第二想・想曲/肆~緑眸~
見事に咲き誇る菖蒲の中に通らされた道を青年と並んで歩き、開けられた巨大な扉を通り抜けてエントランスホールに入った。
背後に立つ彼が扉を閉めると、蝋燭の灯された薄暗い室内が何となく不気味に思えてきた。しかしその空恐ろしい感情も、青年が傍らに立ったことで綺麗に消え失せる。
中央に設けられた階段を上り、左に曲がって突き当たりの部屋へと通される。机の置かれた南側以外の三方を高い本棚で囲まれたその部屋に設けられた唯一の窓からは、庭の景色が一望出来た。
お茶を用意してくると言い置いていったん部屋を出て行った彼が手渡してくれたタオルで髪を拭きながら、窓を開け放って庭を眺める。
何故この時期に菖蒲が咲いているのか、今更になって疑問に思う。けれど、この建物が有する不可思議な雰囲気が目の前に広がる景色を自然なものへと変えてしまう。
「―――花を愛でることがお好きなのですね」
背後から声を掛けられて彼女が振り返ると、片手に小さめのお盆を持った青年がこちらに歩いてくるところだった。
部屋の中央にしつらえられたソファに座り、テーブルに置かれたカップを手に取る。甘い香りの漂う中身を一口飲み、彼女は感嘆の声を上げた。
「美味しい。こんなに美味しい紅茶は初めて飲んだわ」
「喜んでいただけたのならば幸いです」
心からの賞賛に、青年は嬉しそうに微笑んだ。
「何処の銘柄かしら。ライラック?それとも、ヴィエラ?」
好奇心に瞳を輝かせて問いかけてくる彼女に、青年は「秘密です」と悪戯っぽく笑って誤魔化した。そして、彼女の手からタオルを受け取って再び部屋を出て行ってしまった。
独り部屋の中に取り残された彼女は、しばらくの間芳純な紅茶を楽しんでいたが、中身を四分の三以上飲み終えた頃、誰かに呼ばれた気がして彼女はカップを置いた。立ち上がり、閉め忘れた窓へと近寄って未だ雨の止まない庭を見下ろした。
そして彼女は、新緑の緑よりも尚深い色の瞳に、出会ったのだ。
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