12話 氷の国は温かい人ばかりです
「殿下! ウサギ! ウサギがいますわ!」
「こけたら危ないから、歩いて行くように」
「はい!」
氷の山に着いてそうそう、ヴァネッサは山の中を駆けていた。そして見つけたのは、木の陰で休んでいたウサギ。
ヴァネッサがそっと手を伸ばすと、ウサギの方から近寄って来た。
「うふふ。温かくて、ふわふわしているのね」
ウサギを膝の上にのせて背中を撫でていると、木々の間を縫ってダリウスが遅れてやってきた。
「野生のウサギが逃げないとは、珍しいな」
「どうしてでしょう?」
大人しく撫でられているウサギを見つめ、頭を傾ける。ウサギはホクホクとした表情で、眠そうに目を細めているような気がする。
(私の体温が高いからかもしれないわね。温かくなると、眠くなってしまうもの)
「きゃっ!」
突然ウサギがピクリと耳を立て、ヴァネッサの膝から飛び降りた。視線で後を追うと、一回り大きなウサギの元に走っていった。
「親が迎えに来たみたいだな」
「そうみたいですわね」
共に山の奥へと走ってく姿を見送り、ヴァネッサは笑みをこぼした。
ふと顔を上げると、どこか苦し気な表情でダリウスは、ウサギが去った後を見つめていた。
(やっぱり、両陛下がいなくて寂しいのかしら?)
仲が良かったかどうかは知らないが、どちらにせよ、身近にいる存在がいなくなるのは何らかの形で影響を与えるはずだ。ヴァネッサとて、両親からの愛をあきらめたとしても、いざなくなれば――
「あ」
馬車の元へ戻ろうとしたのか、体を翻したダリウスと目が合ってしまった。
「どうした?」
「えっ、あ、いいえ! なんでもありませんわ」
急いで立ち上がり、背筋を伸ばす。
「もしかして、あのウサギを飼いたかったのか?」
「えっ? それは考えていませんでしたわ」
「そうか」
そう言って、ダリウスはヴァネッサへと手を差し出した。
(ええと、この手は何かしら? あっ! もしかして)
「ウサギを育てるお金を渡せばいいのでしょうか?」
そう尋ねれば、ダリウスは静かに目を見開いた。
「違う。足場が悪いから支えてやろう、ということだ。なぜ王子の俺が、君からお金を巻き上げる必要がある」
「あ、ああ! なるほど、そうでしたのね。ありがとうございますわ」
ヴァネッサはダリウスの手に、自身の手をのせた。
「君の手は温かいな」
「殿下の手は少し、冷たいですわね」
手袋越しに感じる体温は、ほぼないに等しかった。死人のようだと言ったら怒られそうなので、言わないことにする。
「君は、婚約者に手を取られたことがないのか? 舞踏会や茶会では普通、パートナーがエスコートするものだろう?」
「一度たりともありませんわね。彼、いつも遅れてきますもの」
まぁどうせ、ヒロインと屋上で踊っていたり、空き部屋で逢引きをしていたり、訓練の様子を誇らしげに見せていたりしていたのだろう。何度もスチルで見たので覚えている。
「そうか」
ダリウスは先を眺めながら、ただ静かにそう言った。
「だとしたら、彼は無責任だな。婚約者の身でありながら、他の女性にうつつを抜かし、君には義務さえも果たさないでいるなんて」
「もういいのです。私にも、悪いところはありましたから」
「君にか?」
「はい」
ヴァネッサは自嘲気味に微笑んだ。不思議そうに自身を見つめるダリウスの目には、自身はどう映っているのだろうか。自身は単なる「おてんば娘」などではないというのに、かわいらしいイタズラをする子供のようだと、そう、見えているのだろうか。
(私が彼女を虐めるようになったのは、いつからだったかしら? 周りに当たるようになったのも)
記憶の糸を引寄せようとも、見つけることができない。幼い頃の記憶はいつか消えるもの。仕方がないことではある。
黙ってしまったダリウスの足が止まった。山の入り口に戻って来たらしい。
「送ってくださり、ありがとうございましたわ! さっそく山に登りましょう!」
彼の態度にどこか胸がざわざわして、焦りを感じて、ヴァネッサはわざと明るい態度で手を離した。
(私の悪いうわさが広まれば、きっと、殿下や使用人のみんなは今までのように優しく接してくれなくなる。アヴァランシェに来て、せっかく快適な場所を見つけたのに、そんなのは嫌だもの。私はここで過去の悪役としての自分を忘れて、変えて、幸せな使用人……平民ライフを過ごすのよ!)
使用人として使えるか怪しくなってきたため、平民ライフに目標はチェンジした。幸せな未来に向けて、再び意気込む。
「きゃっ!」
その時、落ちていた枝を踏んでしまった。体がぐらつき、咄嗟に木の幹へと手を伸ばす。
しかし、ヴァネッサの手が掴んだのは、いや、自身の手「を」掴んだのは、ダリウスだった。
「よそ見をするからだ」
「す、すみません。ありがとうございますわ」
「気にするな」
ダリウスの手が離される。そのまま彼は歩き出してしまった。
(そうよね。今はまず、大衆浴場の建設のお手伝いができるかよね)
ヴァネッサも歩き出す。その時、ふとある考えが浮かんだ。
(温泉をこの国に普及させるのはどうかしら? 前世の記憶もちょっとは役立つかも。ゲームのミニゲームに出てきた料理とか、アイテムも少しずつ思いだしてきたし)
ちなみに、たいへんおめでたいことに、つい最近おにぎりの存在を思い出した。今はこっそり米の代わりを探しているところである。独立した際は本格的に探したい。
(だって、一度思いだしたら、食べたい気持ちがもっと強くなったんだもの! 焼きシャケ、おかか、梅、じゃこ……どれもこの世界にはないじゃない!)
どうして、西洋を舞台にしたゲームに和食を出したのだと、悪役に転生した今、ほんの少し製作陣を恨んでいる。前世の自身を楽しませてくれたことには、絶大な感謝の意を伝えたいが。
(ミニゲームの内容は、まだ思いだせないんだけど。まぁ、いつか思いだすわよね!)
「疲れたか?」
ダリウスから呼ばれ顔を上げると、かなり距離が離れてしまっていた。よそ見をするなと言われたのに、今度は記憶を思い出すことに集中してしまったからだ。
ヴァネッサは慌てて彼の元に駆けた。ピクリと体を動かしたダリウスの横に、一瞬にして並ぶ。
「……君は、見た目に反して動けるんだな」
「一国の王女として、当然ですわ!」
ヴァネッサの言葉に、ダリウスは苦笑した。
「この国の男子でも、息が上がるものがいるというのに、変わっているな」
「よく言われますわ」
そう頷くと、ダリウスの眉間にしわが刻まれた。
「今のは、悪い意味で言ったのではない」
ダリウスの捕捉にヴァネッサは首を傾げた。何かを訴えるような瞳だ。
ヴァネッサは彼の方を向き、もう一度、頷いた。
「ええ、わかっていますわ。殿下は優しい方ですから」
彼はヴァネッサのことを化け物扱いしないし、見た目だけの王家の操り人形としても見ていない。
料理を焦がした日も、お皿を割った日も、洗濯の泡まみれになった日も、農作業用のクワを破壊した日も、怒らずに受け止めてくれた、懐の広い人。自身を傷つけるために「変わっている」と言ったとは、思いすらしなかった。
「そうか」
また、ダリウスは短くそう言い、歩き始めた。
少しして、ヴァネッサの方を振り向いた。
「いかがなさいました?」
(はっ! まさか、道にまよ――)
「先ほどの婚約者についての話だが」
ヴァネッサの胸が、ドキリとした。まさか、彼は既にうわさを聞いていたのだろうか。
「少なくとも俺は、使用人たちは、君のことを悪い人間だとは思っていない」
「へっ?」
「そのことは、どうか覚えておいてくれ」
そう告げるダリウスの背中は、ヴァネッサには頼もしく思えた。
(やっぱり、殿下についてきてよかった)
★★★
「さて。君の力が使えることは無事、確認された」
「そうですわね。私、とっても楽しみですわ」
氷の山を訪れた翌日、ヴァネッサはダリウスと共に廊下を歩いていた。
彼の言う通り、ヴァネッサに温泉と町を往復する体力と、凍らせないようほどよく炎で温める能力があることが、確認された。これは喜ばしい限りである。
しかし、湯あみ後にコーヒー牛乳の試作品を飲んでいた際、スチュワートが自身を呼んだのだ。「明日は町に出ず、お城で待機していてほしい」と。
そして昼、ミアに殿下の元へ送り出されて今に至る。
「何か問題があったのですか?」
「計画立案時に集められたメンバーはみな、業界から引退していた」
「えっ! どうするおつもりですか?」
明日にでも作業を開始できるのではないかと、ワクワクしていたのに残念である。
(私には業者を集める人脈も、人望もないし……町に出て、優秀そうな人をスカウトしたらいいのかしら?)
むむ、とヴァネッサは思案する。すると、ある部屋の前でダリウスが立ち止まった。
「だから、新たな職人たちを数人、城に招待した。君には今後の仲間になる身として共に判断してほしい」
「私でいいんですの?」
ヴァネッサは自身を指さした。
(共に、という形とはいえ、誰かに判断を仰がれることは初めてだわ)
緊張で胸がドキドキと鳴りだす。
「そう顔をこわばらせなくともいい。俺もともに考えるから」
「あ、ありがとうございますわ」
こくん、と自身を安心させるためにも大きく頷いた。
使用人によって扉が開かれ、中で控えていた仲間(候補)の姿が見えた。
ヴァネッサは思わず喉を上下させる。ある人物に視線を奪われたからだ。
――細くやわらかな、薄いピーコックグリーン髪を持つ、どこか気怠げで、飄々とした空気を纏う青年に。




