戦の感触
他に見る者も居ない海の真っ只中。
本来ならば穏やかである筈の海面には途切れることなく衝撃波が発生し、小規模な津波を毎分五十は生み出している。
黒い人型も彩斗も、そんな自然現象に意識を向けはしない。
共に見据えるのは相手のみ。双方が持ち得る最大限の殺意の滾らせ、相手を殺してやると己の武器を振るう。
人型の攻撃方法は徒手空拳。拳を固め、足で海面を踏み締め、加速しながら彩斗の急所を狙い打つ。
彩斗も基本は徒手空拳だ。相手の直撃を腕でいなし、インパクトの全てを外に流す。更に此方が攻撃を行う際には炎を腕に纏い、相手の肌を焼く。
温度は家庭用の域には留まらず、既に人体の傍で使うにはあまりにも危険だ。青くなっていない分だけ火球の時より出力は低いものの、人型は彼の攻撃を直接受け止めることだけは避けていた。
熱は有効なまま。それを戦いながら分析しつつ、人型と彩斗は互いに足をぶつけ合う。
速度と威力。両方が殺人的な力で放たれ、彩斗自身の足にも明確な衝撃が流れ込む。骨の軋む音に眉を顰め、一瞬距離を取った。
「純粋な力勝負になったら負けるのはこっちだな。 まぁ、そうなるようになっているとは思ってたけど」
人型が強く設定されていることは知っている。
激突時、純粋な力関係は向こうが上だ。だが全てにおいて上のままではいられない。完璧が無いように、この人型にも縛りは課せられている。
火への低耐性。氷による凍結も大地を使った物理的方法も、総じて全てに人型は対応することが出来る。
仮に情報処理システムによって耐性を獲得するにしても、強引な方法では必ず歪みが生じるものだ。例えば、内部の生体部品に異常が発生することもあり得る。
澪が作った物は簡単には弄れない代物だ。それがこんな形で上手くいくとは、流石の彩斗も想像していなかった。
「能力勝負だ。 どこまでいけるか、これで見極める」
炎を滾らせる。吹き荒れる火の嵐は青に染め上がり、彩斗の全身を包み込む。
マスクから警告が流れるも、それら全ては無駄なもの。今の彩斗は炎を無効化し、意のままに操ることが可能だ。
顔の部分だけに裂けた口のようなものや、歪な丸い目が覗き込んでいる。
火の魔人。古の絵本に登場する火の精が如き幻想存在に、今の彩斗はなっている。
立っているだけで海面の蒸発が止まらない。白煙を立ち昇らせ、魔人となった彩斗は身体から火の鞭を九つ放つ。
純度百の炎の塊が狐の尾のように動き、一目散に人型に襲い掛かる。
触れれば怪獣でも火傷は必至。避けたとして、火に炙られる感覚は決して愉快なものではないだろう。
海面を抉るように放たれた尾を人型は横に走りながら回避し、逃げながら彩斗に攻撃を仕掛ける。
全身を火で包んだ以上、人型が徒手空拳である限り必ず接触する。その際になるべく多くの時間を使って捕縛しておきたいが――純粋な膂力の強さはやはり脅威だ。
「ぐ、はッ」
叩き込まれる二連撃。
受け流しても走る衝撃に苦悶の息が漏れる。だが、右に逸れた敵の腕を掴んでそこから炎を流す。
操作は依然として問題無い。幾つかパーカーにエラーはあるものの、それを補う別のシステムが一時的な処置で動かしている。
彩斗自身の操作も合わせ、魔人に纏わせている炎を人型に移した。
それでも本体の炎は尽きず、無くなった分は補充して元通りだ。高温の炎が容赦無く人型を焼いていき、全力の抵抗か膝蹴りが打たれる。
狙った訳ではないのだろうが、激突地点は彩斗の腹だ。そのまま受ければ内臓が痛むのは間違いない。
咄嗟に彩斗も膝蹴りを放ち、一人と一体は揃って真正面から攻撃をぶつけ合った。
受け流していた時よりも遥かに大きな衝撃が全身を巡る。膝は激痛を告げ、完全にズボンの装甲を突破していることを示していた。
彩斗自身の改造がされていなければ膝が砕けていたかもしれない。
それだけの莫大な一撃を歯を食い縛って耐え、悲鳴を押し殺す。ここで弱っている素振りを見せることは、人型の優位にしかならない。
ただ、膝の痛みで腕の掴みが緩んだ。その瞬間に人型は腕を振るって拘束を抜け出し、海へと潜る。
消火を済ませ、身を潜ませ、暫く人型は海中を泳ぐ。
マスクの機能を全開にして探索するが、理論値より高速で泳ぐ個体を正確に発見することは出来ない。精々が痕跡を見つけ、過去には此処に居たのだろうと推測するだけだ。
それでは迎撃に間に合わない。やるからには、より精度の高い機器を用いるか己の気配察知能力でカウンターを叩き込む。
「集中」
目を閉じる。
古典的な方法であるが、目から入る情報を遮断することで音の処理に全力を傾けた。
水の流れる音や呼吸音、僅かな機械の駆動音。それらを要らぬ情報として弾きつつ、遥か下で機を伺う敵の音を探し出す。
嘗ての状態のままでは出来なかったことだ。彩斗は決して達人ではなく、人よりちょっと強くなっただけの一般人でしかない。
強そうと思わせることは出来る。だが、実際の達人を相手にすれば負けは確実だろう。
そんな人間が達人の真似をしたところで、成功率はたかが知れている。
良くて一割。悪ければ零に触れるかどうか。そんな現実を知りつつも彩斗が目を閉じて意識を研ぎ澄ますのは、一重に肉体性能が大幅に向上したから。
人の守護者の肩書は決して飾りではない。
それに相応しい肉体へと書き換えられ、今の彼には過去の彼には無い能力を幾つか身に着けていた。
その内の一つが、広範囲に渡る気配察知。近ければ近い程に精度は高まり、逆に遠退けば遠退く程に精度は悪くなる。一定の範囲から出れば拾うことも出来なくなるが、人型相手であればこの気配察知能力は十分に機能するだろう。
腰を僅かに落とし、身体から適度に力を抜く。戦闘時の騒ぎが終わったことで波飛沫も無くなっていき、最後には比較的穏やかな海が訪れた。
「――、――、――、――」
全身の神経が鋭敏になっている。
思考が沈んでいき、海水と自身が同一になった錯覚に陥り始めた。だがその錯覚に抗わず、己を海の一部であるかのように振る舞う。
緩やかな波に流されるままとなり、時折足に触れる海藻の残骸に意識を向けず、相手を捉えることだけに専念。
五分だろうか。十分だろうか。三十分、一時間、二十四時間、一日、一週間、十日。
長引く感覚に一種の苦しさすら抱き始めた頃、人型は深海の底から一直線に海面へと目指す。
腕を伸ばし、頭上で揃え、足もまた直線の形で。足首だけで泳ぐ様は人外に等しく、故に強力で不気味だ。
呼吸など人型には必要ない。そもそも、呼吸に必要な器官が怪獣達には無い。
元はただの破壊されるだけの玩具。都合の良いオモチャでしかなかったからこそ、普通では有り得ない場所でも動ける。
それをもってあの憎き守護者を狩るのだ。そうでなければ、己が成さねばならない作業を実行出来ないのだから。
人類殲滅。人類絶滅。人類淘汰。
呼び方など何でも構わない。ただそれを成し、星の寿命を延ばす。延長された時間の中で新たに生物の厳選を始め、二度と失敗しないよう厳重に管理する。
だから、さぁ。いざや死に逝くがいい。所詮お前も、その他と変わらぬ雑種であるのだから。
目にも映らぬ必殺の一撃。それが今、海面に触れた。
「――――」
トリガーが押された。
力の抜けた身体は柔軟に動き、足元で姿を現した敵の指先に拳を振り上げる。
思考の過程を無視し、全てを反射によって成し得る絶技。達人には及ばず、向上した身体能力による無理矢理の形で技を成す。
敵の爪先は彼の顔面を狙っていた。その攻撃を逸らさず、真向から打ち破る。
自然と掌が炎で包まれる。暖かく、淡い輝きは普段の色とはまるで異なって顕在化していた。
柔よく剛を制すのではない。
剛よく柔を制すのではない。
「――一撃」
柔の中に剛を混ぜ、剛の中に柔を混ぜる。
これ即ち、矛盾の撃衝。二つの要素が合わさった攻撃を、対衝撃と彼は呼んだ。




