挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。

最後の王と、最後の王妃

作者:六合呼
 夢を見ていた。
 幼いころの夢だ。
 夢かうつつか幻か。
 夢かも知れないし、そうじゃないかも知れない。あやふやで、ぼんやりとした夢。

 艶やかな金の髪を淡い空色のリボンを結った可愛らしい女の子は、小さな令嬢らしくお澄ましして声を掛けられるのを待っている。
 女の子の方を見て、あの令嬢が将来の“君のお嫁さん”になるのだと、父親は悪戯っぽく笑ったものだ。
 正式には“王妃”になる女の子なのだが、“お嫁さん”という市井の言葉が妙に擽ったくて嬉しくて、知らずに笑ったらその女の子もにっこりと笑い返してくれた。
 その瞬間に顔が熱くなったのをよく覚えている。
 仲良くなったのは、あっという間。
 女の子はちょっとわがままで勝気だったけど、泣き虫なところもあったし、なにより本当は優しくて努力家だった。やがては王となる少年に相応しくあるように、常に努力を怠らなかった。
 大人に決められた相手だったけれど、きっと、決められていなくても好きになったに違いない。

 誰かが決めたから大事なのではなく、誰かに引き合わせて貰った事が大事だった。彼女を愛しく思う気持ちは本物。
 幼い心で考える。ずっと彼女と一緒にいるにはどうしたらいいか。いっぱい考えて、うんと悩んで、その時の最上だった行動は、大人になれば照れてしまう笑い話だ。
 なにしろ、デビュタントも済ませてない彼女へ、独断でプロポーズしたのだから。

 淡い空色のドレスを纏った少女に寝物語の騎士と姫の真似事をして行ったプロポーズ。おそるおそる彼女を見れば、涙を浮かべて「ずっとお傍に置いてくださいませ」と大人びた言葉に驚いたものだ。
 長らく使えた侍従に、「女性は早く大人になるますからのう」と白い髭を撫でながら「精進なされませ」と言われてしまったことまで思い出せる。

 空色のリボンが、ドレスが、笑顔が、とてもよく似合った女の子――淑女。

 先王が崩御し、これから即位の儀に入る新王となる青年は、だからこそ彼女に言わねばならなかった。
 言わねばならなかったのだ。

 ここに ミラー公爵令嬢クシェルとの婚約破棄を告げる――と。

 人の数が減った謁見の間に響いたのは、厳かでも若い男の声。
 憤るでも嘆くでもなく、淑女の礼を取りながら くクシェル・ミラーは恭しく本日戴冠式を迎える“かつての”婚約者に頭を下げた。

「次期国王アーデルベルト様の御言葉、謹んでお受けします」



 その国は シェーンベルグと言った。小国の上、国土の半分以上が山々に覆われた、貧しくはないが豊かでもない国だ。
 シェーンベルグ王朝の治世は代々悪くなく、人々は小さな幸せの中で慎ましく暮らしていた。

 けれど、この国は消える。
 地図からも、歴史からも消えてしまう。

 破竹の勢いで周辺国を併呑していた軍事大国コルンブルーメ帝国が、さらに己の頒布を広げようと小さな国を飲み込むために進軍してきたのだ。
 徹底抗戦か降伏か。
 山を背にした小さな国は、地の利から守りに徹すれば他の国よりは持ち堪えるかもしれない。だが山を背に籠城戦で挑んでも国の滅亡が先延ばしに過ぎないのは、誰の目にも明らかだった。
 なにしろ攻め込んできた国は、シェーンベルグ国は呪われていると宣言したのだ。

 呪われた国など亡ぶべし。

 口惜しいことにそれが無実と言い返せないほど、シェーンベルグは特殊な成り立ちを持つ国だった。 
 この国の特殊な“利用価値”を取るか、軍事大国がそれを手に入れた“脅威”に横槍をいれるか、あるいは祝福とも呪いともつかない王の血をいっそ途絶えさせた方が“平和”とみるか。
 他国はそれぞれが牽制し合い、挙兵するにも足踏み状態だ。軍事大国の勢いがあまりに早すぎたせいもあるだろう。短期決戦を想定した人員と物資の数々に対し、シェーンベルグ側は増援が見込めない状況に陥っている。山間の国ゆえにシェーンベルグは食料の大半を他国に依存していた。
 片や圧倒的な兵士の数とそれを賄う豊かな兵站。街道を封鎖しシェーンベルグ側の物資を制限すれば、山林に囲まれて自給自足が不足がちな国など、時間さえかければ陥落する。
 それでも圧倒的な数を前にし、物資を抑えられても小国の兵は戦った。
 最初から勝ち目のない戦いだと誰もが分かっていたが、滅亡を前に自暴自棄になった訳でもなかった。
 彼らには戦う意味が、死ぬ理由わけがあっただけだ。

 前線で徹底抗戦中の騎士や民兵は、徴兵ではなく自ら志願しての死兵だ。彼らは生き残ることも、敵を屠って勝つことも望んではいない。
 彼らの望みはひたすら時間を稼ぐこと。
 数こそ大国より遥かに劣るが、その軍事大国を超えるほどの魔法がある。並の魔導士では比肩にならない強大な魔法の数々。
 それこそがこの小国が狙われた証だった。
 特殊な媒体を使用し、禁術も隠し持つシェーンベルグ国の死兵たちは王都目前に守りを固め、斃れるまで必死に戦う。

 国を離れ、山を伝って逃げる者が居れば逃げる時間を稼ごうと。あるいは山に隠れて戦火を逃れて命を守り、大国の植民地にひっそり生き残る自分を受け入れるならそれもやむを得ない。国中の人間が難民となっても受けいれてくれる国はそうはなく、漂浪の果て迎える過酷な客死より、奴隷としてでも生き残りたいと思う心を誰が止められるだろうか。
 全国民が国を枕に殉死する結末など、悪夢を見そうな寝物語で十分だ。
 犠牲は、殉死は強制ではなく、それを望むだけの者でいいのだ。

 だから騎士や志願した民兵は自分の中の“なにか”の為に時間を稼ぐ。

 逃げろ、生きて、死ぬな――崩御召されよ。

 どうか。
 どうか、民よ、家族よ。
 逃げよ、生きよ、生き延びよ。

 どうか。
 どうか、我が王よ、我らの王よ。

 無事に、崩御なされよ。

 多くの兵は王の死を願う。剣を捧げた主君の死を泣きながら、嘆きながら、苦しみ怒りながらも、その最後を切に願う。
 なぜならそれが最後の王命だからだ。我が身が燃え尽きるまで守り通せと、咽び泣く臣下を前に即位したばかりの新王は淡々と命を下したのだ。

 コルンブルーメ帝国が攻め入った理由は、この小さな痩せた土地などではない。軍事大国と評されるほどの国が欲していたのは、王その物の玉体であり、より正確には脈々と流れる王家の血そのものだ。

山々に囲まれた小さな国が長きにわたって存続できた理由は、代々の王の血が齎す恩恵とも呪いともいえる血筋による。
 数百年以上も昔、ある娘が古竜エンシェトドラゴンに見初められたことが、シェーンベルグ国の始まりだとされていた。
 娘は古竜エンシェトドラゴンを愛し子を成した。それがこの国の初代国王になる。
 以降、この国は竜を信仰し、独自の戒律を守って存続してきた。国の興りから独自の価値観が国民に根付いていたが、それもそのはず。
 娘を深く愛した古竜エンシェトドラゴンが与えた恩恵は、王の血が最高峰と言える魔法の媒体になる事だった。あらゆる属性魔法と親和性を持ち、“国を守るためなら”その効果を幾倍にも引き上げる驚異の力。
 この力が持つからこそ、シェーンベルグ国の王族は厳しい倫理観を持つよう教育を施されてきた。王が闇雲に己の血を使うことがないようにと。

 王の血が与える力。
 それは滅亡に瀕してなお、力を発揮する。

 大国の圧倒的な軍事力を前に、小国が拮抗できるのは王の血、正しくは先王の血のお陰だった。
 王の血があれば、たとえ軍事大国が相手であっても、防戦に徹するなら数年は渡り合えたかもしれない。だが地力と数には圧倒的な差があり、大国側も一切の譲歩を見せない構えだった。他国への救援要請も思わしくない。シェーンベルグ国が亡びから免れないと悟った先王は、己の血をすべて与える事に決めた。
 三分の一は時間稼ぎの防衛と、残りは国から去る民を守るために。あるいは希少な血と引き換えに、どこかの国に難民が受け入れられるように。
 先王が身罷ったのは五日前。その希少な血はすべて失い、文字通り血の気が抜けた先王の傍で王妃は殉死した。

 血の恩恵は、王一人のみが発動する。
 先の王が身罷れば代々伝わる赤い竜の石から色が抜け落ちる。初代の血を継ぐ直系の中から選ばれた次の王が、色を亡くした竜の石を肌身離さず抱いて、竜の石に赤い色が戻れば王と認められるのだ。
 そうやって受け継がれた王の血はたった一滴でも価値があった。王の血を媒体とすれば、初歩の魔法でも数倍に膨れ上がるのだから、強大な魔法に使えばその威力は計り知れない。
 血の効力は数週間も持たないが、王の身がある限り、最高峰の魔法媒体を確保したと同じこと。
 生かして捉え、家畜のように毎日血を抜き続ければ、どれだけの力が手に入るか。子を作らせ、王が死ねばそれらを代替えにする――そんな考えを持った国は過去にもあったが、血で守られていた国を落とすことはできなったのだ。
 だが今回は、今回ばかりは国が亡びる事を避けられない。小国が群雄割拠した時代は過ぎ、小国を飲み込んだ強国が幾つも生まれた。
 長い時代を生きたシェーンベルグ国を攻め込む国は巨大すぎた。併呑した小国を肉に壁に、力技の数で押し潰してくる。
 王が生きている限り、その血を求め探し続けるだろう。
 そして数の暴力の前に、どこへ逃げてもいつかは捉えられる――ならば。

 この国を終わらせよう。

 国民をできるだけ巻き込まないように、王の系譜を途切れさせよう。
 国を興す祝福の血であり、国を亡ぼす呪い血でもある最後の王となろう。


 覚悟は決まっていた。それが王の血を持つ者の務めであり矜持だ。
 だが半日前に竜の石が赤く染まって王となった男は、今、玉座に座って泣きそうな顔になっていた。

 なぜ、と、半日前に即位したばかりの王は端正な顔を歪めた。
 なぜ、来たのだ、と。

 かつての婚約者。二日前に婚約を解消した公爵令嬢、クシェル・ミラー。粛々と立ち去った後ろ姿に唇を噛み締めて見送ったのに。
 二人は政略結婚ではあったが、それでも心より愛し慈しんだ女性だった。どこかに逃げて欲しいと願うほど大切な存在だったのだ。
 なぜ逃げなかった。どうして立ち去らなかった。竜の石を抱き、最後の王となるまでの時間を稼ぐ間に落ち延び、ひっそりと生きて欲しかった。

「婚約破棄された私に、もはや良縁は望めませんもの。それに私、こう見えても野心家ですのよ? 図々しくも王妃となるため、戻って参りましたの」

 柔らかく笑う顔は透き通って見えるほど穢れなく美しかった。それは覚悟を決めた女の凄艶な笑顔。
 人気のない謁見の間で、貫禄と時が足りず不似合いな玉座に座った青年を見て、王妃を望む女性はゆっくりと歩を進めてくる。
 この戦いがなければ、何年、十何年後かには、立派に玉座にも馴染むであっただろう青年に向かって、一歩、また一歩と。

「……ご安心ください。弟だけは逃がしました。弟が無事であれば、この国の名も、最後の王と王妃の名も覚えておいてくれるでしょう」

 たとえここで国が亡んでも。地図から国が消えても。王の名が歴史から消されても。
 人間の記憶だけは消せないのだ。

「女の身でさもしいとは存じますが……私をこの国の最後の王妃として、お側に置いてくださいませ」

 そして共に最後を迎えるのだ、と。

「……愚かだ、あなたは……私が、どんな思いであなたを逃がしたかったかと……」
「仕方ありません。恋する乙女は誰でも愚かになりましょう――私にあなたの妻となって死ぬ栄誉をお与えください」

 静かな、しかし揺るがない決意を秘めた声。ああ、知っている。少女時代から、彼女は頑固で負けず嫌いだった。子供のころから、彼女は一途に自分を慕っていたのだ。

「……クシェル……」
「はい、陛下」
「私の妻となってくれるだろうか? 王妃でも妻でもお嫁さんでもいい。どうか私の傍に居てくれないか?」
「もちろんでございます。死が二人を別つまで、なにとぞお傍に置いてくださいませ」
「あなたは今から、クシェル・シェーンベルグだ。我が妻よ」

 手が触れた。髪に触れた。未婚の女性にみだりに触れるのはあってはならぬ事。
 けれど今、彼女はたった今既婚の女性になったのだ。
 宣誓を見守る聖職者もいない、楽団や花もない、花嫁衣裳すらない戦火の中で、二人は初めて口付けた。

 それが、二人の結婚式だった。



 コルンブルーメ帝国の兵士たちはほとんど空に近い王宮を駆けていた。王都の防衛線までは厳しい戦いだったが、そこを抜ければ呆気ないほど王宮に攻め入ることができる。不思議な事に街には人間も、王宮には兵士すらもほとんど見かけなかった。
 そのくせ降伏勧告には応じず、不気味な事この上ない。
 一番の懸念は王の血による国全域の自爆だったが、長年の調査で竜の血は絶大な力を誇るが、その力ゆえに様々な枷があり、希少な血を持ちながらも利用できずにシェーンベルグ国が大国になり得なかったと分かっている。
 専守防衛であれば血は力を貸す。しかし王の意志で他国を侵略すれば、あるいは無辜の民を害すれば、その血は生きながら腐ってしまうというのだ。
 なんという間抜けな話だ。
 世界を征服できるだけの血がありながら、その血を自ら使う事が出来ないなど。

 ならば王が自ら戦を起すのではなく、平和で豪奢な牢獄に繋いで採血し、我々が大陸統一のため有効に利用してやればいい――それが本国の考えだった。

 将軍と呼ばれた男は玉座を目指す。
 そこに竜の血、つまりは王が居ると知っていた。

 大きな開き戸には、扉を守る衛士も居らぬ。沈没する船から逃げる鼠のように姿を消しでもしたか。
 数の力で扉を押し開ければ――そこに王が、王たちが居た。

「……覚えておいでです? 子供の頃の陛下は、私がドレスやリボンの話をすると途中で眠ってしまわれて……でも、あれは狸寝入りだったって存じておりましたのよ? 最後まで聞いて下さらない陛下に腹が立って、よく私も泣いて駄々をこねましたわね。そうすると陛下は慌てて起き上がって私を宥めて下さって……ふふ、今だから告白致しますが、あれは嘘泣きでしたの。だって空色のドレスもリボンも、陛下の瞳の色を模したというのに、気づいて下さらないのだもの」
「おお、陛下は妃殿下を泣かせてしまったといつもしょげ返っておいででしたのに……陛下を騙すとは褒められませんな、妃殿下」
「まぁ? 侍従長、言葉が過ぎましてよ? 宰相も騎士団団長も、いいえ他の皆様も、若い時分は女性を泣かせたのではなくて?」
「これはこれは……叶いませんな、妃殿下には」

 これは何の光景だ? 将軍は玉座の付近で屯った人間たちの、ワイングラスを片手に笑う穏やかな話題に驚愕する。
 軍靴が迫る音も血と噴煙の臭気を気付かないはずがないだろうに。
 まるで平時の、ごくごく穏やかな会話を嗜んでいるようではないか。

「……陛下。夢でも見ていらっしゃるの? とても穏やかな寝顔ですわね――ええ、本当に」

 玉座に座った男――年若い新王の頬を愛し気に撫でる女性と、それを見守る白い髭の老人や身分の高そうな男たち。事前に調べた情報と容貌や紋章、鎧を見れば彼らの正体は分かる。
この亡びゆく国の重鎮たちが居た。侍従長、宰相、大臣、騎士団団長、副団長などなど。だがこの辺りなら新王と共にいるのは理解が及ぶ話だ。
 降伏にするにしても、徹底抗戦するにしても、若い新王一人では立ち行かない。長く国を支えてきた者たちが同席するまでは理解できる。
 だが戦場となった王宮で、空色のドレスを着た若い女が居るのは、明らかに異常な光景だった。

 ふと玉座の傍に居た女が優雅な動作で立ち上がる。扇で顔を覆い、冷えた瞳で国を簒奪する者どもを見据える瞳には侵しがたい気品があった。

「皆々様。昔話もここまでのようですわね。招かざる客が謁見の間で無礼な事よ――控えなさい。王の前に会って礼儀すらも心得ぬ慮外者が!」

 凛とした声が謁見の間に響く。
 言葉が凍えた鞭となり辺りを打擲する。

「な、女郎の分際で……」
「わたくしは控えよと申したのです。この国の王妃たるわたくしの耳を汚すでない」

 勝者のはずだった。この国を亡ぼしたはずだった。それなのに勝者が断頭台にでも乗せられたかのようだ。空気は強張り、息をのむほどの厳しい声がこの場を支配する。
空色のドレスを着た女性は、少女から幾ばくしか越えていない年頃とは思えないほどの威厳があった。

「妃殿下。礼儀を知らぬ者どもに正道を説いても詮無きこと。それより我らもそろそろ王の傍に侍りとうございます」

 子供のころから王子を、新王を見守ってきた侍従長が恭しく白髪頭を下げれば、それに続くように宰相や騎士団長たちも頭を下げた。
 彼らの胸中は察するに余りある。
 もっと多くを救いたかったであろう。もっと多くを助けたかったであろう。もっと多くを逃がしたかったであろう。
 今まで亡んだ国々から比べれば、より多くを逃がしより多くを守ったのも事実。しかし彼らには悔恨がある。
 それでもあと一人でも助け、逃がせたら、と。
 だが最早これまで。これ以上はどうにもならない。
 悔しさと憤りと悲しみの全てを飲み込んで彼らは逝く。
 毒と共に。

「……許します」
「有り難き。しからば一足先に竜の国ににてお待ち申し上げます」

 簒奪者たちが何を言う暇もなかった。玉座の近く居並んだ者達が一斉にワインを煽り――わずかに苦しんだ後、全員が床へと倒れていく。 

「毒杯か! しまった!」

 臣下が斃れたのだ。ならばと玉座に座す若き王を見れば、血の気の失せた顔で眠るようにとっくに息絶えていた。
 民を逃がし、王の血を使った禁術を再現不可能なまで葬り、最後の血を絶やし。

 必死に時間を稼ぎ、懸命に泣きながら王の死を願った死兵たちの悲しい願いは、もう満たされていたのだ。

「くそっ。まさか自決するとは……っ!」

 数々の国を飲み込んだコルンブルーメ帝国の人間として、王の死など見知ったこと。断頭台で王の首が落ちれば、その国は属国となった証だった。
 だが王として、敗戦の責もとらずに自決するなど考えも及ばなかった。いや、この国の特異性を思えば、一考する余地はあったのだ。
 数多の国を支配したゆえの強者の驕りがこの結果だ。

「それが王のやる事か!」

 苛立たし気に将軍が叫ぶ。
 この国は支配下に置いた。戦は勝った。
 しかし、だ。そもそも王の血を得るために戦いの火蓋を切ったのに、その王が手に入らなかった失望が憤怒となって謁見の間に充満した。
 身勝手な言い分を示す敵国の将軍を前に、ただ一人立つ王妃は見事な姿勢で佇立したまま顎をそびやかす。
 祝福か呪いか――その希少な血を武力で奪われ、簒奪者一強国の世界を作る道具となるくらいなら――。

「王なればこその英断を、貴様ごときに解れとは言いませぬ。今日この日を以て シェーンベルグ王家は亡びました」

 堂々とした宣言を聞かずとも、将軍たちは分かっていた。
 戦を仕掛けた時の先王の継嗣はただ一人。先王が死に、子を持たぬ一人息子の王子……いや新王が死ねば子は作れず、ゆえにあの希少な血は今日失われたのだ――永遠に!

「ならばせめて、残った血を頂く!」

 将軍が剣を抜けば、後ろに控えた兵士たちも一斉に抜剣した。
 たった一滴でも効果のある王の血。王の死体から血を抜けば、それだけでも世界の隅々まで飲み込めるはず。あるいは王の体を調べ尽くし、代替品が作れるやもしれぬ。
 怒りと焦燥、そして血を求める欲を前に、最後の国の最後の王妃は扇で顔を隠して高らかに笑っていた。

「――我が君の玉体に下賤なる指を届かせるとでも? 聞き知るがいい、簒奪者共! そしてそなたらの簒奪王に伝えよ! シェーンベルグ王家一九代王妃クシェルが最後の王妃としてなに一つ、この方を奪わせない! 髪の一本、爪のひとかけら、血の一滴に至るまで、わたくしが守って見せましょう! お前たちはシェーンベルグ王家が絶えた証人として命を長らえさせてあげます。簒奪者でありながら、最後の王と最後の王妃から、何ひとつ奪えなかったと世に己の無能と恥を語り継ぐがいい!」

 敵意がむき出しの鞘走りの音が引き金となったのか、ごうと風が吹いた。嵐を思わせる暴風だが、空色のドレスはわずかも翻りはしない。見れば床に倒れた臣下たちの骸からあり得ないほどの魔力が噴出していた。
 薄めた王の血と己の命を媒体にした禁術が、一定時間あらゆる攻撃と侵入を防ぐ完全防御の壁を作り出したのだ。

「皆様の忠義、感謝致します」

 死してなお最後の王と王妃を守る臣下を、思慕と感謝の瞳で見つめてから、ぱちりと扇を閉じる。玉座で眠る最後の王の手を握り、亡んだ国の最後の王妃は散り際の花のように艶やかに微笑んだ。

「今、お傍に参ります。我がつま……私の愛しい旦那様」

 最後は一人の女となり、冷たくなり始めた手の甲を額に当て、消え行く夫の体温を惜しむように体を寄せたクシェルの体が燃えた。太陽を思わせる凄まじい火力だったが、忠心たちが命を贄に作り上げた全体防御。それは延焼はおろか、敵兵すらも傷つけない。いっそ巻き込まれた方が彼らの名誉は保たれたであろう。
 獲物を前に指を咥えて見ているしかできないのだから。

 あまりの出来事に簒奪者たちは慌てふためいた。国を滅ぼしてまで捉えようとした王が炎に飲み込まれれば当然とも言える。
 王の血だけでもと目に見えぬ壁を叩き壊そうとするが、臣下たちの死を以て紡いだ禁術は破れるはずもない。絶対防御の効果が消えた時には、玉座に王の姿は無かった。王妃も、臣下たちの骸すら無かった。

 ただそこには人の形に焼け焦げた跡と、すでに恩恵と効力失い、真っ二つに割れた竜の石が残るのみであった。



 後年、誰ともなく語る。
 軍事国家コルンブルーメの破竹の勢いを鈍らせ、大陸統一の野望を大きく後退させたのは、名を消された小国のせいだと。
 いたずらに軍費と人員を消耗しておきながら得るものはなく、当時のコルンブルーメ帝王は死という退位に迫られたという。
 手にした王の血を使い、勝てば官軍とばかりに世論も他国の介入も封じようとしたが叶うべくもなく。むしろ痛手のみを受けたコルンブルーメ帝国は、長く比肩する他の大国に付け入る隙を与える結果となる。


 以降、歴史から抹消された小さな国はコルンブルーメ帝国内では禁句となり、名もなき国の最後の王と最後の王妃の悲恋は、細々と人の口に御伽噺として語り継がれることになった。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ