警鐘
「苗代(なえしろ)!」
「……ああ、美島(みしま)君」
今日は高校の登校日で、二日ほど前から戻ってきていた。
美島と呼ばれた青年は、よく鼻筋の通った顔貌(かおかたち)で、強気に満ちた目が夏鈴(かりん)を熟(じっ)と視(み)るが、気のない彼女はどこか上(うわ)の空である。
「苗代は進路とか決めているのか?」
夏鈴達は同じ高校二年生であって、すでに進路を決めそこに向かって進んでいる同級生達も少なくない。周りが一部でも準備を始めると、言葉では「まだ大丈夫」だと言っても、漠然(ぼんやり)とした不安が波のように押し寄せてくる。そういった物が積み重なっていくと、気が付かないうちに、やがて波が大波へと変わり、すべてを飲み干さんと欲する。それ故(ゆえ)に確認をして、「まだ」と言う同級生を見つけて安心したいのであろう。
夏鈴は美島に向かって、自分が思い描いていることをそのまま答えた。
「短大に行って、事務系の資格とって、地元で働きたい」
「へーちゃんと考えているんだな」
この美島という青年。綺麗な顔立ちをしているが、どうにも夏鈴は苦手意識を持っていた。
他の女生徒達は、顔、は綺麗などと、褒めているのか分からない感想を述べていて、美島ときゃあきゃあと騒ぎ立てていたりもしたが、夏鈴はその輪に入ることは決してなく、ただ漠然(ぼんやり)と眺めているばかりであった。
「どこに行く予定なんだ?」
「――ってところ」
「へー、俺もそこに行こうかなぁ」
わざとらしく言う美島の。
気のない様な振りをして、手を頭で組んで、横なんて向いてみせたが、夏鈴には彼の意図はまったく伝わっていないという有り様。
確かに綺麗な目鼻立ちをしているが、それが良いかと言われると分からないのだ。
想うのは、彼の横顔もこんな莞爾なのか、とか、そんなことばかりで。
気持ちの届かぬ美島の。
眉が吊り上がり、まどろっこしいとばかりに仕舞いには声を荒げた。
「俺さ。苗代のことがちょっと良いなーって思っているんだよ」
「へー。そうなんだ?」
「だからさ、俺と付き合わない?」
「……この前いた女の子とはどうなったの?」
「ふられた! だからフリーだ!」
胸を張ってまで言うことではないと夏鈴は思った。
彼は気の多い性格で、モテるのであるが余り長く続かないという有り様。大抵はすぐに美島が振られて終わりだという。夏鈴も度々(たびたび)女の子と一緒にいる姿を目撃している。
「ごめんなさい。わたし、他に気になる人がいるの」
「えー。マジかよ。そいつ俺よりも格好いいのか?」
あの狐面を被り、ちょっとぶっきらぼうで、捻くれたきらいのある彼を思い出すと。
はっきりと答えた。
「うん。格好いいよ」
「ああー。だけど、俺は諦めないからな!」
「獅子(レオ)ー。今から遊びに行かない?」
と、校門の方から女生徒達の声。
手を振る彼女等に半回転(くるりと)向きを変えると。
「いいぜー! じゃあ、俺の話考えておいてくれよな!」
彼は子どもの頃から変わらず強引で、夏鈴はずっと苦手意識を持っていたのであった。
ふっと、荒らしのように去って行く美島の、女生徒達の視線は彼の顔を真っ直ぐと捕らえていて、楽しそうにお喋り。
それを眺めていると、夏鈴は無性にナツの姿が頭に浮かんだ。
――早くナツの声が聞きたい、と。
夏鈴が森へと行くと、その入口には見知った仮面が居た。
日中(ひなか)の頃で、雲が薄く千切れて翳(かげ)って見え、ぼうっと、照らし出すのは昼行灯(ひるあんどん)のようで、雨が降りそうだと言えば、そうでもないような、何とも中途半端な空模様(そらもよう)であった。
颯(さっ)と、風が横合いから薙(な)ぐと、仮面に蔭(かげ)が落ち、表情(かお)と表現するのもいささかおかしいが、彼の感情を窺(うかが)うことが出来ない。
いつもは森の奥の、鳥居(とりい)のむこうがわに居るナツが珍しくも麓まで降りてきていたのであった。
彼は夏鈴を見つけると、なぜだか背を向けて、そのまま森の中に走行(はし)り去って行く。まるで追いかけて来いと謂(い)わんばかりの勢いで。
「ナツ! ちょっと待って!」
夏鈴は強烈な違和感を覚える。
果たしてあの仮面の顔は、ナツがいつも付けていた物ではない。
やや捻(ひね)くれた言動を取ることもあるが、優しく、決して夏鈴を置いて行ったり、こんな悪戯に追いかけさせることなどなかった。
彼女の頭突きも避けずに受け止め、いつも夏鈴を気に掛ける心優しい青年。
ナツではないように感じるが、もしかしたら彼に何かあったのではないかという懸念が、彼女の判断を迷わせる。
やがて森の西側を少しばかり入ったところでぴたりと立ち止まった。
肩で息をする夏鈴とは裏腹に、そのナツに似た青年の呼吸乱れる姿に、ただ者ではない何かを感じる。
「はぁはぁ。あなた、ナツじゃないでしょう?」
彼女が切り出すと、それは半回転(くるり)とこちらを向き、あろう事か仮面がにたりと笑ったのであった。その悪意に満ちた貌(かお)に、夏鈴の心が動揺(どよめき)、何かよからぬ者に着いてきてしまったのではないかと後退(あとずさ)る。そのまま逃走(にげ)だそうと踵(かかと)を磨(す)ると。
『ノロイの子。ノロイの子。いつもノロイの子と一緒にいるニンゲン』
どこからか発せられるのか分からない、地獄の底から響いてくるような、くぐもった、聞く者を不安にさせるような声が掛かる。夏鈴は聞き捨てられない言葉に、きゅっと立ち止まってしまう。
「ノロイの子って、ナツのことだよね。ノロイってどういう意味なの?」
『カワイソウ。カワイソウな子。ずっとヒトリ。ヒトリで消える』
「それはどういう意味なの!」
『ノロイの子。ノロワレた子。顔知らない。名前知らない。知ったら消える。知らなくても消える。カワイソウ。だからヒトリ。ずっとヒトリ。カワイソウ』
ノロイ、ノロワレタ。
その言葉が『呪い』を意味しているのだと夏鈴は気付く。いや、今まで気付かない振りをしていただけかもしれない。気付いてしまえば唐突に終わりが近付いてしまうような気がして。
「ナツ……ああ、ナツ……」
『オレ。ノロイ。解く方法。知っている』
「どうすればナツの呪いを解くことが出来るの!?」
夏鈴はその妖かしに縋(すが)るように問い詰める。
にたにたと笑うそれは、手招きをするように森の奥へと夏鈴を誘(いざな)う。
『着いてこい。こっち。もっとこっち。もっともっとこっち』
「こんな場所まで来て……本当にナツの呪いが解けるの?」
ナツといつも逢う場所とは反対側の、雰囲気の違う場所。
鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々の中で、夜が来たように暗い。ひんやりと、背筋が冷えるような、寒気を感じる。
手招きする妖怪の。
立ち止まった先は、不気味な植物が群生する場所であった。
『ノロイ。解く知っている。死ねば。解ける。教えたよ。教えたから、お前喰わせろ」
「――っ、そんなの、教えていないのと一緒じゃない!」
『オレ。教えた。オレ、ウソ着かない。教えたから、お前、喰わせろ。喰う。喰いたい』
ぎぃぃぃっと、仮面の下からもう一つ口が裂けるように開く。
大きく開け放たれた顎門から伸びる不揃いの牙が、夏鈴を呑み込もうと迫るのであった。
彼女は自分の迂闊(うかつ)を呪い、なんとか逃げようと試みるが、草がまるで邪魔をするように足に引っかかる。
その瞬間。
りぃぃんと、ナツの鈴が鳴いた。
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