94.その隣で貴方は私を導き続けた。
時が流れる。
かつての私達が辿り着けなかったその先まで、世界は時を刻み続ける。
その中で私達は進み続ける。
守りたい存在を守り、愛したい存在を愛するために。
……やがては身体も心も朽ちて、進めなくなって、時に取り残されるまで。
2128年3月26日 昼下がりの龍妖彩、ブライツシティから少し離れた所、とある民家の寝室にて1人の黒髪黒目の老人が目を閉じ横になりながら考えに耽る。
「(分かる……俺はこの日を跨ぐ前に死ぬ。そしてもうきっと、〇は発動しない……本当の死がもうすぐ俺にもやってくる。)」
網戸を抜けてきた風が白いレースカーテンを揺らし、部屋に届く鶯の鳴き声の上へ小さな金属音を重ねる。
「〇の発動条件……恐らく俺が今際の際に未練を抱いているかどうかなんだろう……死が近づいてくると……やはり、よく分かるな。」
少しだけ緩んでいた彼の口元はおもむろに固く閉じられ、目は部屋の周囲を見渡した。
「(……死の支配者だからな。お前が来たって事もよく分かるぞ、リプラ……この最期の時にお前と話せないんだったら、俺は必ず世界を巻き戻す……だから出てこい――)」
「そう急かさないでやれ、リプラにも心の準備が必要なんだ。」
なびくカーテンの裏から女の手が伸びる。
「……マリーゴールド……お前が居るって事は、やっぱりアイツも来てるんだな。」
多くを見てきた老人の黒い目は、今や白く濁っている上にソレを通して見える景色は酷くぼやけていたが、歩み寄ってきてベッドに腰かけるマリーゴールドの姿をまっすぐと中央に捉えていた。
「リプラから情報を詰め込んだ闇……前の世界に居たあたしの記憶を渡されたよ。おかげで何故メアーが消えたのか、記憶と世界の景色にギャップが存在している理由を理解できた……そして、リプラと同じようにあたしも君と話がしたくなった……。」
「……そんじゃあ、ボケ爺はお前が知らない思い出話でもしてやろうかね。」
随分と変わった、あるいは全く変わっていない互いの姿を見つめあう2人に背を向け、私は寝室を後にする。
――――――――
「うひっひっひっひっ……傍から見れば面白おかしいねぇ……お医者さんでもないお爺さん1人が、今日死ぬと思うって言っただけでさぁ……妻子や親戚一同どころか政府の要人やらブライツの伝説やら、円卓主に月の天使達までどっと集まってきちゃうなんてねぇ……ひっひっ……。」
寝室と壁や扉で隔たれた居間の中で、ロッキングチェアに腰かけたロベリアがその場に居る全員を見て笑う。
ロッキングチェアと肩を揺らしながら微笑む彼女の前で、彼女達の家に集結していた老若男女が無言のまま少し体を動かす。
「だって皆……ロベリアさんも木槿の予想が外れた所なんて……見た事ないわよね?」
「うん、無いねぇ……。」
「……一度もない……しかも何故アイツは同じほど歳を重ねた私よりも……更に歳と経験を感じさせるような男なのだろうか……。」
ミカさんの視線の先でロベリアはゆっくりと頷いて、アウトフォールはその近くで車椅子のコントローラーを握りしめる。
「うわーん!!本当これだから地球人と友達になるのは辛れーんだ!!!!」
泣き喚くエバの頭へ同時にロイヤーと……アスクが軽くチョップを叩きこむ。
「空気を読め!!」
「失礼だよ?……本当に。」
頭を抑えながら少し呻き、居間の隅で座りこむエバを全員が一瞥してから黙りこくる。
その思いを今ここで大きく声に出す事は咎めたかったが、その思い自体は誰もが肯定したかった。
友人として、家族同然の存在として共に笑い、学びあい、思い出を作ってきた者が変わり果てていく様を、全く変わらない自分の体で見届けなければならない事がどれほど彼女達の心を締めつけるか……。
……エバとアスク、2044年7月13日から83年と258日の間見続けないようにしていた2人の姿は、天使にとって1回きりの変化の時をいつの間にか迎えていた。
偶然にも私と同じように右手の中指にはめていた死月鉱の指輪を見つめてから、アスクがエバの肩に手を置こうと歩み寄った時。
ゆっくりと寝室の扉が開いた。
「あら……えっ!?!?」
「久しぶりですね……あたしの事、覚えていますでしょうか?レイズ・ミカエル様。」
木槿に背を向けたマリーゴールドが部屋を後にして数秒も経たないうちに、ポルトカリとミカさんが全力で彼女を抱きしめる。
「覚えてるわよ!!!!」
「やっぱり生きとったんねマリィちゃん!!!!」
「……いつまで経っても、2人には頭が上がらないです。」
抱きしめあう彼女達の背中を見つめながら、アスクは何かを考えている様子だった。
……考えを覗く気にはなれなかった。
「また……増えた……?」
エバとロイヤーが唖然としている間を通り抜け、彼はマリーゴールドの前に立つ。
「どうして今現れたの?木槿とも話してたの?」
「……あたしはついてきただけなんだ。」
マリーゴールドの顔に陰がかかる。
その心中や罪に染まった魂に眉をひそめながら、アスクは扉の向こうを覗いた。
木槿は天井をまっすぐと見つめながら、居間での会話に耳を澄ませているようだ。
「誰についてきたの?……その人はどこに居るの?」
「説明は難しいんだが……今、寝室に入っていく。」
ドアノブをゆっくりと握りしめ、私は皆に背を向けて寝室に歩みを進める。
皆にはただ、ひとりでに扉が閉まっているようにしか見えていない。
「……彼も話したがっている……アスク……君にとっては絶対に忘れちゃいけないような人だったんじゃないかと、あたしは思うんだがね……。」
「……?」
扉を閉めると同時に、私は木槿にだけ姿を見せて歩み寄った。
「まず1つ……俺からお前にやらせたい事がある。」
『何?』
彼の枕元に立ち、フードを深く被りながら私は溜め息をつく。
「俺の力を取り込め。」
『……なんで――』
かけ布団の下から出てきて私の前へ伸びた木槿の腕はとても細くて皺だらけで、軽く握るだけでも取れてしまいそうに見えた。
「理由なんざ後で聞け……とっとと取らねぇとくたばって世界戻してやるぞ。」
『……分かったよ……。』
彼の腕に触れた指先から、私に木槿の力が流れてくる。
やはり未練はあるのだろう。
だから私に力を奪わせるんだろう。
私はもうアスクの親友でも双子でもないし、それはどうしようもない事なのだから。
「これで俺は本当にアズノーンだな。ここで今度こそくたばって……そんで、お前は万が一があってもここでまた目覚める事ができる。」
『……貴方が救った世界は、私が全力で守り続けるから安心してね。』
布団の上から木槿の胸の上へ乗せた手を、彼はそっと抑える。
「それについては言われずとも、お前やニューオーダーや居間に集まってる奴らを信頼してるよ……それよりもだ、俺が死んだらこの世界から……メアーが消える前からお前をずっと覚えている奴はとうとう――」
『言われずとも!……お返しだよ、大丈夫。』
抑えなくたって私はさっさと居なくなったりしないのに。
……あぁ、木槿の魂が消えていく。
止めたいけど、止めちゃいけないって分かってる。
これは彼にようやく訪れた、一息つける瞬間なのだから。
台無しにしてはいけない。
『私は大丈夫……だって今この世界で1番強いし!』
「意味わかんねぇよぉ……へへっ……。」
私の手を抑えつけ、そして撫でながら木槿は笑みを浮かべる。
「大丈夫だってんなら……なんで手震えてんだ……。」
『……そりゃ、辛いものは辛いし、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しいよ……貴方の立場を知らなかったら私、何度だって……行かないで……って言いたいし、ニューヒューマンにだってするよ。』
視界がぼやける。
木槿の視界も更にぼやけて、そして少しずつ暗くなっていく。
「はぁ……お前には……やっぱり…………。」
――――――――
何も感じられない。
進んでいるはずの時も、外で鳴き続けているはずの鳥の声も。
今も私と……いや、もう私だけを照らしている陽光の暖かさも。
……これが、孤独なんだ。
アスクも木槿もミカさんも……もう誰も私を導く事はない。
この様々な光に満ちた宇宙の中、私は誰よりも前へ進み続けて世界を守り導いていく。
いずれは誰も望んでいない中で、適当な光を選んでそこを目指さなければならなくなるんだろう。
誰も横におらず、共に全てを楽しんでくれる事もないという孤独があまりにも辛い――
「なるほど……木槿が言ってた事、やってみて初めて分かったよ。」
……?
ゆっくりと振り返ると、いつの間にか寝室に入ってきていたアスクと目が合う。
どうして目が合うの?
見えてるの?
「僕には大切な人が居て、いつも皆を守ってて、特に僕を気にし続けていて……でも僕にも誰にも忘れられちゃって、覚えてもらってないんだって……木槿はよく、君の話をしてた。」
『……。』
あの日、私が皆の記憶から消えてしまってから、アスクとその周辺の様子をあまり見ないようにしていた……その間に木槿はアスクに私の話をし続けてたの?
「最初は宗教の話かな?って思ったけど……確かに僕の人生、何か大切な事を忘れちゃってて思い出せていないなって感じがずっとしてたんだ。」
でも、それでも私が見えているのは何故?
見せようなんて思ってなかった。
私を認識する事は許可してなかったのに、なんで?
「……君も話したんだろうけど、皆が木槿と最後の話をしようってなった時、僕はその皆の中でも最後の方に呼ばれて、変な事を言われたんだ。」
なんでって言葉が、頭を埋め尽くしていく。
思考ができない。
こみあげる感情で心がいっぱいになっていく。
「見えなくても見つけろ、お前にはアイツが必要だし、アイツにはお前が必要だって。そこに居るから、居ると信じてその目を開けって……それで試したら今、君が見え始めた。」
『……不気味でしょ?天使か堕天使かも分からなくて、いつの間にか居て、コソコソ隠れていたような私は――』
「リプラ。」
私よりも少し背の低い彼が、死月鉱で自分を弾いて跳んでくる。
私を思いっきり抱きしめて、私の名前を呼ぶ。
「僕の人生には何かが足りないような気がずっとしてたんだ……仲間もいるし、友達もたくさんできたのに……でも、確かに何かが足りなくて……きっとその何か、誰かの名前なんだろうなって言葉が生まれてからずっと記憶の中に残ってた。」
『覚え……てるの?……私の名前……。』
木槿を看取ってからずっとぼやけたままの視界が更に見えづらくなっていく。
昔聞いた「……お前にはアイツが必要だ。」という木槿の言葉がフラッシュバックして、同時に私は自分と向き合いながらアスクを全力で抱き締めた。
「ふふっ、やっぱり君がリプラなんだね。僕の行く先を照らしてくれる、僕の親友!」
『……そうだよ!貴方は私を行きたい所に導いてくれる、私の親友のアスク!!』
――――――――
私達は進み続ける。
時に最強の人類として悪意ある闇と戦いながら、守りたい存在を守るために。
時に人々の期待を背負いながら、永い因縁を終わらせるために。
時に世界の危機へ立ち向かいながら、自分達の夢を叶えるために。
たとえ悪夢が全てを握り潰そうとしても……守りたい存在と共に、愛する存在と共に、この世界と共に私達は進み続ける。
私……リプラは彼の進む先を照らす光としてアスクと、私を導く親友と共に何処までも進み続けた。
そして、輝きと色と物語に満ちた世界や先に待ち受ける全てを照らす希望の光であり続けた。
更に進み続けた先、いずれはこれを読み続けてくれた貴方の前に私やこの世界の人間が現れるかもしれない。
その時、貴方から見た私達がどんな姿に映るかは分からないけどね。
それは眩しくて暖かい光かもしれないし、傷つきながらも前へ進み続けた貴方を待ち受ける安らぎの闇かもしれないけど……ただ今は、貴方が恐ろしい悪夢から目覚めて楽しい現実を歩めている事を願っています。
【URIEL 4 月人の双子】 完




