第十一話:まとめ役と盾役と
朝、執務室に呼ばれた。
珍しかった。ガドはよほどのことがない限り、わざわざ呼ぶことをしない。
「この依頼だ」
机の上に依頼書が一枚あった。受け取って、読んだ。
村への物資輸送と護衛、および周辺安全調査。
村の名前はラルタ村。先月、緊急依頼を持って飛び込んできた若者の村だ。書類の山の底に二週間埋もれていた依頼書のことを、今でも覚えていた。
「受注したのはいつですか」
「三日前だ」
「護衛と安全調査、どちらが主軸ですか」
「両方やれ」
「帰還期限は」
「日没一時間前だ。村まで半日、調査に二時間見ておけ」
銅級の依頼だった。周辺の魔獣ランクは銅級が中心。道は街道から外れるが整備されている。人数は三から四名推奨。
問題はない。ただ——
「誰を選びますか」
「お前が決めろ」
ガドが目を伏せた。それだけだった。
◇
台帳を開いた。今日、依頼に出ていないメンバー。空いているパーティー。研修の進捗状況。頭の中で表を作りながら、名前を並べた。
ゴルドのパーティー。ゴルド、ブロン、リアの三人は先週からやっと形になってきた。まだ合わせが荒い部分はある。でも基礎は揃っている。護衛と安全調査なら、ゴルドの観察眼とブロンの頑丈さとリアの索敵力が理にかなっている。
それから——トール。研修の最終段階に入って十日が経った。次は実戦に近い依頼へ帯同させる段階だ。
銅級の依頼。既存パーティーへの帯同。まとめ役はゴルド。条件は揃っている。
カウンターに戻ると、扉が開いた。トールだった。
「トール、少しいいですか」
「なんですかケンジさん!」
「今日の依頼の話です。ゴルドさんのパーティーに帯同してもらいます」
トールが少し止まった。
「……俺、ついていっていいんですか」
「あなたでないと困ります」
「え」
「研修の最終段階です。今日が実地になります」
トールが目を丸くした。それから、真剣な顔になった。
「わかりました」
「ゴルドさんの指示に従ってください。撤退の判断もゴルドさんに委ねること。自分で動きたいと思ったら、一度声をかけてから動いてください」
「はい」
「以上です」
トールが頷いた。尻尾があったら立っていそうな、緊張した顔だった。
少し後、ゴルドが来た。依頼書を渡した。
「内容を確認してもらえますか」
ゴルドが読んだ。
「ラルタ村か」
「ご存知ですか」
「先月ガドさんが動いた村だろ。道は知ってる」
「トールを帯同させます」
ゴルドが少し間を置いた。
「……研修の最終段階か」
「はい。難易度は銅級の範囲です。判断はゴルドさんに委ねます」
「まあ、そうかもな」
ゴルドが依頼書をたたんだ。
「トール、慎重に動けるか」
「できます!」
「できますじゃなくて、やるんだよ」
「やります!」
ゴルドが小さく笑った。
出発前、全員をカウンターに呼んだ。地図を広げた。
「村まで街道を南下して、ここで獣道に入ります。村まで一本道です。安全調査は村の周囲半径、徒歩二十分の行動圏内に留めてください。それ以上の奥は今日は入らないこと」
ゴルドが頷いた。
「ボードに何か出ていましたか」
「先週、南街道沿いで銅級の狐が二件です。それ以上の報告はないです」
ブロンが地図を覗き込んだ。
「この道、わりと開けてるな」
「はい。荷車が通れる幅があります。今日は物資も運びます」
「荷の量は」
「食料と薬草です。荷車一台分です」
「俺が引く」
「助かります」
リアが地図の端を指した。
「村の東側に川がありますね」
「そうです。南の境界線になっています。川の向こうは未調査区域です。今日は渡らないでください」
リアが頷いた。
「帰還は日没一時間前です。何かあれば迷わず引いてください」
全員が頷いた。
「気をつけて行ってきてください」
ブロンが荷車の取っ手を掴んだ。
「行くか!!」
声が大きかった。ギルドの外に出て、四人が歩き始めた。扉が閉まった。ティナが隣で小さく手を振っていた。
◇
南街道は穏やかだった。
ゴルドが前を歩いて、ブロンが荷車を引いて、リアが後ろで周囲を確認して、トールがその隣にいた。
「ゴルドさん、歩くの速いですね」
「そうか?」
「いつもこのペースですか」
「荷がある時は少し落とす」
「じゃあ今は落としてるんですね」
「そう」
トールが黙った。後ろからブロンの声が飛んだ。
「喋りすぎだトール! 周り見ろ!!」
「す、すみません!」
「声がでかい」ゴルドがぼそっと言った。
「俺がか!?」
「お前もだ」
ブロンが気まずそうに口を閉じた。リアが小さく息を漏らした。笑いを堪えている顔だった。
二時間ほど歩いたところで獣道に入った。道が細くなった。荷車が少し難儀したが、ブロンは問題なく引いていた。
木の間から光が差している。鳥の声がした。
「静かですね」とトールが小声で言った。
「でも鳥が鳴いてる」とリアが答えた。「まだ大丈夫」
「鳥が鳴いてると安全なんですか」
「魔獣が近くにいると黙る」
「へえ」
トールがメモを取った。ゴルドが前を向いたまま言った。
「覚えておけ。鳥が急に黙ったら止まれ」
「わかりました」
◇
午前中は書類の処理をした。昨日の依頼完了分の帳簿。今月の報酬計算。週明けに提出する報告書の下書き。
手を動かしながら、頭の片隅に残っていた。
ラルタ村。あの時の若者の顔。震えていた手。
今度は遅れていない。物資も届く。安全調査もできる。問題はないはずだ。
マーサが隣に来た。
「今日、ゴルドさんたちに依頼出したんだってね」
「はい」
「トールも一緒に?」
「研修の最終段階です」
「そうかい」
マーサが少し間を置いた。
「ゴルドさん、最近よく声を出すようになったねえ。ぼそぼそは変わらないけど、指示が通るようになった気がするよ」
「そうですか」
「ケンジさん気づいてないの」
「気づいています」
マーサが少し笑った。
「素直に認めないねえ、ケンジさんは」
午後になった。依頼の出入りが一段落した。帳面を閉じた。帰還予定まで、あと三時間だ。
◇
村が見えてきた。粗末な木の柵に囲まれた村だった。畑には人が出ていた。
柵の前で、若い男が手を振った。ラルだった。飛び込んできた時の顔とは違っていた。落ち着いていた。
「来てくれましたか!」
「物資を届けに来ました」ゴルドが荷車を指した。「降ろす場所を教えてください」
村人が集まってきた。子供も何人かいた。荷物が降ろされた。
ラルが袋の中を見た。少しだけ目が潤んだ。言葉はなかった。
「周辺の調査をさせてください」ゴルドが言った。「この一ヶ月で、何か変わったことはありましたか」
「そうですね……」ラルが考えた。「東の川沿いで、夜に変な音がすることが増えました。獣みたいな声なんですが、聞いたことのない声で」
「何日くらい前から」
「二週間ほど前からです。最初は一回だったんですが、最近は毎晩のように」
ゴルドがリアを見た。
「東から始めよう」
「わかった」
川沿いの調査は、最初は何もなかった。足跡がいくつかあった。狐の。先週のボードと一致している。
「東にもう少し行ってみる」ゴルドが言った。川沿いを歩いた。
少ししたところで、リアが止まった。
「ゴルド」
「わかった」
全員が止まった。鳥が、鳴いていなかった。
足元の土を確認した。足跡があった。狼だ。ただし——
「デカい」
ブロンが小声で言った。
「銅級の狼にしては大きすぎる」ゴルドが足跡の縁をなぞった。一回り以上大きかった。
「魔力が滲み出てる跡がある」リアが地面を指した。
「……どういうことですか」トールが小声で聞いた。
ゴルドが答える前に、草の中から低い唸り声がした。
四頭いた。
姿を見た瞬間、ゴルドは判断した。体が銅級より一回り大きい。毛並みに魔力が滲んでいる。目が濁っている。
銅級じゃない。
「引くぞ」
低い声で言った。迷いはなかった。ただ一瞬、声が出るかどうかわからなかった。でも出た。
「リア、左。ブロン、後ろで押さえる。トール、俺の後ろ」
「わかった」
「わかりました」
「……わかりました」
一頭が飛びかかってきた。ブロンが正面で受けた。重かった。普通の銅級じゃない、と体でわかった。
「押さえるぞ!!」
ブロンが通常の声量に戻った。静かにしている時ではなかった。
「リア!!」
「行く」
リアが左の二頭の間を一気に抜けた。双剣が入った。二頭が怯んだ。
ゴルドがトールの背中を押した。
「走れ」
「でもリアさんが——」
「走れ」
トールが走り始めた。ゴルドがリアに声をかけた。
「離脱。今」
「っ——」
リアが弾くように後退した。ブロンが盾を押した。一頭が吹き飛んだ。
「ブロン」
「わかってる!!」
ブロンが一歩引いた。また一歩引いた。盾が鳴った。また鳴った。
「三十歩! もう少し!」とゴルドが叫んだ。
「うるさい!!」
「二十歩!」
「わかってる!!!」
十歩。
「跳べ」
ブロンが大きく後ろに飛び退いた。狼が踏み込んできた場所に、誰もいなかった。四頭が一瞬、方向を失った。
「走れ!!」
全員が走った。
◇
帰還予定を一時間過ぎた。窓の外が暗くなっていた。
帳面を開いた。字が入っていかなかった。閉じた。
ティナが近づいてきた。
「……大丈夫ですよね」
「大丈夫です」
「でも遅いですよね」
「何かあったんだと思います」
「何かって」
「わかりません。でもゴルドさんがいます」
ティナが唇を引き結んだ。何も言わなかった。
ランタンを点けた。カウンターの上を片付けた。帰ってきた時にすぐ報告書を出せるようにしておきたかった。それだけだった。私にできることは、それだけだった。
扉が開いたのは、それから一時間後だった。
四人だった。全員、立って歩いていた。
ブロンの盾に傷があった。リアの袖が破れていた。トールが少し足を引きずっていた。ゴルドが一番後ろにいた。全員を通らせてから、最後に入ってきた。
「全員無事です」
ゴルドが言った。
◇
水を四つ出した。全員が一気に飲んだ。
トールがカウンターに頬をつけた。
「……疲れました」
「どこか怪我をしましたか」
「足首を少し。走った時に石を踏んで」
「後で薬草師のところに行ってください」
「はい……」
ブロンが盾を壁に立てかけた。
盾の表面には、狼の牙が削った跡が残っていた。
ブロンが自分の腕に目を落とした。浅く血がにじんでいる。
「盾がなかったら、もっと深かった」
「後で洗っておいてください」
ブロンが少し笑った。それだけだった。
リアが口を開いた。
「鉄級相当の狼が四頭いました。川沿いの東側です。銅級のはずの区域です」
「記録します。明日のボードにも載せます」
「逃げてきました」
「正しい判断です」
リアが少し息を吐いた。
「ゴルドさんが判断してくれなかったら、私は戦おうとしていたと思います」
「そうですか」
「……そうです」
それだけ言って、水を飲んだ。
ゴルドが報告書を出した。いつもより字が少し乱れていた。でも全部書いてあった。足跡の大きさ。毛並みへの魔力の滲み。川からの距離。頭数。逃げた経路。
読んだ。
「ゴルドさん、一つ確認していいですか」
「なんだ」
「退いた時、判断に迷いはありましたか」
ゴルドが少し考えた。
「迷いはなかった。ただ」
「ただ?」
「声が出るかどうか、一瞬だけ怖かった」
静かな声だった。私は何も言わなかった。
「出た」
「全員動きました」
「動いてくれた」
ゴルドがカウンターに視線を落とした。
「……昔、一回出なかったんだ」
「知っています」
ゴルドが少し目を上げた。
「今日は出た。それだけのことだけど」
「大事なことです」
ゴルドが小さく頷いた。それだけだった。
トールが顔を上げた。
「ケンジさん、ゴルドさんの指示、すごかったです」
「そうですか」
「走れって言われた瞬間、考える前に体が動きました」
ゴルドが横を向いた。
「大袈裟だ」
「大袈裟じゃないです! 怖くてどうしようかと思ってた。でもゴルドさんの声が来たら、今動くんだってわかったんです」
ゴルドが何も言わなかった。でも耳が少し赤かった。
◇
全員が帰った後、ガドの執務室をノックした。
「入れ」
地図を広げた。
「今日の依頼の報告です。ラルタ村への物資輸送は完了しました。ただし安全調査は途中で中断しています」
「なぜだ」
「川沿いの東側で、鉄級相当の狼と遭遇しました。四頭です。ゴルドさんの判断で撤退しています」
ガドが地図を見た。
「鉄級が銅級区域に出た」
「体躯と魔力反応が鉄級に近い状態でした。銅級の個体が魔力過剰を起こしているとみています」
「なぜ銅級が過剰になる」
「川の向こう、国境方向の魔力濃度が上がっている可能性があります」
ガドが動きを止めた。
「先月から、東の森でも目撃数が三割増えていました。今日の報告と合わせると——国境付近で討伐が止まっている、あるいは意図的に放置されているなら、魔力濃度の上昇がこちらに向かって来ていることになります」
「ランバルトか」
「可能性があります。断言はできないですが」
ガドが窓の外を見た。夜だった。
「引き続き集めろ」
「はい。それと」
「なんだ」
「今日、ゴルドさんが三人を連れて帰ってきました」
ガドが少し視線を動かした。
「それだけです」
ガドが短く頷いた。
◇
執務室を出た。廊下が暗かった。
カウンターに戻って、片付けの残りをやった。帳面を閉じた。ランタンを消した。
今日、四人が帰ってきた。全員、立って歩いていた。ゴルドの声が出た。全員が動いた。
「今日は、帰ってきた。」
でも、まだ先がある。
静かにそう思いながら、ギルドを出た。




