番外編.リューイの非行。
「リューウーイ! あっそびまっしょー!」
リューイが自室で本とにらめっこをしていると、明るい声と共に扉が開いた。
柔らかく波打つ黒髪をふわふわ揺らし、灰色の瞳をきらきらと輝かせた一つ年下の友人だ。
「こんにちは、イヴ」
「こんにちは! ねえ、あそぼっ!」
「今は勉強中だから。またあとでね」
「ええ~。勉強はまたあとでいいじゃない。子供は遊ぶのが仕事。勉強はおまけ!」
「ダメだよ。僕は来年から学院に通うんだから、今からしっかり勉強しておきたいんだ。父上や母上が恥ずかしい思いをしないようにね」
「皇太子さまなのに、何でわざわざ学院に通うの~? そんなのつまんないよ」
イヴは唇を尖らせ、リューイの袖をつかんで揺さぶる。
リューイは困ったように笑った。
「僕は少しでも外の世界を見たいんだ。それに、友達はたくさん欲しいからね」
「友達なんて……あたしじゃダメなの? クリスだっているし、マリーもいるじゃない。もうすぐセレナの赤ちゃんだって生まれるのよ?」
「イヴは僕の一番の友達だよ。だけど、父上とディアンやレナードのような、同性の友達も欲しいんだ。僕にとってクリスはお兄さんのような存在だし、マリーはほら……お姉さんのようだしね。もうすぐ生まれる赤ちゃんのことはきっと……弟か妹みたいだから」
「でもでも~」
ますます唇を尖らせて、イヴは誘惑の言葉を探した。
どうしても今、リューイと一緒にしたいことがあるのだ。
「じゃあ、外の世界を見たいなら、どうして陛下とハナさまについて行かなかったの? 今日は二人で街に行ったんでしょ? って……まさか、誘われなかったの!?」
「ううん、もちろん誘ってくれたよ。だけど……えっと、二人きりの時間を楽しんでほしくて」
正直に言えば、子供の前でもどこでも仲が良すぎる両親を見るのはちょっと恥ずかしい。
もっと正直に言えば、そんな両親を見る街の人たちからの生温かい視線に困る。
もちろん二人のことは大好きだが、普段厳しい父が、母に対してだけはとてもとても甘い姿を見るのも微妙だった。
―― まあ、たしかに母上はしっかりしているようで……危なっかしいし、父上が心配してそばにいたがるのもわかるけど……。
などと考えていると、イヴが腰に手を当てて、ふんぞり返るように立った。
「リューイってちょっとしっかりしすぎだと思う。あたしたちは子どもなんだから、もっと甘えてわがままでいいのよ。ハナさまだって言ってたもの。『リューイはしっかりしすぎてて逆に心配になるわ』って!」
「母上が?」
あの母に心配をかけてしまっていたとはリューイにとって不覚。
早く大人になって父の負担を減らし、二人でゆっくり思う存分仲良く過ごしてもらおうと頑張っていたのに。
「どうしたら……いいのかな?」
リューイはうむむと眉を寄せて考え込んだ。
普段は父親似だが、今のような表情になると不思議と母そっくりになる。
真剣に悩むリューイを見て、イヴはしめたとばかりにニッコリ笑った。
「そんなのかんたんよ。子供らしく、非行に走るの」
「非行に……走る?」
「うん!」
「それって……いけないことなんじゃないかな?」
「もちろん! だからこそよ。パパも言ってたわ。若いうちはバカなことを何度も繰り返せばいいんだって。そうやってみんな大人になるんだって!」
「イヴのお父さんは……」
今も率先してわざわざ馬鹿げたことをしているように思うが、リューイはかしこくも口を閉ざした。
イヴはお父さんが大好きだ。ずっとずっと小さい頃、両親が離れて暮らすようになった時、迷わずお父さんを選んだほどに。
「……非行に走るって、どうやって?」
「王宮を抜け出すの!」
「え! ここから抜け出すの?」
「そうよ。あたしたちはね、かしこいから理由なき反抗はしないの。ちゃんと目的を持って非行に走るのよ」
「目的って?」
「お買い物よ」
「ええ~。それは何か違う気がする……」
イヴの大胆な発言にドキドキしていたリューイだったが、がっかりしてしまった。
そんなリューイに言い聞かせるように、イヴは大人びた口調でゆっくりと説明する。
「あのね、リューイ。買い物と言っても、あたしたちの物を買うんじゃないのよ。もうすぐ国に帰ってしまうニコスさまと、しばらくサイノスを離れるマリーに贈るプレゼントを買うの。あとは、生まれてくる赤ちゃんへのお祝い。そのための買い物よ」
「ああ、そうか。ニコス殿下がセルショナードに帰国なされたら寂しくなるなあ……。でもイヴは残るんだよね?」
「うん! パパがね、サンドル王国の王さまはたぶんもう長くないだろうから、その時に宰相さまがどうするか気になるんだって。あたしにはよくわからないけど、リューイと一緒にいられるなら、それでいいんだ!」
「僕もイヴと一緒にいられて嬉しいな」
そう言って、リューイはふんわりと微笑んだ。
白金の髪をさらりと揺らし、碧色の瞳を細めて微笑むリューイは、華麗に咲く花でさえ恥じ入ってしまいそうなほど甘く美しい。
イヴは真っ赤になった顔を伏せ、尖った爪をもじもじといじった。
「マリーはアンジェリーナと一緒に領地へ行くんだっけ? しばらくって、そんなに長い間じゃないよね?」
机の上に広げていた書物を片づけながら、リューイがたずねた。
どうやらイヴに付き合うことにしたらしい。
ほっとしたイヴが顔を上げて答える。
「ううん。少なくとも三年は帰って来ないって」
「三年も?」
リューイは驚いて片づけの手を止めた。
聞いていた話と違う。
「そうよ。アンジーが言うには、『レオナルドは今、マリーに対して愛情を持ってはいるけれど、それは妹に対するようなもの。これから一番美しく成長する時期のマリーと三年ほど離れていれば、レオナルドの頓珍漢で鈍感な頭も花開くはずだわ。それでもダメならかち割ればいいのよ』って!」
「……かち割るのは良くないと思う。でも、そっか。それじゃあ、やっぱりプレゼントは必要だね」
トントンっと書物をまとめると本棚へと戻す。
それからリューイは振り向いて、期待に満ちて輝く切れ長の瞳を見返した。
「だけど、どうやってここから抜け出すの?」
二人とも街まで転移する魔力はあるし、王宮内は自由に動き回れる。
しかし、父の張った結界を知られずに潜り抜けることは不可能だ。
その上、二人とも目立つ容姿をしているため、魔法で姿を変えなければならないが、リューイにはまだ使えない。
「それはもちろん、おじさまに手伝ってもらうのよ」
「アポルオンに? でもそれじゃあ、ディアンに知られてしまうよ」
ペンから喚び出してもらうには、ディアンにお願いしなければならない。
それどころか、その魔ペンはディアンが持っているのだ。
「大丈夫よ。おじさまはこの時間、東棟でトイレ掃除をしているもの」
「あ……うん……そうだったね」
何がどうなってどういう契約なのかわからないが、毎日この時間になると、アポルオンは王宮内のどこかのトイレ掃除をしている。――浄化魔法は使わずに。
初めの頃は女性用も担当していたため苦情が殺到し、なぜかレナードが頭を抱えていたらしい。
「うーん、でもやっぱりむずかしいんじゃないかな。この部屋では一人にさせてもらっているけど、僕がいなくなればすぐに大騒ぎになってしまうよ」
「そこはあれ、ありばいこうさくってやつよ。でもね、パパが言ってたけど、陛下がその気になればすぐに見つかって連れ戻されちゃうって。だから時間との勝負よ。いい?」
「……わかった」
「じゃあ、さっそくおじさまにお願いに行かなくちゃ!」
色々と穴のある無謀な計画だとは思ったが、リューイは何も言わなかった。
とにかく何かあれば全力でイヴを守ろうと決心する。
そして、怒られる時には潔く責任を取って怒られようと覚悟を決め、ふわふわのしっぽをご機嫌に揺らすイヴと一緒に東棟へと向かった。
その後、無事にプレゼントを三つとも買い、屋台でクレープを買ったところで父によって強制送還――転移させられ、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。




