第3話 愛する家族達
「ウィスタリア様! もうお顔を拝見できないのが寂しいです……!」
「お姉様……お慕いしておりました……!」
学院の卒業式の後、多くの女子に囲まれ、別れを惜しまれたのは悪い気分ではしなかったけれど、けして良い気分でもなかった。
(この令嬢達のうちの誰かが、実は訳あって女のフリをしてる男だったりしないかしら……)
と悲しい妄想をしてしまうくらいに。
その日の夜に行われた卒業パーティーでも素敵な出会いはなく。
幸せそうな男女達を見ている自分が何だか惨めに思えてきて、パーティーも後半に入って早めに帰る者達に紛れて抜け出し、寮の自室で静かな夜を過ごした。
「お姉様、まだまだ出会いはありますわ」
翌日――学校の前に止まる馬車の中でも一回り大きい、マリアライト家が誇る鮮やかな紫を基調にした馬車に乗ろうとした時、二つ下の妹――アザリアから励ましの言葉がかけられる。
その言葉を素直に受け取れないのは、アザリアの隣にこのヴァイゼ魔導学院を運営しているシルバー家の次男、ヒース卿がいるからだろうか?
銀のように艶やかな髪と目が特徴であり穏やかな顔つきの美男子《ヒース卿》の隣の立つ、前髪も肩にかかる髪も綺麗に切りそろえた黒髪と深く濃い紫色の目が綺麗な妹。
ただ――清潔感はあれど姉の目から見ても取り立てて美しい訳でもない、何処にでもいるような風貌の妹に目をつけていた男を颯爽と取られてしまった自分が悲しい。
姉の出会いを一つ奪っておいて、まだまだ出会いがあるだなんてよく言えたもの――そんな私の哀愁を感じ取ったのか、アザリアは少し視線を落として、
『ごめんなさい、お姉様がこの方を狙っていたのは分かっていたのですけど……傷は浅い方がよろしいと思って……』
隣にいるヒース卿に聞かれないように念話で話しかけてくる配慮はありがたいけれど、いちいち浅い傷のかさぶたを剥がすような真似をしないでほしい。
別に、その頃には複数の男を同時に下調べしていたし、本格的に好きになった後に搔っ攫われた訳でもないから、今更恨み言を吐く程の怒りはないけれど――それでも、恨み言が心に渦巻く程の不快はあるのだから。
「お姉様……余計なお節介かも知れませんけど、ネクセラリアにはお気をつけて。あの子は私が館にいた頃、いつも私の物を欲しがって父に甘えていましたから……お姉様が戻ったら標的がお姉様になるやもしれません」
『姉が目をつけていたものを奪った妹が言える台詞じゃあないわね』
心に渦巻いていた不快を煽るようなアザリアの発言に耐えかねて念話に包んだ嫌味を飛ばすと、アザリアは困ったように苦笑いする。
『あらやだ。私が好きになった方にたまたまお姉様が先に目をつけていただけですわ。最も……お姉様が目をつけたなら間違いないと思って全力でアプローチしたのも事実ですから、罪悪感もありますけれど。ですからこれは姉不孝な妹の、せめてもの忠告とお受け取りください。お姉様もいつか素敵な人と出会える事、心から祈っております』
どの口でそれを言うのか――と心の中で毒づきつつ、アザリアがヒース卿を射止めてなければ、別の令嬢がヒース卿を射止めていただろう。
私が射止められなかった人を、妹が射止めただけ――そう思えば、自分の感情がいかに自分勝手なものか痛感する。
そして、魔力にも容姿にも才能にもあまり恵まれなかったが故に常に一歩も二歩も引き下がり、何処か所在なさげにしていた妹が家から解放され、私が目を付けた有能な男と愛を育んで幸せを掴むのなら、それでいいのではないか――とも思いつつ。
女としてのプライドを踏み躙られた怒りと、姉として妹に良い伴侶が見つかった事への安心感が混ざりあった微妙な気持ちのまま、私は故郷に帰る事になった。
レオンベルガー皇国、ウェスト地方マリアライト領――
快晴の下、延々とのどかな草原が広がる景色を見ながら、改めてこの領土は恵まれていると思う。
この地は他領に比べて、攻撃的な動物や魔物が圧倒的に少ない。
それは年に一度、マリアライト家に受け継がれる超広範囲拡声器から領地中に響き渡る祝歌によって、この地に生きる者達の攻撃性が抑えられているからだ。
他の地域の大魔道具も、気温を一定に保って人が住める環境を維持する物だったり、海に出る船や山で迷った人間が正確に自分の位置を確認できるようにする物だったり、不毛の土地を豊穣の土地へと変える物だったり、尋常ならない力でその土地に大いなる恵みをもたらしている。
それらはそれらでその土地にとって必要不可欠な物だから、けして見下している訳ではないのだけれど、常に魔物の脅威がある。
何をせずとも豊かな恵みをもたらしてくれる土地と、魔物の脅威を取り除いてくれる大魔道具に恵まれたマリアライト領は、他の領地に比べて本当に恵まれた場所だと思う。
だからこそ、この恵まれた場所の平和と秩序を守らなければならない。
領主はけしてその恵まれた場所と立場に甘んじて堕落してはいけない。
(民はこの馬車よりもっと座り心地の悪い馬車に乗っている事を考えると、もう少し道路は整備しないといけないわね……脇の草も気になるし、整備の際に道も少し拡張させて……)
次期侯爵として、常により良い未来に向かって歩き続けなければ――
その一心で気になる点を洗い出していくうちに、草原を別つ砂利道が徐々に整備された道に変わっていく。
それと同時に前方に高く長い薄紫の外壁に覆われた門が見えてきた。
マリアライト領の主都、ウェノ・リュクスの門だ。
マリアライト家が直に統治するウェノ・リュクスはマリアライト領の中でも特に治安の良い土地であり、かつウェスト地方を統括するラリマー公爵が数年前に代替わりして以降ウェスト地方全体の税が引き下げられて以来、少しずつ富裕層の移住者が増えてきている。
その富裕層の人間が建てたセンス溢れる洗練された建物によって今まで以上に美しくなったウェノ・リュクスの街並みを通り抜け、真正面に建つ紫色を基調にした豪華な館の門も通り過ぎる。
美しい紫や薄紫の花々で彩られた庭――その中央に座する大きな噴水。
そこから左右に歩いた先にはそれぞれ離れ家と紫の花に彩られたガゼボがあるけれど、馬車はそのまま真正面を走り――様々な色の紫色に多少の青や水色が使われた豪邸――マリアライト邸に止まった。
馬車から降り、館の前で私を迎え入れる従者やメイド達に労いの言葉をかけた後、館に入って執務室に向かっていると、妖精のような儚い美少女が奥の方から駆け寄ってきた。
「お姉様、おかえりなさい!」
緩やかでふんわりしたウェーブを描く、愛らしい薄紫色の髪とキラキラと煌く紫水晶のような瞳を持つ、本当に妖精のように無邪気で可愛い末妹――ネクセラリア・フォン・ドライ・マリアライト。
同じ父母から産まれたのにここまで印象が違う姉妹が産まれると、親を少々怨まざるをえない。
(まあ、私はアザリアよりはマシ……でもないわね。結局、あの学院で6年間、誰も私を選んではくれなかったのだから)
『高嶺の花』だの『美しすぎて怖気づく』だの言われて誰からも手を出されずに枯れ果てる花と、優しく摘み取られて大切に活かされ愛でられる普通の花――私には、前者の方がよっぽど哀れに思える。
だけど、この可愛い妹の笑顔を見てるうちにそんなどす黒い気持ちも徐々に薄れていった。
「これからはずっと館におられるのですよね? 私、ずっと楽しみにしてて……今日お姉様が帰ってきてフルートを吹いてくれたら嬉しいなって……!」
ネクセラリアの無垢な笑顔に対して、可愛いと思う気持ちと可哀想だと思う気持ちが交錯する。
(ウィスタリア……男に選ばれなかったから何だというの? ただ単に私に男を落とす能力がない、という事を思い知らされただけであって、けして私自身の価値が貶められた訳ではないわ。それに……この子が背負う不幸に比べれば、私の不幸なんて遠く及ばないじゃない)
祝歌の歌い手の感情は、魔物や人の心に大きく影響する。
歌い手が幸せに満ちていれば幸せで満たし、悲しい気持ちが混ざっていれば悲しい気持ちも混ざる。
だからネクセラリアには辛い事があってはいけない、心に傷をつけてはいけないと14歳になってもヴァイゼ魔導学院はおろか、ウェノ・リュクスの貴族学校にも通わせてもらえない。
その代わり私達3姉妹の中で最も優遇された生活をしており、我儘もほとんど叶えてもらえる。
叶わない我儘は父様や周囲が優しく根気強く説得する。
2歳上のアザリアは我儘の標的にされてだいぶ困っていたようだけれど、私はこうして行動を制限されて箱庭で育てられる可愛い妹がとにかく可哀想で仕方なかった。
「……ありがとうネクセラリア。私も貴方と暮らせて嬉しいわ。お父様に挨拶した後フルートを持って部屋に行くわね」
「はい! お茶を用意させて待ってますね!」
とろける様な笑顔を浮かべて去っていくネクセラリアを見送り、再び執務室へと歩き出した。
執務室を開けると、紫色のレザーソファに腰掛けて手紙を読んでいたらしい紫の礼服に身を包んだ暗い紫の髪と目を持つお父様――ウィルフレド・ディル・フィア・マリアライト侯爵が顔をあげた。
「こほっ……戻ったか、ウィスタリア」
「お父様……体調が悪いのですか?」
1つ小さな咳をした後、以前より低い声で私の名を呼ぶお父様の声に違和感を覚えて問いかけると、
「体調などずっと前から悪い……今すぐどうにかなるものではないが、後3年といったところか……覚悟しておけ」
呪術は文字通り、相手に呪いをかける術。
その方法を少しでも誤れば、自分にも影響を及ぶ。
若い頃は自身の生命力で何とかカバーできても、老いて生命力が弱ればカバーする事は出来ず、確実に自分の体を蝕んでいく。
実際、私が魔導学院に入学する前は逞しかったお父様の体は長期休みに入る度に痩せていき、今もけして見苦しい訳では無いけれどすっかり痩せこけてしまった顔を見ると、それは紛れもない事実だと突きつけられる。
後3年の命――
半年前に50になったのを祝ったばかりだというのに――そう言いかけたのを遮ようにお父様は言葉を続けた。
「さて……ウィスタリア、帰って来て早々で悪いが、今言ったように私にはもう時間がない。まだ動けるうちにお前には色々教え込まねばならん。これからは学生の時以上に勉学と鍛錬に励んでもらうぞ。ところで……伴侶のアテはできたのか?」
「……いいえ」
早速痛いところを突かれて否定の言葉を返すと、お父様は少し視線を落として長い息をつく。
「そうか……3年間、何をしておったのだ……とは言わん。お前はお前なりに努力したのだろう。しかしあそこはライバルが多すぎるし、お前は美しいが男が寄りつくような顔と性格ではないからな……お前が自分で伴侶を見つけるのは難しいだろうと思っていた」
歯に衣着せぬ物言いをするお父様に悪意があるとは思っていないけれど、本人がどうすることも出来ないところをグサグサ刺してくるのはどうにからならないものかしら?
「しかし、これからお前の伴侶探しに時間を割いている暇はない……だが、勝手な話に聞こえるだろうが私は死ぬ前に……お前達三人の幸せな姿を見届けてからお前達の母に……リラに会いたいのだ。そこで、だ……」
お父様は何か言いかけたところでこほっ、と再び咳を払う。
政略結婚も一夫多妻も珍しくないこの世界――本来であれば複数の妻を娶っていてもおかしくない立場であるお父様は、若くして早々にこの領地の子爵家の娘に過ぎなかったお母様としか結婚しなかった。
そして10年前に病気で亡くなったお母様を今でも愛しており、後妻を一切持とうとしない。
『仕事でこの館に行く父親と離れるのが寂しくて無理を言って着いてきた時に、貴方達のお父様……ウィル様と出会ったのよ。そこからはウィル様目当てに毎週父親に着いて行ったの』
お母様がまだ元気だった頃に話してくれた、お父様もお母様もまだ10歳にもならない頃の恋物語。
初恋が見事に成就し、死に別れた今も愛で繋がっているお父様とお母様が羨ましい。
私の初恋の人――淡い紫の髪と目を持つ、麗しいフレンヴェール様はもう既に他の人と結婚してしまっ――
「……という訳で、お前が嫌でなければフレンヴェール君をお前の伴侶にしたいと思っている」
「……え?」
脳内の思考とお父様の声が重なって、侯爵令嬢らしからぬ間の抜けた声を上げてしまった。




