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あれの名前は狼

人間もぐもぐの表現が少しだけあります。


 お父さんとお母さんに私、それと青い目をした小さなわんちゃん。3人と一匹で幸せな生活。お父さんは畑と牧場でお仕事をして、お母さんは糸車で糸をつむいで、私はわんちゃんと一緒に洗濯をして、貧乏だけど幸せな毎日を過ごしていた。

 お父さんとお母さんとは違う部屋で寝るようになっても、わんちゃんとだけはいっしょに夜を過ごしてた。一緒にぼろぼろの毛布を被って星を眺めて、寒くなったらわんちゃんを抱っこして、一緒のベッドで朝を迎える。お行儀が悪いからって怒られるけど、でも最後には許してくれるお母さん。仲が良くて安心したよと笑って頭を撫でてくれるお父さん。私のほっぺにお鼻をちょこんと引っ付けて、クンクン鳴いたわんちゃん。とっても幸せだったの。


 お母さんが死んでからというもの、すっかり塞ぎこんでしまったお父さんを明るく変えたのは、二人目のお母さんの存在だった。病に伏せてからは。あっという間に息を引き取ったお母さんを、呆然と見送ったお父さんの痛ましい姿は今も思い出せる。だからこそ、父さんが以前のように顔を綻ばせて微笑む顔を見られたことを嬉しく思う。二人目のお母さんの存在に複雑な思いを抱かないわけでは無いけれど、父を変えてくれたことには感謝してもしつくせなかった。ただ、わんちゃんのことを心から嫌がって、捨てて着なさいと怒鳴り散らすのだけは怖かった。いつも一緒にいた小さなわんちゃんを汚い雑巾だといって蹴り飛ばそうとするお母さん。いつか殺されてしまうんじゃないかと不安で、わんちゃんをお家の外でこっそり飼いつづけた。お利口なわんちゃんは、お外で生活し始めた途端に鳴かなくなって、いつも私の呼び声だけに静かに反応してくれた。



 冬将軍も訪れようかという極寒の日に、父は長患いの病を悪化させ苦しみぬいた挙句に息を引き取った。ずっと元気だったお父さん。毎日幸せそうに仕事に出かけていたというのに、あるときからぐったりとやつれた姿で寝込むようになってしまった。

 熱が出て、食欲は失せ、焼けるように喉と胸が痛いと咳き込む姿は見ていられない。病床に伏せる父を毎日必死に看病するけれど、その看病も意味を成さず、あっけなく父は逝ってしまった。指先も凍るような寒い冬の夜だった。


 翌朝、父の亡骸を洗って埋葬を済ませた後のことだ。家に帰り着いた瞬間、継母は悲壮な顔を一変させ鬼畜のような眼差しで私を睨みながら蹴り飛ばす。床を転がり、テーブルに頭を打ち付けて蹲る私を見て、継母はひとしきり愉快そうに笑い終えた後、ぞっとするような冷たい声でこう言った。


「お前がお父さんを殺したんだね?」


 身に覚えの無いおぞましい冤罪だ。そんなわけ無いと否定しても、継母は胸元のポケットから取り出した小瓶をちらつかせて容器に笑うのだ。


「この毒瓶を知ってるかい?お前の部屋から出てきたんだよ?お前は毎日この毒を食事に混ぜ込んで、お前のお父さんに食べさせていたね。私は全て知っているもの」


 親不孝者。悪魔。ひとでなし。楽しそうにわめいて悲鳴を上げる継母が、私を蹴り転がし、踏みつけ、何度もかかとで踏み躙っては私のうめき声に奇声を上げる。 狂った姿があまりにも恐ろしいもので、死に物狂いで家を飛び出して村の人たちに助けを求めに走った。あの継母は恐ろしい。父さんを殺して、私も殺そうとしている。叫んで助けを求めたけれど、帰ってくる視線は継母のものとよく似た視線だった。


「あの娘、父に毒を盛って殺したそうな」

「きっとお母様にも毒を盛ったのですよ」

「悪魔のような子供ね、ひとでなしだわ」


 近寄れば鍬で殴られ、石を投げられ、行く当てもなくて家に戻れば、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる継母がそこにいる。さあおいで、と上辺だけの優しい言葉が私を家に出迎えたけれど、後はまたひとしきり打たれ蹴られて夜を越えた。着ていた衣服も取られて、肌着と夏の洋服だけを渡された。靴も靴下もなく、冷たい廊下に足は凍えてしまいそう。打たれた痣と蹴られた傷がずきずきと熱く、凍えそうに無いのだけが助けだった。


 骨まで冷え切ったからだを縮めて台所の竈の前で眠っているところを、継母に冷水を掛けられて目を覚ました。打たれた挙句に気絶をしたまま、朝を迎えてしまったんだと理解すると、途端に体中がずきずきと痛んで仕方がない。けれど、何故かふとわんちゃんのことを思い出す。かわいい小さな利口な子。殺されてやしないかといても立ってもいられなくて、継母の叫びも知らずに慌てて外へ飛び出した。

 お家の外に隠して育てたわんちゃん、慌てて駆けつけると、頭から血を流して倒れるわんちゃんがそこにいる。駆け寄って抱き上げると、小さな体は冷たくて、開いた口からは呼吸の音が聞こえない。まさかと思って心臓の音を探したけれど、どこにもそれは聞こえなかった。


 わんちゃんが殺されちゃった。大きな声で泣いていたら、継母と村の人たちがニヤニヤ笑って私を指差した。


 村のどこにいても分かるように、お前はコレを被っていなさい。父と母を毒で殺したお前にはお似合いね。血にそっくりの赤い頭巾。


 被った頭巾の真っ赤な色で分からないからと、頭を瓶で殴られる。額が切れて、傷口から血が滲む。髪の毛と頭巾に血が染み渡るけど、継母も村人も私を指差して愉快に笑う。


 大丈夫だよ赤頭巾、真っ赤な頭巾がお似合いだ、頭が痛いなんて、へんなことを言うんだね。


 はだしで夏服、赤い頭巾。霜の降りた畑を歩き、冷たい水を浴びせられ、ニコニコ笑って皆が私を見ている。どうして、こうなっちゃったの?

 わんちゃんが死んだ次の朝、朝日も昇らないほど早い時間に、こっそり家を抜け出した。わんちゃんの死体を捜しに行ったけど、わんちゃんの死体はどこにもなかった。とぼとぼ家に帰ってきた私を蹴りながら継母は、にっこり笑って言う。


「あのゴミなら、バラバラにして、森の中よ。きっと今頃狼のお腹の中でしょうね」


 蹴られた体が痛くて、声も出せずに泣いた。



 一年すぎた夏のある日、暑い日差しに倒れそうなある日のこと。分厚い冬の洋服を着せられ、分厚い冬のブーツを履かされ、いつもの赤い頭巾を頭につけられ、継母がニッコリ笑ってこう言った。


「美味しいローストビーフに焼きたてのパン、甘いアップルパイ。それにぶどう酒を持って、森の奥にあるおばあさんの家に届けてほしい」


 ずっしりと石を詰め込んだように重いバスケットが腕に食い込んで、夏の暑さに肌着が汗で濡れている。水もごはんもしばらく食べて無いから、頭は痛いしおなかは痛いし喉も痛い。今にも死んでしまいそうだ。

 バスケット片手に森の奥を目指していけば、ニヤニヤ笑う村の人たちが私を見ている。


「赤頭巾、とうとう森の奥へ行くらしい」

「美味しいローストビーフに焼きたてのパン、甘いアップルパイ。これだけ匂えば、狼もきっとあの人でなしを食べてしまうだろう」

「こいつは愉快だ」


 ふらふらヨロヨロと木に手をつきながら森の奥を歩くうちに、どんどん獣道へ迷い込んでいくのが分かる。足元に草は生え広がり、木の枝が行く手を邪魔し、苔石が足を滑らせるから、もうどうにもこうにも歩けなくなってしまう。小さな小石に躓いて倒れこんでしまえば、もう立ち上がる力も起こらなくなってしまった。強い眠気に襲われて、堪え切れずに私は目を閉じた。




「どうしたの、どうしてこんなところで寝てるの、起きて」


 優しい声が私を揺り起こそうと響いてきて、うとうとしながらも私は目を覚ました。少しだけ眠ったおかげか、体はすっかり軽く気分も涼やかで、眠りに落ちる前の苦しい心地は嘘みたいだ。地面に手をついて体を起こせば、そこには青い瞳をしたきれいな男の子が私を見ていた。


「大丈夫?君は、赤頭巾って呼ばれてる子、だね?」


 優しい笑顔で男の子は、私の頭をコショコショと撫でてくれた。心地いい私より大きな手が、私を気遣うように撫でてくれるのはとても心地いいもので、すりすりと自分から擦り寄ってみれば、男の子がくすくすと微笑んだ。


「君がここに来ないように僕は君を見ていたけれど、君はここに来てしまったんだね」


 苦しそうな声で男の子は呟いて、それから私を抱きしめた。男の子に抱きしめられるなんて初めてでとても恥ずかしかったんだけど、彼からふわりと匂う花の香りや懐かしい気持ちになる温かさに、自然と私も彼を抱きしめ返してしまった。とっても安心できる、不思議な気持ちで、胸がどきどきする。こんなに幸せな気持ちになったのは何年ぶりだろう。


「どうしてここに来たのか、君は覚えてる?」

「覚えてないの…。確か、森の奥へ行かなきゃいけないと言われたと思うんだけど…」

「そう。ならそこはきっと僕の家のことだよ。僕が君を案内してあげる」

「案内してもらえるのは嬉しいけれど、あなたはだれ?」

「僕はこの森の狼。他にも名前はあるけれど、それはまた後でね」


 男の子は自分を狼だと名乗るけど、私にはとてもそうは思えなかった。彼には尻尾も大きな耳も無いし、尖った歯も爪も無い。凶暴そうにはとても見えなくてくすくす笑うと、彼もくすくす笑ってくれた。


「この先に花畑があるんだ。そこで出来るだけたくさんのお花を摘んで持って行こう。僕の家には花瓶があるんだけど、お花が飾られていなくて寂しいから、君のお花があるととても賑やかになると思うんだ」


 だからここで待っててね。お花を摘み終わったら、花畑の向こうにある道をまっすぐに進むといい。そのまま道なりに進んだ先に、僕の家があるから。鍵は開けたままにしてあるから、中でお花を飾って待っていてね。僕はちょっと、片付けなくちゃいけない用事があるから。


 男の子はそういい残すと、私の頭をコショコショと撫でて、森の奥へと駆けて行ってしまった。彼の言い残したとおり、適当に道を進んでいくと、確かにキレイな花畑が広がっているのが見える。楽しくなって花畑に駆け寄ってみると、そこには色とりどりの花々が瑞々しく咲き誇っていて、見るだけでも幸せだった。

 花瓶に飾るきれいな花はどれがいいだろうと、しばらくの間夢中になって花を選別していたが、ふと時間は大丈夫なのだろうかと不安になった。時間を忘れて花を見つめて、知らない花を見つけては喜んだりしていたけれど、あの男の子が用事を済ませてもうお家で待っているかもしれない。摘んだ花を纏めてバスケットに入れて花畑を飛び出せば、さっきまでは見当たらなかった道が、ずっと遠くまで続いていった。

 道なりに進んでいくと、先に小さな家が一軒見える。一人か二人住むのでやっとの小さな家で、多分コレが男の子の言っていたお家だと思う。駆け寄って玄関のドアを押し開いてみると、ドアはすんなりと開いてくれた。


 一階にはリビングとキッチン、少し狭いダイニングがあって、暖炉には燃え残った薪が転がっている。二階に駆け上ってみると、大きな寝室が一部屋だけ。大きなベッドに小さなテーブルと小さな花瓶。窓からは開けた森の道が良く見えて、更にずっと向こう側からは黙々と黒い煙が立ち上っているのが見える。アレは一体なんだろう?山火事だろうか。少し不安になっていると、がちゃんと扉の開く音が階下から聞こえる。慌てて玄関へ行くよりも早く、この家の道を教えてくれた男の子が私の元までやってきた。


「村には戻らなくてもいいよ、あそこで酷いことがあったのは僕も知っているから」


 どきりと嫌に胸が跳ねて、私は思わず蹲る。酷いこと、たくさんあったな。思い出すと、痛い感覚ばっかりが肌に浮かんでくるようで、額の傷跡も痛むような気がする。苦しくて呻いていると、男の子がそっと私は抱きしめてくれた。


「あんな村に戻らなくていい。これからは僕と一緒にここにいて、苦しいことなんてもう無いから」


 優しい解放の言葉は胸に痛く、涙がぼろぼろと零れる。その言葉が欲しかったし、この優しさが愛しかった。あの場所に執着なんてあるはずもなく、こんなに優しくて暖かい男の子の傍にいられるならばと、私は夢中で頷いていた。


 大丈夫、目を閉じたらもう、苦しかったことなんて忘れてしまえるから。男の子のその言葉を疑いもせずに目を閉じると、唇にそっと温かくて柔らかなものがちょこんと触れた。少し湿ったそれは、私の唇とよく似た感触で、少し甘くて獣臭い。それから強い眠気に引き込まれて、私はようやく苦しい現実から逃げ出せたのだと思った。




 腕の中で眠る愛しい女の子は、いつぶりかの安らかな眠りにくうくうと優しい寝息を立てている。甘くて柔らかい素敵な唇、とっても美味しくて幸せだった。思わず舌なめずりをしてしまう。


 大きな犬の姿だとね、爪だけじゃあなかなか人を殺せないんだ。だからね、たくさんたくさん噛み殺してやったんだ。大人も子供も女も男もなにもかも。特にあの女は甚振ってやったから、きっと痛い痛い思いをしながら死んだだろう。でもね、たくさん噛み付いてやったから、僕の口にあいつの味が残って堪らない。

 そういえば言い忘れてたんだけど森の入り口に、君の体は今も倒れてるんだ。息と心臓の止まった冷たい体、傷だらけで痣だらけの可哀想な体。大丈夫だよ、そのままになんて絶対しない。僕がきちんと残さず片付けるからね。肉も骨も髪の毛も一つ残らず。僕の口の中もきっと、甘くて柔らかい素敵な味で満たされると思うととても幸せなんだ。全部キレイに片付けるまでは眠って待っててね、終わったらすぐに駆けつけてあげるから、それから先はずっと、僕と一緒に行こうね。


 ああそうだ、最後に一つだけ。


 僕が死んだあの時は、悲しませてごめんね?

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