表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

op.7 溺れる音狂い

 ひさしぶりの第二音楽室。遠慮してたわけじゃないけど、たまたまスケジュールがあわなかった。


 ……それっぽい言いわけだ。


 スケジュール、なんて形にハマったものがないことなんて、俺が一番わかってる。


 通いなれた廊下をつきすすんで、防音仕様のドアにでくわす。ノブに手をかける前に、ノックをしかけて、そのまま手をおろした。


 なに、してるんだろう。


 ここは、俺がもらった俺の場所。俺の時間。誰に遠慮することもない。……それに、ノックなんて、意味がない。


 だれを思い浮かべているのか。

 ああ、もう、――まどろっこしい。


 ぐるぐるとまわる考えを弾きとばして、勢いよくドアを押しひらいた。



 ピアノの音は、聴こえない。





「……で、なんで俺のところにくる」



 仏頂面で、椎堂が言った。



「べつに。ひまだったから」

「というか、お前が第二音楽室の主だなんて初耳なんだが」

「言ってなかったから」

「だいたいなんで生徒があそこの管理者なんだよ」

「俺の入学条件だから」

「入学条件ってのは、ふつう学校側から強制するもんだろ。なにさまだ、お前」

iVoise(ノイズ)さま?」



 はぁああ!? と大声でさけんで、椎堂がのけぞった。

 完全に、挙動不審だ。だれも教室にいなくてよかったね。



「あ、まちがえた。……なんだっけ。えっと、カテイノジジョー」

「もうだまれ、お前」



 ひたいに手をあてて、うなだれる椎堂。



「うそだろ……いやでも、……うそだろ……」

「なに、ひょっとして、iVoise(おれ)のファン?」



 ごまかすのも面倒になって、軽い調子で言ってみる。



「あーくっそ。俺とか言うんじゃねーよ夢が壊れる」



 ガシガシと頭をかき乱す椎堂は、なんだかガチだ。ガチで沈んでる。


 ……この場合、俺は、あやまればいいんだろうか。おこればいいんだろうか。



「気にしなくていいよ。俺はiVoiseだけど、iVoiseは俺じゃない。だから、気にしなくていい」



 けっきょく、それだけつぶやいて、視線を外した。


 あれは、俺の音だけど、俺の音は、あれじゃない。

 へんな感じ。


 自分の音を追いかけてみても、けっきょく、iVoiseに囚われる。


 だけど、もうすこし。あとすこしで、届きそうな気がするんだ。iVoiseなんて仮面をかぶっているうちに、いつのまにか色を変えていた、いまの秋葉音波おれに。


 かばんの中に眠る譜面を、ちらりと一瞥して、ため息。


 この未熟な旋律を、どんな言葉で飾ろうか。どんな音で語ろうか。――どんな歌なら、律に響くのだろう。



「椎堂」

「なんだよ!」



 ほとんどキレぎみに、それでも返事してくれる律儀な椎堂。



「律に会いたいんだ」



 文句を言おうとした椎堂が、中途半端にかたまって、そのまんまパクパクと口を開け閉めする。なんだよ。



「律の音が聴きたい」



 もういちど、はっきりと言葉にして、椎堂をみつめた。





 ぜったいにだまってろよ、と念押しされて、連れてこられたのは、住宅街。赤い屋根の一戸建てを張る。


 差し向かいの家の表札が、ふと目に入った。見覚えのある姓だったからかもしれない。


 ――和佐。


 そういえば、あのお人よしな優等生は、どこに住んでいるんだろう。気にしたこともないことを気にしたのは、どうしてか。


 つつがなく整えられた前庭に、だれかの面影をみたせい、かな。



「おい、なにボーッとしてる」



 口調だけじゃなく頭のネジもゆるいのか、と椎堂が吐きすてる。



「……椎堂、ほんとに俺のファンなの?」



 散々な言われよう。面倒だから反論しないけど、たぶん頭のネジはゆるくない。成績はわるいけど。


 やればできるよ。やらないだけ。


 何十回とくりかえしてきた言い訳に、またもうひと塗り。そろそろ元の色がわかんなくなりそうだ。すくなくとも勉強に関して俺が頑張る日はこないだろう。



秋葉おまえのファンじゃねーし、そもそもiVoiseにハマったのも俺じゃない」



 椎堂は肩を落として、じろじろと俺を観察する。



「秋葉がiVoiseねぇ……まじで人間があんな声出せるもんなんだな……」

「歌ってやろうか?」

「安売りすんなよ本業の歌手が」

「しらない。俺、金のために歌ったことないもん。歌えればなんでもよかったし」



 叫ぶ場所さえあればよかった。

 もっと広い場所で、もっと大きな声で叫んでみないかと誘われたから、のっただけ。なにも考えずに。


 広い広い窮屈な世界に、飛びこんだ。



「だれかに伝えたくて歌ったことなんて、……なかったんだよ」



 だれに届かなくてもいい。あて先もなく漂っていた旋律に、周りが勝手に価値をつけた。


 俺は俺の音を奏でたかっただけ。奏でずにはいられなかっただけ。俺は、――俺でいたかっただけ、なのに。



「――うそだろ」



 その声は、驚きでも困惑でもなくて。目をみはったのは、俺のほう。



「伝えたかったことがないなんて、うそだろ」



 そう、椎堂は、きっぱりと言いきった。



「は……? だから俺」

「俺にはわかんねーよ。音のちがいとか、声の良し悪しとか、そういうの感じるようなセンスはからっきしねーんだ」



 でもな、秋葉。そう言って椎堂が、あんまり真剣な目をするもんだから、鼻白んで口を閉じる。



「わかるやつにはわかるんだってよ。声にならない叫びが。言葉よりもまっすぐに届く『音』が、わかるんだってよ」

「……なに、それ」



 まるで、俺だ。リツのピアノを聴いたときの、俺だ。

 わかるよ。その感覚は、わかる。だけど。



「それはきっと、iVoise(おれ)じゃない――」



 叫ぶことなんて忘れたんだ。聞いてくれと、だれでもいいから受けとってくれと、がむしゃらに鳴き叫んでいたころとはちがうんだ。


 さえずることを覚えたから。うまく鳴いて褒められることを覚えたから。


 そうやって、俺は俺の声を殺したから。



iVoise(ノイズ)の支持層が、中高生に固まってるのは、それに気づくまで聴きこんだやつらがいるからだよ。これはちがう、これはやばい、って、広めた奴らがいるからだよ」

「気のせいだよ……だって、俺、叫んでなんかない。言われるがまま歌ってただけだ。昔は知らないけど、最近なんてそれこそ人形みたいに」

「――秋葉。お前、自分のことなのに気づいてないのか?」



 椎堂が笑う。意地悪く口の端を上げる、和佐とはぜんぜん違う笑い方。どっちかっていったら、周ちゃんに近い。


 物分かりの悪い俺を、生暖かい目をして鼻で笑うのだ。出来の悪い生徒をみるように。



「お前の歌、たぶんすげーよ。俺にはわかんねーけど、わかる奴らがいんだから。俺に教えたのはヒロだけど、だれがヒロに教えたと思う? だれが、一番最初に気づいたと思う?」



 赤い屋根の一戸建て――『深水』の表札を掲げる家から、40代くらいの女性が出てくる。門をくぐり、角を曲がって消えていった背中は、だれかに似ていた。思わず目で追って、すぐ我にかえる。……なにしてんだよ、もう。


 あれはリツの母親? あれはリツの家? じゃあ、ここに。



「馬鹿みたいにiVoiseの歌を聴きまくって解剖しようとした、どうしようもない音狂いがいたんだよ」



 そして、閑静な住宅街に、あのピアノの音色が響く。


 せつないほどに頼りなくゆれる、灯火のような淡い演奏。儚い夢のように消えていってしまいそうな、それでもまだ、現世に踏みとどまった悲壮な音。


 ――リツの、ピアノだ。



「秋葉。興味本位じゃないんなら、いっそ溺れてこいよ。中途半端に首突っ込む気なら邪魔してやろうと思ってたけど、……なんか、お前の顔みたらその気が失せた」



 なんともいえない表情をして、椎堂が肩をすくめる。


 俺がどんな顔してるかなんて、しらないけど。ろくな表情してないんだろうな。しかたない。だって俺も、音の向こうに沈んだ『叫び』を、聴いてしまったんだから。



「リツは、もうとっくに溺れてたよ。お前より、ずっと早く、iVoise(おまえ)に」



 かつて彼女が、俺の叫びを聴いたように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ