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14話 温泉にかかせないあの食べ物

 町中に、ミノが石を叩く音が鳴り響く。何事かと人々の視線が集まる中、ヴァネッサは音の中心へと歩いていた。後ろに続くミアや他の使用人たちと共に、やや大きな箱を抱えている。

 人の波をかき分けて見えたのは、大衆浴場の建設に精を出す職人たちの姿だった。皆一様に汗水たらし、真剣なまなざしで、各自作業に当たっている。

 ヴァネッサはすぅと息を吸い、挨拶をした。すると、職人たちの顔が上がった。職人顔がほんの一瞬で、はしゃぐ子供の顔に変わる。


「皆さんへ昼食をお持ちしましたわ!」

「おお! ヴァネッサ様!」

「ちょうどお腹が空いていたんですよ、ありがとうございます!」

「人数分より多めに用意して頂いたので、たくさん食べてくださいな」


 ヴァネッサがニコリと微笑んで箱を開ければ、作業をする手を止め、職人たちが「おお」と声を上げた。

 箱の中には料理がぎっしりと詰まっていた。焼きたてで、香ばしい湯気を放つライ麦パン。サンドウィッチはチーズとハム、レタスとトマトでシンプルに。コーラル色のお皿にはスープがたっぷりとしみ出した鯛のトマト煮込みが。お肉は片手でも食べやすいよう乾燥させた鹿肉と、中に香草を詰め込んだグリルチキンを。


(うう……! いい香りだわ。持ってきた私が食べちゃいたいくらい)


 先ほど王城で昼食を済ませておいたはずなのに、もうお腹が鳴りそうだ。食欲と闘いながら、職人たちへ料理を配る。


「おや、これはなんですか?」


 しばらくして、職人の一人がある箱を見て頭をひねった。中には茶色く丸いものが入っている。

 これはヴァネッサが料理長と協力して作った「なんちゃって温泉饅頭」である。食材は「異国食品店」にて手に入れた。ゲームで聞いた覚えのある店名である。この世界はなんでもありのようだ。しかし、餡子の原材料である小豆はなく、キドニービーンズ(赤インゲンマメ)で疑似餡子をつくることとなった。

 ちなみに、温泉の成分が経口摂取してよいものなのかは、自分の体で確認済みである。一週間は様子を見たかったため、少しお披露目が遅れてしまったのだ。二十個ほど食べたのだが、今のところ幸福感を感じたこと以外に変わりはないため、大丈夫だろう。

 おにぎりの材料、米類がなかったのは残念だが、温泉饅頭だけでもほぼ再現できたのは及第点だろう。


「温泉の湯気を利用して作ったお菓子です。『温泉饅頭』と言います」

「オンセンマンジュウ……よくある焼き菓子とは違う香りがしますけど、おいしそうですね」

「お前は甘いもんなら、なんでもいいんだろ。あ、一つ貰いますね」

「いや、お前だって気になってるんじゃねぇか」


 やいのやいのと饅頭を取り合う職人たちの姿を見て、ヴァネッサは胸を撫で下ろした。ゲームに登場したものとはいえ、こうして料理長と切磋琢磨して生み出したものをおいしいと言われると、非常にうれしい気持ちになる。やわらかで温かい感情が、胸の奥に灯る心地がするのだ。


 ヴァネッサが空になった箱を満足げに眺めていると、一人が饅頭をほおばりながら「そういえば」と言った。


「先日お出しして頂いた『温泉たまご』というものも、なかなかおいしかったです」

「最初は生の卵かと思って食べなかったんですけど、みんながあまりにもおいしそうに食べるんで、オレも食べちまいましたよ。うまかったです」

「そう言っていただけて嬉しいですわ」


 ぺこりともう一人がお辞儀をした。


(よかった。温泉饅頭より好みは分かれていたけれど、好きになってくれた人もいたみたい)


 職人たちからの感想を、自作の「温泉フード企画帳」に書き殴っていく。


「熱心ですねぇ。ヴァネッサ様はこの仕事が終わったら、何をなさるおつもりで?」

「温泉をメインとした宿泊施設や温泉街をつくりたいの。そのためにまず、大衆浴場に隣接して休憩所を建てようと思っているわ。もちろん、これは私の願望だから自費でね」

「へぇ! ヴァネッサ様は大金持ちなんですね!」

「じゃあ、この仕事が終わったらオレたちを雇ってくれません?」

「皆さんのやる気と仕事の出来次第では、お願いしたいと思っていますわ」

「おっ! ならオレたち、がんばっちゃいますよ!」


 休憩時間を終え、職人たちは仕事へと戻っていった。今後が楽しみだとヴァネッサは笑みをこぼした。次いで、箱を王城へと返すべく、後ろを振り向く。


(うふふ。コーヒー牛乳とフルーツ牛乳は開発し終えて、今はイチゴ牛乳を製作中。お饅頭の中身も増やしたいし……ああ、本当にこれからが楽しみだわ!)


 温泉施設の経営を仕事にするのもいいかもしれない。


(あ。でも、経営は学んだことがないのよね。自分でやるよりも、専門家を雇った方がいいのかしら?)


 頭を傾けながら、ミアの後ろをついていく。その時、なんとなく顔を上げたヴァネッサの目に、ライルの姿が映った。獲物を射抜く射手のように、真剣なまなざしで手を動かしている。

 ヴァネッサは使用人たちの列から離れ、ライルの背後に近寄った。


「なにをしていらっしゃるの?」

「……あんたか。絵を描いているだけだけど、何か用?」


 ライルはため息交じりにヴァネッサを一瞥した。その時、彼が手に持つ大きめのノートにヴァネッサは視線を奪われた。


「用がないなら帰――」

「すっごくきれいね! これは白鳥?」


 彼の絵には、目の前の湖が描かれていた。ただ一つ違うのは、一羽の白鳥が飛び立っているかどうか。実際の湖に白鳥はいない。


「飛び立つ瞬間を描いたのね。水しぶきのあがる様子がダイナミックで、すてきだわ。同じ成分で出来ているはずなのに、角度によって水面の色が変わるのも幻想的ね!」

「……」


 ライルはヴァネッサを睨んだ。ノートが目の前で閉じられ、発生した風がヴァネッサの前髪を乱す。


「あんたに何がわかるっていうのさ。素人のくせに」

「確かに私は素人だけど、きれいと感じる心はあるわよ」


 そう平然と答えれば、ライルは立ち上がってしまった。


「俺のところで油を売る暇があるなら、仕事の準備でもしたら? 来週には温泉を引きはじめるんでしょ?」

「たった数分あなたと話したくらいじゃ、支障はないわ。それより、他の絵はないの?」

「暇人」


 ライルは怪訝そうな顔でそう言い残し、去ってしまった。


(もう少し見てみたかったのに)


 今までヴァネッサが美術品に興味を示したことはなかった。美術品を鑑賞する時間も、楽しむ精神的余裕もなかったからだ。

 自身を取り巻く悪意に満ちた環境と、蜃気楼のように不安定な自身の地位を守ることに必死だった。


(勇気を出してすべてを捨てたから、今の穏やかで幸せな日々を送れているのよね)


 もちろん、仕事の問題はあるが。


(だからこそ、温泉建設はなんとしてでも成功させたい。そのためにはライル様と仲良くなることが不可欠。他の職人たちのように、とはいかなくても、気兼ねなくデザインを相談できるくらいには心を開いてほしい)


「ヴァネッサ様、こちらにいらっしゃったんですね。途中でお消えになるものですから、心配しましたよ」


 ライルと打ち解ける方法を思案していると、ミアが後ろにいた。真顔で急に声をかけられると驚いてしまうではないか。彼女はしのぶのが上手すぎる。


「ごめんなさい。少し気になることがあって」

「なんでしょう?」

「うーん」


 ヴァネッサは両手の人差し指どうしをくっつけ、はにかんだ。


「その……人と仲良くなる方法って、あるかしら?」


 何を隠そう、ヴァネッサには友達が出来たことが一度もないのである。

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