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鈴がないた日

「遅い」


 と、ナツは苛立ったように体を揺すり、地面を踵(かかと)でとんとんと叩く。

 腕を組み熟(じっ)と、緑の奥の獣道(けものみち)から夏鈴が飛び出てこないかと心待ちにしている。彼の心の裡(うち)には彼女のことばかりで、彼自身はなぜこんなにも浮き足立っているのか分からない。それほどまでに彼の中で彼女が大きくなってしまったのだろう。

 約束の時間はとうに過ぎていて、いつもならのほほんと笑みを浮かべながらやってくるというのに、影一つ見えない。


「もう戻ってきているんじゃないのか?」


 いや、確かに夏鈴と約束をしたはずだと、ナツは心の中で反芻(はんすう)する。

 彼女が約束を反故(ほご)にしたことは滅多になく、もしかしたらなにかあったのではないかと、ナツは気が気でない様子で、あっちこっちとふらふら。

 無性に嫌な予感というのがどうしてもぬぐい去れない。


「――――ああ、いつの間にこんなにもリンのことを想うようになったんだろう」



 ――夏鈴に自分のことを知って欲しいと想った。

 だけどそれは出来ない。そういう呪いが掛けられているからだ。 

 知られてしまえば自分は消えてしまう。

 孤独の呪い。

 あの者から受けた呪い。

 母と呼んでいた者から受けた呪い。

 自分の物にならないのならばと、掛けられた呪い。自分の命を使って。

 知られれば死に、知られずともいずれ死ぬ。

 たとえ死んでしまっても構わない。

 彼女に自分の顔を知って欲しい。

 彼女に自分の名前を知って欲しい。

 そんな気持ちが強くなり、もはや抑えられなくなっていく――



「いつかきっと、耐えきれなくなってこれを取り去ってしまうだろう」


 それも何の脈絡もなく仮面を脱ぎ去ってしまう。

 冗談めいたことを言い、自分の本心を覆い隠し、ひどく夏鈴を傷つけてしまう。

 それだけは嫌(いや)だとナツは思う。


「潮時(しおどき)なのかもしれないな」


 空を仰(あお)ぎ見るように顔を上げる。

 服の袖(そで)をめくってみれば出てきたのは肌色ではなく、炭を落としたような色合いで、くすみ、枯れ木のような堅さを持った腕。それは顔から上を除いて全身を隈無く覆っている。呪いは足元から全身へと回り、残された時間は少ない。夏鈴を苦しめるくらいならばこのままひっそりと消え去り、独りで消えてしまおうという心積もり。

 ナツが思案にくれていると、見知った顔が現われる。


「なんだ、ジロウか……」

「なんだ、とはひどいじゃないか。ボクだって元気に生きているんだよ?」

「それよりもノロイの、さっきあの人間が西の森に歩いていくのを見たぞ」

「リンが。なぜそんなところに?」

「一緒に居たやつはあんまり感じの良いやつじゃなかった。あれは危険なやつだよ」


 二尾の猫の妖怪が忠告をすると、最後まで話を聞かずにナツは颯(さっ)と駆けたのだった。

 嫌な予感はこれだったのだと確信すると、彼は矢の如く飛び出してゆく。

 と、りぃぃんと、鈴の音色が聞こえた――



  ◇



 体はぐにゃりと粘土のように変化して、そこには白い仮面を付けた妖怪が現われる。

 先ほどのナツの姿をしていたものは、歪なゴム鞠のようで、悪夢を体現したような姿だった。

 長い草に足を取られてしまった夏鈴は、その妖(あやかし)に接近を許してしまう。ずんぐりむっくりと、短くなった手足を此方(こちら)へ伸ばす。仮面だけがにぃっと嫌らしい笑みを浮かべ、ぽっかりと空いた二つの窪(くぼ)みは、眼窩(がんか)というよりも、光を吸い込む深い沼の底のようで恐ろしかった。


「くっ……」

『喰う。喰わせろ』


 覚悟を決めた夏鈴は、ぐっと力を込め、目をきゅっとつぶると、仮面に向かって頭を差し出したのだった。まるで自分から喰われに行くようであったが、その勢いは弾丸の如し。ごっと、鈍(にぶ)い音が響くと、妖が後方(うしろ)へとよろめく。


「どうだ、わたしの頭は硬いんだよ! ナツの保証付きだもん!」

『イタイ。イタイ。許さない。絶対に喰う』


 夏鈴は額を押えて涙目(なみだめ)。

 いくら丈夫(じょうぶ)だといっても痛いものは痛い。

 妖がひるんだ隙に逃げ出そうと走行(はし)るが、勝手を知った森とは違い、鬱蒼(うっそう)と生い茂る草木に、前方(まえ)が良く見えない。薄暗く、空まで暗く、まるで当てもない暗夜(あんや)を進むが如く、まるでナツに最初に出会ったときのように、方向なんてちっとも分からず、ただ悪戯にふらふらとするばかりであった。

 やがて引き離したはずの妖に追いつかれてしまう。


「いやっ」


 叫ぶ夏鈴に妖の手が伸びた瞬間。


「おい」

『ノロイの子。邪魔するな』


 と、声が聞こえた方向に顔を向けると、黒衣(くろご)の頭巾(ずきん)に、狐の面。

 実に怪しい青年――ナツの姿。

 妖の腕を掴み、夏鈴を庇(かば)うように、妖の前へと躍り出た。


「ナツ!」

「まったく、どこにでも突っ込む猪娘が」

『許さぬ。許さぬ』


 妖は伸びた爪をナツに向かって繰り出した。

 ひゅぅと、風を切る音が耳へと飛び込んでくると、夏鈴の方を向いていたナツがすっと翻った。妖の爪を手で払うが、袖に引っかかってしまったのか、襯衣(シャツ)が避けてしまう。裂け口から覗(のぞ)いたのは、炭を落としたような、灰色の、枯れ木の腕。


 ナツはそんなことお構いなしとばかりに妖の頭を掴(つか)むと、ぐにゃりと、ゴム鞠のように形を変える。そして怒気を含んだ声を発する。


「もう一度こいつの前に姿を見せてみろ、俺はお前を消滅(け)してやる」

『ひ、ひぃぃぃ』


 するりと手の中から這い出ると、情けない声をあげて、慌てふためいたように逃走(にげ)て行った。

 そんな妖の後ろ姿を夏鈴が眺めていると、彼の怒気は収まらないようで。


「なぜこんな危ないやつに着いていった!!」

「ごめんなさい」

「いいから訳を話せ」

「ナツの。ナツの呪いを解きたくって。わたしはナツのことなんにも知らなくて良いの。たとえどこかに行ってしまうとしても構わない。ただ、ナツが消えてしまうのが怖かったの!」

「知っていたのか」

「だって、今まで肌なんて隠さなかったナツが、いつのまにかわたしに触れるのも怖がるようになったんだもの。気付かないはずがないよ。きっと、なにかあるって思っていたの」


 夏鈴が血を吐くような面持ちで、ナツの仮面と腕を交互に見遣(みや)ると、彼は諦めたようにぽつぽつと語り出した。


「ああ、そうか……。そうだ。俺には時間がない。呪いが全身に回りつつある」

「うん……」

「なんでだろうな。言うつもりなんてなかったのに、ずっと隠そうと決めたのに、こんなにあっさりとばれてしまうなんてな。この呪いは俺を孤独なままに殺す呪いだ。正体(かお)を明かせばその場で死に、明かさなくてもじきに死ぬ。そういう呪いだ」

「解く方法はないの?」

「ないよ。だって呪いを含めて俺なんだ。解いたも恐らく生きられない」


 ナツは一度言葉を切り、長い沈黙の後に、覚悟を決めたように言う。

 それはまるで末期(まつご)の際(きわ)のようで、ぎゅっと、夏鈴の胸を締め付ける。

 いつの間にか空は晴れ上がっているようで、太陽の光が照明(スポットライト)のように、背の高い木々の隙間から彼女等を照らしていた。煩(うるさ)かったヒグラシの鳴き声も途絶え、一時の静けさが訪れる。


「リン。俺のことを知って欲しい」

「――――うん」


 夏鈴は逡巡(しゅんじゅん)の後、微笑んで応える。

 たといどんな結末になろうとも、嬉しい物で、彼の覚悟に応えたのであった。

 仮面に手を掛けるナツの。

 灰の手はしっかりとそれと頭巾を取り去ってしまった。

 朗らかに微笑んだ彼の顔。とても嬉しそうで、まるで子どものよう。


「やっとリンに逢えたよ」

「うん。やっと逢えたね」

「ああ、これが俺だよ。どうだ、思っていたのと違うだろう?」

「ううん。思ってたとおりの、格好いい、優しい男の子」

「そう言われると、すっごい嬉しいな」


 夏鈴は彼の顔を確かめるように頬を触る。

 とても暖かな感触で、自分の身体もまるで火のように熱くなっていくのを感じた。

 もっと近くで、もっともっと近くでその顔を見せて欲しいと夏鈴は願うと、ぐっとナツが彼女の頭に手を伸ばし、力を込めて引き寄せる。そして間近まで迫ると、額と額を合せる。


「俺の名前は。本当の名前は、鈴(すず)って言うんだ」

「わたしと一緒だね」


 段々と彼の体が、崩れてゆく。

 灰のように、ぱらぱらとその身が消えてゆく。


「もっと俺を知って欲しいな」

「わたしもあなたのことが知りたい」

「リンに、夏鈴に逢えて良かったよ」

「わたしも、逢えて良かった」

「なあ、俺の名前を呼んでくれないか」

「鈴(すず)」

「鈴(りん)」


 お互いを確かめるように呼ぶ。

 何度も何度も。


「――ああ、俺の名前だ。名前を呼ばれるって、こんなに嬉しかったんだな。だから、ナツを返すよ。今までありがとう」


 ナツ――鈴(すず)が夏鈴の額に再びくっつけると、そのまますぅっと消えてしまった。

 その体をぱらぱらと崩しながら、その表情(かお)はとても穏やかで。

 彼の孤独も一緒に消えていく。

 なにもかもがすべて。

 ただ一つ残ったのは、彼から貰った、鈴だけが手の中にあった。

 大事そうに包み込むと、声にならない嗚咽(おえつ)を漏らす。

 りぃぃんと、涼やかな音を響かせて。それはまるで……


 ある夏の出来事。

 鈴がないた日――。

ここまで読んで下さってありがとうございます!

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