に、悲しまない死者がいないとでも?」

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