芸能界の社長
高層ビルを見上げ、はぁと息を吐く。
隣には百合の姿。他の人間の姿は無く、今の彼女は変装していた。
彩斗は普段のスーツ姿である。仕事用の服は彼にきっちりとした印象を与え、思わず彼女の頬も緩む。
彼の仕事着姿を見たことがなかった訳ではない。実際に仕事としてフォートレスに訪れたことはあるのだから。
けれど今は違う。自分の為に、百合という妹を守る為に今日の彩斗は在る。
兄は妹を守るもの。少々歪な形であるがそれが成され、彼女の胸には多大な喜びが湧き上がって止まらない。
「案内は任せた。 話は通してあるんだよな?」
「はい。 ヴェルサスが話があると言えば、向こうは即座に場を整えてくれました」
彼女の相談から始まり、早二週間。
途中で怪獣出現を挟みつつ、彩斗から連絡を貰った彼女ははりきって話し合いの席を設けた。
本当であれば上層部の一人か二人を引っ張って来れれば良かったのだが、今回対応する相手は事務所の社長だ。今や芸能業界では無視出来ない存在であり、同時にヴェルサスと繋がりを作りたい者の筆頭でもある。
「……よし、なら行くか。 さっさと終わらせよう」
「解りました。 では此方に」
先ずは変装を解除し、事務所の入り口に立つ。
警備は彼女の姿に相好を崩して頭を下げ、隣に立つ彩斗に少々鋭い目を向ける。見知った相手なら兎も角、見知らぬ相手であれば警戒して当然だ。
警備の人間は別の感情も含んでいるが、そこまでは彩斗の気にすべき問題ではない。
彼女が問題は無いと告げることで入り口を抜け、受付にまで向かう。
以前までは高層ビルの一層分のみしか借りられなかった事務所も、百合の活躍によって丸ごと購入することに成功している。
今や大手アイドル事務所と言えば此処とニュースでも紹介され、彼女の成長振りには悔しいながらに彩斗も感心していた。
「高田さん、お早うございます」
「あら、百合ちゃん。 今日も早いのね」
受付をしているのは四十台の女性だった。
若さが抜けた顔は同年代と比較して綺麗で、後ろで纏められた黒髪と合わせると地味ながらに温和で優しい女性だと思える。
受付の女性に今日の予定について百合が伝えていくと、自然と女性は彩斗に視線を向けた。頭を軽く下げるだけの挨拶を送り、受付との接触はそれだけで終わりを迎える。
エレベーターに向かう廊下では何人もの人間とすれ違った。
皆百合に明るい挨拶しつつ、同時に隣を歩く男に疑問の籠った目を向けている。それは彼女以外のアイドル達も一緒だったようで、時には足を止めて説明を求められることもあった。
「凄いな」
「あ、ごめんなさい。 足を止めてしまって」
「いや、それだけお前が活躍しているってことだ。 この調子で頑張れよ」
「……うん」
エレベーターの中で二人はそんな会話を重ねる。
彩斗の言葉は彼女を応援しているようだが、そこに熱量は無い。ずっとお前はアイドルを続けろと命令しているも同然で、百合もそれは察している。
兄に好意的な応援を受けた記憶が無いからこそ、当時との温度差を比較して本気か嘘かを見抜くことが出来るのだ。
彼は真実、彼女の知名度に興味が無い。ずっと傍に居られないままでいることを期待して、故に百合の胸に苦いものが流れた。
エレベーターから降りて、足は社長室へ。
此処まで来る段階で本来ならば幾つものロック解除が必要だが、予定しておいたお蔭で煩わしい作業も無しに部屋前まで移動することが出来る。
一部の者のみが使うことを許された階層は、足を踏み入れた瞬間から彩斗の眉を顰めさせるのに十分だ。
赤いカーペットに、高級ホテルを思わせる金で装飾された扉。左右に六つ存在する扉達の奥に、一際大きな両開きの扉がある。
「好意的な扱いを受けられそうにないな」
「社長はかなり賛否両論な性格の持ち主ですから。 どうか我慢を」
「この程度でキレるかよ。 もっと面倒な奴等の対処もしてきたからな」
ゆっくりと、息を整えつつ、両開きの扉の前に立つ。
扉は二人が立った丁度五秒後に機械音を上げながら内側に開き、内部を晒した。
高層ビルの頂点。約五十階の建物の上から見る景色が、壁一面に張り巡らされた硝子から見える。
床は大理石。横幅の大きな黒い机には一人の男が居る。
彩斗とは正反対の白いスーツを身に付けた男は、立った姿のまま外の景色を眺めていた。
挨拶など無く、その背には確かな余裕がある。ヴェルサスを相手にしているというのに、震えの一つも無い姿は堂々としていた。
「――この景色。 君ならどう見るかね」
鋭利な印象を覚える茶髪を揺らして、男は振り返る。
赤茶の瞳は彩斗を見つめ、両目の下には弧を描く細かい傷があった。口元も緩やかで、しかし聞いている内容は要領を得ない。
「特に何もありません。 街が広がっている、ただそれだけです」
「成程。 君は実に凡人的だな」
唐突な煽りに百合は背筋に冷たいものを感じた。
だが、彩斗はその言葉に何も返さない。互いに暫く見つめ合い、先に降参したのはサンライズの社長の方だった。
「失礼 。 初めて会う人間には同じ質問をしましてね。 気分を害してしまったのであれば申し訳ない」
「構いませんよ。 ――それに貴方であれば話が解り易そうだ」
「ほう。 私をそう見ますか」
次の瞬間には二人で静かに笑い合う。
百合には意味が解らない状況であるが、二人は互いに目の前の人物に似たような感覚を何故か持っていた。
「サンライズの社長をしている遠上・檜と申します」
「ヴェルサス窓口役の最上・彩斗です。 どうやら迂遠な言い回しは必要ではないようですね」
「ええ。 今回は最上・百合に対して行われている行為について、でしょう?」
握手も無しに、しかも立ったまま二人は早速話を始めた。
話し合いになるのであれば先ずは世間話から取っ掛かりを掴もうとするものだが、男二人は互いにそんな心理戦に興味など無いのだ。
必要なのは直接的な要求と、それに対する返答のみ。
己の快・不快に関係無く、話を纏めることを第一として話の路線は定まった。
「今回の彼女への仕打ちは我が社の重職の者の独断専行です。 既に件の人物は解雇し、更に社会復帰も不可能としました」
「具体的には?」
「これは後日会見にて発表する内容には出しませんが、今頃は海の底でしょう。 家族も含めてです」
淡々とした説明に、百合の表情は青褪める。
この男は今目の前で人を殺したと証言したようなものだ。その理由は、一重に責任を取らせる為。
「トップアイドルとは今や民衆の宝です。 人々を慰撫し、この苦しい時代に希望を与える人間です。 それを利益追求の為のみに脅すなど、殺されたとて文句は言えないでしょう」
芸能界は裏社会にも通じている。
サンライズ程の大手ともなれば、背後に居る組織も大きいものの筈だ。証拠を残すことも無しに事故死として処理されるのが目に見えていた。
彼女の脳裏に過るのは複数の重役の顔。脂ぎった豚のような男や、厚化粧の女が過るが、一体誰が死んだのか定かではない。
百合にとって良い印象の無い人間達ばかりだったが、だからといって殺す程嫌悪している訳でもなかった。
恐ろしいと、百合の目に確かな怯えが混ざる。この男は、崇高な目的の為であれば容易く人を殺すような男なのだ。
「頂点に立つ者は自由であるべきだ。 誰かに縛られるなど、あってはなりません」
「……」
「ヴェルサスも同じではないですか? 誰かからの指図など、貴方達は一切求めてはいない」
にこやかに、柔らかに。
残酷な言葉を発した口が、自身の兄に同意を求める。もしも兄が同意したら、自分は兄をどのような目で見ることになるのだろう。
無言になった彩斗は真っ直ぐに彼を見つめ、次いで息を吐く。深く深く吐いたそれには、明らかな呆れが含まれている。
このような児戯に興味は無い。まともな会話が出来ると思っていたのに、目の前の人物も結局はそこらの存在と変わりがない。
「迂遠な言い回しは必要ではないと仰ったばかりでしょう。 ――解り易い嘘を吐く程無駄に時間を浪費しますよ」




